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侮蔑が隠されている噺

 「あなたは若いですね」
 はたして、いい形容だろうか。
 裏を返せば、「あなたは青いですね」と同義である。深層部には、この侮蔑が隠されている。


現代の畸形

 享楽や快楽の背景には、「人生は短い」とする刹那(せつな)主義が存在する。刹那の果てに、人は恋に歌に酔いに、そのなかに身を投じる。
 これが自由恋愛である。
 だが、これは動物的である。また、これを“大人の恋”と賛美する人もいる。これが行き過ぎると、自由恋愛は不倫へと畸形(きけい)する。


老いが乱れる社会現象

 人は、生・老・病・死の四期を送る。
 最後は死が待っている。その前は「病」であり、ほぼ同じ時期の「老」がある。そして昨今は、老が乱れたと感じなくもない。
 では、「老が乱れる」とは、どういうことか。
 老いても、「若くありたい」という願う人は多い。しかし、この矛盾こそ、現代人の頭上に降り注ぐ大矛盾であり、老いを逆行させると言う、本来自然の摂理にはなかった逆現象を狙った行為が、今の世を席巻しているのである。
 果たして、これに反作用は働かないのか。


耳障りのいい民主の坐

 資本家は、仕掛人に投資する。罠を上手に作れる仕掛人に投資する。
 その投資を、仕掛人を通じて回収する。まさに資本主義の回収システムである。利潤追求は仕掛け上手な仕掛人によって齎される。資本家はそれに準ずる資金提供だけをすればよい。金持ちが益々金持ちになって行く、この社会での社会構造である。
 民主国家と標榜する多くの国家と国民の関係は、この中に回収の循環構造を持つ。
 したがって、国民は常に「民主の坐」に押し上げておく必要があるのである。
 その意味では、中産階級は絶好の獲物なのである。


いい物、珍しい物を売る噺

 いい物、珍しいものには参考価格がない。ただ一点限りという希少価値があるからだ。況(ま)して割安感などない。こういう一点は、顧客の価値で決定される。その最たるものが、古美術品であろう。


難しい噺

 己を知ることこそ、物事を知るということである。これには、己を心を見詰め、問う以外ない。だが、これが口で言うほど易しくない。
 ギリシャ神殿に掲げられている有名な言葉に「汝(なんじ)自身を知れ」とある。
 汝自身を知れ……。
 深慮すると、これは至難の業(わざ)であり、冒険である。然(しか)も、冒険者として立ち向かった者は、必ず深い疵(きず)を負うだろう。しかし、これを超克したとき、人は始めて、目に見えない世界の不可視世界を観察することが出来る。宗教者のそれは、また冒険者のそれであった。


体験の認識の噺

 戦争体験と戦場体験……。両者は明らかに違う。
 前者の場合の戦争体験は傍観者として体験したのであって、現実には生地獄が新聞や放送などのメディアを通じて、視聴による体験をしたに過ぎない。
 一方後者は、実際には戦争の現場に居て、戦場を体験したからである。これを自分の肉体を遣って認識したのである。そこには生地獄の凄まじさを目の当たりにして五官で体験したと言える。無慙に屍体(したい)から出てくる腐敗臭や、吹き飛ばされた人間の肉の細切れになった五体、そして変色してしまった死色などを、五官を通じて認識したのである。
 しかし、不思議なことだが、平和主義とか、戦争反対などを唱える連中には、戦場体験者より、戦争体験者の方が圧倒的に多いのである。
 戦争体験と戦場体験の「体験の認識」は同じ時代を生きながら、それぞれは全く異なっているのである。


感謝と呪い

 する事が遅い、腰が重い、鈍重、愚図(ぐず)、野呂松(のろま)などのこういう手合いは、感謝することより自分の境遇に対して、その立場を呪うことをする。
 この「呪い」は換言すれば、自分の運命を呪うことになる。このことに早く気付いて欲しいものだが、気付くのに遅いうえに、鈍感で愚図では、気付こうにも気付きようがない。これは感謝を知らないのと同義であるからだ。
 感謝を知っていれば、自分の運命を呪わずにすむのだが……。


六道を輪廻する噺

 自分が生かされていることを知り、他人の間接的な扶(たす)けによって、この世が凭(もた)れ合いの構造になっているのを知れば、「忘恩の徒」になることはあるまい。
 しかし、人情の機微のセンサーが毀(こわ)れていれば問題である。それは他人の親切などの情を感知できないからである。
 迷っている人は、たいてい人情の機微のセンサーが毀れている人が多く、結局、孤立する。迷いっぱなしで、生死を解決することもなく生涯を終える人である。再び六道(りくどう)を輪廻して、迷い、彷徨うことになる。これこそ終わりなき、生き方であるといえよう。


「頂きます」の感謝の言霊

 生物は不確定な存在である。
 その生き物は、他の生き物を食べて生きている。他を食べる生き物には、人間も含まれる。人間は他の生命を頂いている生物なのである。そのため、食事を頂く前には、他の生命を頂くから「頂きます」の感謝の言葉を懸けていただく。
 人間が人間として、忘れてはならない言霊である。この言霊で、食べられた方は心が安らぐのである。自分の命を捧げたとこに意味が生まれるのである。