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和という厄介なもの

 大船に乗るというのがある。他の信頼できるものに頼って、すっかり安心しきった気持でいることの喩(たと)えをこういう。
 そして、大船に乗った人は、単に船の中ばかりを見ているので、時代という大河を進んでいるとは夢にも思わないし、気付きもしない。更に悪いことは、乗った大船が不沈であること信じているのである。しかし、現実にはあちらこちらに破損箇所が生じ、鮒底からの浸水は軽視したままである。補繕(ほぜん)の手を打たない。だが、これだけでない。積載量オーバーも無視して、なんの危険も感じない。
 船は不安定になっているのに、なぜ修理を行なわないのか。
 その根元には、改善すれば、船内での人の和を乱し、和が乱れれば安定が毀(こわ)れると思い込んでいるからである。


我が儘が破局を招く噺

 よき時代の恩恵を曳きずった世代人は、時代の変化にも、よき時代の恩恵を承(う)け継ぎ、世の中が不穏を呈し始めても、これに是正を加えようとしない。風俗が悪化しても、これを悟らず、混乱にも慣(な)れて、不安定の上にも安住している。そして、いつの間にか、自覚症状すら感じなくなるのである。気付いたら、世は乱れに乱れ、上も下も懈怠(かいたい)し、世俗は疲れ果て、衰え切っている。
 こういう世の中を、個人のエゴイズムに見たイギリスの歴史家で政治家のギボン(Edward Gibbon)の『ローマ帝国の滅亡史』に検(み)ることが出来る。
 民主主義の名において、これに便乗し、身勝手に大衆が個人主義化すると、エゴイズムの風潮はますます強くなるからである。
 その顕著な例が、かつて文明の中心であったアテネ人であろう。アテネ人は、デモクラシー下、だんだん我が儘になり、いい気持ちになって自由を欲し、平等を謳歌(おうか)した。更に自由と平等を保証するように国家に迫った。彼らは、いやが上にも快楽を貪った。豊かで快適で便利な生活を、とことん欲したのである。その挙げ句、一切を喪失した。
 自由も平等も、また豊かで快適で便利なる保証も……。


智の埋没

 智のある老齢者の思うこと。
 現代の世のなんと、礼の薄いことよ……。そして、その智は発掘されないまま時代とともに埋没していく。


謙虚さの次元の噺

 知らないことを知らないという人は謙虚な人である。しかし、知らないことを知ったかぶりをする人は思い上がった人である。
 知らないことを学んで、知ろうとする人の「知らない」と、知らないことを知らないまま放置して、知らないという人とは、同じ人でありながら、両者は謙虚な上で考えれば、全く次元が違うのである。


炯眼の噺

 誤解された場合、誤解を解こうとして語れば語るほど、誤解は大きくなる。
 こういう場合は、黙って濡れ衣(ぎぬ)を被った方がいい。時間が経って、相手が人の賢愚を見抜けぬような愚者ならば、恐れるに足りないからだ。人物評定は、誤解した方も人間の炯眼(けいがん)のほどを看(み)られたいるからだ。


人の性格

 協調性が欠ける人でも、悪辣(あくらつ)な手段を講じない人は、非情な人でもないし、況(ま)して加害者にはならない性格をした人である。
 また、性格に裏表がない。こういう人は清々しい気象の持ち主である。


肚の据え方の噺

 勇者とは、武勇だけに非(あら)ず。肚(はら)の据(す)え方で、その人が懦夫(だふ)なのか、勇者なのかの器量が分かる。


棘のある流言の正体

 世間には棘(とげ)のある流言が飛び交(か)っている。しかし、その出所は、底の浅い人間が垂れ流す便所の落書きのような臆測であることが少なくない。


鴻図の噺

 策謀に鴻図こうと/大きなはかりごと)はよいのだが、旅路に至る足許が昏(くら)いというものがある。
 こういう場合、水先案内人の肚の裡(うち)が読めないからである。


内側に持つ財産

 人はそれぞれに内側に財産を持っている。例えば、どんな苦境に見舞われても、めげずに生きていこうとする力なども、立派な財産である。
 打ち拉(ひし)がれても、元気を出して辛いことに耐えていく自分は、まさにその人にとって誇りである筈(はず)だ。