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立上り坂と下り坂

 世の中では一世を風靡するような成功者でも、一山(ひとやま)当てれば、だいたい四十代か、五十代程度で、下り坂に差し掛かるようだ。一山当てれば、その後が続かない。特に投機に現(うつつ)を抜かす人は、一回限りの人が多い。
 現代は寿命が長くなったというが、その寿命の長さは動物的であり、ただ長いだけであり、長くなった老後に生き方が明確でない。
 寿命の長くなった多くの老齢者は、出来るだけ欲張って一点豪華主義に憧(あこが)れ、美味い物を喰って、糞して、月いち程度のセックスをして、他に何があるかと言うと、何も無い人が多い。況(ま)して若者から尊敬される人は、皆無と言っていいだろう。つまり、現代は「太老」と称される長老が殆どいないことである。


諍い

 金持ち、喧嘩せず。喧嘩するのは、金のない貧乏人だけである。


行乞

 乞い歩き、一夜の宿を願い出る者は、辞を低くするものである。そういう者に、傲慢者も威張り腐る者も居ない。乞う人間の自然な姿である。
 行乞(ぎょうこつ)を托鉢(たくはつ)という。貰(もら)って歩く姿で、与えて歩くのが行乞の心である。一番低い姿勢である。またその心は、貰いながら歩く姿で、与えて歩くのが、昔の托鉢者であった。
 一方、現代の企業家が、与えて歩く姿で姿勢を高くし、貰って歩く心でないことを願うばかりである。


危うさ

 欲望を持つにも、大欲を求めるなら、私利私欲は遮断しなければならない。中途半端では己を見失う。また、欲望を持たないのなら、無欲に徹し日々勉学に励み、己に固執しないように抑制する法を学んでいかないと、また己を見失う。
 持っても、持たなくても危ういのは明眸をもたないことである。
 一番いけないのは中途半端と曖昧(あいまい)である。


器の成長

 小人(しょうじん)は身の程を弁(わきま)えずに尊大になればなるほど、小さな器を更に小さくする。
 一方、小人でも等身大の自分に立ち返り、自らを探求して掘り下げれば、そのぶん却(かえ)って器は大きく成長する。


持て成しの噺

 客を招いても、招いた客が低俗だったり、教養に欠ける場合はがっかりすることがある。
 招いて、持て成すにも、客が、ある程度、礼儀を弁え、徳を積んでいないと、持て成すにも虚しい。
 そもそも持て成しは無償で、見返りを求めずに行なう行為であるからだ。


貸借意識

 世の中には、自分の貸しを「貸し」と思う人が大勢いるが、他人からの借りを「借り」と思わない人も、また大勢いる。
 自分が借りていることは直ぐに忘れるが、自分が貸していることはいつまでも憶(おぼ)えている。


忘恩の徒

 自分の与えた小さな施(ほどこ)しは何十年経っても忘れないが、他人から受けた大きな施しは一ヵ月も経たないうちに忘れてしまう。


怨みか貸しか

 騙し取られて啖(く)われたと思えば怨(うら)みが残ろうが、喰わせてやったと思えば、むしろ貸しを作ったことになり、腹立ちも、怨みも残るまい。


貧富の差

 富者はいい物、珍しい物、高い物などの希少価値のある出物があったときに買う。したがって薄利多売の商戦戦略の罠(わな)に懸からない。
 一方、貧者はディスカウントの安物が出たときに買う。そのうえ先を争ってダボハゼとなる。
 ここが貧富の差を分けているのである。

 【註】ダボハゼとは食用にならない蔑称として遣われるが、また何でも飛びつく性格から貪欲を蔑まれている意に遣われる。