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人生の意義

 生きるとは何か。ただ生きているだけでいいのか。これを真摯に追求することに、人生の意義がある。
 多忙に生きる現代社会……。この多忙に中に、はたして人生の意義が存在するのか。これを疑うことも、人生の意義を見詰め直す一つであろう。


炯眼者の物の見方

 長期の動向を予想して、当らないと一蹴する人がいる。そう言う人は、長期と言う期間を短絡的に、ミクロ的に捉えて評価するからである。
 長期的な変化は短絡的に捉えては、その動向が読めない。微視的に部分を見ても全体像が分からない。炯眼者(けいがん‐しゃ)は物事を長期の変化と捉え、全体像を描いてマクロ的に物事を捉える。


長寿で元気で、仕事が出来る体質づくりの噺

 動タンパク加工食品を食べない。そして、玄米穀物を中心とした自然食品を食べる。それは蔬菜(そさい)でいい。無理に美食を貪(むさぼ)る必要はない。
 ちなみに蔬菜とは、粗末な食事ではない。季節ごとの旬の物を少量、摂るだけでいい。
 一方、肉、乳製品、肉の加工食品は必要ない。
 動タンパク食品は、便秘や腸内での腐敗を招き、尿酸、硫酸、リン酸、硝酸、塩酸、アミンなどの有害な強酸類を作り出すからだ。そうなると、血液は酸毒症となり、それを酸毒類を中和するために体内のアルカリ物質(ミネラル)は急激に消費されている。これは深刻は排泄障害を起こすからである。排泄機能は腎臓がアルカリ性の条件において活溌に働くからである。
 食肉をはじめとする動タンパク食品を主食にしていると、元気で長寿が全う出来なくなる。


性の乱れを起こさない昔の食事法が正しかった噺

 昭和三十年代始めまでの飢えた時代の日本の食事が正しかった。病気が少なかったからである。
 当時の日本人は、大半が少食・粗食に甘んじていた。そのせいか、どこの病院に行っても閑散(かんさん)としていた。穀物菜食を中心とした純和食の効果である。だが、当今はどうか。
 食卓に星条旗が立ち並び、欧米中心の食文化に変化したためである。
 当時、テレビなどを通じて流行(はや)った言葉は「タンパク質が足りないよ」だった。これに輪を掛けたのが、さる大学教授の「米を食べればバカになる」だった。これを鵜呑みにした当時の日本人は食卓に星条旗を立てることに躍起になった。ところが、この食文化は、日本人には不適合だった。そこで、当今は和食が見直されることになった。
 ところが、「和食」というのがいかがわしい。昭和三十年代の和食とは似ても似つかぬものだった。和食に名を借りた「和食擬き」の欧米食だったのである。
 「和食」と定義されながら、なにゆえ霜降牛肉やマグロなどの大型高級魚をはじめとする動タンパク食品が和食なのだろうか。昭和三十年代始めには、庶民の食卓にはなかった食品である。
 当今は「毎日がご馳走」である。大半は動タンパク食品である。これらは、すべて要注意食品である。
 昨今の食の乱れは、性の乱れとなって顕われ、日本人は年から年中一年365日発情している。動タンパク食品や乳製品を食べると、動タンパクから分泌された酸類が血管内を巡り、これが性腺を刺戟して、異常な性的昂奮を引き起こす。これが一年365日発情する現象である。この現象によって、大首都圏では性の乱れが性感染症などを引き起こしている。青少年が不特定多数と交わるからだ。
 特に平成30年11月現在では梅毒患者が、ここ20年間で最多となった。
 梅毒という性感染症はトレポネーマ‐パリドゥム(スピロヘータ)によって起こる慢性感染性疾患である。そして、この病気は第1期から第4期まであることで知られる。
 第1期……病菌侵入部に初期硬結を、のち無痛性横痃(おうげん)が生じる。
 第2期……全身に菌が分布して、腹部などや軟らかい内側に発疹が生じる。
 第3期……皮膚・内臓・筋肉・骨などにゴム腫が生じる。つまり、乾酪変性を伴う肉芽腫で、弾力ある結節状を呈し、種々の臓器に発生する。
 第4期……麻痺性痴呆症・脊髄癆(せきずい‐ろう)などを起こす。これは梅毒の感染潜伏が数年から十数年後に発生する変性梅毒のことで、脊髄の後根と後索、脳幹とが侵され、下肢の電撃性疼痛(とうつう)・腱反射消失・瞳孔(どうこう)硬直などに始まり、漸次進行して運動失調・下肢筋麻痺を起こす末期症状である。
 梅毒は西洋からの禍(わざわい)とされる。
 コロンブスのアメリカ大陸の発見以来、シャルル八世のナポリ攻撃(1494〜95年)以来欧州から世界に急速に広がり、日本では1512年すでに唐瘡(とうがさ)、瘡毒(そうどく)などの病名の記載がある。


