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●命を養ってくれるものは、ほんの僅かしかない 現世と言う世界は、死を齎す条件は山ほどあって、命を養う条件は、ほんの少ししかありません。そして条件次第では、即座に死に転化してしまうもので溢れています。 この世の中には死の起因となるもので充(み)ちているのです。しかし、それなのに命を養うものはほんの僅かです。 例えば、食べ物や飲み物は人間の命を維持する貴重なものですが、それに毒が含まれていたりすると、たちまち死の条件に転化してしまいます。食物に含有される「毒」は直ぐには正体を現わしませんが、長い事摂り続けていると、毒が蓄積されて死を齎(もたら)す元凶になる食べ物すらあります。僅かしかない人間の命を養う条件が、やがては死の条件に転化してしまう例は、まだまだ沢山あります。 そして死の条件は、様々な処に転がっていますから、思い掛けない時に、人は突然、死に見舞われます。後ろから襲い掛かるような、不意打ちの「死」を喰らいます。 こうした、生命の炎が燃え尽きないで、死を迎えることを「事故死」と言います。そして事故死の多くは、悲惨な「横死(おうし)」を齎します。 人間にとって、「死にざま」、すなわち「臨終」の有り様ほど、大事なものはありません。 世の中には成功を成し遂げて、その生きざまが話題になる人は多くいますが、幾ら生きざまが立派でも、死にざまがマトモでなかったら、やがては残された家族に昏(くら)い影を投げかけ、その子孫は憂鬱(ゆううつ)な冥府魔道(めいふまどう)に迷い込みます。 冥府魔道は、死者の霊魂が迷い行く道のことであり、行きついた先は「暗黒の世界」です。 したがって「臨終」は、来世を決定するものであり、現世の家族にも大きな影響を及ぼします。ここに人の命は「無常」という現実が横たわっています。 例え、立派な生きざまをした人でも、臨終の失敗によって、これまでの生きざまは総て帳消しにされてしまいます。 生きざまの立派さを活(い)かすも殺すも、総ては死にざまが立派であるか否かに回帰します。本当の人生の大事さは、「臨終正念」にあるのです。死に臨んで、心乱れず、往生を信じて疑わない事こそ、臨終正念の真髄(しおんずい)であり、狂乱して死を迎える事が如何に危険であるか、これは教えます。 死に臨んでの狂乱は、おおよそ生きている間の食物の指向によって決定されてしまいます。その人が何を食べているかで、体質の良し悪しが選択されてしまい、その選択によって思考まで、食べ物が決定してしまうからです。古人の記した『食養道』や『養生訓』には、この事が明記されています。 肉食をして来た人は、その人生を異常興奮や頭重感で覆われる事になります。肉に含まれるプリン塩基(複素環式化合物の一つで、化学式 C5H4N4 無色の針状結晶)である興奮性物質は、肉の蛋白質が含む毒素によって、内臓機能の老化を早め、性的な興奮(精神医学上では、色情倒錯といい、異常性欲で、心理学では量的異常と質的異常(性的倒錯)とに分けられる)に刺戟(しげき)されつつ、性的衝動に奔(はし)って、色情因縁(色情に駆られて、常態を失した挙動をなし、性対象の倒錯と性目標の倒錯とを繰り返し、今日の男女の不倫は霊学的に言って色情因縁が招いた過去世(かこぜ)の因縁)を決定付けます。これは先祖の不幸な因縁を反覆(はんぷく)する行為です。その最たるものが「不倫」といえます。これがやがて、幸福な家庭を不幸にし、不幸な家庭を更に地獄へと誘(いざな)います。これらは肉食が齎した、性腺異常の元凶です。 更には便秘という腸内停滞が起り、腸壁から馬尿酸、硫酸、リン酸、硝酸、塩酸等の有害毒素を吸収してしまいます。また、腸内に異常醗酵を起こします。異常醗酵は、毒素中和の為に、体内に現存するアルカリ成分であるミネラルは殆ど消費されてしまい、微生物にやウイルスに対して感染され易い体質の悪さを齎します。 肉をベースにした、美食や飽食、珍味食は、血液を酸性に傾けているのです。 美食や飽食と言うのは、つまり御馳走(ごちそう)の事です。御馳走は読んで字の如く、走り廻って掻き集めた食べ物の事です。昔は、本当に特別な時の、一年のうちに数回程度の、お客を持て成す為の料理であり、人々は走り廻って、美味しい食べ物を食べてもらおうとしたのです。つまり、御馳走とは滅多に食べられない料理だったのです。 肉料理、ハマチやマグロの刺身料理、卵の黄身、甘い物、お酒などの酸性食品は総て昔は御馳走だったのです。ところが今日はどうでしょうか。毎日、毎食事に腹一杯食べる習慣がついてしまいました。 無知な人は現代栄養学の間違った理論を疑わず、また自分の味覚や嗜好(しこう)が、歪(いびつ)に傾いていっているのにも気付こうとしません。