●福智山・洗心錬成会の活動と目的

 本会は心と身体を鍛練するということを目的に、毎年、春・夏・秋の3シーズンならびいに毎月一回・第1土曜日に、誰でも安全に登れる福智山(900.8メートル)登山を行っております。また、健康と長寿を願う会でもあります。

 福智山登山と聴くと、一瞬身を退(ひ)いてしまう人が居るかも知れません。あるいは「過酷な山行」を想像する人が居るかも知れません。しかし、心配はありません。
 最初は、岩や石がゴロゴロした登山道に躊躇(ちゅうちょ)を覚えるかも知れませんが、難儀(なんぎ)と思えた山行も、何回か回数を重ねる事により、足腰の鍛練になって、次第にこの山の、本当のよさが分かって来るようになります。

春のハイク
年一回で5月の連休を挟んでの5月4日
夏のハイク
年一回で盆の時期を挟んで8月14日
秋のハイク
年一回で晩秋の紅葉の時期を挟んで11月23日前後。
月例ハイク
毎月第1土曜日、鱒淵ダム登山口より出発。(但し、1月と2月は除く)

 また、本会は脚の強健な人ばかりを集めた「山岳会」や「山の会」ではありません。今までに、全く登山の体験の無い方や、病弱な方でも足腰を鍛えて健康になると言う事を目指し、登山の時は、「護送船団方式」で福智山登頂を目指します。

福知山山頂から山並みや下界を見下ろす。

 さて、洗心錬成会の目的について話を進めましょう。
 本会は、まず単なる山に登ることや、健脚を競うことを目的にした「山岳会」や「山の会」ではありません。また登山やハイクだけをする集まりでもありません。単に、野山の景観を楽しむばかりでなく、野山のハイクを通じて、「自分とは何か」ということを、各自に再認識を促す会でもあるのです。

 目的は「洗心錬成会」の、「洗心」の言葉からも分かるように、澄み渡った山頂の空気で「心を洗う会」なのです。下界の淀(よど)んだ空気ばかりを吸っている現代人に、澄み切った、清らかな空気と、空気交換を行う会でもあるのです。福知山山頂では、独特の呼吸法を指導し、「腹式呼吸法」や「逆腹式呼吸法」を指導します。また、希望によっては、調息呼吸法を始めとして、「胎息法」という複雑な呼吸法も指導しています。

 また、山を登る事により、これまでの不摂生を改め、病気を駆逐する会でもあります。福智山に登る事により、下界の裟婆(しゃば)の世俗と縁を切り、一旦俗界から離れて、心を洗い浄(きよ)めるのです。

 長い間、高所に登らず、下界だけの俗界に塗(まみ)れていると、心は、俗界の巷(ちまた)の芸妓の嬌声(きょうせい)や喧騒(けんそう)などにより掻き乱され、人間関係や多忙の仕事でストレスを溜め込み、虚(うつ)ろになって眠ってしまいます。
 多くに現代人は心を眠らせたままになり、物質界の欲にほだされて生きることになります。金・物・色に汚染されて、多くの柵(しがらみ)に絡め捕られ、身動きできない状態になっています。これが欲にほだされた「心の汚染」です。

 その上に、食の誤りと慎(つつし)みのなさが絡み、それにストレスが輪を掛けて追い打ちをかけ、様々な完治不能な成人病を発症させています。その典型的なものがガン発症ではないでしょうか。
 現代社会は、食の誤りやストレスや、自分自身に絡み付く柵(しがらみ)によって、身動き取れないほど雁字絡(がんじがら)めになり、本性が動物である人間は、身動き取れない状態に封じられて、やがて病魔に襲われて死んで行く運命を背負い込んでいます。則ち、これは食の誤りと、慎みのなさから起る「身体の汚染」です。

 怪我・事故・事件への遭遇・借金苦・家庭不和・離婚・家庭内暴力・病気などの不幸現象は、総(すべ)て心の穢(けが)れが導くものです。心を洗わずして、不幸現象を取り去る事はできません。また、現代人の食べている食の誤りにも、大きな病気への翳(かげ)りがあります。

