食べてはならない食物と衰運の関係
 衰運とは、「メグリ」において齎されます。
 皆さんは、よく因縁だとか、カルマ(karman/梵語)だとか、業(ごう)などという言葉をご存じだと思いますが、神霊学上、神の啓示においても同じ意味を持っています。
 「メグリ」とは、「巡り」のことであり、循環を意味します。
 神霊学的に言うと、「あるものの周りを廻る」ことで、これを「行道」(ぎようどう)と言い、ある順序に従って、移動することを指します。

 宇宙はその玄理(げんり)において、一定の順序で移り変わっていきます。これを「循環する」と言い、神すらも、時節において移り変わります。これを「巡神」(めぐりがみ)とも言います。
 巡神は、暦(こよみ)の吉凶を支配する暦神(こよみがみ/一年中の月・日・曜日、祝祭日、季節、日出・日没、月の満ち欠け、日食・月食を司る神)で、年あるいは日によって、居る方位を変える神です。また、その方角を犯すことを忌む神でもあります。

 暦神は「天一神」(なかがみ)とも言われ、十二神将の主将、あるいは地星の霊を指します。
 「天一神」は、己酉(つちのととり)の日に、天から下って、東北の隅に居ること6日間、それから転じて正東に居ること5日間と言うように、順次に南・西・北を巡り、四隅に居ることそれぞれ6日間、四方に居ることそれぞれ5日間、計44日間で、癸巳(みずのとみ)の日に、正北から天に上り、天上に居ること16日間、己酉の日に再び地上に降りてきます。
 この神の天に在る間を「天一天上」と言います。地上に降りてその鎮座した方角を「ふたがり」(塞がりの意味)と言い、この方角に向かって事をすることを忌み、その日、他出するときは、方違(かたたがえ)をするという古典物理学的な法則があります。

 こうした方角を司る神には「金神」(こんじん/艮神とも)が居り、この神は陰陽道(おんみょうどう)で祀る方位の神で、その神の方角に対して、土木を起し、出行・移転・嫁取りなどをするのを厳しく忌む性質を持っています。これを犯せば「金神七殺」(こんじんしちさつ)と言って、家族七人が殺される(あるいは難病を患う)と言われます。
 神霊学的には、「金神七殺」は土地の磁場と、人間の持つ電気線(同じ場所に居座ると電気線は沈み、動き出すと電気線は上がるという、泥水のコップの沈殿原理)との関係があり、そのズレから起こる波動の違いで、難病・奇病に取りつかれたり、不倫や近親相姦で子供が出来たり、奇形児などの不具者が生まれたり、犯罪者になって死刑になったり、あるいは殺人事件の被害者になったりの、一等も二等も最悪な禍根を背負い込むことになります。

 また「金神奈落」(こんじんならく)と言って、忌むべき金神の方角と、畏るべき大地の底を現わします。すなわち、最も忌み畏るべき場所の意味です。
 こうした金神の方角に当たる日を「金神の間日(まび)」と言い、金神の方角に対して、物事をしても差し支えないという日を言います。春は丑(うし)の日、夏は申(さる)の日、秋は未(ひつじ)の日、冬は酉(とり)の日を指します。
 また「金神避け」は、万事につけて金神の方向を避けることであり、「丑寅」(うしとら/艮)方向の十二支で表した方位で、丑と寅の間日を指し、北東の方角で、一般には「鬼門」(きもん)という言葉で知られています。
 この方位を忌むため、「丑寅除け」と言う「鬼門除」(きもんよけ)の風習が起こり、災難を避けるために、鬼門の方角に神仏を祀ったり、祈祷したりすることを指して、「丑寅除」(うしとらよけ)という言葉でも知られています。

