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恐れるものはみな来る

 予防と言うものがある。医学でも、現代は予防医学が取り沙汰されている。
 ある医科大学教授の話である。
 この話を書いた本には「さる医科大学の教授が、眼を恐れるあまりに、暑い御飯(食道が火傷するとガンになる。かゆ食の多い地方に多発するデータもある)を避け、背中の青い魚(理由不明)を摂らず、いつもマスクをして大気汚染から逃れ、タバコは細かく切ってパイプで吸い、すべてにガン予防の気をつかっておられましたが、皮肉なことにガンで亡くなりました」(医師の木村裕昭著『健康塾』創元社1984年発刊)という話が書かれた本を読んだことがある。
 人間現象界は、逃げれば追い掛けてくるという法則は働いているようだ。


眼に誑かされる現代人の噺

 賢愚を分けるのは何か……。ひとえに読書量と言えるだろう。
 人間、画像で見える絵ばかりを見ていては、幾ら賢人と雖(いえど)も、一年も経たぬうちにバカになる。そして、調子のいい映像ばかりが欲しくなる。賢者でも愚者になる所以(ゆえん)である。
 かの道元禅師は言ったではないか。「汝(なんじ)眼に誑(たぶら)かされる」と。


大成できる人の噺

 可もなく不可もなくが一番いけない。悪いこともしない替わりに善いこともしないのが一番いけない。悪いことを出来ない人よりも、悪いことが出来て、然(しか)も悪いことをしない方が大成するのである。


人間学の噺

 知るとは知らないことを知るばかりではない。それは知識だけを指すのではない。
 孔子は、知るとは人を知ることだと言った。
 一口で、「人を知る」という。しかし、その「人を知る」ことが難しい。なぜなら、自分すら知らない人が多いからだ。自分が分からずに人を知ることが出来よう。自分を知らぬものに、他人を知ることは出来ない。
 まず、自分を知ることから始めなければならない。これが人間学の第一歩である。


怒った顔の噺

 怒りたいときに無理に嗤(わら)うと、それは苦笑である。そして、それは怒った顔以上に醜い。しかし怒り散らす、憤懣(ふんまん)遣る方ない顔より悪いとは言えない。


工夫する噺

 生き方の工夫……。とりわけ精神面の工夫は大事だろう。工夫して確りとした肚が決まったのなら何が起ころうと心配する必要はない。しかし、心配を取り去るには工夫としなければならない。
 心配するな。工夫せよ。人生は工夫する中にある。


循環する自然界

 大自然を始め現象界は循環する。それは人間界でも同じだろう。
 終わることを悲しまず。終わることは始まることなのだ。また、魂もその中にある。


喧嘩相手の選び方

 喧嘩するには喧嘩相手を選ばねばならない。無闇矢鱈にストリートファイターのように喧嘩するものでない。
 極限を言えば、喧嘩相手は一方で好意を持てる相手で、ライバル関係にあって、喧嘩して悔いのない相手でなければならない。それ以外の者とは喧嘩しない方がいい。


生き方を工夫し創意していく噺

 目紛しい変化の中を生きる現代人……。人は病気の時と元気な時の二つの環境において、その境目を処する工夫を究めておかなければならない。その工夫なしに漠然と生きていては多忙の中に埋没していくであろう。


小疵をもって大功を没する現実

 世に小疵(しょうし)に銷沈する人は多い。小疵とは小さな失敗することを言う。世の中、官民問わず減点主義である。小さな失敗をカウントしていく人事考査が行なわれている。これでは大志の抱きようがない。多くは、小疵をもって大功を没して行く運命を選択しているのである。これが世の中を衰退させる要因になっている。