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●副守護神旺盛な現代社会 現在、警察庁の発表によりますと、昨年一年間に、刑事犯罪で警察に検挙された少年少女は140,775人であったと言います。このうち、14〜16歳未満の低年齢層は、17〜19歳の年齢層の1.8倍と言われ、少年犯罪が年々低年齢化している現実があり、この危機が叫ばれています。 さて、こうした恐ろしき現状の背後には、一体何が起こり、何が絡(から)んでいるのでしょうか。 更に、昨今叫ばれている、人格障害の裏には、一体何が存在しているのでしょうか。 精神科医や心理カウンセラーは、こうした子供達に対して、「心の壊れた子供達」と言うふうに位置付けていますが、単に「心が壊れている」から、凶悪犯罪が少年少女の間で多発するのでしょうか。 更には、なぜ「心の壊れた子供達」が派生したのでしょうか。 また、人間関係や、学校や、家庭等の、それを取り巻く人間社会の環境が、こうした少年犯罪を多発させているのでしょうか。 現代の義務教育に問題がないのか。社会の片隅に、こうした要因を派生される「何か」が存在しているのではないか、ということを検討しなくてはなりません。 現代は、競争原理が働く資本主義社会の真っ只中にあって、大人も子供も、様々なストレスがのしかかり、このストレス解決の為に、種々の解決策が講じられていますが、思うような効果を得ておりません。また、心理カウンセラー等のアドバイスに従い、解決策を模索していますが、正直なところ、明確な解決策は、何一つ画期的な極めてを得ていません。一時的に良好のように見えても、再び元に逆戻りしてしまいます。心理分析や精神分析だけの、凶悪犯罪に立ち向かう解決法では、明確な答えは出ていないのが実情です。 現代社会の環境に加えて、現代と言うこの時代の社会構造は、物質主体の副守護神的な発達のみに、主体が置かれていますから、本能の欲求のみが強くなって、物欲や性欲、権力欲や闘争欲等が、個々の心の裡(うち)を支配し、その欲求が満たされなければ、極度なストレスに陥ります。人は自分の思うように事が運ばなかったりすると、極度なストレスを感じ、不平や不満が起ります。現代という時代は、個人主義や基本的人権などの権利が叫ばれる時代なのですが、その一方で、社会全体に歩調を併せたり、組織内での協調性が重要視され、これに適合しないと、その外に弾き出されてしまいます。 一方で自由を主張し、一方で船体主義が罷り通っていると言うのが、現代と言う資本主義の世の中です。またこれが、民主主義と言うエゴイズムを謳歌(おうか)する社会構造の特徴です。 文明が極度に発達する社会では、副守護神(物質中心主義や科学一辺倒主義)の働きが活発になりますから、物質的な生産活動や、経済活動が促進されます。 一方、こうした社会的傾向が主流になり、強くなると、文明は著しく発達を見ることになります。しかしその反面、霊的な精神作用は、向上への道が閉ざされますので、神霊界から高級な正流を直接的に受ける機会が失われます。その為、正守護神(宇宙の要を司る神霊世界)への復帰が不可能となります。欲望の探究のみが、人生の目的になってしまうのです。 昨今の、人生は金儲けと言う考え方がこれを如実に顕わしています。 副守護神的によって生み出された物質文明社会は、短期的に見ますと、科学的な発展は目覚ましいものがありますが、やがて悲惨な末路を辿ることは、これについて一々説明を加えるまでもありません。今日の地球環境の悪化は、科学一辺倒主義が齎した元凶です。 また精神的にも、破綻(はたん)状態に追い込まれますので、一方に於いて、欲望や願望のみを露出して生きる事になりますから、低級霊との外圧の交渉が盛んになり、本来の霊的神性は曇らされ、霊的波調は非常に粗くなってしまいます。