当時の袁了凡(えんりょうぼん)は、何も書いていない功過格(こうかかく)の「人生の貸借対照表」を『治心篇(ちしんへん)』と名付けた。
袁了凡が朝起きて、堂に坐(すわ)ると、家人が玄関番に渡して、彼の机に置いてくれるのである。その『治心篇』に、善悪を細大もらさず書き綴(つづ)るのである。この時、彼は「善事一万条の行」にかかっていた。 また夜になると、庭に卓を設けて、宋の有名な哲人の書物を読んで勉強し、この事を香(こう)を焚(た)いて天帝に申し告げるのであった。 その夜、たまたま一神人の夢を見た。 袁了凡は神人に「善事一万条の行」が、非常に成就し難たき苦しみを訴えた。すると神人の言うには、「ただ糧(りょう)を一単位減ずるがよい。そうすれば一万の善行が即時に成就するであろう」と言うのであった。 出世して地位が高くなればなるほど、低い地位の時よりも善行が実行でき、貧しい者より富める者の方が善行を積めると思われるが、これは反対である。高位高官に昇れば、職務が多忙になり、それを行う時間が失われる。人付き合いも多くなる。「一万条の善行」を積む事が非常に困難になるのである。 諺(ことわざ)に「富める者が天国に入るのは、ラクダが針の穴に通る事より難しい」というのは、この為である。 だから、袁了凡の訴えに応えて、神人は「ただ糧を一単位減ずるがよい。そうすれば一万の善行が即時に成就するであろう」と示唆したのである。この事を袁了凡はよくよく考えた。神人は県知事の権限で、税を減らせと言うのである。宝テイ知県の田は、一畝(いちぼ/中国で地積の単位。6尺四方を1歩(ぶ)とし、古くは100歩、後には240歩を1畝とした)につき、二分三厘七毛の税率であった。 そこで、夢に出た神人の言に従って、自分で区劃(くかく)を作り直し、それに手加減を加えて、一分四厘六毛に下げたのである。しかし考えてみると、これは何ぶんにも夢のお告げであり、果たしてこれで、一万善行の成就が出来るだろうかと疑問に思い始めたのである。 恰度(ちょうど)その頃、五台山(ごだいさん)から幻餘(げんよ)禅師がやって来られた。五台山は中国山西省の北東部にある山で、中国仏教三大霊場の一つに数えられる名高い霊山である。 そこで袁了凡は幻餘禅師に、自分が夢で見た事を話した。このお告げを信じてよいか否かである。それに対して、幻餘禅師はこう言われた。 「人間の、善を行う行為は真実から発したものである。まして県知事として県民の糧を減じて、万民に福を授けているのである。これが万善に当たらなくてどうするか」と喝破(かっぱ)されたのである。 これを聞いて、袁了凡は大いに感動した。袁了凡の「吾(われ)漸々(やくやく)に円満して……」からも分かるように、次第に涙が溢れ、感動が起り、これを直ちに実行に移した。袁了凡の行った減税は、県民から大いに喜ばれた。彼の県知事としての名声は世に広まったのである。 それからも陰徳を重ね、更に、自らの俸禄(ほうろく)を割いて、五台山に登った。そこで一万の僧に斎(とき/午前中にとる食事)を供養して回向(えこう)して廻った。 孔老人から、袁了凡は五十三歳の八月十四日の丑(うし)の刻(今日の午前二時頃)、自宅の表座敷で死ぬと算定されていたので、未(いま)だ曾(かつ)て、長生きさせてもらいたいなど、祈った事はなかった。しかし五十三歳の年齢を超え、何の災厄もなく、今は六十九歳になっていた。 書経には、「天と言うものは充(あ)てに出来ないものだ。天命と言うものは常に変化して、その停まるところを知らぬものだ。天と言うものは、限り無い創造であり、造化である。人間の注文通りにはならないものである。浅はかな人間の知恵や欲望では、どうする事も出来ない。 したがって人間の側から見れば、天ほど信用できないものはない。一切は命(めい)である。したがって、常と言う事はない。行い如何によって変化するものである。 この定まりし運命に変化が生じないのは、それは俗人が、運命の支配する陰陽の周期から抜け出せないからであり、徳のない俗人は、定まった儘(まま)の運命の陰陽に支配されて、その儘の運命を全(まっと)うする事になるのである」と記されている。 