会員の声と相談者の質問回答集25




憑衣?されました (23歳/女性 会社員 無料相談室宛 入会希望)

 一週間前ほどに友人3人と一緒に高野山に行って、憑衣?され気を失いました。わたしいがいの友達には何も変化がありませんでした。
 困り果てた末、神経科精神科クリニックに行ったら統合失調症と診断されました。
 友人の知り合いに、優れた霊能者がいるということを聞き、そちらを訪ねようかと思ってみたりもします。友人の話によると、この霊能者は悪霊が憑いているので、それを落とさねばどうにもならないといいます。友人はむしろ病院より霊能者の神霊治療の方が効果があると言います。本当でしょうか。
 今後、どうしたらようでしょうか。


回 答

神社仏閣や霊場などを巡るには、正しい作法と礼儀を知らなければ心身に異常を来す。

 昨今、この種の相談がやたらと多くなりました。
 あなたが神経科精神科クリニックに行ったことは、まったくの正解でしょう。
 こうした症状を催したとき、中には病院に行かず、霊能者や占い事務所、また祈祷師などを訪ねる人が居ますが、これは大きな間違いです。祈祷で精神病一切は治らないし、神経症などのノイローゼから起こる病気も、祈祷では治りません。
 また、日本中が憑衣されている昨今、本物の霊能者は既に、戦前や戦中までに日本から去ってしまっていて、日本には本物は居ないようです。
 確かに憑衣と思われますが、祈祷を安易に信じてはなりません。信じた時点で、あなたの精神は崩壊するでしょう。そのうえ莫大な金銭を要求されて、いいカモにされるだけです。
 自称霊能者に懸かると、身も心もはぎ取られ、丸裸の一文無しにされてボロボロになります。そして注意事項としては、次のことを厳守下さい。

統合失調症などの症状が出たら、必ず精神科の診察を受ける。できるだけ、信頼のおける精神科医を訪ねる。中には精神安定剤投与の乱発で「回転ドア式の大企業家顔負け」の経営をしている医療法人もあるので、こうした病院や神経科精神科クリニックのカモにならないこと。精神科医の中にも優れた人が居て、親身に話を聞いてくれる医師も居ます。日本では、本当に少ないですが。
病院に行かず、霊能者や占い事務所、また祈祷師などを訪ねてはならない。病状を悪化させるだけでなく、患者本人も危険な状態になる。要注意が必要。
現在日本には統合失調症という旧名称の精神分裂病を治せる霊能者は居ない。神霊治療では治せない。
長崎の某は、大霊界などの本を出版して大金儲けをした。この宗教団体などは、ついに精神病お断りの看板を掲げた。この病気は、除霊や祈祷では、日本では全く治せません。そういう凄い霊能者も今日の日本に這いません。自称霊能者は、動物霊に毛の生えた程度。
霊動法という方法があるが、これは血縁者に協力をする人が居なければならない。患者本人が一人で行おうとしても無理。精神科の治療と閉口しながら遣るのが定石。霊的理論をよく理解しなければなりません。
アメリカやカナダでは、統合失調症は日本の精神医療のように精神安定剤や精神薬(ワイパックスやジプレキサなど)は遣わない。こうした薬は副作用が出る。そのために精神科に通院すると毎回血液検査をしてPK値(CPK値)を測定する。これは副作用の警戒をしているためである。
しかしこれが800とかの数値になると、横紋筋融解症などの不治の病気が出現する。
3000を超えると手足が動かせなくなり、10000に達すると死亡すると言われる、日本では研究の進んでない病気があり、精神科医でもこの病気のことを知らない医師がいる。
先進国での精神医療は、ビタミンC投与等の栄養療法であり、あるいはこれに絶食療法を組み合わせたりする。しかし、時間と金が懸かる。医療保険も利かない。
さて、「あなたの命の値段はおいくらでしょうか」と訪ねたらどうしますか。
医者任せでは、昨今の病気は治りません。依存型ではなく、自分のことは自分で。

 こちらに相談に来る人は、百万円や二百万円を霊能者と称する者から奪われたというのは珍しくもありません。昨今では一千万円や二千万円も珍しくなく、億単位でカモにされた人まで居ます。酷い話です。
 病気を祈祷で治すのは、古代の話です。シャーマンの世界のものです。
 かつては日本にも、巫女というシャーマンの世界があり、事実、霊的な霊障はこうした修行を積んだ人の能力で治ることもありました。むろん、こうした人達は、一円の治療費も寄付金も求めませんでした。
 ところが現代はどうでしょう。

 恥も外聞もなく、自称霊能者がのさばり、傍若無人に振る舞っています。なんとも呆れるばかりです。
 また、一言申し添えておきますが、今日の日本で本物は殆ど居ないということです。霊能力があるように見えるのは、本人以外の人格が入り込み、それの仕業です。正体は動物霊です。
 少し考えれば分かることですが、グルメ通を気取り肉を喰らい、一本数百万円もする高級ワインなどの美酒を飲み、高級車を乗り回して、プール付の豪邸に棲み、高級ホテルに缶詰になって、せっせと出版に多忙を極める輩に、どうして天からの啓示があるのでしょうか。
 こうした者どもの、お供は昔から低級な動物霊と決まっています。

 かの御伽噺(おとぎばなし)の『桃太郎』の話でも、鬼が島と称する島に、鬼退治に桃太郎と一緒に出掛けたのは犬・猿・雉(きじ)でした。これは日本では長い間、昔話の一つとして数えられていました。桃太郎と動物が一緒になって、鬼ヶ島の鬼を退治するという話です。
 ところが、この話は裏があります。
 この話の成立は室町時代です。時代色を濃く反映し、忠孝勇武の徳を謳歌する物語に見えますが、実はそうではありません。

