食と運勢
これまで日本人は「栄養」という観点で食事を考えると、「栄養素」というものばかりに囚われ過ぎて来た。そして栄養素から考える食事こそ、“科学的な食事”と思い込んで来たのである。

 食卓は欧米食に代表されるような、「油だらけの食事メニュー」が並び、これを食べることが、豊かで文化的な食事と思い込んで来た。そして「肉中心の油だらけの食事」をした結果、今日に蔓延する成人病の元凶を招いたのである。

 こうした由々しき現実下、今こそ、素朴な「粗食」に目を向けるべきであろう。季節事の旬の味を取り入れることこそ、粗食に帰る日本人の食餌法なのである。そして“四ツ足”の動蛋白を離れて、新鮮な旬の野菜に目を向けるべきであろう。

●食と大いに関係のある人間の運勢

 運命や運勢というものは、粗食・少食であり中肉中背の「中庸(ちゅうよう)」で、暑さ寒さに関係なく、以上を実践している、心身ともに健康な人は、災難や不幸には巻き込まれにくいという事実を発見したのでした。
 この事から、南北は「丹田呼吸法」と「粗食・少食」ならびに「玄米穀物正食法」を徹底的に研究します。そして死ぬまで、白米や餅類を一切口にせず、少年の頃から呑んでいた酒も、一日に一合とし、他には麦一合五勺以外は口にしませんでした。


 この身体の体型と食餌法の関係を発見し、『食養道』の理論を確立するのです。そして「人の運命は食にあり」という真理に至るのです。
 ちなみに、西郷派大東流では食養と、人間の霊的な部分の関係を「霊的食養道」と呼称しています。

 また人の頭蓋骨によって、大脳の発達を観る方法として、ドイツの生理学者ガル(F.J.Gall/1758〜1828)や、シュプルツァイム(J.K.Spurzheim/1776〜1832)らは、独自の「骨相学」を主張しました。
 彼等は19世紀初頭に、諸種の精神能力は、大脳各部分の発達の程度によって知り得るとする説を打ち立てました。また思考においても、その大部分は大脳の各部分に宿り、それらの能力の発達の程度は、頭蓋骨の形貌から推察されるという「観相学」を定義しました。

 さて水野南北は、一種の霊的な神秘体験をして、「惟神の民の食養法」を実践します。
 以来、これを研究し、体系的に纏めたものが「食」と「観相・躰相」の相関関係を顕わしたのが『南北相学』です。
 南北の残した研究とその教えは、目を見張るものがあり、弟子の吐菩加美(とぼかみ)神道の井上正鐡(いのうえ‐まさてつ)や高嶋易断開祖の高嶋嘉右衛門(たかしま‐かえもん)にも継承され、修養団(神道系)の蓮沼門三(はすぬま‐もんぞう)や、生長の家初代総裁・谷口雅春(たにぐち‐まさはる)らに大きな影響を与えました。

 南北の与えた影響は、食文化の革命的な思想であり、「人は如何に生き、如何に死ぬべきか。そして運・不運は、「人体の体型に密接な関係がある」という結論に行き着くのです。
 それを要約すれば次のようになります。

人は食事の仕方を間違うと運勢を悪くする。即ち、食べ過ぎれば陽に偏り、肥満体になる。また偏食すれば陰に偏り、痩せて薄弱となり栄養失調になる。その為には孰(いず)れにも偏らぬ穀物や野菜中心の「粗食・少食」が一番である。
食べ過ぎは肥満の元となり、貪欲(どんよく)な「いじましさ」とういう人間本来の「業」が出て、利己的になり、運勢を悪くする。この為、性格は威圧的で横柄で傲慢(ごうまん)な態度をとる。このような性格が表面化した時は、転落する暗示を持つ。それは観相に表れるもので、「法令線(ほうれい)」が「口角(こうかく)」に向かって流れた時は、事業の失敗(倒産)や破産の暗示を持つ。金に困って「首が回らない」という人は、ストレスが溜まっていて大抵が肥満である。肥満は運勢を悪くする元凶である。

陰に偏った食事(偏食)をすると栄養失調になって、痩せた体型(『病草子』に出てくる病人のように頭髪は疎らになり手足は痩せ細って骸骨のみの、腹は膨れてデッ腹の体型になる)になり、利他的になり、他人に酷使される運命を持つ。性格は内省的で消極的な行動をとる。