したがって、「禍福は、人間の力ではどうする事も出来ない」というのは、この世の俗人の論理であると言う事になる。「天命の命ずるところ」というのは、俗人の世界に当て嵌(は)まる事なのである。 さて、ここで「人生の貸借対照表」に入る前に、少し《貸借対照表》の勉強をしてみたい。 もともと金銭にあくせくして、経済的に困窮する人は、最大の欠点が金銭感覚に疎(うと)いばかりでなく、「損益計算書」と「貸借対照表」の関係が全く解っていない事である。 また、「資産」と「負債」の違いについても、殆ど解っていない。そしてこの混乱は、「資産」が収入の書き込まれ、「負債」は支出に書き込まれる事を全く理解していないことだ。 したがって金持ちになりたいのなら、「資産」を買えばいい事である。ところが多くの72%に当たる中流階級以下の階層は、「資産」を買わずに、「負債」ばかりを買い続けるのである。つまりクレジットやローンをする事である。また、クレジットやローンで購入したものを、自分の資産と思い込んでいるのである。だから28%の金持ち層に入れないのである。「金持ち」対「貧乏人」の分離比は、ユダヤ黄金率によれば28:72の関係なのだ。 これからも分かるように、資産と負債の根本的な考えの違いから、「金持ち」と「貧乏人」を二分している事が分かるであろう。貧乏人は、いつまでも貧乏に甘んじて、貧乏から抜け出せないのは、72%の多くの中流階級以下の階層が、資産ではなく、負債ばかりを買い続ける為である。多くは、借金漬けになり、負債を買う為の生涯に、自分の全エネルギーを費やしているのである。 これは金銭的な流れを見ると、一目瞭然になる。 中流階級以下の72%の人達は、仕事をし、給料を貰えば、一端は損益計算書の中では、収入の方にその金額が書き込まれる。しかし此処には税金、マイホームのローンの返済、マイカーのローン返済、その他クレジットの返済がある。こうした固定支出がある上に、家族サービスの為の週に一回の外食、家族旅行、食費、衣料費、水道光熱費、娯楽費などの支出があり、それらは住宅ローンの借入であったり、月々の支払をするクレジットカードや、それ等の未払分は「負債の部」に入る。 つまり、夫婦名義の登記済権利証書のマイホーム(半分以上の頭金を払ったマイホームでも、根抵当が設定されている。根抵当権設定は不特定の債権を、極度額の限度で担保する抵当権のことだ)でも、マイカーでも、一円でも未払分があれば、これは「負債の部」に入る性質のものである。 一方、28%の金持ちに属する人の金銭の流れは、資産を買う事に当てられ、不動産、手形・小切手・貨物引換証・船荷証券・倉庫証券・株券・債券・商品券・抵当証券などの有価証券、印税、著作権、特許権、その他の知的財産を持っていて、これはら資産から収入へと記されるものである。 人の運命の流れもこれと同じで、72%の中流階級以下の多くの人は、運命の陰陽に支配されて、予(あらかじ)め予定された通りの人生を履行していく事になる。 運命と金銭の流れは、ある意味で共通点を持つ。経済的に困窮し、借金を抱えている人は、とにかく、いま金が必要である。ところが、単に金が入れば解決する問題ではない。金は時として、人間の弱さを暴露(ばくろ)するのである。 例えば宝くじが当たる、死んだ親の遺産が入る、昇給するなどの、思わぬ金に巡り合う事態が発生した場合、その金の流れは、更に加速を増すだけなのである。結局、一時的に、裕福に見えた現象は、旧(もと)の木阿弥(もくあみ)に戻るのである。それは、「貸借対照表」の読み方を知らず、「損益計算書」の財務処理能力に欠けているからだ。 これと同じ事が、人間の人生における運命の中にも起っている。 |
72%の中流階級以下の人達の人生パターンは、ほぼ定まっており、それはまるで予(あらかじ)め、神が予定したように、誰もが同じような行動パターンを示す。
