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●断食と倶に、普段の食生活を考える

 長生きの秘訣は「食生活」にあります。また、実際にボケもせず、植物人間にもならず、矍鑠(かくしゃく)として長生きをしている人は、その食生活そのものが実にシンプルであり、「粗食・少食」を実践している人です。

 玄米穀物ご飯(玄米をベースに、玄麦、アワ、キビ、ヒエなど)を主食として、副食には野菜や山菜、小型の魚介類、海藻類などを摂取し、逆に今日の現代栄養学が言う、肉や牛乳、乳製品や鶏卵などは殆ど食していません。
 長生きの秘訣は「粗食」にあり、かつ「少食」であるということです。

 ところが最近では慢性病が蔓延(はびこ)り、更に白米一辺倒主義や、欧米を模倣した白パンなどの三白ガン主義(白パン、白米、白砂糖、精白塩、化学調味料などd、いわゆる「三白ガン」)が主流となり、その病根の元凶は、肉、乳製品、鶏卵中心の食生活があります。また、このような食生活で育った戦後生まれの「団塊の世代」や、その子ども世代の「団塊の世代ジュニア」には、現代西洋医学では根治が難しい成人病が増加し、その死者の数も増大しています。

飽食の時代、以上のような「毎日が御馳走(ごちそう)」の食生活が、成人病に巻き込んでいく。そして、注意すべきことは、一般人の脳裡(のうり)にある「日本食は優れている」という和食理論であるが、和食を標榜(ひょうぼう)していても、それは巧妙に日本食に似せた、「欧米食」である場合が少なくない。
 特に外食をし、レストランなどで和食を注文すると、日本食に似せかけた、動蛋白中心の欧米食が出て来ることが少なくない。

 戦後の栄養教育は、戦後生まれの団塊の世代達が「タンパク質が足りないよ」のスローガンで育てられ、動蛋白を中心にした欧米食は日本食よりも優れていると誤解したことにあった。
 食肉、牛乳、チーズなどの乳製品、鶏卵と云った動物性食品を優秀な食品として指導した現代栄養学の犯罪性は、今日蔓延
(まんえん)するガンを筆頭にした高血圧や動脈硬化、糖尿病を招く要因をつくったと言っても過言ではないだろう。
 そして現代栄養学は、動蛋白食品を一貫して「完全栄養食品」とさえ、何の憚
(はばか)る事もなく呼称して来たのである。

 多くに日本国民は、現代栄養学の言にしたがい、「豊かな食生活」を求めて、奔走した形跡があり、その結果、成人病で斃
(たお)れると言う元凶を招いた。それは、かつての昭和30年を境に、肉は以前の10倍以上、卵は6.4倍以上、牛乳や乳製品は19倍以上も食べられるようになり、これが「一億総成人病」へと導いているのである。しかし、この現実に気付いている人は少ない。

 日本は世界一の長寿国だと言われています。その結果、近年には「日本人の食生活は理想的だ」という声も一方ではあるようです。
 ところが、長生きをしている百歳以上の老人達は、これまで一体何を食べて来たのかと言う事になりますと、百歳を超える明治生まれの人達は、今日の若者の多くが食する肉や牛乳やその他の乳製品を、殆ど食べずに長生きして来た人達です。

 逆に、肉や鶏卵を食べ、牛乳を飲み、欧米型の食生活をしている若い世代の現代人達は、かつての明治生まれの老人に比べて健康状態が良くなったかといえば、決してそうではありません。

 例えば、戦後生まれの「団塊の世代」に存在する成人病の急増や、その次世代の青少年達はアトピーやアレルギー体質、また若い女性の貧血冷え性便秘といった元凶に悩む人が決して少なくありません。このことは、「戦後の現代栄養学が指導した、日本人の食生活が正しくなかった」と言う証拠を雄弁に物語ったものです。
 果たして現在も厚生労働省が中心になって指導している「栄養学とは何か」という命題が、実は健康と食事は表裏一体の関係にあるのではないか、という疑いを抱くのは、決して筆者一人ではありますまい。

 それは今日の「欧米食」にどっぷりと遣った現代人を見れば、その姿が決して健康でないことが明白になって来ます。確かに、昔の人に比べて、虚弱体質者が急増しているのです。

 さて、「現代人の食生活は間違っている」あるいは「現代人の食生活には問題がある」といっても、どこがどう間違っているのか、どこが問題なのか、今までの戦後栄養学には説明のつかない部分が沢山あります。