 背景には、シャーマン戦争が絡んでいたのです。
 つまり、古代史から言うと原日本人と、新日本人の話です。
 原日本人は縄文人のことで、新日本人は大陸から遣って来た弥生人のことです。
 かつて日本列島では縄文人と弥生人との間に国取りの戦争があり、この戦争は弥生人が勝って、縄文人が負け、弥生人は日本列島の中央を占拠し、縄文人はその周囲の島に追放されたということです。つまり、中央集権国家の中心は日本列島の中央にあり、離れ小島に追いやられた縄文人が、つまり「鬼」の烙印を押された人達でした。鬼退治は縄文人退治だったのです。
 そして、今日、日本人のルーツを辿れば、原日本人であった縄文人と、大陸や半島から侵攻して来た弥生人との混血で、日本人が人種を為していたのです。これいこう日本では、縄文人と弥生人の混血が始まります。この混血人種で古代の日本を形成します。

 ところが、日本は大きな外圧があり、第一波の外圧は蒙古来襲の時であり、第二波は明治維新で外国の右回りの文化が入って来た時であり、第三波は1945年8月15日、大日本帝国が大東亜戦争に敗れた時でした。第一波から第二波を考えますと、日本列島では混血の度合いが縄文人と弥生人と、それに一部の蒙古系の人たちだけでした。
 日本の神道には、縄文神道と言われる古神道と弥生神道と言われる今日の神道があります。つまり、神宮と大社の違いです。今日では双方は同じように考えられていますが、祀る神が違っているのです。それでも、神仏習合などもあって、共存共栄の中でそれぞれが威厳を保ち、他方を犯すこともなく、また犯されることもなく、まずは平和でした。

 しかし、第二波の明治維新以降から少しばかり国内情勢が変わってきます。これに欧米が加わったからです。人種的混血は更に広まります。
 そして第三波の日本敗戦時以降から、完全に人種的混血が進みます。
 昨今では、『国際化』という言葉でそれが象徴されています。
 事実今日の日本国の政治も、『国際化』を奨励する人達で牛耳られ、かれらの主導で国家運営がなされています。政治家の多くは利権に寄り掛っています。また、支持母体の黄金の奴隷です。
 一見、『国際化』というと、グローバルな感じがして、“人類はみな兄弟”というイメージがありますが、これは真っ赤なウソで、今日の資本主義経済が地球規模でグローバル化されることで、国境無しに商売出来るという、そのことを指しているのです。その意味での『国際化』です。
 国境がなくなり、例えば家の周りの塀がなくなると、どうなると思いますか。

 塀がなく、門がなく、家だけが丸裸になれば、防禦する物がなくなり、誰でも入って来るようになります。外国のものが一斉に雪崩れ込んできます。待ったなしです。
 こうした価値観は、現代人に顕著に顕われます。文化もそうですし、その文化の一部に欧米流の恋愛術があり、この自由恋愛によって、また混血が殖えて行きます。節操の頽廃です。婚前交渉も半ば合法化され、自由恋愛は解放的になり、かつて日本人が持ち続けた霊的神性と霊的波調は益々低下して行くばかりです。この低下状態にあって、どうして霊能力を持つ者が性来通り、往時の日本の霊能力を維持出来るというのでしょうか。
 欧米の価値観を持った時点で、日本人の霊的神性は失われます。また霊的波調は低下し、その結果、低級な者ばかりと交わり、この交信によって生まれたのが、今日の自称霊能者と言う、低級霊の代表者達です。
 低級な者が暴れ回り、世の中を翻弄(ほんろう)しているだけです。
 自称霊能者だけでなく、新興宗教の教祖や幹部、一匹狼の狂った祈祷師、さらにはカイロプラクター(東京四谷大塚には某整体学校があるが、日本国厚生労働省では整体師の資格制はない。国会議員の選挙のための配慮か?)という無免許の整体師、あるいは免許持ちでも指圧マッサージ師や鍼灸師、柔道整復師(筆者は関東地方の一部で治療院を構える、背中ひとなで、一分間治療1万円という、一日200人以上の患者数を誇る行列のできる治療院を知っている。治療というより、口で治すらしい。悪質であるかどうかは、読者のみなさんでお考え下さい)、一部の病院の医師などにも、自称霊能者を上回る低級霊に肉体を占領されて治療行為をしている者が居るので要注意です。

 さて、昨今は無責任なテレビ番組などで、霊的スポットを紹介するものがありますが、何とも非常識です。何でも屋の日本人は、こうしたものにお祭り騒ぎをするようです。こうした“お祭り野郎”の仕業で、体調を崩す人もいるようです。
 神社仏閣や霊場などにはさまざまな霊的波調が飛び交っていますから、出来るだけ流行などに載せられて近付かないのが懸命でしょう。
 流行やファッションに躍らされて、その中に深入りしてのめりこむと、最終的には嵌められ、ついに抜き差しならぬ状態になります。
 躍り狂う軽薄な行為は危険であるとさえ言えます。

 そこで判断する基礎的な判別は、匂いを充分に嗅ぎ取るということです。
 昨今は「霊臭」という、人間の汚物を漂わせている人が多くなりましたから、特にウンコ臭いと感じるところは、近付かない、あるいはそう言う人を自分の周りに近寄せないということが大事でしょう。
 匂いで判別するのは、これは自身の防衛本能が働くからです。身を護ろうとする本能が働き、すでに防禦の態勢に入っているからです。