では、その順を追って見る事にしよう。 まず、立派な教育を身に付けねばと高度な教育を受ける。目的は、いい成績をとって、一流大学(【註】確率的に見ると、実際に一流大学と称される大学に入れるのは全学生の28%以下)に入り、一流企業に入る為である。そして一流企業に入れたら、高度な教育を受けた者同士が結婚し、新たに新居を構えて暮らし始める。次に子どもの出産に備えて貯蓄を始め、それ迄の間は共働きをし、貯蓄に専念する。やがてその努力は実り、貯蓄と共に収入もアップしていく。足には車が必要になり、マイカーを所有する。しかしそれに従って、マイカーローン返済などの支出も増える。その上、所得税(この税金は累進課税である事に注意。特に課税標準の増加に伴って、高い税率を適用する租税である)と言う高額な税金も加わってくる。 つまり上の表で言うならば、収入が増えると、個人の「貸借対照表」の中にも、負債の額が増えるという事である。しかし「貸借対照表」の読み方を知らない者は、負債が増えたという事に、あまりピーンとくる事はない。 やがて子どもも出来、家が手狭になる。 それに併せたかのように収入が上がって、そろそろマイホームでも持とうという考えが頭を持ち上げる。これは住宅ローンで購入するので、更に返済利息と、税金の額は増えるのであるが、疎い者はこの時点でも、ピーンと来ない。しかし、確実に増えていく。それはローン返済の元金と利息以外の、固定資産税(土地・家屋・償却資産の所有者に対し、その価格(評価額)を課税標準として、固定資産所在の市町村が課する税金)と言う地方税が加わるからである。 また、マイホームを持てば、それに併せて、調度品や家具、電化製品などが必要になる。そして子どもが、更にもう一人生まれる。それに併せて、学校で支払う以外の受験用の教育費が必要になる。子どもが成長するに随(したが)い、更に支出が増える。上級学校に進むに随い、更に資質は増える。 つまり「損益計算書」と「貸借対照表」は、「損益計算書」に書かれる数字の額は収入に、収入の増えた事が記され、一方「損益計算書」の支出に、それだけ支出が増えた数字も掲載される。支出が増えたと言う事は、「貸借対照表」では負債に支出分の増えた事が掲載され、収入が増えると言う事は、負債も増えたと言う事になるのである。 これはどういう事なのかというと、ローン返済や、クレジットカードなどで支払を済ませるこの縮図の中に、現代人の消費癖を煽り、必然的に収入を殖(ふ)やす必要性が生じている事に、多くの人は気付かないで生活しているのである。そしてこうした関係になっている事を、多くの人は知らずに人生を送る事になる。つまり貸借対照表の「負債の部」が、徐々に増えている事に、全く気付かないで生活をしているのである。 ところが、ある日突然、住宅ローンやクレジットカードの支払で、「負債の部」に書き込まれた数字を見て、愕然(がくぜん)とする。金に困る本当の原因は、貸借対照表の「負債の部」に書き込まれた数字の額にあったからだ。こんなに増えていたのかと、驚かされるからである。あまりにも疎い、マイナス思考で人生を送って来た自分に愕然とする。 自分がこれまで一生懸命働いて来たのは、「ラットレースの罠(わな)」に嵌(はま)っていたのだと気付くのである。しかし、一度「ラットレースの罠」に嵌れば、此処から抜け出すのは容易でない。 運命と同じように、陰陽の支配を受け、その中に取り込まれて、予定された通りの人生を履行しなければならないのである。つまり運命の陰陽の支配とは、貸借対照表で言えば、「資産の部」と「負債の部」の関係なのである。「負債の部」を抱えている人は、どうしても運命の支配を受けてしまい、この「そもそもの間違いは何処にあったか」と気付かされるのである。 この場合、金銭的な情報を読み説く力が無かった事であり、これを運命に例えれば、「陰徳を積み上げる能力」に欠けていたと言えるのである。こうした人の多くは、金銭的には資産と負債の意味が分かっておらず、借金で買い込んだ物まで、自分の資産と勘違いしていたのである。 したがって、これを運命に喩えた場合、いま一時的に順調に見える順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な時期を、自分の生涯の総てと勘違いしてしまう事なのである。「満つれば欠ける」という運命の支配を知らなかったのである。