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武士階級の食生活は、当時のどの階級よりも質素で、多くは玄米穀物菜食主義で、下は雑兵(ぞうひょう)といわれる足軽から大名に至る迄、少食・粗食であった。また着ている物も、普段は木綿(もめん)の粗衣であった。それなのに暑さや寒さに強かった。 |
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「戦い」となると、強靱振りを示した。徒侍(かち‐ざむらい)といわれる下級武士は、約40キロの防具・甲冑を着け、それを装着して、恐るべき早さで野山を駆け走り、あるいは駆け登った。 |
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騎馬侍(きば‐ざむらい)という一ランク上の階級も、馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。また、敵の徒侍に、一旦は馬から引き摺り落されても、再び立て直し、掠り傷もせず、丈夫な体躯をしていた。 |
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刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった。
おそらくその秘密は、彼等が普段口にしている食べ物にあると思われ、その食べ物の多くは、玄米菜食を中心とした食物に併せて、海で採れる魚貝類や、川で採れる小魚等で、こうしたものが強靱な体躯に貢献していたのであろう。そして彼等は、総じて少食・粗食であり、こうした事が胃腸を損なう原因から守っていたのであろう。
それに比べて商人や町家の多くは、裕福で、食生活も武士以上に贅沢で、病気がちの人が多かった。これは食べ過ぎの食生活が胃腸を損なっていたのであろう。 |