 また、逆にいい香りのする人も居ます。香水などは何も付けていないのに、いい香りがする人も居ます。
 こうした人は殆ど化粧をしていないか、薄化粧で、それなのに花のような、いい香りを漂わせている人が居ます。こういう人は、健康であるからです。
 もともと、香水の始まりは「ウンコ臭い」匂いを誤摩化すものを目的とした化粧品でした。匂いを化かすためのものです。匂いで、体臭や意識体から憑衣された、そうした悪臭を消すためのものでした。これは外国から入って来て、今では日本中に広がっています。
 さて、もともと日本人は明治期のはじめくらいまで、無臭の体臭をしていました。

 ところが、戦後は高度成長の経済により、外国の商品や習慣が雪崩れ込み、これに日本人はすっかり狂ってしまい、入れ揚げてしまいました。日本人の物質崇拝と拝金主義は、ここから始まったものと思われます。
 その結果どうなったか、といいますと、今日に見る食道楽などをはじめとするグルメにこだわる愚かな食生活でした。この結果、今日では、本来無臭の体臭をしていた日本人が、特に欧米人のような腋臭(わきが)の匂いのする「ウンコ臭い」匂いを漂わせるようになってしまったのです。「ウンコ臭い」匂いの悪夢の始まりは、金・物・色にこだわった結果でした。

 昨今、テレビなどで連発される「こだわり」とか「こだわる」という悪しき日本語は、拘泥特別注意事項:小事に固執し、重箱の隅を楊枝でほじくるような、すみからすみまで、または、些細な事まで干渉・穿鑿(せんさく)することのたとえで、正しい日本語としては、「こだわり」は悪い意味で遣われる)という意味ですから本来悪い意味で解釈されていました。
 ところが、近年に至り、美しい日本語が、これらの報道陣によって狂わされ、こだわることが逆転して、よい意味で遣われるようになりました。
 こだわりの逸品とか……、こだわりの料理とか……、こだわりの仕事……などといわれ、こだわることがいいことのように宣伝されていますが、これも不可解なもので、本来の自然の状態は逸脱した、人工の物に価値観を求める風潮が日本国民に培養しようとする動きが起こっています。そして、こうした風潮や流行に乗ったとしたら、もう既に憑衣されたというべきでしょう。
 昨今の霊的スポットなどに詣でるという流行も、商魂逞しい神社仏閣の宗教関係者と、それと結託した禰宜(ねぎ)集団(神社仏閣の事務屋)の宣伝屋や流行仕掛人(一般には「街おこし」などと称する画策人。テレビ局と結託)に、まんまと嵌められたといえなくもありません。

 こうした場所に、近付かない方が賢明です。人の集まるところは、今日の日本では穢れてしまって、その地は悪霊化されている場所が少なくまりません。悪霊の住処です。止む終えず近付く場合は、基礎的な「匂い判定」をするのが賢明でしょう。
 香水などの力を借りず、よい匂いを漂わせているのは、放射するオーラにひずみがないからです。ひずみがないから、いい匂いを漂わせているのです。周囲を暖かく、いい匂いで教化しようという意図さえ無意識のうちに行っています。つまり、周囲の人を勇気づけたり、元気づけたり、暖かみを覚えさせるような人は、ひずみのない、いいオーラ放射しているからです。

 オーラにひずみがないから、花のような匂いを漂わせるのです。
 花のような匂い……。
 これこそがひずみのないオーラを出している人の特長です。
 花は香水の材料です。
 一般には、ジャコウジカの麝香嚢(じゃこう‐のう)から製した麝香を除き、香水や芳香剤の多くが、植物の花から作られるのはよく知られるところです。

 人間は、否、この世の物体は動植物に限らず、なにがしかの放射物を放射しています。これがオーラ(aura)です。あるいは霊気と言われるものです。霊気には陽的な物と、陰的な物があります。陽圧が高まれば健康な陽気を発し、陰圧が高まれば病人のような陰湿な陰気を発することになります。
 特に陰圧に抑えられ、陰湿になって陰気を発している病人などには、陰圧現象という一種の憑衣が見られ、憑衣されたものは動植物に限らす、この手のオーラを発してます。こうした物に近付くと、結局これまで陽気で覆われたオーラも、陰圧に負けて、遂には陰気で覆われ押さえ込まれるという現象が起こります。
 「懐(ふところ)の深い人」とか「包容力のある人」というのが、周囲の人に安堵を与えます。安らぎを与え、他人とこれを共有出来る人です。こうした人は、無臭に近い、それでいていい匂いを漂わせています。
 逆に、そうしたものが感じられない人は、オーラがひずんでいますから、出来るだけ近付かないのがいいでしょう。容貌や容姿だけに騙されると、後でとんでもないことになります。充分に、匂いを嗅ぎ取り、「ウンコ臭い」匂いのする人には、男であっても女であっても近付かないことです。あなたの運気を低下させる衰運者だからです。
 また、こうした衰運者に限り、神社仏閣や霊場などが好きなようです。こうして、好き者同士の好きで集まった地場は、常に悪気や恨み言で汚染されているので要注意です。これらの怨念は、言霊学から観ても、陰圧で抑圧され、言葉自体を穢していますから、こうしたい意識が憑衣の対象になってしまいます。

