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●時空を超越する身魂つくり 私たちは肉体(精)とともに霊体(神)を所有しているということは繰り替えし述べてきました。そして肉体と霊体は、「心」によって結ばれているということも繰り返しました。 これは車に喩(たと)えるならば、車のボディーや機械構造が肉体であり、それに乗る人間が霊体であり、人間と車を、心というシートベルトで結んだ状態が人間の構造的な姿であり、走行中にシートベルトをしなかったり、シートベルトはしていても、その装着の仕方が不完全である場合は、急カーブを切ったり、急ブレーキを踏んだりする場面で、それに乗る霊体はその度に危うい思いをし、これが何かに激突すれば、乗っている人間(この場合は霊体)は一溜まりもありません。 したがって三者が、バランスの取れた関係にあるというのは勿論のことですが、肉体と霊体の比率もその図体も同比率にしておかなければ、その暴走を食い止めることは出来ません。この身軽な比率が、即ち「5:5」の半身半霊体なのです。 外側の肉体だけが大きくても、それをコントロールする霊体が小さくては、肉体に振り回されて動物的になります。霊的な繊細(せんさい)さが失われ、欲望と本能のみの思考で固執します。 こうした物質界の現象に左右されない為にも、霊体の比率を半ばまで向上させ、肉体も身軽にして、それを半ばで分割し、肉体の暴走を制御しなければなりません。その為には霊的神性を曇りから解き放ち、物質的欲望の呪縛(じゅばく)から解放しなければなりません。 白堊(はくあ)の豪邸に棲(す)んでみても、その建物が持つ耐久年数は精々五十年足らずで、また人間の寿命すら、高々どんなに長生きしても百年足らずでしかありません。宇宙の年齢からすれば、余りにも短く、一瞬の瞬(またた)き程度の人生しか、人間には与えられていないことが解ります。 人を支配したところで、あるいは権力を手に入れたところで、高々十年か二十年の束(つか)の間の傲慢(ごうまん)です。如何なる権力者でも、時間には勝てません。 だからこそ、時空を超越する「身魂(みたま)つくり」が必要になる分けです。 時空を超えるとは、三次元顕界の物理的現象に左右される体躯ではなく、前頭葉を発達させて知的生命体としての身軽で軽快な「動き」を指します。動きが身軽で軽快になれば、鬱積(うっせき)した鈍重な沈鬱(ちんうつ)な心は消えてしまいます。これが解消であり、昇華なのです。そして、この動きこそが行動の原点となり、その行動は「まごころ」の現れとして、時空を超越した発想が「ひらめき」ます。 現代人の体躯は、余りにも爬虫類脳のR領域の「攻撃」や「縄張り」の闘争本能に支配され続け、また哺乳類脳の辺縁系の「愛情」に支配されて、以上の制御が充分に行える能力を獲得していません。闘争本能は自他離別の意識を派生させ、愛欲本能は溺愛意識を派生させます。そしてこの裏には、以上の各領域が前頭葉の発達を阻害して、大脳の機構を外表系の原人脳の位置で押し止めているのです。 現代人は、此処から先に一歩も踏み出すことが出来ず、物質文明の科学至上主義に入れ揚げ、自己変革出来るまでに前頭葉を発達させていません。 こうしたところに「まごころ」や「ひらめき」を阻害する抑制がかかっているのです。 その為に、前頭葉の未熟さから、自らの大脳と神経系のコントロールが旨く行かず、時折、R領域や辺縁系からの侵略の支配を受けて、獣性の意識をむき出しにし、外に対しては闘争本能の命ずる儘に格闘に及びます。 また内に対してはガンに代表される諸々の奇怪な疾病に悩まされています。そして以上を総じて、一時的には対外関係の均衡を保って、意識安定に保持を得ることは出来ますが、それは長続きしません。この禍根にこそ、「まごころ」や「ひらめき」を阻害する要因があるのです。 今急がれることは、こうした阻害する因子を取り除き、前頭葉発達の為に、半身半霊体の体躯を求めて、一歩先の修行に足を踏み出さねばならないのです。 ●心像化現象の増幅法 さて、精・気・神が表現として顕在化(げんざいか/非実在界への事象としての具現)するメカニズムについてお話しましょう。 まず、精・気・神の「気」が外化すると「感情」になります。感情を引き金として、私たちは様々な精神活動を繰り広げます。そして感情は「精」の本能的欲求と、「神」の超意識的希求が結びあって「人の気」を組織します。 「人の気」を構成する感情の根は「心」にあり、基礎は「心情」を構築します。これは人体と対応しているので、体調に影響され易い状態にあります。 これについて、更に具体例を挙げて説明しましょう。 例えば、冬期、車で雪道を走っていて、信号で止まるためにブレーキを踏み、いつもなら停止するはずの車が雪でスリップし前方の車に追突して、追突事故を起こしたとします。この時、あなたはどのように考えるでしょうか。 多くの日本人の感情として、ツイてなかった、不運だったと嘆くのではないでしょうか。 