 しかし、これまでの日本人の食体系を考えれば、この間違いや、問題点は明白になります。
 それは、多くの日本国民が、肉食中心の御数(おかず)を沢山摂り、米を中心とする「主食の食思想」が抜け落ちてしまっているからです。これは、欧米型の食生活が日本人向きではないと言うことを如実に顕(あら)わしています。現代日本人は、日本人向きではない欧米を模倣した食生活をしているのです。ここに成人病になる元凶が横たわっているのです。

石塚左玄の唱えた地球上の人種の方位色別表

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 欧米と言う、地理的な場所と、気候や風土について考えてみましょう。
 寒くて降水量の少ない、植物の育ち難いヨーロッパでは、穀物を主食にする食事が出来ませんでした。その結果、牛や豚や羊などの動物を飼育し、動物からタンパク質などを摂取して来た歴史を持っています。

 こうした土地で生まれた食習慣は、日本人とは根本的に異なるものです。したがって、人間の躰(からだ)と言うものは、長い間の歴史の中で、その土地の国民の肉体に適合するとような形に作り替えられます。これと同じように、日本人には日本人に合った食習慣があったのです。また、日本人と欧米人の違いは、地球上の人種の『方位色別表』からも明らかになります。
 私たち日本人は、遺伝子的にも明らかに欧米人とは異なっているのです。日本には、連綿と続いた食体系の中に、肉食をする習慣が殆どありませんでした。ところが、この禁を敗ったのは、先ず第一が明治維新であり、次に日本の太平洋戦争敗北により、食体系は完全に狂わされてしまいます。

 その為に、戦後百年も経たないうちから、日本人が欧米型の食生活を模倣し、肉や乳製品、鶏卵などを多食すると言う行為は、実に内臓に多大な負担を掛けます。更に、かつては朝餉(あさげ)とか、夕餉(ゆうげ)とか言う言葉がありましたが、これは日本人の食事回数が、一日2回であったことを物語っています。
 それが今日のように一日3食になったのですから、一食分多く過食をしていることになり、それとあいまって、動蛋白中心の食事をしていることが元凶となり、内臓は疲弊(ひへい)し、ちょうど燃えカスが大量に残るような「不完全燃焼」をしていると言う事になります。

 現代栄養学者らは、「朝食はしっかり摂る」ように指導します。それは「朝食が一日の原動力になる」と言う理由からです。しかし、果たしてそうでしょうか。
 「科学的」と言う名を借りた現代栄養学の食理論は、実は科学的でも何でもなく、昭和30年からの「55年体制」で言う、「現代」と言う名に応呼した権威主義に他なりません。

 例えば、食物の「部分的な一面」ばかりを捉えていることです。55年体制以降の栄養学は「現代栄養学」と称されるものです。この栄養教育の中には、「牛乳はカルシウムが豊富だから、からだによく、大いに飲もう」とか、「レモンはビタミンCが豊富だから健康に良いので積極的に摂ろう」といった考えです。これを現代栄養学では「科学的食生活の考え方」としています。
 これこそ「木を見て森を見ず」の危険な考えです。食品の一部だけしか見ていません。しかし、食生活を指導することを職業にする栄養士や栄養学者自身は、「木を見て森を見ず」の矛盾に全く気付いていません。

 また、栄養士自身が使う言葉に、「栄養素のバランスをよく摂りましょう」というのがありますが、実際問題として「栄養素のバランス」とは、一体どういうことなのか具体的ではありません。確かに、誰でも「栄養素のバランス」が大事であることは分かっているはずです。ところが、栄養士が言うバランスはどのようにしたらとれるのか、はっきりしません。

 例えば、ビタミンだけを考えてみても、人間の生命維持の為に必要なビタミンは果たして幾つあるのか。A、B1、B2、C、D、E、K……。人間のレベルで、果たして誰が知り得るでしょうか。
 また、ミネラルは、カルシウム、リン、ナトリウム、カリウム、鉄、銅などとありますが、これも幾つ必要なのか、誰にも分かりません。
 更に、タンパク質は、脂肪は、と考えていけば、言葉で言う程、栄養素のバランスをとるということは容易でないことが分かります。

 したがって、現代栄養学が言う「バランスのとれた献立」とは、カロリーなどの熱量やタンパク質、あるいは塩分の量を数値に顕わして計算しただけでは、本当にバランス食であるかどうか、非常に疑わしいのです。

 そして、現代栄養学には、55年体制からの栄養学者の権威と、これまで論じて来た利権と、食品産業が絡んだ彼等独特の思惑があり、更に不可解なことは、科学者が複雑な現象を、その構成要素を分類して、分解し、これを「科学的」と称して、その分解の結果から、実際には本当に大事な本質的なものを見失っていると言う、「非科学的なもの」が浮上して来ます。
 現代人は、あまりにも「科学的」という言葉に翻弄(ほんろう)された観があります。