 例えば、霊的スポットなどと称した神社仏閣や霊場に行って、こうした陰圧に抑え込まれて帰って来る人がいます。以上、述べた結果によります。それは憑衣されて帰って来るからです。
 陽気なる健康体から発するオーラも、弱ければ憑衣されて封じ込まれます。特に霊的修行などの呼吸法などが正しくない人は、憑衣のカモにされてしまいます。
 また、霊的な少なからずの能力を持った人でも、霊体質であれば、憑衣され易いのです。精神病患者に多く見られます。患者の大半は霊体質です。
 陰陽は惹(ひ)き合います。
 類は友を呼ぶ現象です。同類項同士が集まります。
 憑衣しようとする陰圧と、同じ気からの陽気を持っているならば問題はありませんが、強力な陰圧に抗(あらが)えない陽気だと、幾ら陽気を持っていても最後は結局抑え込まれることになり、憑衣されて精神に異常を来します。あなたの場合が、そうでないかと考えられます。
 こうした人は霊的スポットなどに行って、その後、統合失調症を煩う人が多いようです。
 今日では、“統合失調症”という素人には分かり辛い医学用語が医療の現場で使われていますが、要するに一言で言えば「精神分裂病」のことです。しかし、人権擁護の立場から、こうした「精神分裂病」という病名は遣われなくなりました。患者や患者の家族を憚るようになりました。
 ところが、精神病院では医療スタッフの間で、ごく日常的に「精神分裂」とか「気違い」という侮蔑用語が使われています。

 さて、精神病者の多くは、憑衣体質です。こうした体質の持ち主であり、不可視世界の現象に反応し易く、したがって心因的にも身体的にも正常なる状態を崩してしまうのです。精神の崩壊は、こうした側面にも転がっているのです。
 ところが日本の精神医療は、ご存知の通り、アメリカやカナダと比べて50年以上遅れているので、憑衣体質の人と、そうでない体質の人の精神分析並びに霊的分析が出来ないために、一緒くたにして、同じ薬で治療を行っています。こうした不条理の面も、日本では精神病になった場合、本患者と擬き患者が、同じ扱いをされるという現実があります。本来は、限りなく正常に近いのに、精神科や神経科で貰って投薬されるという薬で、悪化させる人もいるのです。投薬により、周期的に入退院を繰り返す「回転ドア式治療」の犠牲になっています。

 筆者の知人の脳神経外科医は「本来人間には精神病はないんだよ」という医師が居ます。全くその通りだと思います。
 ところが、なぜ精神に異常を来すのかというと、それは今日の多忙によるストレス社会などが、都会時間を作り、その一方で霊場などは深山幽谷にあって、田舎時間や山時間で動いていますから、この時間感覚のギャップが浮き彫りになって、体内の時間時計を狂わせ、その好きに邪気などが忍び込むということも考えられます。
 都会時間と山時間を比較すると、前者は秒刻みに気忙しく流れ、それに都会人は歩調を合わせます。一方、山時間はゆったりと流れます。牛歩というくらいゆっくりです。そして総合失調症の発病率を比較しますと、都会時間で暮らす人の方が圧倒的に多いのです。
 こうした時間差で田舎に出掛けて異常を来す人も居ます。
 これは海外から帰国した場合の時差ぼけを考えても、よく理解出来ると思います。それと同じようなことが、田舎の霊場では起こりやすくなり、一種の時差のため生理的リズムがずれて体調が狂うのです。その狂った隙に、都会人は憑衣されます。

 以前、こちらの相談室に相談を寄せた人の中には、ある宿坊施設を持つ寺に一晩泊まり、明け朝になったら「頭が痛くて、痛くて……」ということで、相談にこられた人が居ましたが、これなども間違いなく憑衣です。これを本会では『時差ぼけ憑衣』と呼んでいます。この『時差ぼけ憑衣』は海外から帰国した人にも見られます。海外で、妙なものを引き連れて帰って来るのです。

 また、女性の方で、ある神社の恋愛祈願のツアー旅行に参加して、帰って来たら、異常行動が目立つようになったという相談を受けたことがありましたが、これなども他人が落とした念を拾って帰った霊現象の最たるものでした。
 要するに、異常の症状は「擬き現象」の結果であり、こういう状態で精神科や神経科の精神安定剤の投薬がなされると、その先きは「擬き」ではすまされなくなり、本当の精神病になってしまいます。単刀直入に言うと、精神病でもないのに安定剤投与で精神病にされてしまいます。

 精神安定剤だけではなく、不眠症で睡眠薬を飲むということだけで、精神に異常を来す人も居ます。ドラック被害は医療現場だけではなく、一般にも日常茶飯事に広がっているのです。不必要な薬は気休めであっても無闇矢鱈に飲まないことです。

 では、何故、神社仏閣や霊場に行って、こうした陰圧に冒されるのでしょうか。
 霊的地場には、人の念が落とされています。この念は人間だけでなく、動植物にも、また鉱物などにも念は籠(こも)っています。植物では樹木だがダントツで、岩や石など鉱物にも、また河川の特定地域や池や沼などにも念があります。
 念とは、意識のことで、意識は意識体を形成します。
 この念は「唸(ねん)」でもあり、念は唸波(ねんぱ)を発しているのです。振動しているのです。波動を出しているのです。この波動が唸波です。宇宙に存在する一切のものは、波動を生じさせているのです。波動を生じさせ振動し、形を造っているのです。
 この波動の周波数が、つまり霊的波調が、ある媒体に反応して共振したとき、そこに憑衣の現象が生じます。霊的スポットで憑衣されてしまうのは、こうしたことによります。一種の「共振」という共鳴現象です。

