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ナンセンス痴話

 まったく面識がなく、一度も遭(あ)ったないことのない者が、その人に対して評価したり、批判したりするなどは、僭越(せんえつ)であり、痴(おこ)の沙汰である。


話し方、訊き方

 話は、当事者がストレートに話したり、単刀直入に訊けばいいものを、第三者などの仲介者を介入させると、話の行方が見えなくなる。なぜなら、事実とは異なって歪(ゆが)められて、とかく他人事は、悪意と中傷が入ってくるからである。


第二の自己の噺

 特定の仕事がなかったり、地位や肩書きがないというのは、いわば裸の人間である。つまり、浪人である。
 浪人中の交友関係は、裸の付き合いをしていることで、こういうときの友は、「第二の自己」である。
 人は、羽振りのいいときには集まってくるが、尾羽打(おはう)ち枯らして丸裸になれば、去っていくからである。しかし、それでも集まってくる人がいる。
 問題は、浪人中に、如何なる人物と付き合うかであり、低俗な人間ばかりと付き合っていたらその人はお粗末な人間と断言してよいし、逆に立派な人間が、その人の周囲に集まっているようだったら、その人は第一級の人物と言えよう。


健康の条件

 健康であるとは、どういう状態か。
 まず、よく眠れること。直ぐに疲れを覚えないこと。快便であり、便臭が酷くないこと。年中を通して、風邪気味でないこと。体重が増えないこと。日々が愉しく過ごせることである。
 これが一つでも欠けると、不健康と言うことになる。


名利の噺

 『葉隠』によれば、「名利(みょうり)を思うは武士に非(あら)ず、名利を思わざるも武士に非ず」といっている。
 名利、つまり自分の名声や地位だけを求めるのは武士の本分に反するから、嘆かわしいことだが、まったく立身出世を求めないのも、また武士として嘆かわしいことである。
 つまり、地位が上がれば、それだけ大きな仕事が出来るからである。少しでも立派な仕事をしたいなら、その仕事に相応しい地位を求めるべきである。
 しかし、忘れてはならないことは、地位は人間を支配する力の象徴であるから、これが権力であることを肝(きも)に命ずるべきである。


天の時、地の利、人の和

 成功には、好運と言う偶然が付加されたときに訪れる。しかし、この「偶然」も、本来はなるべきしてなる必然であろう。
 『孟子』の言葉を借りれば「天の時、地の利、人の和」であろう。


勇気と努力

 人の世を生きていくことは、辛く、苦しい。それを肯定して、その辛さを忍び、その辛さを反転させる勇気をもって、とことん生き抜くことが、努力というものである。つまり、努力とは辛く苦しい世の中を生き抜くことである。そして、同時に、その辛さや苦しさを忘れて、生き抜くことが勇気なのである。


人の世の不思議

 この現象界の不思議。つまり、人の世は肯定を肯定しても肯定であるのに、否定を否定すればするほど、それが肯定に変わる不思議が人の世である。


あっぱれな心

 庶民の多くは、みな苦労しながら生きている。庶民階級でありながら、苦労しないで生きている人は殆どいない。したがって、誰もが、この世を生きていくことに苦痛を覚えることはしばしばであり、それを切実に感じるのは、未来が闇で閉ざされたと思えるような局面に遭遇したときである。こういう経験を、多くの人は一度や二度は経験済みだろう。
 だが、それに負けて、昏(くら)い想念の中に自らを置けば、ますます未来は閉ざされる。そこで、愉しく生きるにはどうしたらよいか、そこに創意工夫がある。
 孔子の愛弟子に、願回なる弟子がいた。
 願回は極貧で知られた人物である。
 一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)に在(あ)り。人はその憂(うれ)いに堪(た)えず、回やその愉しみを改めず。賢なるかな回や。
 孔子が願回を表した言葉である。
 願回は粗末な飲食物しか口に入れず、狭苦しいところに棲(す)んでいた。「並みの人」は、とてもそういうところでは耐えられず、逃げ出してしまいそうなところに願回は、その生活環境に在って悠々(ゆうゆう)と楽しんでいる。そして、その楽しみを変えようとしない。それを、孔子は大したものだと言っているのである。
 つまり、孔子が言いたかったのは、貧困に淪(しず)み、苦境に立たされている者の心の在り方であり、惨(みじ)めな環境にもめげず、また押し潰されることもなく、自立する精神を備え、その精神を活かしつつ、そこに創意工夫し、楽しむ心のゆとりをもっている願回の姿を「あっぱれ」と表したのである。


容易きこと

 容易(たやす)く利益になるものは、容易く無益になるものである。