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知験の噺

 人の年輪には、単に経験や体験のみでなく、学んだことによる知験というものが加味されている。
 能(よ)く学んだ者は、道を誤ることが少ない。知験が生きていて、常時、思考に活かされているからである。


心を遊ばせない

 隙(すき)を作らず、心を一時も遊ばせなければ退屈する暇もないし、時間を持て余すこともなく、またボケる暇もない。
 隙を作らない。常に、ほどよい緊張が持続されている……。この条件下において、心の鍛錬がなされる。


家風の噺

 家には家風と言うものがある。この家風は、心骨の在(あ)り方で形に顕われ、それが同時に家風に反映される。


人の器

 他人(ひと)を侮(あなど)らなければ、これまで研鑽した智慧(ちえ)は無尽蔵に発揮される。それはまた、智慧を許容量を広げ、その収得においても器(うつわ)を大きくする。


真当の強さ

 人の強さは、逆風や窮地に立たされた時に顕われる。また窮地に立たされ、逆風の中を歩いてみなければ、真当(ほんとう)の強さは分からない。
 また、人は相手に敵対するばかりでは真当の強さは分からない。憎むばかりでは、強さに値しない。ときには相手を尊敬してこそ、その人の真当の強さが分かる。


恐れず、侮らず

 人の世を生きるには、呼吸を読むと言う秋(とき)を知る力が必要である。その力の源泉は智慧(ちえ)であり、勇気である。併せて、他人(ひと)の心を読んで、駆引きする独特の呼吸である。
 盛者必衰が世の常ならば、盛衰を智慧と徳に置き換えて、恐れず、侮らずで往(い)きたいものである。


毅然とする

 我利が横行する現代社会にあって、それらの付和雷同(ふわ‐らいどう)に陥らず、我利を横に置いて、自らは誘惑されず、毅然(きぜん)としていたいものである。
 自らの果たしうる仕事に対して、量が少なくとも、必ずしも恥ずべきことではあるまい。しかし、仕事の質だけは、常に最上のものを心掛ければ、我利に振り回されることはない。そこに毅然とした態度が顕われる。


有害と有用

 強気で物をいう弱い人は、弱いことをいう人よりも、しばしば有害である。
 一方で、弱いことをいう強い人は、強いことをいう強者よりも、常に有用である。


人の才

 人には才智と言うものがある。あるいは才覚と言うものがある。しかし、その「才」を、小智または狡猾(こうかつ)と採(と)れば、それが卑称(ひしょう)ということになる。
 才は他人(ひと)を自己の感情を通して検(み)ている場合、それは愛憎に他ならないからである。
 才は、理性で捉えようとする場合においてのみ、有効に働くものであるからだ。


客観の眼

 奇手(きて)というものは、万策尽きてから始めて現れるものもである。万策尽きれば、物事を客観的に見る観察眼が生まれるからである。これが、物事を客観的に検(み)るということで、これは感情では推(お)し量(はか)れないものである。心の眼が開くからである。これを開眼(かいげん)という。