 共鳴は物理学などで言われる、例えば、外部からの刺激で固有振動を始めることをいいます。特に刺激が固有振動数に近い振動数を持つ場合を指します。共鳴を起こす機器に、音叉という発振器のあることはご存知だと思います。これに似た物に、共鳴器(共振器)があり、中空の箱や管を遣う物があります。
 そして音や電磁波が、この場合の関与媒体です。
 音でも、音叉(おんさ)を同質の物してておけば共振します。電波でも、周波数が同じなら受信が可能です。電磁波も同じです。受信するのです。受信するから人間の場合、ある意識がある意識を共振という形で受け入れるのです。
 人の念が落とした一番大きな磁場が、すなわち神社仏閣や霊場などです。

 かつて、人が落とした念や、動植物の念をそうした霊場に接近した者が、そこである日、偶然(時空的には偶然の形態をとるが、運命的には必然的因縁の形をとる)拾うのです。この拾う場合、多くは無意識であり、その刹那は自覚症状を持ちません。しかし、暫くして体調異常が顕われます。

 神社仏閣に恋愛祈願や合格祈願に出かけ、また、祈祷・祈願にかこつけた霊的パワースポット巡りの小旅行に出掛け、ここから帰った次の日、下記のような症状が現れたら要注意です。更には新興宗教の太鼓洗脳や手翳し洗脳、あるいは空腹洗脳や手相洗脳、集団合宿洗脳(人格改造というらしいが)で同じ症状が現れたら要注意です。
 特に、自動書記や啓示や警鐘を売り物にする神道系の新興宗教で太鼓と空腹で洗脳された精神患者は既に若者でも80歳、90歳の老人以上に廃人同様です。洗脳や暗示が深く突き刺さっているために、自己崩壊して重傷か、自殺に奔る人も多いようです。
 また、最近流行の霊的スポット巡りや寺院などでの宿坊体験や写経体験、坐禅体験(坐禅は何も禅宗だけではない。密教系でも遣るし、霊的スポットを売り物にして、何と浄土真宗系などの念仏宗も遣る)を売り物にしている一部の寺では、寺院の住職(精進だと言いながら普段は肉を喰っている。その証拠に体臭が臭い)や霊的スポット案内人(無料もあるが大半は有料。ボランティアと言いながら有料とはこれ如何に)が直接、旅行客を宗教洗脳したり、宿泊費や旅行費以外にも金銭やその他の物を別途に要求するところもあり、しっかりとした観察眼で判別する眼が必要です。ただの宿坊体験なのに宗教の教義を説き始めたら要注意です。少子化で檀家や檀徒の数が減った寺院では洗脳の意図が、ありありだからです。