白米・白パン・白砂糖・酒・食肉・切り身の魚・乳製品・ハムやソーセージの肉加工食品といった酸性に偏ったものを多く摂取しているのです。これでは、病気になりたくて酸性体質を造っているようなものです。 また肉食は血液を汚染して、粘膜を刺戟し、粘液分泌を引き起こして、「炎症」や「腫瘍」を発生させます。これこそがガン疾患の正体であり、人間が肉食をすると言う因果関係に、「肉(じし)喰った報い」は大きく関与している事が解ります。 肉食は血液を汚染し、過剰な酸類で血液中には性腺刺戟の状態が起ります。これが異常な性的興奮に繋がり、不倫や婚前交渉等を当たり前と考える発想が生まれます。そして「精禄」を使い果たした挙げ句、早熟と早老の為に命を縮めていきます。 その縮めるまでの途中のプロセスの中には、肉食によって汚染された血液が齎す、酸毒思考に陥る元凶があります。酸毒思考に陥ると、腸内に腐敗物質を抱え込んでいる為に、肉体的にも精神的にも疲労し易い体質になり、まず、思考力は単純な方に傾いていきます。そして厭世観等が起り、皮相的な物の見方しか出来なくなります。これこそが、自らの命を縮めてしまう思考母体であり、死にざまを見苦しくさせ、臨終に失敗する元凶を招くのです。 ●不定愁訴と精白食品のかかわり 命を養う事を通じて《癒しの杜の会》は、まず正しい玄米穀物菜食による「霊的食養道」を実践します。 無力体質を生むのは、食肉に続く乳製品や鶏卵等で、それを引き立たせる為の精白食品が、体質の悪さを禍根を齎します。 私たちの肉の目は、裡側(うちがわ)を覗く事が出来ず、その側だけの可視世界の雅(みやび)に目を奪われます。したがって本質を見抜くには、長い人生で研鑽した目が開ける事で、若いうちはこうしたものを的確に見抜く見識を持ちません。また老獪(ろうかい)な人生を送って来た人でも、外側の肉の目ばかりに奪われて、それに魅了されると、やはり正しい見識眼は、養う事はできません。 科学万能主義を礼賛する現代は、可視世界の肉の目に誑(たぶら)かされる現実があります。 例えば、漂白すると「真っ白」になり、綺麗になったような錯覚を抱きます。食品も、精白すると真っ白になり、綺麗になったような錯覚を抱き、他の食品との組み合わせも色彩的に鮮やかになり、如何にもあか抜けた感じで、こうした意識下で食欲がそそられます。 また事実、食品を精白すると舌触りが滑らかになり、味もサラリとして、しつこさや、ごつごつさを感じず、腹に収まっても、「熟(こな)れ」がよく、吸収力も高まります。したがってみんなに喜ばれ、商品需要も鰻登りに高くなっていきます。つまり「精白」は、こうした経済効果を狙った、商品価値を高める為に行なわれて来た作業だったのです。 ところが皮相的な価値観の追求は、逆に、食物そのものの持つ、真の効用と価値を損ねてしまう現実を作り出しました。 食物と言うものは、健康を保持する事が第一義的な価値観の前提ではならず、見た目によってそれを意識し、その価値観を低下させてしまうものであってはなりません。より美味しく食べる事が工夫しても構いませんが、第一義の目的に反するような食べ方は、やがては健康を損なう結果を招きます。 私たち人間が食物を頂くと言う行為は、命を育む為に行なう行為なのですから、その真の意義が何であるか考え直す必要があります。間違った概念や、これまでの狂った固定観念を排除して、習慣に毒された食品ばかりを摂っていると、やがて生活習慣病を招き、ストレスとともに、病変体質を作り上げてしまいます。 食物の持つザラつきや、アクなどは元々その食物が持つ特性であり、食品の個性として捕らえる事が正しい見識です。 その特性が、色とか形で異様に見えても、あるいは美意識に反しているとしても、それはそのようなものであるという容認が必要です。それを見た目が兇(わる)いからという理由で、薬と使って見た目の良いように変型したり、手間をかけて舌触りの為に加工したとすれば、もはやこれはその食物の持つ特性は既に失われた事になります。 食品の「精白」とは、背後に美意識的なものがあり、その本当の目的は資本主義社会に毒された利潤追求が背後に隠れています。精白食品の総ては、未精白の段階に持ち合わせていた各種のビタミンやミネラル、酵素や食滅繊維といったものを、総(すべ)て削(そ)ぎ落としてしまったカスであり、複合的な成分は剥(は)ぎ取られた単純食品に成り下がっています。 例えば、白米や白パンは炭水化物の塊(かたまり)ですし、白砂糖は糖分(蔗糖/サッカロースで、主成分である甘味成分。水に溶け易い白色の結晶)ですし、化学塩は塩化ナトリウムという状態になって、広く食品流通されています。 しかしもともとは、コメにしても、玄米のままで主要成分がよりスムーズに代謝されて、その中には生体にとってよい健康状態をつくり出す為の、各種の微量有効成分が含まれているのです。 