「怠け者」「横着者」のレッテルを張られた人は、これを否定する為に、更に飽くなき葛藤(かっとう)を繰り返し、奇想天外な巧妙な言い訳を用意し、自分が怠け者ではなく、躰の体調が悪くて、果たすべきことが果たせないことについて言い訳をする。これがブツブツと「独(ひと)り言」を言う現象である。必死で、誰彼構わず自己弁護しているのである。
こうした患者の言を訊(き)くと、無意識的に頭を振る、意欲の低下、左耳から声が聞こえる、頭の中に幻想が見える、頭全体に声が聞こえて絶えず一人で会話しているなどの異常性が見られる証言する事である。そして独り言を言っている自分に、ふと気付くと言うのだ。
この独り言が度重なると、総て言い訳による解決法で、事の処理に当たる為、次第に禍根の根を深め、そこに逃げ込むことばかりを考えるようになる。こうした逃避壁が、更に深刻な、重度の精神分裂病へと誘うのである。
ここから先は深みに嵌(はま)って行くばかりで、薬で押さえようとしても副作用が激しくなり、神経系や反射神経に異常が現われてくる。本来、鳴るはずのない骨をポキポキ鳴らしたり、アゴが開いてしまう等の神経系や反射神経に異常が現れて来る。
一般にはこうした病気を、顎関節症(がくかんせつしょう/この病気は歯科外科の範囲なのか、整形外科の範囲なのか未だにはっきりしない病気)と言い、上顎(うわあご)と下顎(したあご)の噛み合わせ部分にあるクッション代わりの軟骨が、元の位置からズレてしまい、これによって顎が外れたような状態になり、噛み合わせる度に顎の骨の音がする。この噛み合わせがズレるという状態は、やがて全身の骨に及び、背骨の上半身や肩関節に、骨が外れてしまったような畸形(きけい)な関節音を発生させる。これも「世間様の目」を気にするあまりに、最終的に行き着いた「哀れみ」を請う意識の現れである。まさに、脳の中で、自己中心意識が作り出した、架空の病気である。
しかし、実際には顎関節症以外に何ら異常は発見されず、これが精神的な仕業であることが、やがて発覚する。つまり、意識がそうさせ、思い込みから畸形な音を発していたのである。
では、何故ここまでの事をやってのけるのであろうか。
これはあくまで、潰れた自我への補修と、精神的な抵抗だと考えられる。
勿論裏側には、自分の生(お)い立ちからの劣等感が働いているのであるが、この劣等感を覆(くつがえ)す為に、何処かで優越感を味わう自己表現の心理が働き、何等かの神懸(かみがか)りのような憑衣状態になることによって、世間の束縛の総てから逃れられると言う願望を抱くのである。
あまりの負荷に対し、発狂することで、現実逃避を企てるのである。そして最後は、本当に「狐憑き」等を模写して、憑衣の状態に至る。こうした、移行願望の心理状態の深層部には、長い間、潜在させて来た憑衣の願望だけが表面化し、狂人と同じ願望で身を灼(や)きたいと言う、憑衣物(つきもの)へと身を染めていく。
一種の現実逃避であるが、憑衣物を模写している為に、最も質(たち)の兇(わる)い現実逃避であることは間違いないようだ。
特に、今日のように、競争原理の働く社会では、こうした人が増える傾向にあり、生きて行く為の生存競争や、優劣が劣等感を発生させ、精神分裂病を発生させたといえるであろう。
資本主義市場経済の競争原理の中では、自他共に激しい競争原理が働く為、どうしても「勝ち組」と「負け組」の二つに分類されてしまう。そして負け組のレッテルを貼られたものは、激しい劣等感に苛まれる。あるいは負け組意識から逃れる為に、マイホーム主義に走り、自分の家庭を第一に考え、それ以外に興味を示さなくなる。
また、昨今の社会現象としては、大人・子供を問わず「苛(いじ)め」が問題になっているが、あれも形を変えた一つの生存競争であり、競争原理が激しくなると、こうした事がより一層深刻な問題となって浮き彫りになってくる。そしてその根底を巣喰う者は紛れもなく「劣等感」である。
劣等感は前頭葉未発達から起る、人間の心理をマイナスの意識に誘発する元凶である。
そして「精神分裂病とは何か?」となると、ハッキリ言えば、想念が作り上げた「仮病」の一種とも言える。自分は、人よりも劣っていないと言う、自分自身との格闘のようにも思える。
その証拠に、哺乳動物である人間意外に、分裂病は現れないからである。この心因反応は、総べて競争原理における適者生存と、生存競争に生き残らなければならないと言う一種の脅迫観念が分裂の世界へと追い込むもので、現代はこうした不安定な心理状態の中で人々の営みが続けられているのである。
こうした心因的な悩みや劣等感が、ストレスがより大きく増幅される現代、どうしても「勝ち組」に加わろうとすれば、こうしたプレッシャーは圧力を増していく事であろう。
そもそも人間が生きていくと言う事は、「外圧に対して抵抗する」という事が基本原理になっているのであるから、外圧に屈すればその抵抗力は外圧の呑み込まれてしまって、自分の存在理由は希薄になってしまうのである。だから、存在理由を誇示する為に、人は抵抗を続けるのであるが、その抵抗は、無慙(むざん)に敗走する事もある。 |
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