これが、憑衣・憑霊の実態であり、既に、青少年に至っては「人生の妖怪化」が始まっていると言えます。 つまり、副守護神の力が強過ぎて、精神的に下降し、正守護神の位置にまで上昇することが出来なくなってしまっているのです。欲望の世界の低い次元で物事を考え、同じような低い次元に生息する低級霊の餌食(えじき)となり、本来無垢(むく)だった心が蝕まれているのです。 そしてこれは、多くの人間が、食の誤りから霊的神性を曇らせ、その曇りを積み過ぎた結果から、正流が受けられず、外圧の邪気ばかりを受け続け、昨今に見るような、青少年犯罪が一層低年齢化し、各地で多発しているのです。その元凶を齎しているものは、食肉などを中心にした動蛋白摂取思考がこうした元凶を招き入れ、青少年の頭を狂わせているのです。 現代は、肉体を酷使する時代の真っ只中にあります。あるいは肉体享楽主義の真っ只中にあります。昨今の性の乱れはそれを如実に顕わしています。性の氾濫と乱用は、一方に於いて疲弊(ひへい)する、疲れ易い躰を作り、その酷使が、やがてはストレスとなって心を蝕み始めます。こうした現象の多くは、肉体を酷使した為に、精気が失われ、精気の減少は老化現象を早めます。身体的な生命力が衰え、相対的に霊的な比重が減り、これ自体が低級化したことによります。 また病変に対しても、抵抗力が落ち、体質が悪くなって、病気に罹(かか)り易い状態になっているのです。その為に、より低い霊達の影響を受け、不成仏の人霊が動物霊化して、同じような波調を持つ人達に取り憑(つ)いているのです。昨今の青少年犯罪の多くは、以上の事が、大きく関わりあっています。 これは犯罪を犯す本人その者の仕業と言うより、取り憑いた低級霊が起こさせる現象であると言えます。 したがって、人為的な精神分析や犯罪分析、あるいは表皮的な心理カウンセリングだけでは、以上の難問を解消し、昇華(しょうか)させることは出来ません。現代精神医学は、現代医学的な面ばかりを強調して、霊的な現象の絡んでいる事実を無視する傾向にあります。しかしこれは、近視眼的で、短絡的な考え方と言えましょう。また、原因と結果ばかりの唯物的弁証法に、その発想法を借りている為、自然科学を弁証法で解明しようとする、可視の世界ばかりを重視する考え方が主流になってしまったのです。それは奇(く)しくも、不可視世界の否定でした。霊的存在の事実の否定でした。 また、霊魂が有るのか無いのかの不明瞭な状態で、現実問題である、霊魂の悩みを救う方法は生まれて来ません。精神医学をはじめとして、心理分析や、新興宗教等を熱心に信仰していても、精神分裂病や酒乱、その他の霊魂の悩みや苦しみに関した症状を、殆ど治すことが出来ないのは、「霊魂」を軽視、または無視している為であり、ここに焦点を当てない限り、こうした霊障は治すことは不可能なのです。 まず、根本的に人体を構成する、「人間」と言うその全体像を見詰め、万物の霊長としての、生き物の姿に目を向けなければなりません。ここに生命体への重要な手掛りがあります。 生体は、肉体を作っている物質から発生する波動であり、この波動は、命体の周波数とほぼ同じであり、共鳴して、一体化しています。命体と一体していますから、命体の心の意識に判断力や意思があれば、やはり同じように、生体にも判断力や意識があり、心の動きによって行動をします。 但し、生体の心は物理的な時空に制約を受けますから、その波動伝達には、時間と空間を必要とし、肉体としての作用に於てのみの、その行動に終始します。この作用が本能であり、生体波動のエネルギーは、それが欲求に変換され、性質となり、能力となります。しかし、こうした特性を表現化するのは、意識体です。 ●術者の陽圧トレーニング 霊導法は術者の陽圧力と、被術者の陰圧力の拮抗(きっこう)を考えて行なわなければなりません。 