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●醫しのある風景集2

▲いつか見た夕焼けの空

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▲寺院への石段

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▲牡丹さいた

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▲古代蓮華の仏の世界

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▲刷毛で掃いた空

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▲春を待つ木立

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▲曼珠沙華あざやかに

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▲岩場の植物

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▲実ほどの稲穂かな

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▲笹の花

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▲ある川の堰

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▲茶室で一服

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▲茶亭佇い

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▲むらさき花

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▲ある満月の夜

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▲とうとうと流れて

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▲みどりの唐辛子

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▲ある寺院の庭で

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▲太陽杲々として

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▲ある岩清水

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▲今年も実った

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▲池を臨む

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▲ 竹すくすく

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▲海と島影

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▲H19.8.11の福智山山頂1

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▲H19.8.11の福智山山頂2

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▲H19.8.11の福智山山頂3

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▲H19.8.11の福智山山頂4

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▲H19.8.11の福智山山頂5

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▲H19.8.11の福智山山頂6

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 人は、夢と知りながら、遠い過ぎ去った日を、心の中で夢想する。いつか見た風景であると、おぼろげながらに記憶を辿りつつも、それが何時(いつ)だったか思い出せない。しかし、日本人の「わび」と「さび」の故郷は、いつか夢想した心の佇(たたずまい)に記憶されているのではあるまいか。

 四季折々が示す、風趣(ふうしゅ)に映し出す静閑(せいかん)とした風景は、現代のロック調の金属的な音に掻き乱された喧騒(けんそう)とは、一味も二味も違っているはずだ。そこには風が吹き、詩的な閑静な佇(たたずま)いが展(ひら)けているはずである。
 現代のような、混沌とした時代、人々は再び、「わが人生とは何か」という問いに周期的に還らなければならない。
 何かが囁(ささや)いている。うつろう季節に、しっかりと耳を傾けて……。