したがってこうした微量有効成分を取り去った精白食品は、体内で大量の有機酸を発生させる為、組織の硬直化や機能減退を齎し、特に腸内に於ては、有害菌をのさばらせる温床になり、異常醗酵を行なってビタミン合成を妨げ、炭水化物の代謝を阻害させます。 これによって起る病因が、自律神経機能を失調させる不定愁訴と言うもので、無気力体質をつく入り出したり、悪化すれば神経症や、更には精神分裂病等を誘発して、大きな悪影響を与えます。また、こうした体質が不成仏霊からの憑衣・憑霊現象を起こし、精神活動を衰退させてしまいます。 そして精神的に活気がなく、ストレスに押し潰されて、一応は肉体的には健康状態を保っていても、何か解らないものに悩まされているという憑衣・憑霊現象が憑(つ)き纏(まと)うのです。 不定愁訴に悩まされ易い現代人は、その元凶に精白食品を食べていると言う体質の悪さが挙げられます。また、この体質の悪さと言う元凶が血液の汚染です。 人間は、躰の中に入った毒素や、躰の中で出生み出された老廃物は、大人の場合で、全体の5リットルほどの血液が身体中を駆け回り、集めて来て、それを腎臓で濾過(ろか)し、尿として体外に排泄します。人間が生きている限り、体内を血液が隈無く循環します。その循環に勢いは、想像以上に激しい勢いを持っており、一日に腎臓に流れ込む血液の総量は、160リットルと謂れています。ドラム缶一本が180リットルですから、160リットルといえば相当な量になります。それが毎日、死ぬまで循環し、濾過し続けるのです。 腎臓は非常にタフな臟噐です。しかし、腎臓機能障害を起こすのは、余程の悪条件が重なった場合だと言えます。否、普通に生きていれば、こうした悪条件は重ならないはずです。それこそ、意識して、悪い事の上に悪い事を重ね、限り無く悪い事を重ねた結果、腎臓に決定的な障害が発生するのです。 したがって、運悪く、人工透析の受ける事になると悲惨です。腎臓人工透析の費用は、年間に約一千万円強と謂れています。これは個人で、とても賄いきれる金額ではありません。したがって税金で賄うことになります。 現在人工透析を必要とする患者数は、約六十万人と推定されています。この全員が人工透析を受けたとなると、年間で六兆円もの巨費が使われた事になります。そしてこの数字は更に増えると予測されています。 もし仮に、人工透析を受ける患者数が二百万人に達したと推定してみましょう。ここで使われる医療費は二十兆円になります。この額は膨大な数字です。この数字は現在の国家予算の七十兆円の全医療費に匹敵する金額なのです。この儘でいけば、国家は破綻するのは必定です。したがって、予防医学にお金をかけるべきなのです。 病気にならない国造りをして、単に国家レベルだけではなく、個人レベルでも健康を維持し、税負担を減少させるべきなのです。 もし、あなたの家族が病気になると言う事は、巡り巡って、あなた自身にも、その税負担が重くのしかかって来るのという事なのです。 悪い事に、悪い事を重ねなければ決定的な病気にはならないと言うのは、何も腎臓ばかりでなく、肝臓でも、胃腸でも、心臓でも、膵臓でもみな同じです。アルコール性の肝臓障害と言うのは、毎日毎日肝臓を苛めぬかない限り、滅多に起る障害ではありません。 つまり現代人が病気になると言う現象は、その元凶が暴飲暴食であり、アルコールと共に、動蛋白食品の大食いが不健康な状態を招いているのです。 したがって、健康を害すると気付いた食品は直ちに止めて、無理のない範囲で、食生活の食餌法を粗食小食にて徹するべきなのです。 また、人間には足があり、「歩く」という天与の行動が与えられています。その素晴らしい運動法を厭がらず、毎日に続ける事なのです。そして良質な、水を飲み、良質の水で食事を作るというのは、改めて言うまでもありません。 ●救急医療と慢性病治療は根本的に違う 病気になれば総て病因で治してくれると、圧倒的多数の人がそう信じ込んでいますが、この実情は全く違います。病院に行き、医師の診察を受け、治療が施される事によって一時的に病状が軽減する事はありますが、病気そのものを根治させる事は、まずありません。たいていは体力や気力を減退させ、病気を悪化させてしまいます。 その理由は、次ぎのような治療が行なわれているからです。 |
体力・気力を減退させ、病気を悪化させる治療例
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慢性肝炎
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ステロイド剤が使われ、これは使用を止めると肝機能が悪くなる。そこで最近はステロイド離脱療法が試みられ、ステロイド剤である期間、身体の免疫力を抑制しておいて、使用を急にやめると免疫力が高まると言う現象を利用して、ウイルスを撃滅する考え方に基づいての治療が行なわれている。 他には、抗ウイルス剤とステロイド剤を組み合わせて、インターフェロンや免疫療法剤を用いる。 |