人体はエネルギー波動としてのプラス・マイナスの磁性を帯びている為、陰陽の両磁性の作用によって、プラスに傾いたりマイナスに傾いたりの、その時の体調的状態によって変化します。気の流れは磁気流によって、上下左右に隈(くま)無く循環しています。 この磁気流は、心の想念波によって変化しますから、陰圧の強い想念である怒り、恐れ、不安、悩み、迷い、恨み、妬み等を生じさせますと、その波動は磁気流に影響を与えて、即座に陰圧が高くなりますし、また逆に、歓喜や感謝等のプラス想念で心を制御することが出来ば、それはプラスに傾いて陽圧が高くなります。 したがって被術者は、マイナス想念によって精神の安定を崩し、陰圧が非常に高い人間であると言うことを把握しておかなければなりません。陰圧の高い人は、負のエネルギー磁場を構成している為、健康な人でも、陰圧の非常に高い人に近付きますと、陽の磁性が陰圧の低い方へ流れ、陰気な人のマイナスエネルギーを吸い込んで、逆に憑衣・憑霊されるという逆現象も起こります。こうした負のエネルギーの過充電状態を憑衣・憑霊現象と言うのです。 憑衣・憑霊されるメカニズムは、左手の「労宮(ろうきゅう)」というマイナス磁気流を帯びる箇所から侵入し、上腕部に沿って左肩を昇り、その時、緊張(不安や悩みや迷いなど)や疲労(ストレス)等があると、後頭部の亜門宮にまで侵入していきます。こうした状態が、病的には肩凝りであり、これが太陽神経叢(たいようしんけいそう)に侵入しますと腰痛となります。肩凝りも腰痛も、一種の憑衣現象の末、非実在界の現象人間に現れた病的かつ霊的症状と言えます。 こうした状態に至った場合、極めて憑衣・憑霊されやすく、「風門(ふうもん)」から侵入し始めます。 風門から侵入した憑衣・憑霊は、まず頸椎(けいつい)に沿って昇り始め、第二頸椎付近の唖門宮(あもんきゅう)に至ります。更に、亜門宮に居座って、体内の温度調節器の卯を破壊し、その後、脊髄を下り、太陽神経叢(たいようしんけいそう)ならびに副腎にまで侵入し、ここで生体を持つ人間と一体化します。こういう状態になりますと、既に、温度調節器の機能を破壊されていますから、体温が上がっても、毛穴の気門(きもん)は開かれませんし、また体温が下がって、毛穴の気門を閉じなければならない場合にも、開けっ放しになったままで、温度調節を行う事ができません。 こうなると、完全に、心身共に陰性の磁気流が体内を循環しますから、被術者の心は益々消極的になり、陰圧が激しくなって、その状態のまま停止してしまうこともあります。 例えば、被術者が動こうとして、立ち上がろうとする、その途中の状態で、何時間も、こうしたままで、「固まった状態」になってしまうのです。意識と行動がアンバランスになり、行動に意識がうまく伝わらないのです。こうした心因性の病気は、単に精神と肉体のバランスが失われて派生するだけではなく、その周囲や体内に、低級霊達の霊的侵入があると考えられます。低級霊が侵入しますと、まず陽気が急速に失われ、陰圧が高まり、温度調節が破壊されます。自律神経失調症などの症状は、陰圧が異常に高まったからであり、これはやがて心因性の神経症へと発展します。 健康な人ならば、立ち上がる途中の状態、同じ恰好で静止する状態と言うのは、非常に苦痛であり、直ぐに、次の動作に移ろうとするのですが、陰圧が高まった人は、こうした中途半端な状態を何時間も続けるのです。 あるいは服を着て、何処かに出かけようとしても、中々、服のボタンが止められなかったり、靴を履こうとして、これに何時間もかって、それが出来ないのです。本人の意識は急いでやっているつもりなのですが、常人から見た陰圧の高い人は、非常に「のろま」に映ります。自律神経失調症と言うのは、こうした陰圧が高まった状態を指すのです。