霊障部位 変化の症状 霊障が齎す症状や行動 特 記 事 項
頭部 頭重、頭痛、偏頭痛、顔の頬が痩け始める、眼が極端にくぼみ始めた。 頭がぐらつく。頭が重く感じる。頭が揺れる。頭の中から、老婆が歌う「御詠歌」が聴こえて来る。 授業中や会議中に、頭が前後か左右に揺れるは分裂症状。
頭骨の各縫合が外れると痛みで精神錯乱状態となる。
人相 狐顔で、頬が痩け始める。眼が充血し、眼がくぼむ。 化粧がケバくなった、厚化粧をする。マイナスの磁性の陰圧が高くなるので、喜怒哀楽の表情が激化する。 動物のような顔になり、眼の色が赤くなる。これは肩・腰・腕・手首・足首・膝などの関節の亜脱臼が原因。
激しい感情の表れた顔つきで、形相は憤怒を指す。
犬眼か三白眼、または狐眼。三白眼には上三白眼と下三白眼があるが、前者は凶相、後者は死相。 幻覚を見る。眼に痛みを覚える。物の向こうに、もう一つ何かがある。死霊に苦しめられている時は印堂に顕われる。 眼が落ち着きのなさを感じさせ、瞬きをやたらとする。
霊場巡りをした後、目付きは犬眼。犬眼は憑衣の特長。犬眼は時代の変わり目などの激変期にも見る。
また、死相は鼻寄りの龍宮付近の白目の部分に黄色く出る。
悪臭を感じる、逆に鼻づまりのようになって匂いを感じない 霊臭が匂う、または霊素湯を発散している自覚症状がある。 霊学では「鼻つんぼ」という。人ごみの中では動物臭く感じる。
味覚 グルメを好む。油濃い物が好きになる。自棄食いや大食い、帰宅後の大食漢。放屁が異様に臭くなる。 野菜嫌いが激しくなり、味は濃い味でないと満足出来ない。甘いもの調味料味が好き。刺戟飲料の飲用増加。溜喰いをしたり、何日も食べなかったりする。痔疾。 サプリメント信仰。菜食主義から肉常食者への移行。
コーラやコーヒがやたら飲みたくなる。甘いものが好きになる。濃い味が好きになる。便秘症。胃が荒れている。
満腹中枢の崩壊。中には拒食状態が見られる。
耳鳴りがする。耳鳴りがすると吐き気がする。 幻聴が聴こえる。他人の話し声が煩い。 誰かが地面の下か、池の下から喋っているように聴こえる。その声はゴボゴボして小籠っている。
肩凝りがする。肩関節が痛い。 荷物を背負ってないのに、何かを瀬とっているような感覚を覚える。 手が上部に上がらなくなり、肩より上に手を伸ばさなくなる。
肩の左右の高さが狂う。
背中 背筋が寒い。背筋がぞくぞくする。骨が歪んだり、音がする。 背後にいつも誰か居るような感覚に陥る。背骨の前屈状態や骨の音がする。 悪寒は最たるもの。
顎関節症となり、背骨のポキポキとする音をさせ、落ち着かない。顎関節症の場合、口が開く。
腰痛や骨盤変形。左右の捻れ、あるいは左右何れかの吊り上がる。
腰骨が弛む。腰が冷える。
腰が重い。あるいは、だるい。腰痛が激しくなった。くしゃみでギックリ腰(椎間板ヘルニア・脊椎分離症・脊椎すべり症など)になった。
腰の冷え性、不妊傾向など。
東洋医学的には、頭骨の縫合が開いて「百会」から邪気が入り込むの暗示。この場合、腰痛の元凶は腰骨の仙腸関節が弛み、腰骨が開き、やがて脊柱を上って鎖骨部に達し、肩凝りを誘発し、更に頭部に上って頭骨の各縫合の噛み合わせを悪くし、異常な頭痛を発生させるといわれる。この現象は現代医学では認められていない。
息苦しい。閉所恐怖症。呼吸が浅くなる。 閉所恐怖症に襲われて狭い部屋や廊下を通り抜けるのが恐い。 大胸筋が前屈状態になるので、息苦しく感じ、呼吸が浅くなり、胸式呼吸しか出来なくなる。
下腹がぽっこりという感じで、体形に出る。腹から他人の声がする。 食べても食べても喰い足りない。食べても自分は太らないと過信し、自慢する。腹の中にもう一人の自分がいる。 胃下垂のため口臭が臭い。霊場巡りをして大食の傾向が顕われたら要注意。無理に腹式呼吸をしようとすれば、呼吸が出来なくなるような錯覚を覚える。
腹が痙攣する。腹の中に人が居るように感じる。
躰全体 全身が重く感じる。体臭が匂う。手足の左右の骨の長さが異なって来る。 躰がだるい。躰が重く感じる。躰が重く感じて寝起きが悪い。躰がウンコ臭くなる。 自浄作用が失われ、躰にむくみが表れる。免疫機能が失われののが原因。憑衣されて、奪われるのである。
体臭が匂う場合、多くは霊臭による。
言動 独り言をいう。他人の評論をするのが面白い。
顔の筋肉に痙攣が疾ったり首を振る。
人の噂が気になる。生意気なことをいう。誰かに語りかけておかないと不安になる。人に無理矢理同意を求める。 他人から自分の評価などをされると立腹する。自分は過大評価、他人は過小評価。
勝負や優劣を互いに競い合う。あいつと自分が同格であってたまるかと思う。負けまいとする意識。
意識 意識や注意力の散漫、やる気が起こらない、厭世観を感じる、時間を感じない。めまい、吐き気、悪寒、いらいら、恐れ、震え、憂鬱、怒りやすい、妬みや恨みの心が激しくなる、落ち着けない。 人を見下すようになった。時間感覚がない。時間観念の喪失。何時間も鏡の前に坐る。疑心暗鬼に陥る。
やたらプライドばかりが高くなる。利己的。
肉体の波動の強烈な荒々しい「β波」と、強烈な霊体波動の「θ波」が急激な分離変化。
別の人格が居るように感じる。自己の中に自分以外の人格が入り込み、それに操られているのではという妄想が起こる。
自分一人だけの利益を計る。我が儘。自分中心。極度なボランティア意識で、利他的を装おう。
世間様の眼が非常に気になる。他人の話し声が自分を噂しているように聴こえる。幻聴意識。時間観念の喪失
肉体波動と霊体波動の分離により、二重人格現象が顕われる。
断末魔の暗示から恐怖心を募らせる。アドレナリンの異常分泌。
感覚 ロック音楽中毒、陶酔傾向、満腹中枢の異常。色恋に酔い溺愛心が強くなる。痛覚異常。 アルコール依存、博奕依存(パチンコ依存症など)、睡眠薬や安定剤のドラッグの乱用が始まったとき、拒食症傾向。 薬物による陶酔指向。覚醒剤飲用傾向。霊場巡りをして食事が出来なくなったら要注意。一旦食べた物を、口に指などを突っ込み吐き出すなどの行為。多くは女性に見られる。色彩感覚の喪失。賭け事に酔う。
思考 短絡的。マイナス思考。こだわりが強くなる。かたくな。単純な計算問題が出来なくなる。 難より易を好み、早計で短絡的な思考を好む。単純な考えを好む。懐疑的なくせに深く考えない。持続力がなくなる。 複雑な思考が出来なくなる。傲慢で何でも反対主義。陶酔に誘い込まれて、盲目となる。バカの一つ覚えで、こだわることがいいことと思い込む。
太鼓の音を聴いて、洗脳されたり誘導されやすい。
ダーウィン進化論に疑いを持たなくなる。
衣服 ファッションなどの好みが変わる。主に毛皮好み 動物の毛皮で作った物が好きになる。厚着をする。 派手好み、原色好み。ファッションでの奇抜な恰好で、自己主張が強くなる。
睡眠 躰が重く感じて寝起きが悪い、寝過ぎによる脳軟化現象、あるいは立腹。 寝ていても落ち着かないが、横になることが楽に感じる。睡眠時間が短いといらつく。 8時間は寝ているのに、未だ眠い。丸一日でも二日でも、眠りたいと思う。脳軟化症の始まり。
思念 不安や心配事、恨み、嫉妬、風邪気味、強迫観念、憂鬱、誘惑に弱くなる、毅然とした態度が取れない、 誰かに狙われたり、覗かれたりしている妄想。事件や事故に遭遇する以外者の、他人の不幸が楽しくなる。
厭世観が激しくなる。世の中を悪く言う。
自分では機敏に動いているように感じるが他人から見ればのろま。怠け者に見られる。
無意味な狂躁に襲われる。
厭世観が強く、心の何処に自殺願望を秘めている。こうした場合は霊場で地縛霊を伴連れにしている。
精神病患者で自殺に奔るのは霊障と見て差し支えない。
性腺の異常刺戟からの異常性欲。性を貪る色情欲。
また痛覚異常が起こるため、暴力を受けてもマゾ的で、むしろ暴力を好むようになる。性格粗暴者などに見られる。
無性に性欲が募る。異性ばかりでなく、同性にも興味がある。捻れた性で、猟奇的になる。異常セックス。一対二とか一対三など。
SM趣味、児童ポルノ蒐集、女装趣味、動物虐待、ホラー怪奇趣味、小児虐待、スワッピング、覗き趣味、異常肥満趣味など。
戦場に送られた兵士が、現地で婦女子などを強姦をしたり、無闇矢鱈に殺害するなどの行為はこの顕著な現れ。かつて、日中戦争などで日本兵が中国人民に対して働いた虐殺事件はこの顕著な現れ。加害者が被害者にすり替わる心理的強迫観念。「すり替わりの症状」という。また天変地異などの災害や陸海空の交通事故で、現場の無慙な死体などを目撃して、その心因性ショックが異常性欲にも繋がる。殺人事件の官憲以外の目撃者にも起こる場合がある。異常に性欲が昂り、犯し続けるという妄想が奔る。