心筋梗塞
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一般的には心筋梗塞の引き金となる因子を予防する薬屋や、心臓に必要以上に負担を掛けない薬が組み合わされる。具体的には血圧を下げる薬や心拍を上げない薬が用いられる。他には、冠状動脈の血液の通り道に、血液の粘っこさを落とす薬や血栓を作りにくくする薬が用いられる。 これでも駄目な場合は、バイパス手術を行なう。 |
糖尿病
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インシュリン製剤が非常に高度な技術で精製されるようになり、インシュリンアレルギー問題は次第に低くなって来ている。またバイオ・テクノロジーの進歩で、大腸菌を利用してヒトインシュリンの合成が可能になった。更に投与方法も進み、持続皮下注入装置が実用化され、人工膵臓も実用化の方向にある。 |
現在、医療現場で行なわれている実情は、以上の例をとってみても、病気を悪化させるのは明らかであり、病気の本質が何処にあるか、どうすれば的確に治せるかといった根本的な捕え方をしていない事が解ります。総て枝葉末節的な対処法です。したがって現代医学は、食生活の重要性を理解しておらず、治療の中心は化学薬剤を投与した対処療法である事が解ります。 こうした考え方に偏っていくと、最先端の治療法が、バイオテクノロジーの技術を生かした新薬開発とか、臓器移植や陣構造期の精密化といった方向に向かい、ハイテク度ばかりを高める事に医療が傾いていきます。これは一見医療技術は進歩しているように映りますが、非常に不自然な対症療法であるのは間違いもなく、今後もこうした考え方は改める事はないと考えられますので、もう、いよいよ後戻りのできない方向に突き進んで行っています。そして、自力で病気は克服できないという困難な状況に置かれています。 この現実は、救急医療の場に於ての望ましい処置法が、一般の慢性病の治療現場に持ち込まれている矛盾が、慢性病を更に治り難くしている実情があるのです。慢性病の治療は、人間本来の健康な姿に戻る事が主体でなければなりません。これを大前提とすれば、生体にとってより自然な治療法を行なう必要があります。 したがって躰の自然性を著しく阻害する化学療法や放射線療法、手術療法や免疫療法等の不自然な治療法は、極力控えねばなりません。この意味で、現代医学の慢性病に対する根本的な思想は間違っていると言えます。 慢性病が発生する躰のカラクリは一つしかないのです。食→血→体の流れこそ健康体の躰の仕組みであり、病理的状態ではこの流れが「食の腸内腐敗→血の汚染→躰の炎症」という姿になるのです。 食物が腸で腐り、便意を起こして長い間停滞して、これが吸収され、その為に血が汚れ、病気が発生するのです。慢性病に実態は「炎症」や「腫瘍」であり、「体細胞の世界」で起った病変が直接的な因果関係を持っているのは、即ち「血の汚れ」です。「血液の世界」で起っている病変が、「体細胞の世界」に具現され、慢性病に発展していくのですから、これを正していけば、再び元の健康体に戻るのであって、この方法は以外に慢性病を根治する手立てはありません。 そして私たちは、慢性病に対峙している医療現場の実情を知り、慢性病は必ずしも現代医学では根治しない事を知るべきです。 慢性病を根治する手立ては唯一つしかなく、これまでの食事法が誤っていたから病気が発生したのであって、穀物菜食を実践して、これを正せば病気は次第に恢復の方向へと向かうのです。そして何よりも大切な事は、体質を改選して「質の悪い体質」から抜け出さなければなりません。 《癒しの杜の会》では、多くの不幸現象を克服する為に、霊的食養道の実践指導をメール等や講演会で指導し、これに関する相談等も受け付けており、会員になられれば、月々定期的に相談や食養指導が受けられる、穀物菜食指導を、全国に先駆けて展開しています。 その他、健康法指導や精神障害における憑衣・憑霊現象に悩む方々を対象に、それを恢復に向かわせる《霊導法》等を指導しております。 この《霊導法》については、《癒しの杜の会》HPの「精神思考」に詳細に掲載しておりますので御参照下さい。 更に資本主義の輪廻(りんね)の輪から抜け出す為に、日常生活の生活工夫術等を指導し、金銭哲学をはじめとした「貸借対象表」(資産の部と負債の部)の見方や、理財の倹約術、家計の節約術等も指導しております。 |
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