鬱病も、こうした状態に陥ります。 さて、こうした陰圧の非常に高い人に接する場合、充分に注意しなければならないことは、術者自らは、陽圧を高めておかなければならないと言うことです。何故ならば、被術者は、霊肉共に非常に高いマイナスの磁性で満たされているからです。 その為にまず、術者の心得としては、心を広く、豊かにして、包容力のある知性の活動を活発にさせなければなりません。 この簡単な方法として、《癒しの杜の会》では、左手を太陽に翳す「日拝(にっぱい)」と言う、心的トレーニングを指導しています。 これは太陽を凝視しつつ、心に太陽の輝きを焼きつけ、左手の「労宮」(ろうきゅう/手之厥陰心包経(てのけついんしんぼうけい)の経穴)部分を太陽に向け、左手から太陽エネルギーを充電する方法です。 |
▲日拝秘法の図。
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この「日拝秘術」は、西郷派大東流合気武術の特異な「気の養成法」であり、陽圧を高める為に行なわれる。 |
日拝によって心的トレーニングを行なうと、心はプラスの磁性で覆(おお)われて来る為、陽圧が高くなり、術者の陽圧となった磁性は、これまで被術者が経路の逆のコースを辿って、右手から陽性の磁気流を放出して、病人や精神病等で苦しむ障害者を治す事が出来ます。 この時、非常に大事なことは、「愛する想念」を持ち続け、これを長時間持続させることにあります。自他同根の心構えが必要であり、「我よし、他人(ひと)よし」の継続する心の意識が大事であり、心を明るくして歓喜(かんき)を呼び込み、積極的なプラス磁性への変換を継続させなければなりません。 術者自身は、マイナス磁性を受ける事なく、自らがプラス磁性となりきる為には、心がマイナス磁性に対して無防備であってはなりません。喩(たと)え、周囲がマイナスの磁場で覆われていようとも、こうしたものに影響されず、また不安や恐れを持たず、明るいプラス磁性を堅持しなければなりません。精神病を患っている人の周囲は、マイナスの磁場で、強く汚染されている為、かなりの強い陰圧を感じます。 しかしマイナス磁性すら、プラス磁性に転換する力量があれば、恐れるものはなにもないのです。つまりその「力量」とは、一切自他を区別しない一心同体の「愛の想念」であり、この強い想念波動をもって霊導法を活用すれば、やがては被術者の陰圧すら、取り除く事が出来るのです。 ●無限に一体化するフラクタル次元 私たちが、世界あるいは宇宙を考える場合、直ぐに無限宇宙や、途切れのない無限の自然という言い方をします。しかし、何故、無限なのかは、誰も答えることが出来ません。 ところが宇宙と言うものが、物理学的に考えられていると言うものであれば、これは絶対に有限でなければならないのです。こうした物理学の基礎知識は、誰でも知っている事と思います。それなのに、敢えて「無限」という言葉を連想してしまうのは何故でしょうか。 これは、頭の中に想念としての「無限の宇宙」が存在しているからです。 これを考えますと、日常意識と言うのは、簡単に解明する事が出来ます。例えば、気の運用を用いている場合、その意識は催眠時のような変性意識状態、あるいは非日常状態になることが知られています。気を動かし、周天法(しゅうてんほう)でその運用をやると、ここに生じた意識は、宇宙との一体感です。自他が無くなり、自分と宇宙は一つに繋(つな)がっていると言う、同根から発する一体感であり、宇宙との同一性を認識します。 では、この一体感は何処に起因するのでしょうか。 人間には二つの脳があり、「右脳」「左脳」の言葉で知られています。そして普段は、左脳が中心になって働きます。 しかし周天法で気の運用を行ないますと、右脳と左脳は分離独立して各々が働きます。二つの脳には各々異なる二つの宇宙が出現するわけです。