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●自分で結論(消滅させる)を出す習慣をつける 世の中には、自分で悩むだけで、自分の頭で善後策を考える努力をしていない方が多くいます。 自分で悩み、その挙句に、もう考えられないと思い込んでしまうようです。その結果、他力本願の道を選択します。そして安易に、他人任せの占い師や祈祷師や新興宗教家の助言に頼るという愚行に出て、最悪なコースを辿る人が少なくないようです。 職業的な占い師や祈祷師に、他力本願で結論を出すような癖をつけると、悩みも後から続き、生涯を迷いと苦しみの堂々巡りに陥れます。 自分で撒(ま)いた種は、自分で刈り取らなければなりません。これが《因果の法則》です。 また、自分の運勢等を、九星気学や四柱推命術や西洋占星術で占ったり、方位を占う人がいますが、これは、自己流の愚を犯して誤りを招くばかりか、非常に危険なことです。 特に、九星気学等は、一種の統計と分類によって人間を性質を九つに分け、そこから人の性格を探る占いですが、「九星気学」の《気》は、気違いの《気》であり、分類通りに当たらないというのが率直な答えです。 その証拠は、同じ生年月日に生まれ、時間も同じという人が、全く異なった人生を歩いているからです。こうした事について、九星気学の占い師達は、科学的に説明の出来る回答を出した人は、誰一人として居ないからです。この典型が双子であり、双子(彼等にいわせれば、双子は秒単位で異なるというが)の各々が性格の違いがあるのにも、彼等は説明できないからです。 こうした事を考えると、凡人が「占う」ことで近未来の予測を立てることは、非常に危険なことで、古代日本は、卑弥呼らのシャーマン(自らをトランス状態に置いて、薬物などで忘我・恍惚に導き、精霊や死者の霊などと直接に交渉し、その力を借りて託宣、予言、治病などを行う宗教的職能者のことで、シベリアのツングース系諸族の出身者に由来する。こうした霊媒師や審神者を巫覡あるいは巫女という)が国事を占う時代がありましたが、この予測が外れる度に、国王は次々に処刑され、卑弥呼も最後はそうした処刑された女王の一人でした。 邪馬台国が未(いま)だにその所在地すら掴めないのは、こうした占い(シャーマニズム)による怨霊が真実を包み隠しているのであり、ここでは血の匂いが渦巻いています。こうしたものに素人が興味半分で近づくことは危険であり、厳しい修行の経験者でなければ、近づくことの出来ない世界であることを覚えておきましょう。 興味本位で、こうしたことを知らずに近づき、幸運だった生活を捨てて泥沼に墜(お)ちて、今まで平和だった家庭を崩壊させたり、順調だった事業に失敗して、地獄のような毎日に苦しんでいる人も少なくありません。因縁は必ず繰り返されることを忘れてはなりません。 自分の撒(ま)いた種は、自分で刈り取る。これが因果の法則ですから、自分自身の行動でなければ、種は刈り取ることは出来ません。他力本願で、今日遣るべきこと、自分の遣るべきことを、明日送りすると、明日は「不幸」で汚染された昏(くら)い暗示が待ち受けています。 ●大宇宙の倖(しあわせ)の仕組を識る 魂は嘘つかないし、人間に「正しい道」をそれとなく教えてくれるものです。そして要は、「人間は人生を通じてもっと良い魂になるように導かれている」ということに尽きます。 その為には、発想の転換が必要になってきます。 発想の転換とは、「発想即行動」という図式の「まごころ」から発した「ひらめき」のことです。これは総て「愛する想念」から発されます。 窮地(きゅうち)に陥った時、先ず、自分の居場所から移動して、完璧(かんぺき)に空気の変わる所へ行き、自分が何を悩んでいたのか?忘れてみて下さい。そして「愛する想念」で、自他離別の意識を自他一体の意識に変えるのです。 プラネタリュームのように、世界が一変する風景の場所が適してます。自分が地球にいるのだけは、変えられないけれど、自分の存在を自分以外の存在になった「つもりで」此処で眼を閉じてみて下さい。 例えば、この場所で、遥か上空に駆け上がり、地球から見おろす衛星になったつもり、あるいは地平戦に目を落して野原に密生する野草になったつもり、また、あるいは毎年渡って飛んで行く渡り鳥になったつもり、いつも照り続ける太陽になったつもり、海底に潜んで生きる深海魚になったつもりで、何にでも飛躍して下さい。そして、心に「なったつもり」で、脳裡(のうり)にイメージを送ります。 それも約15分間「なったつもり」になってみて下さい。 自分以外の生き物等のですから、最早、ニンゲンではないので何も考えません。何か思い出してもいけません。何も考えず何も思わず、自分を忘れてしまうのです。 そして最後は、蓮の花弁の中に入った妖精をイメージして、慈悲愛の瞑想をしてみましょう。これを約15分ほど行ないます。その時、九枚の花弁は、幸福・善行・調和・慈愛・健康・歓喜・富貴・常楽・智慧の順に、反時計回りに九つの文字を脳裡(のうり)に思い浮かべます。 |
