過去集1〜1011〜2021〜3031〜4041〜5051〜6061〜7071〜8081〜9091〜100101〜110111〜120121〜130131〜140141〜150151〜160161〜170171〜180181〜190191〜200201〜210211〜220221〜230231〜240241〜250251〜260261〜270271〜280281〜290291〜300301〜310index





繰り返しの噺

 どんな嘘でも、繰り返し語れば、それが真実らしく聴こえてくるから不思議なものである。その結果、嘘でも繰り返されれば、真実だと思い込んでしまう。
 一方、どんな真実でも繰り返し語らねば、信じてもらえないのである。
 これを背後から裏返して、恐ろしい見方をすれば「言った者勝ち」という騙(かた)りが浮き彫りになる。


鏡に写る顔の噺

 人が最も真剣な顔になるときは、鏡の中の自分の顔を映すときである。だが、どんなに真剣のなって鏡の中の自分の顔を映そうと、自分の皮膚の裡側(うちがわ)までは映そうとしない。
 表皮が美しく写れば、それでいいのである。また、そのために繕(つくろ)い、化粧をする。


反省の噺

 敗戦国の日本が周辺諸国から反省を求められて、反省するのはいい。だが、諸外国に言われるままに土下座して、懺悔するのは如何なものか。
 何もかも悪かったと、言われるままに反省するならば、これほど無反省はないだろう。
 反省とは、自主的であるかぎりにおいて反省することができるのである。強制されたり、脅されての反省は反省でなく、無反省である。
 もし、「反省する仕方」があるとするならば、その仕方から反省せねばならない。
 だが残念なことに、反省を強要する側も、反省の意味がよく分っていないようである。


冷たさの噺

 真白き雪のように清浄でありたい。しかし、雪のように冷たくはありたくない。
 雪解けの泥濘(ぬかるみ)は、不浄に溶けたような泥濘の道をつくる。そして、真白き雪の清純さすら残していない。


戦後教育の汚点

 一時期、「ゆとり教育」というものがあり、この世代を「ゆとり世代」といった。この分岐点には「詰め込み教育」と「ゆとり教育」の分岐点であり、1987年生まれから2004年生まれまでが恩恵を受けた。そして、その後の「脱ゆとり教育」であり、教育が曖昧になり、結果として「落ちこぼれ」が増加した。
 元凶には「ゆとり」と「すき」の解釈の混同があったとおもわれる。両者は似ても似つかないもので、本来は心の状態が大事であり、「すき」がないから「ゆとり」があるとすべきところを、「隙がある」ことを「ゆとり」としたのである。戦後教育の汚点であろう。そして、この汚点に当時の文部省(権力)も現場の教師(労働者)も、これを汚点と思わないところに二重の汚点があって、頬っ被りしたたま現在に曳きずっている。


尊大の正体の噺

 偉そうに振る舞う人ほど偉くない。偉くないから、その人は愚人である。


趣味の忠告

 世の中には忠告することを趣味にしている人がいる。
 しかし、忠告にも例外がある。
 それは、忠告をすることを趣味にしている人から忠告を受けた場合である。なぜなら、その忠告は忠告ではなく、愚痴や揚げ足取りになっているからである。


景気の暴落の時代がはじまった

 世の中は揺れ動く。人の世は流動するのが常である。この流動と動揺の中で、いま懸念されるのが不景気への突入である。まず株式が暴落するだろう。
 この暴落の中で、顕著に現れるのが求人率と、併せて高齢化であり、この高齢化の中に五十歳以上が、2020年頃に50%を超えると言われている。
 2020年……。オリンピックの年である。
 これを境に世の中が一変するだろう。そして、この兆候は既に顕われている。これから、日本経済は悪化が懸念されるている。同時に、予測不可能な混乱が起こるだろう。


恩恵に見返りを求めてはならない噺

 見返りを需(もと)めて、恩恵を施した人が何も恩返しをしなかった場合、「恩知らず」と罵ってしまう。しかし、見返りを需めて行なう恩恵は、もはや恩恵ではなく取引になっている。


為にならないことを好むする生き物の噺

 世の中は愚者で運営されている。
 特に愚者が仕込む企画は、愚者にはおもしろく、しかしそれでいて為にならない。つまり実がないのである。人間はこういう物を好み、それに接近しようとする生き物である。
 特に、テレビでも娯楽と言われるドラマや歌番組に熱狂するのは、ひとときの仮想慰安を求めるからだ。この仮想慰安は、実は人生には何も役に立たないものである。況(ま)して教養を豊かにしたり、生き方の参考にならないものである。また、それを好むのが、矛盾を抱える人間の正体なのである。