そうすると、この二つの出現した宇宙は、二つが二つに繋がって無限に続いてしまうのです。 では、無限に続いてどうなるのでしょうか。 無限に連続しているわけですから、それを無限に突き詰めれば、最後はゼロになってしまうわけなのですが、それが決してゼロにならないのです。そこにはフラクタル(fractal)次元と言うものがあって、ゼロにはならないのです。 フラクタルとは、どんなに微小な部分をとっても、全体に相似している(自己相似)ような図形を指し、これは海岸線等が近似的なフラクタル曲線とされる事に由来します。 ゼロにならない、したがって非常に複雑な集束の仕方をするのです。こうした左右の脳が別々に働きつつ、しかも両者がお互いに響きあっていると言う対応関係の連続が続く時、フラクタル次元が発生し、「天の気」「地の気」そして「人の気」が一致するとき、宇宙は何処までも無限であり得るわけです。 |
こうした次元は非常に複雑ですが、何処までも、自分と宇宙は気の統合によって響き合い、一体化してしまうのです。こうした一体化を「無限」と言い、自分の頭の中には宇宙が映っていて、その宇宙の中には自分があると言う、繰り返しが起こります。この時に、無限の宇宙が頭の中で構成され、それが一点に集中すると言うことなのです。これが無限の概念なのです。 ●前頭葉のトレーニングと「種」の進化 私たち人間は、霊長類と言う「種」の進化の途上にあります。 爬虫類時代の記憶に悩まされ、哺乳類時代の野獣的感情に振り廻され、自分を見詰める力を成長させ、意志の力を用いて、霊長類領域の「前頭葉」の働きをトレーニングして来た歴史を持つのです。前頭葉をトレーニングすることで、人生を経験すると言う意識が生まれて来たのです。 こうした観点に立って、人間の歴史を振り返りますと、人間の病気というものは、前頭葉の発達と密接に関係があり、知性の成熟度が、これに深く関与していることが解ります。 喩(たと)えば、前頭葉の発達が未発達で、感情に振り廻されで怒りっぽい人は、高血圧や動脈硬化等の病気を患い易い関係にあり、病気は爬虫類脳の「R領域」の活動であると言われます。 また、胃潰瘍や膵臓炎等の消化器の疾患は、哺乳類脳の辺縁系活動が野放しになっているからだと言われます。 現代病と言われるストレス病や、心身症(何らかの精神的・心理的条件に起因した身体的疾患または症状で、一般には自律神経失調症として知られる)、ノイローゼ、鬱病(うつびょう)等は、幼児時代の学習期に、親から正しい教育と躾(しつけ)を受けず、甘やかされて、前頭葉の発育が疎外(そがい)されて、辺縁系やR領域の制御能力が充分に機能しないからと言われています。 |
辺縁系は哺乳類脳の言われるもので、愛情や交流を司り、R領域は爬虫類脳で攻撃や縄張り意識を感得するところです。こうした愛情や交流ならびに攻撃や縄張り意識が制御できないのですから、当然これに伴って、ある種の胃潰瘍(いかいよう)・高血圧・喘息(ぜんそく)・潰瘍性大腸炎・蕁麻疹(じんましん)等が表面化するのは当然の事です。 二十世紀は、地球規模で大変革が行なわれた時代でした。第一次大戦と第二次大戦と言う世界規模の大戦争が起こり、また社会主義・共産主義が浮上したのもこの時代でした。この時代には、かつての封建的支配階級と奴隸や国家的制約と無知から起こる中世の遺物は悉々(ことごと)く消え去り、先進国と後進国と言った格差の民族的優劣を競った時代でした。 また、それに代って、二十一世紀は高度に発達した物質至上主義や金銭至上主義の資本主義的科学文明が、やがてはピークに達する時を迎えようとしています。そしてその背後には、資本主義の総本山である「亜米利加」(アメリカの「あ」は「亜」で亜流を指す)が自らの重さによって、歪み、崩れ去ろうとする兆しが見え始めました。 |