 それ故、私たち日本人は先祖から連綿と受け継いだ「伝統食の智慧」というものを軽視して来た事実が明白となります。その証拠に、牛乳を飲んで骨太と言われた最近の子供達は、直ぐに骨折などの怪我をし易く、アレルギー体質であったり、歯並びが悪いなどの問題を抱えています。
 そして、現代栄養学が奨励する献立の中には、「自己忘却の酬(むく)い」として、生活習慣から起る成人病を誘引する食品が含まれていると言うことです。
 こうした成人病への誘引性食品は、その危険が全く知らされないまま、働き盛りの壮年層や、これからの日本の未来を担う青少年の間に広く蔓延しているのです。

本来シンプルであった日本の「朝餉」と、「夕餉」と言う一日2食の食思想。基本は粗食・少食である。
 こうした粗食・少食は昭和30年以前には何処の家庭にも見られた。
現代栄養学が推奬する「一日30品目以上」の御数。主食よりも、副食の御数の方が勝っている。こうしたところに現代人の成人病が巣喰う。
 毎日が御馳走では、病魔に襲われる生活習慣病の確率も高くなる。

 食事の問題は、人生に「痛み」となって顕われる深刻な問題です。不適切な食事を行うことで、簡単に家庭が崩壊してしまう危険すらあるからです。
 昨今では、「家長」という言葉は殆ど聞かれなくなりましたが、それでも、家の経済的な稼ぎ手としての主役は未(いま)だに父親であり、この父親が「ガンで斃(たお)れた」あるいは「脳梗塞で斃れた」ということになりますと、もうそれだけで、その家庭は斜陽の傾向を見せ始めます。その一家は間違いなく、一家離散の翳(かげ)りが濃厚になって来ます。
 そして、こうした結末に至る背景には、日本の風土の中に生まれ育った日本人の食体系が、欧米化したと言う元凶が横たわっているのです。



●日本人の食生活が欧米化するとどうなるか

 日本人は米と深い関係をを持つ民族です。米は、誰もが親しんで来た身近な食品です。
 日本人の赤ん坊すら、離乳期が終り、一般の食品を食べる仲間入りをする時、まず米をベースにした重湯から食べ始めます。これは病院の食事でも同じでしょう。重傷患者が重い病気から快復して、まさに健康を取り戻そうとするとき、病院ではその患者に、やはり離乳期を終えた赤ん坊と同じように重湯を与えます。

日本人の主食は「米」のご飯である。日本人は主食のご飯によって、健康がつくられる。

 乳幼児が一般食が食べられる仲間入りをしたからと言って、赤ん坊にステーキを食べさしたりする母親は居ないはずです。また、患者が恢復期にある時、病院もその患者にステーキなどは絶対に出さないはずです。動蛋白は、内臓に大きな負担をかけるからです。

 一般家庭でも、母親が食事の準備を終えて、家族全員に食卓について欲しい時、やはり米を象徴する言葉として、「ご飯ですよ」と言うはずで、「ステーキですよ」とは言わないはずです。
 このように日本人は「ご飯」という言葉になれ親しみ、「ご飯」とは、まさに「米」を象徴した言葉だったのです。

 したがって、日本人は「ご飯」を食べる民族で、その主食はやはり「米」でした。「ご飯」が主食であり、副食と言う「御数」はあくまで「ご飯」を食べる為の「飯の菜(さい)」だったのです。

 ところが現代は大きく変化してしまいました。また、現代栄養学が言うように「一日30品目の御数をバランスよく」などというと、「ご飯」より御数が多くなってしまい、何が主食である分からなくなってしまいます。更に、現代は益々「ご飯離れ」が進み、ご飯を余り食べない人は、朝昼晩の三食や、間食と夜食を通してパン食が中心のようです。一日5食の飽食の時代、その主体は欧米型の動蛋白食品に完全に偏っているのです。

 実は、問題はご飯の変わりにパンを食べると言う、此処に大きな問題が隠されています。
 何故ならば、パンを主食にすると、バターやマーガリンやジャムなどを付け、副食は必ずハムエッグや、肉・魚・野菜などを煮出してとった出し汁のスープ、生野菜のサラダのような横文字の洋風の食品になってしまいます。