餓鬼の図/『餓鬼道飢渇苦之図』より

 観相に現われるものは、頬の肉(人相学的には「妓堂(きどう)」と言われる部分)が削げ落ち、人望や信用、人気等が一挙に失われ、主導性が著しく欠けてくる。

陽に偏ったり、陰に偏ったりするのはよくない。だから人の体型は、陰陽いずれにも偏らない中肉中背の「中庸(ちゅうよう)」の躰付きが最も良い理想体型である。
一般に「腹八分目」というが、この思想は「二分」を神に捧げ、残りの「八分」を食べるという、食べ過ぎを戒めたものである。しかし「腹八分目」でも食べ過ぎである。
 したがって、「腹六部目」を理想とする。十分に「仙人食」でも身体は動き、働けるのである。
 中肉中背の身体付きは《身土不二の法則》に則って、「腹六分目の粗食」によって生まれるもので、粗食を徹底している人は、凶方位に行っても、その悪影響を受ける事がなく、運命学で言われている運・不運の影響が表れない。占いや運命学で影響を受ける人は、陰陽いずれかに偏った肥満か、痩せた体型の持ち主である。滋養は、食べ物だけではなく、大自然の静寂な大気からも取らなければならない。これを《食気同根》という。
《食気同根》を徹底している人は、運命の根本に根差しており、それは如何なる境遇に遭遇しても、決して揺らぐ事のない不動のものである。また災難を吉福に変え、弱運を吉運に、凶方を吉方に転換させる事が出来る。
呼吸法を実践している人は、その呼吸が丹田呼吸(逆腹式呼吸=息を吸い込んだ時に腹をへこませ、息を吐いた時に腹を膨らませる特殊な呼吸法)であり、自己に宇宙意識が確立されている。
 したがって自他との境目がなく、自然に溶け込み、自然と一体になった心身であり、悪方向に近付くと自動的に警鐘が鳴り、そこに近付かないような機能が働く。または近付いても、殆どその影響を受ける事が少ない。災難の兆(きざし)があっても、生きる因縁の《天命》で守られてい為、その影響をもろに受けず、跳ね返す事が出来る。

 以上の七つの法則は、水野南北が掲げた「人の躰付き」と「観相の関係」であり、肥満体と痩せ形の体型の人は、運勢的に劣勢な宿命を背負わされているという発見をしたのです。
 そして名古屋の宮宿では、熱田神宮の近くに住居を構え、観相家として一家をなし、晩年は皇室のひいきを受け、光格天皇の時代に、従五位出羽之介に叙せられ、「大日本」および「日本中祖」の号を贈られたと言います。

 また、「南北」という号も、「相法に於て日本中祖の号を賜(たま)う。天命を恐れ、家名は我れ一代かぎり、子孫にこの相法を伝えず、門人に免ず」としるしているように、身内の一子相伝ではなく、法統を重視して、その子孫には伝えなかったと言うところが、水野南北の業績を大きくしています。

 初代が賢人でも、二代目が無能であれば、それは名前だけの伝承となってしまいます。南北が一子相伝で法統を身内以外に求めたのは、まさに正解だったと言えます。
 無能な人間ほど親の七光りに胡座(あぐら)をかき、家柄にこだわり、中味のない家名に重点を置き、必ず「一子相伝」の型を取るものです。こうした型は日本の茶道や華道の稽古事や、武術・武道の宗家家元に多くあり、親の築いたものを、子が苦労せずに継承し、更に孫が受け継ぐという一子相伝の形を取るものが多くありますが、こうした流派は中味が空っぽの場合が多々あります。

 アメリカの歴代大統領の中で、第十六代のリンカーンAbraham Lincoln/共和党出身で、ケンタッキー州生れ。1863年南北戦争下に奴隷解放を宣言、64年再選。翌年暗殺された。1809〜1865)は、南北戦争下に奴隷解放を宣言をし、また「人民の人民による人民のための政治」という民主主義の理念を説いた事で有名であり、最も偉大な大統領の一人ですが、その子孫は政治家でもなければ、大富豪でもありません。単に一般大衆の、ごくありふれたアメリカ国民として日々を暮らしています。

 ところが日本はどうでしょうか。
 政治家の子は政治家であり、実業家の子は実業家である場合が少なくありません。こうして二世三世は、創立者のレールの上を歩くだけで益々軟弱化になり、やがて明確な判断と決断を誤ります。

 こうした事を、南北は見抜いていたように思われます。
 南北の相法は「血色気色流年法」という独特のもので、従来の宿命論的な観相法を打ち破り、いかなる運命の星の下にある人も、あるいは家柄に関係なく、神仏を崇敬し、修身努力すれば、宿命を転換できると説いた「南北の相法」は、当時としては実に画期的なものでした。

 南北の観想法は「人の運命は食にあり」の大悟によって象徴されます。そして最も象徴的なものは、「吾(わ)れ衆人(多くの人)の為に食を節す」と言う、崇高な人生哲学であり、人の為に自分の食を「腹六部目」に減らし、残りを他人の為に与えるという行為は、まさに「奉仕」であり、武士道に通じるところがあります。
 南北は、白米ならびに餅の類は一切食さず、副食は一汁一菜と食を慎しんだ緒果、晩年は屋敷一丁四方倉七棟に及ぶ産をなしたと言います。

 南北の生年は宝暦七年(1757)と言われ、没年は天保五年(1834)十一月十一日でした。そして享年は七十六歳で天寿を全うしました。
 著書に、『南北相法十巻』『相法和解二巻』『秘伝華一巻』『修身録四巻』『皆帰玄論』『神相全篇精理解』『燕山相法』『相法対易弁論』があります。
戻る次へ