血が汚れているから病気になります。
では、何故、血は汚れるのでしょうか。
最大の原因は、食物の世界に混乱があり、人間には不必要な食物を体内に取り込んで、腸内に停滞した肉や乳製品などの食物が腐敗しているからです。
したがって腐敗物質を取り除き、腸内環境をよくして、整腸をはかり、人間に許された自然食を摂れば、こうした問題は解消されます。
これを実行する手順としては、
1.少食を実践しつつ、穀物菜食を徹底して、腐敗を起こす食品を極力避ける。したがって白米や食肉はやめる。
2.腐敗物質の排泄を行う。これを排泄するためには、一ヵ月間位かけて、次第に食事の量を減らし、一週間の期間で「半断食」を行う。この期間が終了したら、また、一ヵ月間位かけて徐々に戻し、以降は穀物菜食を中心に、粗食・少食の正しい食習慣に切り替える。
3.腸内環境を整えつつ、整腸がはかれる発酵食品と良質の酵素を補食する。
玄米を中心に五穀を3:1に割合で配合し、野菜や海藻類の食生活に切り替えれば、整腸方向に向かい、更に発酵食品や良質の酵素を効果的に活用する。
病気治癒の秘訣は、誤った食習慣から脱出するためには、まず第一が体質悪化の元凶である精白食品(白米、白小麦粉、白パン、白砂糖、漂白精製化学塩など)と動物性蛋白食品(食肉、乳製品、肉や魚の加工食品、魚の練製品、卵など)をやめなければなりません。これらは必ず腸内に入るとそこで腐敗し、停滞して便秘状態をつくり、著しく酸毒化して、血液を汚し、総ての病気の発生源となります。
その第二としては、極力少食にして、穀物菜食に徹して粗食にしなければなりません。現代栄養学が言うように、主食の他に一日八種類程度の御数を食べるということは必要ではなく、味噌汁、たくわん、梅干というような少ない御数でも構わないのです。
現代人は年々躰を動かす運動量が減り、必ずしも一日三食を取る必要はなく、一日二食程度が理想といえます。この事は、古来の日本人の食生活の食事時間の呼び名であった「朝餉」(あさげ)や「夕餉」(ゆうげ)ということからも窺えます。つまり、一日二食なのです。
また朝餉という時間帯は、今日の朝食で言われる午前六〜七時の時間帯を指すのではなく、午前十〜十一時までの時間帯であり、また夕餉は午後五〜六時までの時間帯を表わしていました。そして朝餉から夕餉までの食間時間は六時間以上であり、その食間に間食することは過食になるため、とにかく思いきった少食が必要になります。
もともと人間は少ない食事の量で、十分な活動が出来るように創られているのです。
一日三食以上の過食や間食は、肥満を生むばかりでなく、内臓全体に過重な負担を掛け、それぞれの機能減退を発生させますから、かえって体力の低下を招きます。
「疲れる」という現象は、栄養分が少ないから疲れるのではなく、過食をするから疲れるのです。こうした時に栄養分を補給することは逆効果になり、益々疲労を募らせます。
また栄養補給剤などの薬用飲食食品がありますが、こうした食品は一時的に内臓機能に薬用効果を以て、疲労回復したように錯覚を作り上げるだけであって、これ等を一反用いると、習慣化して常に補給しないと、疲れるという条件反射を起こします。
こうした栄養補給剤を用いるよりは、少食に心掛けた方が安上がりであり、安易に薬品メーカーの策略に嵌り、企業のご都合主義の手助けをする必要はありません。資本主義の市場経済の基本的メカニズムは、「消費のための消費」という、消費者に消費を常に促して、それを促進するシステムであるということを忘れてはなりません。
次のその第三としては、不自然な加工食品は絶対に避けるということです。
食品というのは、人為が加わり、それが機械的にオートメーションなどと称されて工業化され、商品化が進めば進むほど、更に人為的な加工が加わって、食べ物自体は益々不自然化するという現実を忘れてはなりません。
どのような方法を用い、自然食品と豪語されていても、本質は防腐剤や、見掛けを良くするために合成着色料(食品に色をつけるために用いる色素で、天然色素と合成着色料があるが、多くの食品に用いられているのは圧倒的に後者の方)などの化学物質が巧妙に散布されられていて、表面からはそれを窺うことは出来ません。
こうした化学物質を体内の取り込むことは、何としてでも阻止しなければなりません。とりわけ化学調味料(昨今では、「うま味調味料」と言われ、昆布や鰹節などの天然の旨み成分を化学的にまたは酵素を用いて処理して得た調味料。また、それらの2〜3種を混合したもの。グルタミン酸ナトリウム・イノシン酸ナトリウム・グアニル酸ナトリウムの類)などは要注意です。
市場には夥しい新種の化学調味料が出廻っています。化学調味料入のドレッシング類も同様です。こうした物は、何一つ健康に役立つものは存在せず、ももとも人為的に作り出した精製化学塩ベースのナトリウム類に、安全な食品など一切あるはずがありません。
病気という現象は、単に肉体が病んだという状態ではなく、神から人間に対する、一種の警告だと受け取って下さい。
だから人間はこの警告を素直に受け取り、疾病(しっぺい)の赤信号であるということだけではなく、「心の暗影(かげ)」(不摂生と無理から起こる)が現われたと取るべきでしょう。肉体だけが悪くなったという考え方は早計です。
これに大きく絡んでいるのは、生活の暗影と不自然さにあります。これはとりもなおさず、心の不自然さが顕在化したと見るべきでしょう。
そしてこうした時の受け取り方ですが、安易に、不運だったとか、ツイてないとかの、苦汁の唸(ねん)で捉えるのでなく、有難い自然からの忠告、神が与えた赤信号として受け取り、喜んでこれを受け入れることが大切です。
逃げれば、追いかけてくるというのが、三次元顕界の掟(おきて)です。病気から逃れようとして、小細工を使い、逃れようとしますと、病気は益々追いかけてきます。病状も日増しに悪化します。
ところが、病気になったことを素直に受け入れ、病気と共存するという気持ちに切り替えて、「病気は怖がるものではない」という意識をもって「共棲」の道を選択しますと、やがて病気は、向こうの方から遠のきます。今や、病気は怖がるものではなく、また恐れるという時代も終焉した時代に入ったということを自覚するべきでしょう。そしてこうしたものを喜んで利用し、歓喜に満ちた生活態度に改めますと、今日のような殺伐とし、混沌とした世の中は、やがて明朗の世の中に生まれ変わっていくのです。
病気のお見舞に、「大変結構な来襲です」という時代が到来したのです。
まず、食の誤りを正し、人間に許された食べ物に戻す必要があるという時代が来たのです。 |
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