▲蓮の花の中にいる慈悲愛の瞑想図。蓮の花の中には、九枚の花弁があり、この花弁は肉眼に映える不完全な現象人間の域を脱して、その人間の深層心理にある完全に完成された意識を常観するのである。 |
瞑想中は、自分と九つの花弁が一体であり、また幸福感に浸りながら、自他同一意識を以て、自分と他人の間に境目がない「善想念」を強くイメージします。 こうして合計30分後に、漸(ようや)く本来の自分に帰ってきます。これを一日に、数回繰り返してみましょう。イメージがぼやけて、はっきりしない時には、焦(あせ)らず最初から繰り返しましょう。焦ることは禁物です。 さて、倖(しあわせ)であることの最小単位は、「霊肉ともに揺(ゆ)るぎ無い健康体」であるということが条件になります。 しかし現代のように、時代の進み方に加速度つき、何事も多忙を極め、周囲には激しい生存競争と競争原理が働き、悪しき個人主義とエゴイズムが犇(ひし)めき合うこういう時代にあっては、揺るぎない真の健康体を維持している人は稀です。逆に、それだけ多くの人が、自分を大切にせず、粗末に、安易に、不摂生を繰り返し、不健康を余儀なくされているということです。 したがって、健康体を取り戻すには、時間も、努力も、手間もそれなりにかかります。また衰運の状態から運を開くにも、朝夕の努力が必要になってきます。 俄(にわか)仕込みの即席解決法では、また再び同じ過ちを犯し、その度に法的職業専門家や、探偵・興信所の世話になるというのも、健全な人生とは言えません。 ●総ての争いやアクシデントは善想念の欠如から起こる 皆さんは、大企業でも、政治団体でも、宗教団体でも、金融機関でも、あるいは暴力団でも、顧問弁護士を抱えていることはご存じだと思います。しかし何故抱えているか、ご存じでしょうか。 これはとりもなおさず、私たちの住む非実在界は、多くのトラブルが発生する為であり、この処理に顧問弁護士は高額報酬によって奔走します。こうした集合体は、次々に発生する問題解決の、一件落着の運命を背負わされています。一件落着は連続性を意味するものです。これが集合体の宿命(人が運命と決めつける悪想念)でもあります。 この宿命は、永遠に決着を見ない連続性が根底に横たわっており、これが次々に問題や縺(もつ)れを引き起こします。これは集合体が消滅するまで続きます。 その原因は物質主義と拝金主義を原点とした、金銭至上主義に纏る「利権争い」と、ご都合主義による「手段を選ばない利潤追求」が作用しています。ある意味で発想の貧しさがそうさせます。 また、こうした集合体を管理・監督する政府も、無能で、鈍重な行政機構であるばかりでなく、貧しい発想者の集合体であることを忘れてはなりません。 国家を運営するのは、国民に選ばれた政治家ですが、彼等の多くは「国民の利益」を保全し、それを守るために働いているのではありません。 彼等は、民主主義という「虎の威を藉(か)る狐」的な、笠の下の隠れ簑(みの)を巧みに利用して、我田引水を企てるばかりか、傍若無人に振る舞って、権力の座にしがみつこうとしているのが実体です。 また、政治家である彼等は、命賭けで国策に励んでいるとは謂(い)い難い節が多々あります。 特にこの傾向は、戦後民主主義の中に見られるようになり、戦前や戦中よりも、更に無責任な政治が行われています。