 以上の精神的な病状が現れら場合、それは微病であっても、憑衣されたと検(み)た方がいいでしょう。なお、異常の症状は実際に精神病院や精神科、あるいは新興宗教入信や祈祷の結果、悪化させたという患者から肉体的精神的変化の聞き取り調査をしたもので、捏造(ねつぞう)ではありません。
 科学的な立証としては、今日では「例数」という複数的データがなければ臨床例にはならず、ちなみに上記の調査は筆者が実際に千人以上の人から約20年に亘り調査した霊障例から導いたものです。
 霊障の場合、精神的な変化ばかりではなく、肉体にも異常が顕われます。いずれも滅びの構図です。

 また幼児期の親の躾などの影響も表れます。親の躾が甘かったり、放任主義だったり、体罰ではなく言葉で言い聞かせたり、子供の人権などと称してあまり子供を叱らなかっり、早々と冷暖房付きの子供部屋を与えられた子弟が、大人になったとき、幼児の時に形成しなければならない前頭葉(大脳皮質の前方部で、特に前頭前野はすべての大脳皮質に広範な線維連絡を持ち、意志・思考・創造など高次精神機能を持つ部分)の発達が未発達の儘で大人になりますから、肉体だけは大人でも、頭の中身や考え方は幼児の儘です。この幼児的思考に縋(すが)るようになると、また、そこに憑衣の種を一つ落としてしまいます。こうして未発達になったままの大人は、前頭前野が貧弱です。精神的には根性欠乏症です。忍耐力がありません。

 粘りがない、切れる、根気が無い、我慢することを知らない、苛めに弱い、弱音を吐くなどの幼児に見られる行動を、大人になってもやらかします。こうした家庭は、「家長不在」が特長です。母親が威張り、父親はゴミ扱いです。そして序列も、一番は母親、二番は子供、三番はペット、そしてずっと離れて、最下位が父親です。昨今の日本の家庭は、全部が全部とは言いませんが中産階級と言われる階層の家庭はこの序列で構成されています。
 こうしたところにも、軟弱な憑衣体質は存在しているのです。根性欠乏症の儘、子供から大人になった大人は、霊的な免疫力がありません。高次精神機能が欠落しています。これが憑衣体質を造っているのです。あるいは霊体質を造り、肉体と精神のアンバランスだけではなく、霊的な拮抗も失われていて不安定です。

 さて、生きている人の怨霊(おんりょう)で、祟(たた)りをする霊体の意識を生霊(いきりょう)といいます。
 また、死者の霊魂で、また、人にとりついて祟りをする怨霊を死霊(しりょう)といいます。
 神社仏閣や霊場では、こうした霊体意識のそれぞれの祈願が渦巻いているのです。他人の落とした念です。念の正体は現世ご利益の祈願の不成就です。ゆえに、一方では成就がならなかった反動が起こります。当然でしょう。願い事は殆ど成就されたいと、昔から相場が決まっているからです。ところが実際は、反対側の現象が顕われます。
 ということは、成就されなかった、恨みや面実がこうしたところには無数に渦巻いていると言えましょう。それは、霊体質に人に取り憑くのです。こうした、恨みつらみの、人の念が特異体質の人に憑衣するのです。

 では、ここで落とされた念とは、如何なる物でしょうか。
 例えば、病気を治して下さい……とか、あの人との恋愛が実りますように……とか、金持ちにして下さい……とか、就職祈願や大学・高校などの合格祈願までを含めて、これらの霊的磁場を持つ場所には渦巻いているのです。これらは人が落とした念です。不成就の念です。唸波化しています。それを無意識に拾い、あるいは付けられ、そうしたことで霊的波調の同じ人は憑衣されます。