 これらは総称して、これは「悪いメグリ」(因果応報であり、過去における善悪の業に応じて現在における幸・不幸の果報を生じ、現在の業に応じて未来の果報を生ずること)を現わしたもので、一方、「良いメグリ」(幸の果報)というものもあります。
 しかし現代人は「良いメグリ」(霊的神性が高い次元においてのみ可能)には殆ど触れることができず、悪因縁や「悪いメグリ」に偏って、多くの罪障(霊障)を重ねています。これを神霊学では「借り」と言います。罪障は償わなければなりません。
 したがって罪障という霊層界での「借り」は、出来るだけ作らない方が賢明なのです。

 ところが十九世紀以降の世界史は、罪障以外の「借り」のシステムができ上がり、金融経済の中で「借り」と言う現実が生まれました。そして契約社会の契約主義が表面化し、「信用貸」と言う「ローン」のシステムが確立されました。
 以降、世界人類の大半は、罪障と借金という二つの「借り」に苦しむことになります。霊障は病気として肉体を蝕み、借金は借金漬けという現実を以て、人間を縛りつけます。
 現世での幸福指向は、衣食住を「借り」で賄う考え方が、人間を支配するようになりました。この支配によって、人間は金銭より一等下のランクに置かれ、金銭の奴隷になるという現実が出現しました。


 「借り」は返さなければなりません。「借り」を返し了(お)えたことを「メグリ遂げ」と言います。
 衣食住のなかで、衣服も神から借り、住居も土地も神から借りたものです。ただ一つ、食だけが、神から与えられてものです。しかし神が人間に与えたものは、穀物や野菜や海藻類だけであって、人間の性に近い動物の肉は、与えられていません。
 これを食べれば、「肉喰った報い」という警鐘で、これを警告しています。

 その報いとは、肉を食べることによって霊的神性が曇らされ、霊格が降格(低下)して、その周囲にかかわる霊は、低級霊ばかりになり、要するに悪霊や邪霊に、波調が合ってしまうということを警告したものだったのです。その隙に、指導霊の入れ変わりが行われるばかりでなく、人間を悉々く蝕む、多くの悪霊や邪霊が、輪を掛けて取り憑くのです。こうした霊の多くは、食肉とされた、牛や豚や羊の無念が怨霊として変化したものです。
 衰運の元凶は、ここにあります。

 食の乱れと、食への慎みを忘れた時に、人はこれまでの順風満帆な生活から、一挙に奈落の底に転落し、地獄の苦しみを味わいます。
 これは上下を循環する「浮沈の法則」です。
 そしてこの循環に密接にかかわっているのが、「メグリ」であり、これまでに述べた、食肉や乳製品の有害性はメグリにおいて様々な不幸現象を齎すということが、ご理解できたと思います。

 食が乱れると、人間の魂はその波調は益々粗くなります。正しい味覚感覚が狂い、舌先三寸に騙される現実が生まれます。
 一般に「おいしい」とか「うまい」とか表される食べ物は、白砂糖をふんだんに使った調理法で作られた料理で、濃い目の味をベースにしています。
 「うまい」という言葉は、屡々「甘い」(うまい)という言葉に置き換えられます。「甘い」というものを「うまい」と称したのです。
 これは美味という味覚が、舌で騙され、脳に感じた一瞬の意識であり、繰り返しそれを食したいという、一種の中毒症状の食通意識で、運勢を衰運に向かわせる最大の元凶といえるでしょう。 
 美食家の臨終が、非常に惨めであったこと思い出してください。

 こうした舌先の騙されぱなしの状態では、魂は、決して浮かぶ瀬がありません。また交流する周りは、悪霊や邪霊に取り憑かれる状態が長く起こります。
 したがってこうした低級霊は、祈祷師の祓いや、占師の助言だけでは如何ともし難く、結局、自分が改心し、己が魂の波調に変化がなければ、逃避を企てても、次々に後から追いかけてくるものなのです。

 メグリは、「清算」することにおいてのみ、今までの穢れや汚れを払い清める事が出来るのです。
 衰運を解消させるには、食を正し、人間に与えられた食物を食べるというのが、最も早い成就の近道だということが、これでお解りの事と思います。
戻る次へ