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即決

 人の言葉は、その場限りのものである。録音に残らねば、直ぐに変わるものである。ゆえに即決が要(い)るのである。


人生の辻褄

 貸しは出来るだけつくらない方がいい。他人に出来るだけ多くの貸しがあるのならいいが、他人からは出来るだけ借りはつくらない方がいい。
 徳は運命に多く貸しをつくることで、人生の貸借対照表の帳尻が合い、資産の部を殖(ふ)やしていくことで出来るからである。


科学的と云う言葉の盲点

 現代人は科学的と云う言葉を妄信するあまり、科学的と言う言葉に思い込みがあるようだ。
 専門家が、理路整然と述べた言葉に疑いを抱かず、その伺いを知らないことが、既に危ういのである。


常時戦場に思考無用

 よく、考えてから走るのか、走ってから考えるのかという二者択一が問われることがある。
 ふつう考えてから行動を起こすのが思慮深いとされる。
 しかしである。爆弾が飛んでくるのに右に走ろうかとか、左に走ろうかと考えるだろうか。考えずに、その場から逃げ出すことが先決問題であろう。有事の考えることこそ、愚であり、何も考えずにその場から走り去るとが、難を逃れる唯一の方法であろう。
 難を逃れる。それは思考無用のときに果たされる。結果的には動いた方が益にもなるし、わが身を護る利にもなる。


本当の繁栄

 己の繁栄は、まず他人(ひと)を益することによって始まる。他人善し、己(おのれ)善しである。したがって、他人を益することが出来ずして、己の繁栄はあり得ない。
 自分ひとりの自称とか、偽称の繁栄は個人主義の上に胡座をかいた幻影であり、やがて己の崩壊が俟(ま)っている。


人生で問われる結末

 人間が晩年に大成するか否かは、老いに向かう生き方に左右される。老いても、学ぶ気持ちがなければ大成するための目標が不明瞭になり、生き方も不安定になって迷いが生じる。迷いは挫折に繋がり、そうなると生涯は低迷したまま潰えていく。
 老いて学べば死しても朽ちず……。佐藤一斎(さとう‐いっさい)の言葉であるが、学ぶことにおいて晩年は、老いとともに生き甲斐のあるものになり、死ぬ最後のその日まで精神的健康状態は良好であろう。


足し算思考

 本来の繁栄とは、自他ともに栄える益の中にある。自分ひとりが富んで、他が貧すれば、そういう繁栄は幻想である。繁栄は、他人(ひと)善し、そして自分善しなのである。
 世の中、常に足し算でいきたい。引き算は、建設的な意見を殺(そ)ぎ、自滅へと向う。想念にマイナスがあれば、その想念自体が運気を低迷させ、衰えさせるのである。


閑中に忙あり、忙中に閑あり

 閑があり、退屈を持て余すと、そこに火遊びが起こる。アバンチュールは退屈を持て余しら馴れのはてに顕われる行動である。閑中に忙あり、忙中に閑ありである。


勝負の本質

 人生道での勝負とは、武力で決着のつくものでない。決着をつけるのは人の器の大小であり、徳の高低で決定される。


自分とは何か

 自分の欠点や短所を自覚し、認めない者は、それを改善しようなどという気は、更々ないようだ。また、改善しようと考えないから、人間としての格はますます退化するばかりである。
 当今は、自分が何者であるか、自らを深く掘り下げて、自身を探求しようとする人が激減してしまった。
 人にとって最大の敵とは、わが中に巣食っている。最大の敵は外におらず、内に潜むのである。常に内にいて、苦しめ、悩ますものである。これに打ち克ち、駆逐(くちく)するには、まず「自分とは何か」を知ることである。