不足を常にする噺

 人間は金銭欲や知識欲、美食欲や名誉欲に限らず、過剰になれば弊害を引き起こし、それに溺(おぼ)れる。当今流行の自由恋愛からなる愛欲もそうだ。この欲に溺れ過ぎると、色に溺れることになる。
 何事についても、溺れるほどに浴びるのではなく、常に不足を旨とし、「ほどほど」にしたいものである。


徳という心の財

 肉の眼に確認できる財だけに飽き足らず、徳と言う、眼に見えぬ財を蓄えることが大事である。
 徳は心の中で築く財なのである。
 財を得るには運・不運に苛(さいな)まされるが、徳はそれに苛まされることがない。無尽蔵に、いくらでも積み重ねることが出来る。


兵の将か将の将か

 現代の世は、かつての人間のスケールに比べて、ひと回りもふた回りも小さくなった。
 特に顕著に顕われている現代のような人間現象……。「今を時めく人」と言われる人々……。
 一言で云えば、エエカッコシーである。この種属(スピーシーズ)は、まず一点の非の打ち所もない。頭もいいし、才もあるように見え、弁舌爽やかである。
 人付き合いや、外国人たちとの交際も巧く、どこにも当たり障りがない。大して酒も呑まぬし、女漁りなどせず、助平でもないポーズをとる。どこを見ても、まことにこぢんまりしている。顔まで整っている。
 しかし、更に観察を続けると、さっぱりうま味がない。人間としての味がないのである。
 感動すら覚えない。そういう手合いが、何やら忙しそうに働いていて、部下に、次々に檄を飛ばしている。そして、遣っていることといえば、要するにどうでもいいような、誰にも遣れるような仕事である。そういう人間は可もなく、不可もなしという類(たぐい)である。
 総じて、ただ兵に檄(げき)を飛ばす将校か、下士官である。したがって、幾千万を相手に出来る類ではない。こういうのが幾ら集まったところで、時代を動かしたり、大軍勢を動かす力にはなり得ないだろう。
 真物(ほんもの)は、エエカッコシーをしない。手応えのある肚(はら)の据わった、一癖も二癖もある人間である。一筋縄ではいかない相手を呑むことの人間である。こういう人間に限って、数えるべき短所は多々ある。
 しかし、こういう人間に限って、不思議にも周囲に沢山の人間が集まってくるのである。それは妖しい魅力があるからだ。
 この妖しい魅力の持ち主こそ、将の将と言える。


程遠い羅列の氾濫

 科学的と云う言葉を遣いたがる人ほど、科学とは程遠い羅列を並べたがる。


孤独と疎外

 人間は孤独や他人からの疎外(そがい)に耐え難い生き物である。
 家庭や職場での人間関係、その他の社会など、自分の周囲から愛惜や敬意、容認や評価が得られなければ、人生の意義を見失ってしまう人が多いようだ。それは自分の存在と、生活に何の意味も覚えないという錯覚に陥るからだ。


自我の殻からの解脱の噺

 人間は自己の小さな自我の殻(から)から解脱(げだつ)して、人生を高く向上させなければならない。
 人間の生・老・病・死の四期(しき)の中で、生まれたということは、いつか老いて、病んで、死ぬということであるが、この四期の意味を探求し、死ぬまでに大いなる目的や理想と言ったものに、少しでも自身を近付けねばならない。これが人間として、人間道を精進させることである。