ところが一昔前ほどの明朗活達なアメリカ人は、車を日本人のように「高級資産」の一部として考えず、一種の「靴」と考えているので、仲間内では事故を起こした本人に「あなたは追突事故を起こして、よい勉強をしましたね」と励ますそうです。これが失敗から学ぶという「教訓」という姿勢です。 この世の中は経験や体験によって、人間は事象の原理を理解していきます。追突事故の危険性は見聞きして知っていても、それがどのようなことなのか、実際のところは事故に関わった事の無い人は検討が付きません。実証主義で物事を経験し、その経験から失敗を知って、その失敗を成功に結び付けるというのが、アメリカ人の思考です。 しかし日本人はこうした思考のベースを失敗に求めたり、苦い経験に求めることを嫌います。失敗や苦い経験を不運、こうしたことが回避できたことを幸運と考える人が大半です。 事故を起こし、不運だった、ツイてなかった、予想外の出費が増える、と嘆く人は、不注意による心の隙を埋め合わせするために、無意識的にこうした失敗の無念さを心の片隅に蓄積します。 ところが事故を起こして、「よくぞ命が助かった」「この程度の損害で済んだ。ラッキーだった」と、発想を180度変えてしまう考え方もあります。 前者の考え方は不運だった、ツイてなかったと嘆き、後者の考え方は、この程度で済んだ、ラッキーだったと喜びます。同じ事故を起こしながら、こうした考えに開きが出てきます。これを生涯の人生に換算して考えると、その結果においては雲泥の差が出ます。 幸運の女神は、後者のような人の考え方に寄り添います。決して前者のような人の考え方には寄り付きもしません。思考が暗い為に、歓喜を齎(もたら)さないからです。 不運をストレートに不運と思うのではなく、局面的な不運は、次に起こることの警鐘(けいしょう)であると捉えた方がよさそうです。 私たちは運命という、宇宙の創造神から「何事につけ、よい勉強をさせられている」のです。 また、不運にあってもそれは一局面であり、次のステップへの、躍進(やくしん)する増幅法であると思うことが賢明な人生の生き方といえましょう。 局面的な不運に囚われてしまうと、人生はそこで行き詰まり、道は閉ざされます。ここに発想の転換の重要性があります。 ●時代を遡ろう いま困窮の真っ只中や、貧困に喘(あえ)いでいる人に、一言申し上げたいのですが、時代を遡(さかのぼ)って、今が江戸時代であると考えて見てはどうでしょうか。 何もかもが不便で、旧式で、遅くて、貧しかった時代です。 『論語』によって人格を完成させた徳川家康は、人間の人生を「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し……」という遺訓を残しました。この言葉の中には『論語』で学んだ「仁」が述べられていて、人間は「生涯教育」の義務があることを述べています。 そもそも人の世は「不便」であり、「重き荷を負う」義務があるのです。そしてその動きは、遅々として進まず、遅いものと相場が決まっています。これこそが人生修行の最大の克服課題です。 人の世を生涯教育と仮定して、旧式で、遅くて、貧しかった時代に、勇気をもって遡ろう出はありませんか。それは日本が高度成長期を達する以前の、昭和三十年代前半でもいいし、一気に遡って江戸時代でも構いません。それに今のあなたの環境を重ね合せて見て下さい。 物財に取り巻かれなくても、高級ブランド品や豪華な晩餐(ばんさん)が無くても、江戸時代と思えば、それでもかなり優遇されていて、豊かであるとさえ思えてきます。 このように考えていくと、人生の見方は一変します。 しかし節制を忘れ、不便に不自由を感じる心が芽生えれば、再び旧(もと)の木阿弥(もくあみ)に戻ります。そうならない為にも、あなたは自分の心を解放して、何も考えず「世の中は楽しい、面白い、嬉しいことが一杯」あるのだ、と思い込むことも必要です。暗いことばかり考え、「いやで、いやで仕方がない」と思えば思うほど、行き詰まるものです。 しかし思考を変えるだけで、居心地のよい暮らしが生まれます。要は、人生は「創意工夫」ということです。 高々百年前後の、宇宙から見れば吹けば飛ぶような人間の人生など、たかが知れています。 しかし進んで空(むな)しい、バカげたものにすることはありません。自分で楽しく過ごせばよろしいわけです。自分自身の人生ですから、誰にも後ろ指さされないように、楽しく彩(いろど)ればいいわけです。 人生の成功と転落の両極は、総べてあの世に行くまでの人間の修行なのです。 あなたは自分で「自分は素晴らしい、これから絶対良くなる。そのうちどんどん良くなる。絶対に良くなる」と信じて念を送り続けたことはないでしょうか? 朝起きる時と、眠る前に念じてご覧なさい。不思議と人間は暗示をかけると、心が活性化するものなのです。 その脳は自分で描いた素晴らしい状況までの道程を、自然に道をつけ、到達させる能力もあります。今日から、自分で暗示をかけるように念じてみて下さい。どんなに不可能な状況でも、念じることで自然に状況が転じてくるものです。 ●《癒しの杜の会》のメール相談室 |
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