 例えば怪我をして、その怪我が一ヵ月も二ヵ月も治らず、あるいは半年経っても、一年経っても完治せず、やがて慢性固定化して生涯それに苦しめられている人は、まず「心の汚染」があり、「身体の汚染」が自分自身の躰(からだ)を巣喰っていることを知らなければなりません。この「二つの汚染」により、生きながらにして蝕まれているのです。

 この汚染状態が続くと、慢性化した病気をして、その病気が長引くようになります。やがてガンに変質して、ガン発症をするなどの不幸現象に巻き込まれます。ガンで斃れていく人は、「二つの汚染」に蝕まれた人です。

 こうしたものは、紛(まぎ)れもなく現象人間界の憑衣(ひょうい)であり、邪気現象が具現化して、人間に取り憑(つ)いたに過ぎません。しかし、こうした悪現象も、心を洗う事により、次第に解消されて行きます。



【福地山系と周辺の山々】
 福智山系の周辺を見渡しますと、北九州市八幡東区に位置する皿倉山(さらくらやま)から始まり、南へ尺岳(しゃくだけ)、福智山、牛斬山(うしきりやま)、香春岳(かわらだけ)と続く山並みがあります。また、北端には皿倉山と、更には南端の香春岳とのほぼ中間にあるのが福智山で、この地域では最高峰ということなります。

福智山系は、北九州・筑豊・直方の人々に親しまれた山々で自然林が美しい。

 福智山系は、北九州ならびに筑豊・直方の周辺の人々に最も親しまれている山系です。福智山以北は自然林が美しく、九州自然歩道が八幡東区の皿倉山へと延々と続いています。
 また以南には、杉や檜(ひのき)の植林地帯があり、福知山山頂付近のススキの原は、秋には見事な風景を醸(かも)し出します。そして頂上に連なる熊笹(くまざさ)を周囲に配して、登山道の細道が続いています。山頂までに向かう、この細道を通る景観は実に見事です。

 山頂に連なる周辺一帯は、熊笹とススキの宝庫であり、これを視(み)ていると、何故か心がやすらぎ、下から見上げる山稜(さんりょう)の線が柔らかく、実に見事です。
 また、山頂の国見岩(くにみいわ)は、太古の昔、記紀伝説に見る「熊襲征伐」(肥後の球磨(くま)と大隅の贈於(そおか)の、そこに居住した種族のことで、日本武尊(やまとたけるのみこと)の征討伝説で著名)の為に、筑紫に下った日本武尊(やまとたけるのみこと)が国見したと言い伝えがある大岩があります。

 この岩の上に立つと、そこからの展望は実に絶景です。グルッと一回転して360度見渡しても、周囲には何も遮(さえぎ)るものがなく、ここからは英彦山をはじめ、福岡県内の大半の山々が殆ど見渡せます。
 更に天気が良ければ、南側に九重(くじゅう)の山並み(大分県玖珠(くす)郡と直入(なおいり)郡にまたがる火山群)が見え、東側にはカルスト地形で有名な平尾台や貫山が見えます。そして、その先を見渡すと、瀬戸内海や響灘(ひびきなだ)が開けています。

避難小屋からの遠望風景。

 西側に目を移すと、かつては筑豊から石炭を運んだ蛇行する遠賀川(おんががわ)の流れが見られます。この川は、福岡県生れの作家・火野葦平(ひのあしへい)の遠賀川文学の『燃える河』や『花と竜』でおなじみです。

 次に北側に眼を向けますと北九州市の街並みや玄海灘、更には関門海峡や下関市までが見渡せます。この雄大は風景は、いつまで視ても決して見飽きることがありません。

 また、福智山は白鳳(孝徳天皇朝の年号「白雉はくち」の異称で、飛鳥時代と天平時代との中間にあたり、7世紀後半から8世紀初頭までをいう)元年英彦山修験の流れをくむ、釈教順(しゃきょうじゅん)が開山したと伝えられる英彦山修験道行場の一つがあり、修験道が盛んだった最盛期には、僧坊12坊を数えたといいます。