しかし、今日の右翼(多くは仮装右翼や朝鮮半島からの南北変装者。街宣車を走らせて企業に圧力を掛ける)は、暴力団が警察の「丸暴係」(暴力団強行犯係)の目を交す為に国士を標榜(ひょうぼう)し、表面的は街宣車に日の丸を掲げ、いっぱしの「憂国の士」を気取っていますが、中味は暴力団や、統一教会の下部団体である「勝共連合」(この団体は自称「反共」を謳い文句にしているが、民族活動とは裏腹に保守政党の国際主義者に賄賂を送る、政治家を飼い犬にする統一教会の代理人。かつては国際勝共連合を名称にした)等の現政治家を金で操る贈賄(ぞうわい)集団であり、現在では日本に、真当(ほんとう)の国士といわれる結束集団は壊滅同様になっています。 これをいいことにして、今日の政治家は、与野党に限らず、国事に命を賭けずに、我田引水をはかり、私腹を肥やすことが安心して出来る、政治態勢を作り上げてしまったのです。 近年に国会で可決された「暴対法」や「破防法」は、こうした国士を日本国内から排除して、アメリカ本土からギャングを招き入れ、アメリカ式ギャング(マフィア流/国際金融資本の戸外の飼い犬)の広域暴力団(麻薬販売集金組織)の活動と、利権に絡む統一教会等の新興宗教集団の布教活動をやりやすくする為に、闇献金で飼育された政治家達は、こうした法律をゴリ押しで可決させました。 こうした図式ができ上がると、政治家は右翼や憂国の士から命を狙わずに、巧妙な抜け穴を造って、私腹を肥やすことが出来ます。 昔は、真剣に国を想う人がそこらじゅうにいて、失策を演じれば「天誅(てんちゅう)」が加えられかねない状態にあり、ある意味で政治も命賭けだったのですが、現在では与野党とも命賭けで国事に励んでいる政治家は皆無の状態です。こうした現状は、政治家から緊張感を奪いました。緊張感が無くなれば、後は私腹を肥やし、そのついでに色に走るというのが、彼等のお定まりのコースです。 そしてその背後には、官僚に操られると言う側面があり、彼等の国会での意思表示は官僚の作り上げた作文を朗読するだけで、その役目が完了するのです。 その為に、政権担当者は国策を間違って、今日のような不況を招いても責任をとりません。 この無責任政治が、政治的判断を誤り、国際間に不調和音を作り出して、日本叩きの原因を作り、今日に見る不況を招き、国民には無期限の忍従と忍耐を強いられている実情が出現しました。 国民こそ、彼等の生贄(いけにえ)であり、犠牲者と言えましょう。 ●国民の利益の消失 こういう社会システムの中で、政治が国民に利益を与えるような政策はとりようもなく、国民に倖(しあわせ)を与えようと豪語する政治家がいても、それは一人喜(ひとりよ)がりの、犬の遠吠えに過ぎません。進歩的で革新を売り物にする「○○市民連合」(日本赤軍の回し者)等と称するグループに、こうした政治家を見ることができます。 そして、現代の政治家達は与野党に限らず、権力の座に就き、それだけで満足し、国民から膏血(こうけつ)の血税を湯水の如く浪費しているばかりでなく、国民並びに大衆を、一等も、二等も下に見下し、なめ切っており、自分達だけが国を治めているというふうに思い上がっていて、国民不在の政治を続けています。 こうした現実を作り上げているのは、政治家ばかりの故ではなく、国民にも大きな責任があります。 今、多くの国民は上から下まで巧妙な搾取(さくしゅ)で「尻の毛」まで抜かれてしまっていることに、全く気付きません。 国民の多くの興味の対象は、スポーツや芸能情報であり、野球は巨人が勝ったか、Jリーグではどのチームが勝ったか、自分のゴルフのハンデがいくらになったか、タレントの誰と誰が婚約していつ結婚するのか、何処のパチンコ屋が出玉がいいか、風俗産業の何処の店が安く遊べるか等の、低次元な話題を好む傾向にあり、厳しい目で政治について考えたり、政治家や公務員を厳しくチャックしたり、採点したり、監視するという意識が欠けてしまっています。 こうした現実が、政治家をとことん思い上がらせ、政治家自身が、国民にその模範を求める為に頭を下げる謙虚さを失わさせました。 本来ならば、政治家の給与など、一般的な平均サラリーマン並みで十分であり、一人年俸が数千万円以上も必要であるというのは、あまりにも法外な金額ではないでしょうか。 政治は、政治がやりたい者が、平均的サラリーマンの給与で奉仕すればよいのであって、アメリカに習って、これと同等の年俸にするという考えが、そもそもの間違いのもとを作り上げているのです。 無能な政治家は、「日本の政治家の給与は安い」等と暴言を飛ばす守銭奴(しゅせんど)的な輩(やから)がおりますが、不景気で、厳しい時代であればこそ、国民の上に立つ者は率先して自らの襟(えり)を正し、かつての上杉鷹山や徳川吉宗のように、質素・倹約に励むべきではないのでしょうか。 国家の財政立て直しに尽力した、名君と言われたり、先哲と言われた人達は、皆そうやって、苦しい、「冬の時代」を乗り切りました。 しかしこうしたことを、多くの国民は、他人任せで、一向に、歴史に学ぼうとしません。 