こうした人は、予定された通りの人生を履行する事になる。つまりこれは、「因循(いんじゅん/古い習慣に因り循したがっていて改めようとしないこと)」という二字の為である。 私たち人間は、自分で自分の墓穴を掘っている事に、中々気付かないものである。しかし、この墓穴に落ち込んでいると気付いたら、それ以降、もう墓穴を掘るのは止めなければならない。早く運命転換法を知り、因循から逃れて、運命を転換させるには「陰徳」を積まなければならない。 しかし、自分で自分の墓穴を掘っている事に気付いたとしても、多くの人は、奮発し、運命を改造しようと努力はするが、それは目先の努力であり、かつ、末端的な努力であり、こうした努力はどんなに一心に励んでも、天命を変える事はできない。 それは何故か。 自分の不徳を知り、過ちを改めようとせず、自分の非に気付かないからである。付焼刃(つけやきば)のような末端の努力では意味がないのである。これでは、ついに一生を一定の、予定された通りの天命に任せ、運命の陰陽に支配されて、空しい最期を遂げるのである。 運命を転換させ、吾(わ)が人生を、より善く生きようとするならば、運命転換法の根本を知って、この実践に努めなければならない。 雲谷禅師は袁了凡に、運命転換法の秘伝を授けた。そして日時を無駄にする事なく、善悪を基準にした貸借対照表とも言うべき「功過格表」を示し、これに毎日記録する事を促したのである。毎日、一日の終わりに、日記と共に記録を書き、その日一日に為(な)した功過を反省する事を促したのである。そして記録したものを、一ヵ月で纏(まと)め、一年で纏めるのである。たゆまず実行する事が、運命転換法の第一歩なのである。 『陰隲録』に記された「人生の貸借対照表」によると、功過格(「雲谷禅師伝」改)は次のようになる。 なお、功過格表を作成するにあたり、現代の時代に相応しくないものは除外した。 |
人生の貸借対照表・功過格表
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以上は、明代の袁了凡(えんりょうぼん)が生きていた時代の運命転換法であるが、当時の「功過格表」の通りに実行すれば良いと言うものではない。まず現代と、中国の明代とでは、第一、時代背景が違うし、環境も異なり、情勢も異なり、一概にそぐわないものを実行せよと言っても、無理があるように思う人も少なくないであろう。あなたも、その一人かも知れない。 しかし、果たしてそうだろうか。 現代という時代にも、確かに運命転換法なるものは存在する。ただ、袁了凡の『陰隲録(いんしつろく)』と表現方法が違っているだけの事である。その証拠に、「HOW TOもの」と謂(い)われる「成功もの」や「人生成就もの」また「自己改革もの」と言った類のものが多く出回り、これが今でも読まれている事である。 ただ、「HOW TOもの」は残念ながら、「自己」という領域から一歩も出る事なく、自分の欲望や願望のみを相手にして、根本から運命を転換させると言うものではない。この点が「HOW TOもの」と、運命転換法の根本的な違いである。 「HOW TOもの」は、自分の人生に目標を掲げ、その目標の向かって、自己の願望の成就を目指して努力するものである。したがって自己の範疇(はんちゅう)から一歩も出る事なく、どこまでも自分中心になって、願望に向かって奔走する事が中心になっている。そして願望を掲げた場合、一つの願望が叶えられた時に、その人の運命は、再び元の運命路線に引き戻されてしまうのである。運命の陰陽に、再び支配されてしまう事だ。 したがってこれでは、これ迄の運命支配から抜け出して、離脱し、新たな自己を形成したとは言えないのである。また、これ迄の自己の運命を、総(すべ)て消去する事は出来ないのである。これから離脱する為には、まず徹底した自己否定が必要である。自己否定とは、これ迄の自分と言うものが一度死に、再び蘇(よみがえ)らなければ、自己否定は出来ない。そして自己否定とは、自分の欲望の抹殺でもある。 そして一旦抹殺してしまった後に、新たなる自己が誕生し、新たなる創造と展開を為(な)さねばならないのである。 