 最近は神社仏閣や霊場以外でも、憑衣される場所が多くなって来ています。病院などもその最たるものでしょう。特に精神病院は、霊的体質の人がわんさか居るので、入院患者だけではなく、病院スタッフである看護師や医師にも、憑衣された人がいるようです。
 更に、医療法人などを立ち上げ、その病院の院長などに納まっている精神科医が、晩年体力が弱り、統合失調症をはじめとする精神病を患うことは、病院に出入りする製薬会社のプロパー(製薬会社から遣わされた薬屋のご用聞き)などの証言により、よく知られるところです。

 また、こうしたことを予期して、予見に優れた精神科医などは、病院内に“院長室”という豪華ホテル並みの自分専用の特別室を設け、満七自分に精神病が発病したとき、此処に入院し、部下の医師に治療させ、のんびりと養生する体制まで造り上げています。したたかです。
 医療という一見科学の総本山にも、こうした怨霊が齎す霊的現象、つまり他の意識体が落とした念を拾って憑衣される現象が起こっているのです。精神病が治らずに、入院病棟で死んで行く末期患者も少なくありません。そういう人達の怨念は、誰かに訴えないと鎮まらないでしょう。鎮まるために憑衣すると言っても過言ではありますまい。
 憑衣されれば当然、陰圧が高まり、その人から放射されているオーラは陰湿で病的なものとなります。特に、湿っぽく暗い放射は辺りを厭な匂いのする悪臭の場所に作り替えてしまうのです。

 最後に一言。
 霊能者の神霊治療とか、祈祷師の祈祷、占い師の霊断というような法外な金銭を要求するそうした輩(やから)に、あなたの人生を委ねるのは考えものです。まず、信頼のおける精神科医を捜すことです。精神科医によっては、今日の精神安定剤の大量投与で、「回転ドア式治療」を試みる医師も居ますので、そうした悪徳の輩の犠牲にならないよう、慎重な判断でお選び下さい。
 精神病全般において、一度、抗精神剤が遣われ始めると、これが一生涯続きます。薬無しでは精神の安定が保たれなくなります。
 所見で、初期的な心因性のショックによるものか、仮性もしくは疑似状態か、あるいは精神病(統合失調症という精神分裂病は、十代後半で発病し、これが二十代中頃に症状が軽くなるか、あるいは治ったような感覚に陥り、再び三十代の始めに第二期症状が起こる。その主たる病状は妄想や幻覚など)か、この辺の診断が曖昧だと、薬で間違いなく精神病にされてしまいます。医師から十分な説明を受けて下さい。
 とはいっても、日本の精神科医は患者や家族に十分な説明を嫌がる人が大半のようです。これらの医師が説明する時は医学用語の連発ですから、素人には解り辛いものです。

 また、日本では残念ながらビタミンC大量投与や栄養療法、さらには少食による絶食療法に治療の主体をおいていないので、精神安定剤投与が中心になっています。また、日本ではビタミンC大量投与や栄養療法ならびに絶食療法においては、全く医療保険が利かず、全額実費となります。
 軽度の場合は催眠療法などもあり、この辺も、主治医と充分に相談しながら、本来は薬無しの状態で、正常に保つよう精神的リハビリをする方が賢明でしょう。手術で頭蓋骨に小さな穴をあけて、電気を流す電気ショック(これを奨励する精神科医は多い)などもありますが、効き目は初期のうちだけ。以後、殆ど効果がなく元に戻ります。それに廃人になりますので要注意。

 ちなみに、これまで各種年金の合計したもので年金支払い状況が、払い続けて270回の完納の場合、精神衛生福祉法で、精神患者は基礎2級(2ヵ月に一回の132,016円で、年間792,096円。1級は年間990,096円の給付があるが、精神剤の副作用でパーキンソン病や横紋筋融解症などの重症患者のみ。いずれの支給を受けるには主治医の署名捺印の精神障害者用の診断書(手数料として病院側に12,000円を支払う)を日本年金機構(旧社会保険庁)に提出し審査を受けなければならない)の障害年金の支給を受けることが出来ますが、これは二週間に一回精神科に通い、精神安定剤を投与され続けているのが条件となります。障害者扱いにはなりますが、これをやると死ぬまで、朝昼晩と寝る前、の一日四回の安定剤の投与を続けなければなりません。また、精神安定剤の総ての薬は胃を荒らします。胃ガンをはじめとするガン発症や胃潰瘍、胃拡張、胃下垂などの併病が顕われます。そのために精神科では、精神安定剤の他に胃薬なども投与されますが、これだけ薬を飲めば、もう立派なドラッグ障害が出てきます。
 今日の日本では、ストレス社会が齎す元凶が横たわっていますから、統合失調症患者が急増し、それに対して精神科や精神病院の医療体制が不十分です。ある県などは、精神病院に入院するのに順番待ちです。何処の病院も満杯です。
 また、神経科や精神科の診療を受けるためには、朝早くから、順番の番号札を取りに患者(軽症の場合のみ自分で通院可能)か家族が走り回らねばなりません。これらも、何とも不条理です。

 本会では、統合失調症・必見の一冊ということで、精神医学者エイブラム・ホッファー博士が、分子整合医学という分野を開拓し、ビタミンB3とビタミンCやアスコルビン酸の大量投与により、統合失調症の治療が可能であることを発見したということを紹介しております。こうした書籍なども参考にされて、安易に、短絡的に医師の意見に押されるのでなく、ご自分で考え、ご自分の人生を邁進することをご期待します。


統合失調症・必見の一冊