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価値観の急変

 車がステータスである時代は終わった。
 狭い日本で車を所有することは無駄遣いとなる。車を所有すると、車に掛かる経費が莫迦(ばか)にならない。また、駐車場スペースもいる。動くものはアクシデントに遭遇する確率もゼロでない。不慮の事故に遭遇して命を落とす場合もある。
 仮に車を利用するとして、カーシェアリングを利用すれば、個人で所有するより便利で安価となる。時代は、この方向に急速に傾いていくだろう。


安かろう悪かろう

 値切る文化はいかがわしい。怪しいとさえいえる。
 そもそも物には定価があるからだ。値切るのはその定価を破壊するのである。
 したがって、物は定価で買う。これが、いい物を所有し続けることになり、安物に騙されなくて済む生き方である。


契約時代の噺

 PCはものを作れるが、スマホ閲覧は消費者でしかない。消費者は買わなくてもいいものを買うから貧乏になる。現代の落し穴だ。
 現代が契約時代であることを見極めておかねばならない。
 金の掛からないことで、心の平安を得るものを不断から持っていなければならない。


景気と争いの関係

 戦争やその他の争いが起こるのは、景気が悪いからだ。景気が悪くなれば、人間は争いへと傾いていく。諍(いさか)いも多くなる。
 その結果、人間は経済的不自由が喪(うし)われる感情に走るようになる。その典型が、革命ではなかったか。


自然の摂理

 樹木は、果実が膨らみ出す頃から花を散らす。
 人間も老いて人生が深まり出すと、身の回りの整理が始まり、持ち物を少なくし始める。本来の姿に戻り、飾り気がなくなり、素朴ななっていく。ともに自然の摂理である。


血胤と霊胤の噺

 孔子の箴言(しんげん)の一節には、「与(とも)に道を適(ゆ)くべきも、未(いま)だ与に立つべからず。与に立つべきも、未だ権(はか)るべからず」というのがある。
 これは同じ道を歩いたとしても、一緒に立つことは出来ない。仮に一緒に立ったとしても、物事の処理はともに行なうことが出来ないといっている。それは、おそらく器(うつわ)の違いから起こるのだろう。
 器、則(すなわ)ち胤が納まるカプセルの大きさであり、その大きさは才器であるため、血統的にも霊統的にも先祖からの思考がほぼ同量でなければならない。だが血統だけでは器は小さくなる。これに大きさを加えるのが霊統であり、その両方が備わってこそ、霊胤はすこやかに器の大きさを育むことが出来るのである。
 血胤と霊胤……。
 そして、血胤に併せて、霊胤(れいいん)というものがある。
 人間は万物の霊長である限り、血統による先祖の因子を伝達するばかりでなく、霊統まで因子によって運ばれている。このカプセルを運ぶ麸の中に霊胤が納まっている。
 したがって、血胤とともに霊胤が揃っていなければならない。二つで対(つい)を成しているのである。
 何れも麸(ふすま)というカプセルに納まっている。それが才器を為(な)す。
 しかし、当今のように色が乱れると、血胤と霊胤がバラバラになり、揃っていない家の子孫を看(み)ることがある。こういう胤の家は、殆どが一代限りで潰えているようだ。その大半は、「人間、死ねばそれでお終いよ」と一蹴する考えを持ち、わが世の春を謳歌(おうか)する快楽主義者であり、今だけが満喫できればいいとする個人主義者である。


不条理

 よくあることだが失敗は自己責任となり、成功は上の者の手柄となる。これに不条理を感じない人はいないだろう。しかし、それは主観であって、事実ではないからだ。
 そもそも不条理は不可抗力の場合だけを指す。


義務化の噺

 果たすべきことを果たしていなければ、それは怠慢であって、責任回避であるからだ。つまり警戒すべきことを警戒していないからである。
 何から何まで義務化された世の中……。警戒することも、当今では義務化されている。


有酸素運動

 スポーツをすると短命に終わる場合が多い。それは呼吸法に誤りがあるからだ。
 力む、走る、刹那(せつな)に気合いを発する、歯をくいしばる、拳を振り上げるなどの「力」の行為は、心臓に負担をかけ、血液の循環に極端な負荷をかける。これを回避するには、歩くなどの有酸素運動がいい。


誠実の噺

 誠実であるから正しいとはいえない。しかし、誠実でない正しい行為は絶対にあり得ない。