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箭、射らねば的に当らず

 目前に見える到着点でも、そこまで行かねば到着しない。小事と雖(いえど)も、遣らねば成就しない。
 物事、為(な)さざれば成らんのである。
 箭(や)、射らねば的に当らず。肝に命ずるべき箴言である。
 世人は理想や志に向って奮闘する行為が貴いのである。


怕いもの知らずの噺

 人間、時として傍若無人になる。驕(おご)り昂(たかぶ)ることがある。こういう情況は、自分に怕(こわ)いものが無くなったときである。畏れるものが無くなったときである。
 世の中、まともに、真摯に生きていこうと思えば、独りだけ怕い人を作っておくことである。自分に怕い人が居れば、道を踏み外すことはなく、その益は計り知れない。


溜飲が下る

 教師らしい教師、威張らない教師、身の程を知る教師、知ったかぶりをしない教師。立派ではないか。
 父親らしい父親、親爺らしい大黒柱としての親爺。頼りになるではないか。
 母親らしい母親、良妻賢母的な母親。安らぎの心のふるさとではないか。
 何れも溜飲(りゅういん)が下る。
 だが現代はどうか。
 それぞれがそれぞれらしい行いと姿を放棄して、個人主義に奔(は)ったことから混乱が生じたのではなかったか。


下駄を預ける噺

 信じ、心より信頼する……。これは、何でもないことである。下駄を預けて、ちょいと一歩足を踏み入れるだけで事が足りる。


単純明快な噺

 働き過ぎて過労に苛(さい)まされているのなら、働くのをやめればいい。厭(いや)な労働をガツガツする必要はない。無理もしなくてすむし、自由も奪われない。そうすれば健康法も必要ないし、ましてサプリメントなど無用である。ストレス解消法も、あれこれと試す必要がない。
 贅沢しなければ、喰っていけるだけの経済的自由を身に付ければいいことである。金持ちになりたいなどと思わないことだ。あとは好きなことをして暮らせばいい。


朽ちない人生の噺

 いい学校を出て、いい会社に就職し、人よりいい生活をしている……。果たして、それがいい人生といえるのだろうか。
 いい人生とは、意味のある人生のことであり、生き甲斐のある人生というのが本意である。幾多の苦難を乗り越え、粉骨砕身した後が振り返られる人生のことで、死しても朽ちない人生のことである。


足手纏いになる疫病神の噺

 世の中には、人の後を蹤(つ)いてこれない足の鈍(のろ)い者がいる。足手纏いである。纏わり付いて、身の自由を妨げる人間である。こういう人間は邪魔になるだけでなく、こういうのを傍に置いておくと、置いた者の身の破滅をもたらす疫病神である。
 疫病神は消極策しか打ち出せず、建設的な意見は皆無である。更に「足で稼ぐ」という概念が無い。行動力が皆無なのである。こういうのは関わりを持たず、退(しりぞ)けるに限る。それを我慢して、成長を俟(ま)つなどの悠長な愚行に出れば、結局、わが身の命取りのなる。人としての大事な、自らの名誉や誇りを喪わしめ、己が生命まで潰えることになる。


衆座の寂寥

 奇妙なことだが、人は大勢の衆座(しゅうざ)の中に居ると、却(かえ)って孤独感を深める。大勢の中では傍に自らの悲心を慰めて、相手をしてくれる者が居なければ寂寥感に苛(さいな)まされる。そして、更に不思議なのは衆座から離れれば、孤独感が薄らぐ。


忖度の噺

 優しさとは、喧嘩しないこととか、温和(おとな)しいということではない。況(ま)して、親切を売物にすることでもない。相手を忖度(そんたく)することである。これが本当の優しさである。


図太さの噺

 人は時に、図太さが要る。世の中を逞(たくま)しく生きていくためである。人はそれぞれで、優しさが通用しない者も居るのである。そういう者から、打ちのめされることもある。そのためには、繊細な傷付き易い感性よりも、鈍感に答え得る図太さが要るのである。
 鋭鈍併せ呑み、綯い交ぜにして受入れる寛大さである。これを「図太さ」と置き換えてもいいのである。