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質を活かす噺

 量で劣っていても、質で勝負する……。こうした質を活かすためには、短兵急(たんぺいきゅう)であってはならない。策をたて、愚直を慎み、無策であっては勁くもなれないし、意表を衝(つ)くことも出来ない。早々と破綻(はたん)を招くことになる。
 負けぬこととは辛抱強く、智慧を練り、弱点を探して敵対者の気力と体力を削ぐことに総智を傾けることにある。


後で悔いる噺

 後になって後悔することになる……。世の中には、こういう現実に後で直面することが多い。
 しかし、人間は頭でこうしたことを理解しても、これの忠告を、実際にあとになって悔いなければ分からない。
 分かるか分からないか、要は聞く耳があるか否かである。


抗う志

 志を高くもつべきである。その意味で、『韓信の股くぐり』は顕著である。一事の辱(はずかし)めも甘んじて受けることが出来るのは、懐(ふところ)に高い志を温めているからである。
 遣られっぱなしで、何も出来ないのは情けない。手も足も出せず、したい放題にされて、一矢(いっし)報いることが出来ないのでは意気地がない。
 本来、屈辱に対しては、あとで遣り返す肚でがあり、徹底的に抗(あらが)う根性があるから、今の辱めを忍べるのである。それは志があるか否かに懸かる。


商いは贖い

 商いを「贖(あがな)い」という。これまでの罪を悔いて贖うことをいう。商人(あきんど)は贖うことで、これまでの犯した罪を贖うのである。
 だが、罪を贖う「商い」でも、綺麗な商いと穢い商いがある。穢い商いは、これまで罪の上塗りである。したがって商い人は、他人(ひと)から後ろ指を差されない後腐れのない商売を全うしたいものである。
 ちなみに、穢い商いとは、金に物を言わせ、値段を無闇に吊り上げたり、売り惜しみをしたり、傲慢(ごうまん)に、札束で人の頬を叩く商行為をいう。こういう豺狼(さいろう)のごとき商人は、必ず埋没する結末が俟(ま)っている。贖うことを「貪(むさぼ)る」ことと取り違えたからである。


財を持つということ

 象(ぞう)は象牙を持つために、猟られ、殺される。「物」という財を持っていると、命を狙われ易いものである。


不滅の至言

 楽則能久(らくそく‐のうきゅう)という至言(しげん)がある。
 徳があれば愉しく暮らせるし、楽しむことが出来れば、それは永続する。それを顕した至言である。
 「久」は繁栄であり、長続きする意味を持つ。この訓言(くんげん)は、まさに不滅であろう。そもそも、人間の喜怒哀楽において、愉しくなければ長続きしない。これは時代を超えて不滅であろう。


亡びの構図

 組織や団体は、財が末端にまで及べば、人は自然に聚(あつ)まり、財が一部に偏れば、人は離心していくものである。
 人が離心すれば、組織や団体は崩壊を免れなくなる。この崩壊に、代表者や主宰者の没落も暗示されている。
 しかし、これを理解している長(おさ)は少ない。財の公平な配分を間違っているからである。
 なんぞ没々(ぼつぼつ)たるや……。この痛烈な意味が分かれば、亡びを免れることが出来よう。また、道理に昧(くら)さがあれば、亡びる以外ない。


気概の噺

 無駄に長生きすることを願うか、何かのために生きて死ぬか……。この世に生きるとは、そういうことである。そこに人生の目的と気概がある。


邂逅の意義

 人は出遭(で‐あ)いによって運命が変わることがある。特に邂逅(かいこう)は顕著である。
 出遭いを需(もと)めて、人を訪ね歩く。その邂逅に新たなる運命が控えているからだ。ただし、運命に変革を求める場合、自ら進んで、腰弁当で訪ね歩く覚悟ななければならない。


慍蔵の噺

 不運が長く続くという場合は、それがやがて幸運のための試煉(しれん)であるという予兆に気付けば、今の不運は、敢えて悔やむことはない。
 不運とは、力の慍蔵(うんぞう)である。