 白鳳時代の前には、有名な「壬申(じんしん)の乱」が672年に起り、天智天皇死後、長子の大友皇子(弘文天皇)を擁する近江朝廷に対し、吉野に籠っていた皇弟の大海人(おおあま)皇子(天武天皇)が「壬申の年」の夏に起した反乱がありました。
 そして、「壬申の乱」の後、天武・持統朝では、天皇の権威が確立されました。
 律令の制定や記紀編纂(ききへんさん)が開始され、万葉歌人の輩出などがあり、仏教美術の興隆など、初唐の文化の影響の下に日本は大いに栄え、力強い、清新な文化を創造した時代でした。こうした時代を背景に、修験道も益々盛んになって行きます。

 福智山山頂には二つの石祠(いしほこら)があり、南側が豊前(ぶぜん)小笠原藩が祀(まつ)ったという「福智神社」があり、西側は筑前(ちくぜん)黒田藩が祀ったという「福智社」(鳥野神社)があります。



【大事を成し遂げる小事の積み上げ】
 「千里の道も一歩から」という俚諺(りげん)を御存じでしょうか。
 人生は、焦(あせ)ることが禁物の「登山」をしているようなものです。したがって、今日は「昨日の自分」に勝ち、明日は「今日の自分」に勝たなければなりません。

 自分の古い、固執した殻(から)から抜け出し、間違った固定観念で固められた考え方から離脱して、新たな自分を発見しなければなりません。この為に、人が人生の於て「努力が求められる」のです。したがって、千里の道も、一歩一歩登攀者(とうはんしゃ)のように登って行かなければならないのです。一歩の積み上げが、私たちを頂上へと導きます。

 武術の教えでは、千日の稽古を「鍛」といい、万日の稽古を「錬」といいます。したがって、千里の道も一歩からなのです。
 二宮尊徳は『二宮翁夜話』の中で、次のように述べています。
 「大事を成し遂(と)げようと思ったならば、小さな事を怠らずに勤めなければならぬ。小事も積もり積もって大事になる。小人(しょうじん)の常として、大事業の成就し難いのを嘆き、成就し易い小さな仕事をいい加減にし、疎(おそろ)かにしている。こうした心掛けであるから、一年懸っても、二年懸っても、また、三年懸っても、大きな仕事を成し遂げられないのである」と。

澄んだ山頂の空気は、これまでの下界の淀んだ空気と、空気交換をする場である。(平成19年8月11日撮影)

 私たち現代人は、「千里の道も一歩から」と言う俚諺を、昨今の多忙から全く忘れてしまっています。
 少年時代の十四、五歳で多くの人は、「人生の計」という、これから先の人生の見通しを立て、自分が「何によって生きていくか」の、大方の検討を付け、なりたい職業に目指します。また、青年時代は、立身出世の栄達の道を考えるようになり、野心を燃やして、人生に取り組もうとします。

 しかし、青年時代に野心を燃やしていても、小さな、地道な仕事を「うだつの上がらない仕事」と馬鹿にして、怠ってしまいます。こうして、小さな仕事を馬鹿にして怠って来た人は、壮年になっても、また晩年の老年期に入っても、生涯、小さな仕事を馬鹿にして、何一つものにすることが出来なかった結末を招きます。

 そして、これを自分の不運と勘違いしがちです。世の中では、小人(しょうじん)の常として、人を嫉(そね)み、世の中に憤(いきどお)りを感じ、世の中が総て悪いと恨みの言葉すら漏らします。その上に、自分が今こうした不運の状態にあることは、長年小さな仕事を怠って来た報いであることに気付きません。

 私たちはこの事をしっかりと悟る必要があります。
 世の中が不公平なのではなく、総(すべ)ては自分が怠け過ぎた結果なのです。したがって、世の成功者と云われる人は、大方の人がこれまで馬鹿にして、顧みなかった小さな仕事を積み上げて、着実の人生を歩き、しっかりとした足取りで、一歩一歩、歩いて来たのです。こうした人達だけが、老年になっても、大仕事に取り組むことができる人なのです。

 千里の道は一歩から始まります。その一歩を軽んずる者は、百里どころか、一里も進まないうちに、へたばってしまいます。容易に完成しないことを嘆いてはなりません。容易に完成せず、そこからもれる嘆きは、自分の怠慢(たいまん)が生んだ無能の嘆きであり、むしろ恥ずべき事なのです。
 千里の道の第一歩を、「洗心錬成会」で踏み出してみませんか。



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