政治家達が万民の貧窮(ひんきゅう)を余所目(よそめ)に、大企業や政治団体や宗教団体と結託して私腹を肥やし、妾(めかけ)を侍(はべ)らせ、先生、先生と取り巻に傅(かしず)かれ、威張り散らしています。 また多くの国民は、こうした状況を憂うでもなく、自分の家の冷蔵庫がいつも、食糧でいっぱいに溢れ、マイホームの自分達だけが倖(しあわせ)であれば、他人はどうなっても構わないという、悪しき個人主義とエゴイズム的な指向が強くなり、自ら奈落の底に向かって突き進んでいる愚かな現実があります。 今、日本が国家的な危急存亡の秋(とき)を向かえているのは、誰の目にも明らかです。 早急に善後策を考え、抜本的な手を打たねば取り返しのつかないことになるのは必定です。社会の構造を土台から造り変え、現実的な計画と手法を以って、上に立つ者と下にある者が国家再建の為に志を同じくして、共通の理想である「大宇宙の倖の仕組」を導入して、理想境を構築しなければなりません。 ●地球の臍(へそ)は日本である さて、あなたは大宇宙からのエネルギーを、ストレートにキャッチできる特別な要素を所有している国が日本であるということを知っているでしょうか。 これが宇宙の玄理に構築された、特別の聖地としての日本であり、「大宇宙の幸せの仕組」は、日本がその土台となっています。 日本は地球の臍(へそ)であり、『竹内文書』にはイエスやブッタ、モーセやマホメットも日本に来て修行したという説を掲げています。 また、同書は「宇宙からのエネルギーを直接キャッチできるのは日本だけであって、世界の縮図は日本である」と説かれています。更に日本列島は、古来より特殊な磁場環境にあり、霊的エネルギーで包まれた防空域帯(バリア)があり、聖地であったと述べられています。 また、これと同じことは『秀真伝(ほつまつたい)』に書かれています。 しかし今日、日本の国土も環境汚染や自然破壊によって廃墟化が進み、人心も荒廃して、霊的にも、精神的にも、物質的にも、かてつない程に墜(お)ちてしまいました。 こうした現状を踏まえて、再建の礎(いしずえ)として日本人が今立ち上がらなければ、私たちの子孫の未来は、そして地球の未来は失われることになります。 |
▲世界の雛型は日本である。そして日本列島こそ世界の縮図である。世界を日本列島に置き換えてイメージすれば、南アフリカは台湾、地中海は瀬戸内海、カスピ海は琵琶湖、ヒマラヤは富士山と、驚くほどの対応箇所があり、これはまさに不思議である。 |
さて、私たちは戦後民主主義の中で「何を?」指導されてきたのでしょうか。 その多くは太平洋戦争による「敗北の痛手」ではなかったのでしょうか。その痛手は、進歩的文化人や左翼系の有識者や日教組によって、自虐(自分で自分を責めさいなむみ、歴史や過去を否定すること)的な、一億総懺悔(さんげ)の改心の情にすり替えられ、平和教育と平等教育が教育現場のスローガンとなり、日本人が日本人を卑下して、日本人こそ世界で一番下等な人種という意識を植え付けました。 そして、こういう下等な人種であるから、大日本帝国憲法の統制下で天皇制(この言葉はもともと日本語には無かった。これは左翼思想家によって作り出された言葉)を流用し、天皇を陸海軍の総帥(そうすい)に祀り上げ、旧陸海軍の軍人をつけあがらせて、太平洋戦争を蜂起させたという、件(くだり)をつけることも忘れませんでした。 こうした意識誘導とマスコミ操作によって、日本人の自虐性には益々拍車がかかり、日本人によって「日本人悪人説」まで飛び出す始末です。 今日、日本人が世界の中で孤立し、自虐的な呪縛(じゅばく)に縛られて、中国や朝鮮半島に、先の大戦から遠慮して多額な援助を迫られている現実は、こうした思想工作と世論操作によるものです。 一刻も早くこうした呪縛を解き、「日本人悪人説」の集団催眠術から目を覚まして、本来の日本人の姿を取り戻さなければなりません。 そして、日本は世界でも有数な単一民族で、日本語の持つ言霊の美しさは日本人特有のものであり、こうしたものを踏まえながら、国際貢献に寄与する使命が日本人に与えられているのです。 それはあなた自身の脳裡に存在する「まごころ」であり、その行動原理が「自他共栄」「自他共尊」の精神を育んでいくのです。 自他共栄、自他共尊の精神こそ、日本人が世界をリードするよき手本であり、この精神は、かつてどこの国の国家にも、どの民族にもなかった崇高な精神であり、こうした精神を日本人が世界のメッセンジャーとなって啓発していかなければならないのです。 |