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豁然として胡座をかく噺

 勝海舟の言葉に「貧またここに至って感激を生ず」という箴言がある。海舟は極致に至ってそこで感じたものは、貧する上に豁然(かつぜん)として胡座をかき、貧の中に悠然とした人生の縮図を「風情」と表しているのである。


涵養の噺

 人間は喜んだり、起こった姿の中にその人の人間性が赤裸々に顕われる。つまり涵養(かんよう)の度合いである。
 箴言に「臨喜臨怒に涵養を看(み)る」というのがあるが、これは涵養であり、その人の身についている教養であり、心構えである。
 更に心構えについて言えば、逆境順境の時の心の出来栄までも見える。その時の襟度(きんど)である。逆境……つまり、窮地の立たされた場合だが、この時にしょぼくれては意気地なしが明白となり、順境に至って有頂天に舞い上がっては驕慢(きょうまん)が露骨になる。


満潮と干潮

 人の運命には満潮と干潮がある。二つの潮があり、この潮勢を機敏に捉えることこそ禍福の境を見極めて、人間学の達人は能(よ)く幸福の彼岸に到達するものである。
 そのためには潮を見極めねばならない。流れを読まねばならない。それは「流るるまま」に任せることであり、だからといって無為無策で手を拱(こまぬ)くことでない。決して傍観者でないのだ。
 つまり「流るるままに」とは自然体を指すのである。満潮の時にはその勢いに乗じ、干潮のときには焦らず肚を据える。静かに時機(とき)を俟つことこそ、満潮と干潮の汐時(しおどき)を読むことが出来るのである。


無用なものを必要とする不可解な噺

 政党政治の国家は運営のために法と公職と租税することを、運営に基本においている。しかし、その運営するうえで、無用ならしめるための必要であることを忘れてはならない。
 なぜなら国民にとって、法と公職と租税は少なければ少ないほど、国民は幸せになるからだ。


金の麻薬現象

 金が無くても有るような顔をする人は、金が有っても無いような顔をする人よりも、欲は必ずしも少ないとは言えない。当今の金を数字に看做す人の多くは、欲しても欲しても、まだ数字が欲し足らない顔をしているではないか。これが金の麻薬現象である。


枯れない花の幻想

 枯れない花という花がある。造花も枯れることはないし、ドライフラワーもそれ以上枯れることはない。
 枯れない花……。
 当今は年寄りも枯れない花を模倣して、若作りに専念している。
 しかし、枯れない花、萎びれない花は、今を生きている生花より美しくないことは確かだ。


役者は一枚上の噺

 相手が侮辱したから自分も侮辱するというのでは、その指導権は相手にある。なぜなら、相手が自分を侮辱したことにも、まったく謂(い)れのないことで侮辱したのではないからだ。こういう場合は、黙った感受した方が役者は一枚上となる。


高慢を売物にする人の噺

 世に遜(へりくだ)ったり、謙譲を売物にする人がいる。更に辞を低くする人である。しかし、これを裏から検(み)れば遜っているのでもなく、また謙譲であるわけもない事実が見えてくる。況(ま)して辞を低くしているわけでもない。なぜなら、それを売物にして、高慢の心があるからだ。


学ぶことの意味

 物事に対して、総(すべ)てを疑った懸かる人は学ぶことは無意味である。そこから学ぼうとする心構えが欠如しているからである。また、反対に総てを盲目的に信じる人も、学ぶことは無意味だろう。


主張の表裏の噺

 立場の逆転において、その執念が、劣等感と利己心に出発している平等主義を主張している人は、自己の内心に抱いている不平等主義を告白していることになる。