その意味で袁了凡は、「積善」と言う「功格」方法を用いて、これを日々の行動様式にしたのである。袁了凡の善事の足跡(そくせき)を見ると、それは人間としての道を踏み行う、純粋な行動に他ならない。最初、運命論者であった袁了凡が、雲谷禅師に遭ってから後し、運命転換論者に変わってしまったのは、それが欲望を基に思い立った行動であるとしても、彼の行動そのものは、欲望や願望とは一切関係のない、純然たる善行だったのである。 袁了凡は雲谷禅師より、「人生の貸借対照表」である「功過格表」一巻を受け取った時、彼の心の中には、「過格(悪事)を犯すまい」と言う決意が湧き起った筈である。この時、彼の心の中に、これまで存在していた欲望は、一切抹殺された筈である。そしてこれにより、彼はこれ迄の運命路線をも消滅させてしまった事になる。但しこれだけで、これ迄の彼の人生が、その時点で総て消滅したわけではない。しかし少なくとも、古いこれ迄の行動様式だけは一変し、そこには「刷新された自己」が蘇(よみがえ)った筈である。 さて、もう一度、《予定説》に予定された救われる者28%:救われない者72%の二分する分離比を思い返して頂きたい。救われる者が、全体の30%以下である事に注目して頂きたい。此処が最も重要なところである。 新しい行動パターンを展開する上では、あらゆる点で抵抗が起き、摩擦が派生する。殆どの人はこれに耐えられず、旧(もと)の木阿弥(もくあみ)に戻る。したがって救われるのは、全体の28%であり、その確率は三人に一人以下と言う事になる。つまり陰徳を積もうと心掛けた三人のうち、二人が途中で挫折するという事である。 私たちは、ある時を転機として、自分の生活や行動様式を一新し、「日々新たに」と、思い立つ事がある。しかしこうした、「思い立ったが吉日」は、その日限りか、あるいは三日坊主で終ってしまう事が多い。 では、何故こうした状態に逆戻りするのか。 それは過去世から引き摺(ず)る「業報(ごうほう/影響あるいは因業。または善悪の業因によって受ける苦楽の果報)」であろう。つまり、これに押し返されてしまうのである。運命の軋轢(あつれき)に負けると言ってもよいであろう。 もし、これに抵抗し、如何なる圧力も跳ね返していくのであれば、やはり袁了凡が用いたような、刷新する新しい行動パターンが必要であり、「功過格表」に則(のっと)った生活と、行動様式が必要になってくるのである。 最初のうちは、暫(しばら)くの間、過去世からの業(ごう)が顕われるけれども、時間の経過と共に、業の影響は次第に薄れ、やがては命(めい)を動かす運命が展開されていくわけである。しかし、これには非常な忍耐を努力が必要であり、この意味に於て、困難を極めるが、これ迄の古い自己から解脱する唯一の方法は、これしかないのである。 だから、《予定説》に予定された救われる者28%と、救われない者72%の歴然とした差が、そこに生じるのである。その差は、三人のうち、一人以下であると肝に命じる必要がある。 また、明代に生きた袁了凡の時代は、今日に比べて、あらゆる面に於いて救われた時代であったと言える。彼のような暗記型の能力と素質を持った人間は、科挙(明代は進士だけの試験になり、易経・書経・詩経・春秋・礼記の五経)の試験も、易々とやってのける事が出来たであろうし、家は貧しかったと言うが、豪族の出と言うことで、環境も恵まれていたといえる。 しかし現代は、時代も異なり、資本主義の競争原理が働き、「勝ち組」と「負け組」に色分けされた組織内で、熾烈(しれつ)な弱肉強食の過当競争にも挑まなければならない。その点を考えれば、袁了凡が行った行動様式は、現代人には到底真似できないように思えてくる。あるいは、泰平の世のお伽話(とぎばなし)と映るかも知れない。 だが安易に、こう考えてしまうのは短見と言えよう。 何故ならば、やはり現代にも、救われる者と救われない者は、現実に存在していて、はっきりと「28:72」と言うシビアな数字で二分されているからだ。 さて、あなたは、この二分する数字を、一体どのようにお考えだろうか。 |