 パンにヒジキの煮つけや、納豆、豆腐、ホウレン草のお浸し、フキの煮つけと高野豆腐、沢庵漬け、梅干、目刺などは殆ど登場しません。
 つまり、日本人がパンを食べると言うことは、食卓に上る食品が「油だらけになる」ということです。また、白砂糖で調理する食品も並ぶことになり、次に牛乳や乳製品が並びます。
 食卓の欧米化は、日本本来に旬の野菜が遠ざかり、一年中ハウス栽培で育ったエネルギーの小さな野菜や、動蛋白中心の食事に偏り、日本人の伝統的な食体系が壊されていると言えましょう。

野菜を使っても、「油だらけの食卓の中」からは、成人病しか生まれて来ない。つまり、日本人はパン食をすると言うことは、「食卓が油だらけになる」ということである。
 しかし、多くの日本人は、この「愚」に気付かず、食卓から、油だらけの食品が激増する食生活に何の疑いも抱いていない。これこそ
「食原病」ではないか。
 また、現代栄養学が言う、「肉と野菜をバランスよく」という、そもそもの「バランス」とは、一体どういうことを言うのだろうか。

 現代栄養学の言う「バランス」と仮説定義に従えば、現在欧米で注目されている日本食ブームは、「肉類を極力減らして、米などのデンプン質をもっと食べよう」という「米の見直し」を言うのであるが、現代栄養学の言う「肉と野菜をバランスよく」の食指針は、欧米の食科学以下と言うことになりはしないか。
 そして「バランス」という言葉ほど分かり辛い言葉はない。また、世界の何処の国を探しても、何でもかんでも食べて、バランスを図っている国民など何処にも居ない。

 パンを主食にする以上、海藻類や小魚類、貝類、味噌汁と言ったものは食べようがないのです。こうした食生活が、大人から子供までを直撃し、如何に伝統食と違うか、その影響は計り知れないものがあります。
 また、成人は成人で、中年太りを気にして、ダイエットと称し、主食のご飯を控えて御数(おかず)ばかりを摂る人が居ますが、実はこれが肥満の原因になっているのです。更に、パンなどには少なからず中毒症状を起こす白砂糖が使われています。これは麻薬に似た中毒を起こすので要注意です。例えば、コーラの常飲者は、コーラがなければやっていけないような、常習性があると言うことです。

 私たち日本人は、欧米の科学万能主義に魅(み)せられる余り、総て横文字はかっこいい。欧米のものは日本のものより優れていると安易に思い込み過ぎた観があります。こうした欧米からのコンプレックスの呪縛(じゅばく)から解き放たなければなりません。

 食を振り変えれば、食は「風土」と密接な関係にあります。
 食べ物に関して、それらを生産する動機に至ったのは、紛(まぎ)れもなく「風土」です。人間は、食べ物を選択すると言う形で、肉食や菜食を決定したわけでありません。
 高温多湿で植物が良く育つ地域では、穀物菜食が盛んであり、降水量の少ない寒冷のヨーロッパなどの地域では、余り農作物が育たず、獣肉を食糧として来たわけです。この地域性や気候、それにその地方の風土を知ることが大事でしょう。

 つまり、人間は獣肉と魚肉の何れにするか、あるいは穀物などの農作物にするか、それは好みに応じて選択したことではないと言うことです。この地域性は風土に深い関係を持ち、一部の菜食主義者に見られるような、イデオロギー故に菜食にすると言うことを決定したのではありません。
 その意味で、一部の菜食主義者も、肉常食主義者と同じような誤ちを冒しています。

 人間が食べる「食」とは、与えられた自然環境が、その風土の中から伝統的な食体系を作り上げて来たのです。則ち、これが食生活における「智慧」というものでした。こうした風土が生み出した智慧に対し、科学的と自称する現代栄養学は、「科学と言う名の知識」を振り回していますが、数千年以上続くその民族の智慧(ちえ)が、1955年代から始まった「現代」という名の知識に、どう考えても勝てるわけはないのです。

 また、一方で現代枝お洋学が言うように、「戦後、日本人の食生活は豊かになった。これは現代栄養学の食指真の賜物である」などといいますが、果たして、内容的にはどれほど豊かになったのでしょうか。
 勿論、現代栄養学では、「肉と野菜をバランスよく摂り」かつ「一日30品目以上を撮る」という食指針を立てていますから、量的には豊かになった観があります。ところが、その内容は果たしてどうなのでしょうか。

 現代栄養学こそ、これまで日本人の伝統的食体系であった「粗食」という智慧(ちえ)を崩壊させ、現代人を次から次へと食傷に導いているではありませんか。そして、その最たるものが、ガン発症を筆頭とする生活習慣の誤りから起る「成人病」だったのではないでしょうか。
 これは現代栄養学の食指針が誤りだったことを如実に物語っています。