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徳は本(もと)なり、財は末なり

 財を好みて学ばざれば、その弊(へい)は賊。徳を積まずして、財を求めれば、その弊は乱。
 金儲けばかりがやたら好きで、学問の心得がなければ「暴虎馮河(ぼうこ‐ひょうが)」の愚を犯す。懼(おそ)れて、謀(はかり‐ごと)を知らないからだ。


善悪伝達の相違の噺

 善いことをしても、その善は遅々として広まらないが、悪いことは一夜にして千里を駆ける。善が伝わり難い所以である。
 一方、悪事はその悪事に十重二十重の輪が掛かるため、面白半分に揶揄されて一人歩きするからである。伝達には、必ず第三者の介入があるため、最終的には正確に伝わることはない。
 人の心には善行より悪行を好む性癖があるようだ。


愚弄の噺

 憎悪を斂(おさ)める得策と言うものがある。ふつう愚弄(ぐろう)されて怒らない人は少ない。たいてい愚弄されたら、怒るのが常人の心情だろう。
 ただ問題なのは愚弄の捕らえ方である。
 もし、愚弄されて笑みを哺(ふく)み、相手が愚弄したら、こちらは揶揄(やゆ)で遣り返すことが出来たら、その怒りは相手の愚弄の一枚上をいったことになる。


過剰になれば溺れる噺

 人は知識に限らず、過剰になれば溺れることがある。溺れないためには「足るを知ること」である。足るを知れば、満ち足りないことを知っているから、溺れることはない。男女が異性を愛することも、その一つである。過剰になれば溺れるのである。
 何事も、不足を知っておくことが賢明である。


油断なき用心の噺

 用心に用心を重ねることを無駄だと思わず、用心することに越したことはない。俚諺にも「用心はして悔やめ」とあるではないか。


幸・不幸の噺

 運命は自分の中に内蔵されている。幸・不幸もある。そして、何れを選ぶかの選択肢も自分の中にある。その選択肢の中で志を高くすれば、苦難に遭遇する確率も高くなる。その場合、難儀が、これでもかこれでもかと襲って来て、苦悶の中で悶絶せねばならない。それは、一見不幸のように映る。死にかけることも、しばしだだ。
 ところが本来、幸福は不幸の中に在(あ)り、不幸は幸福の中にあるものだ。


受任者の生き方

 難儀の中に身を挺して、非難と無理解の渦の中に立たされるのが受任者である。
 天が大任を授けようとするとき、まず艱難辛苦で、その人を苦しめ、次に大任が与えられるというのが受任者である。苦難の黒幕に閉ざされている。
 だが、苦難の黒幕がひとたび開かれれば、その奥は明るい幸福の舞台が俟っている。


宝の山の噺

 灯台もと暗しという俚諺がある。
 世の中には宝の山に入りながら、手ぶらで引き返す人がなんと多いことか。隣の花が赤く見えて、そこが幸福の天地であることを気付かないからである。


すべては自分の中にある

 運命を切り拓くのは自分である。環境や境遇を創るのも自分である。一切は自分の内にある。外にはない。


人の世の噺

 人を改心させようと思うなら、自らが改心しなければならない。人を変えようと思えば、自らが変わらねばならない。人の世は自分の鏡であるからだ。