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父子鷹の噺

 放蕩息子(ほうとう‐むすこ)をもつ親でも、巣帰本能を忘れない子の親なら幸せである。父子鷹(おやこだか)をやる可能性があるからだ。それは娘の場合も同じである。
 哀れなのは以前、棲(す)んでいた場所に還ることを知らない子を持った親である。
 家が没落し、伝統や文化が絶えるとは、そういうことである。


正鵠を誤る

 才のある者が、才なき者の手を抓(つね)り、鼻を摘(つま)む……。また、理財のある金持ちが貧乏人の頬(ほほ)を札束で引っ叩(ぱた)く。弱肉強食の世の倣(なら)いである。しかしそれに倣って、靡(なび)いたり妥協するのはいかがなものか……。
 一方、才にも、策がなければ怨(うら)まれる。策がなければ、立場の逆転はあり得ないからだ。正鵠(せいこく)を誤っているからである。


箴言に耳を傾けなくなった現代日本人

 アラブの箴言(しんげん)に「借金がなれけば、金持ちなのだ」というのがあり、また「貸し借りは、家政の貧しさを顕す」というのがある。
 この箴言を逆に取れば、“家政が貧しいから貸借が起こり、借金を抱えていれば金持ちであり得ない”と言えないだろうか。
 しかし、自称「一億総中流の上」と信じている現代日本人は、“借金を抱えて貧乏人”という経済的不自由に全く気付いていないのである。
 自分の自由が、先ず第一に金銭に束縛され、第二に組織と言う運命共同体に束縛されていることに気付いていないからである。
 金融機関の貸借関係が、当今の日本人の経済的不自由を強(し)いているのである。はやく気付くべきである。


経済的不自由に陥らない生き方

 ローンで物を買えば金利が懸かる。負債を抱えていれば、金を稼ぐ高級取りでも資産家とは言えまい。
 当今のように、金銭額を数字で顕す時代の金持ちとは、紙持ちである。紙幣(日本の場合は券)という数字を示した紙持ちであり、ゴールドという金(きん)を所持する人ではない。
 金銭は少なからず多からず、経済的不自由に陥らない生き方が賢明であるといえよう。


生きる愉しみの噺

 世智辛(せいち‐がら)い世の中を、健全に、精神的衛生を保ちつつ暮らすには、生計(くらし)に創意と工夫が要る。
 それには「生きる愉しみ」を作ることである。


恣意的な習慣

 礼儀正しいという人ほど、礼儀正しくない。礼儀正しいと自負している人の多くは、その人が所属する集団の中でしか通用しない恣意的(しい‐てき)な、挨拶(あいさつ)を交わしているに過ぎない。
 恣意的な習慣と礼儀正しいこととは、根本的に違うからである。


逃げれば逐って来る法則

 恐れることと警戒することは違う。
 警戒することは、不慮に備えて準備をしておくことだが、恐れるとは何かから逃げ回ることである。逃げれば逃げるほど、逐(お)い掛けてくる。これは現象界に、作用と反作用が働いているからだ。
 こういう場合、「逐う方」と「逐われる方」の二者の関係が成り立っている。そのため逃げる方も逐い掛ける方も消滅しない。
 しかし逐う方に、今度はこちらから飛び込めば、二者の関係は消滅し、逐うも逐われもしなくなる。


侈傲に陥る時代

 物に片寄り、自分を主体とする個人主義……。
 この背景に、かつての運命とか神仏とかは一掃された。そして、これらに逆らう生き方をするのが現代人の意識である。
 更に、徳の無用……。これも現代人特有の意識である。
 これが、いいか悪いか、幾多の時代を経なければ分からない。ただ分かっていることは、貧富の差が烈しくなり、男女不問で、長幼の隔てもなくなり、個人が、才で奢(おご)る現実が出現したことは確かなようである。


常に備える噺

 人間というものは危機に直面して、はじめてその恐ろしさに気付く。
 しかし、普段から備えておかないと、その時には遅い。特に、病気に罹っても直ぐに治る体質を具(そな)え、同時に心の鍛錬をしておかねばならない。


失敗譚の噺

 当今、年の功は尊重されなくなった。以前ならば年寄りは、「長老」などと称されて尊敬されていた人が居たが、いつの間にか意識が捻れて、立場が入れ替わってしまった。
 当今、老いることは老害であり、ボケは有害な対象となった。
 例えば、老人が何かを諭(さと)す……。それは、独断と偏見にしか映らないようである。
 また、老人に何かを問う……。問うても、的確な意見を吐露(とろ)できる老人は皆無に近い。
 しかし、それでも長老然はいる。長老の生きた証(あかし)には多くの失敗譚が詰まっている。その失敗譚が、何かの役に立つことが多い。失敗譚は時代を超えても普遍であるからだ。