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人それぞれの幸福感

 幸福と言うのは人それぞれにみな違う。みな幸福感は、人それぞれなのである。幸福行きの電車に、みなが乗り込んでも、終着駅は同じでない。
 とことが、幸福を一つの形に嵌めて同一と考えるから、ここに間違いが起こる。


苦痛と不幸の違い

 いま将(まさ)に斃(たお)れようとする将軍にも、幸福はある。
 人が武器を手に取って戦うように、幸福を目指して闘う戦士も幸福は訪れるのである。
 ふつう不幸と思うのは、肉体が苦痛であって、その苦しみが不幸だと思えば不幸であるし、実はそれが多くの場合、肉体の苦しみを不幸だと思い込んでいる。
 つまり、その苦痛は生きている証(あかし)なのだ。換言すれば、幸福の裏返しに過ぎない。
 幸福イコール肉体の快適ではないからだ。


領域侵犯の噺

 いま日本中が自己主張を露に、口舌の徒に成り下がっている。この輩(やから)、もし口舌の棚から降ろせば、人間は神の領域を恐れずに科学を信奉し、その領域を人間が侵犯している傲慢(ごうまん)に気付く筈である。


幸せな人の正体

 相手の立場や状況を考えずに、ずけずけ物を言う人は幸せな人であろう。
 だが、その幸せな人は、その人と付き合わされて、交際を余儀なくされている人は、ちっとも幸せでないのである。


貌の表裏の噺

 「あの人はなかなか出来た人です」などと、褒(ほ)めちぎって、お追従を言うことがある。
 しかし、この「出来た人」とは、なにを根拠に出来た人というのだろうか。それは、仕事が出来るから「出来た人」というのか「人間が出来ている」からそういうのか、あるいは人当たりがよく、愛想があって親切だからそういうのか、金持ちだからそういうのか、これらの言葉は実に曖昧である。
 そして、怕いのは人間には裏表があり、「出来た人」は表の貌(かお)であり、騙されて「あんなやつとは思わなかった」が裏の貌であったら、出来た人は途端に覆(くつがえ)る。
 人間の貌の表裏を考えれば、出来た人である場合もあるし、出来た人は狡賢い面をもった人であるかもしれない。


真当の友情の噺

 美辞麗句の言葉の応酬や小綺麗でスマートな付き合いや交際の中で、真当(ほんとう)の友情というものは存在しないだろう。
 友情とは、相互間に身を削(けず)る思いが要(い)るからである。


人間の出来の噺

 苦い経験や辛い体験によって人間が出来ていくというが、その「人間の出来」をつくることはなにも難しいことではない。
 日常に転がっていることを感じて、その中で人間同士の争いや憎悪、妬みや怨みを通じて、やがて人の哀れさと不憫(ふびん)さを知る。それが、人間をつくりあげていくのである。人と摩擦のない安全圏に居て、人間が出来るわけがない。


ひと時の幻想

 金儲けをする賭(か)けには勝ったが、人間としての賭けは外れたという成金が、当今は殖(ふ)えている。
 だが、人間としての賭けに外れるようでは、所詮、身に付かぬ、ひと時の幻想に終わる。掴んだ金は、どう防衛していくかが難しいのである。
 金を掴むということは、金を維持し、防衛して治めることであり、それが甘いのであれば、結局は財を所持したことにならない。


心遣いや気配りの真髄

 真当(ほんとう)の心遣いや気配りは、いま相手が何を欲しているかを即座に感得し、それに対して迅速に動くことである。


優しさの第一条件

 優しい人とは喧華をしないとか、人と争わないとか、静かでおとなしいのとは違う。相手の気持ちを推測できる人のことなのである。
 真面目で正直で、嘘をつかないと豪語する人ほど、他人をどんなに傷付けているかしれないのである。そのこと自体が、傲慢な優越感になっているからである。