会員の声と相談者の質問回答集1



統合失調症で死んだ母親の相談 (38歳 会員 中学校教師)

前略 はじめてお手紙します。
 統合失調症だった62歳の母が、最近亡くなりました。
 これまでに約15年間にわたり、過去4度の入退院を繰り返し、半年程前に再び発病して入院しましたが、症状が重くて薬が効かなくなり、病院からこれ以上の治療しても恢復(かいふく)は難しいということで、自宅療養の名目で家に帰されました。

 欝(うつ)状態と精神錯乱を交互に繰り返しながら、入眠薬も殆ど効かない状態で、4ヶ月程、自宅で過ごしていましたが、平成18年の2月初旬の朝、母の部屋を覗きに行ったところ、呼吸をしていないので大急ぎで病院に運び、何とか手当ての甲斐あって、一度蘇生しました。しかし五日程して、また症状が急変し、私が勤務中に、病院で亡くなりました。駆け付けた時には、死亡していた後でした。

 病院では特定の診断がないため、脳梗塞の既病歴から、心不全と死亡診断書には書かれました。
 今思うと、精神分裂病の精神錯乱症状の恐ろしさが、長い病歴の十五年という歳月から思い出され、未(いま)だに看病の苦悩と、世間の偏見の目が脳裏(のうり)に焼き付いています。
 そろそろ49日が近づき、この法要をどうしたものかと思い悩んでいます。また現在、納骨堂に預けている母の遺骨をどうすればよいか、具体的な策がありません。

 現在、母の実家とは、母が精神分裂病を煩(わずら)ったと言う事が知れてから親戚付き合いは断たれました。かつては、よく行き来していたものでした。

 母は、三人兄弟の長女として生まれ、下に弟と妹がいました。彼等は私にとって叔父と叔母なのですが、精神分裂病を煩って、死んだ母を毛嫌いしています。納骨についても、今さら、実家の墓に納骨する事は毛頭ないといって、納骨すらも拒否しているのです。

 また葬儀の日、叔父と叔母は身内の手前から、顔だけは出したものの、焼香が終ると逃げるように帰って行った時のことが、今でもはっきりと脳裏に焼き付いています。
 その時、私が味わったのは、「血縁の兄弟姉妹と言っても、この程度のものだったのか」と改めて考えさせられたことでした。

 今でこそ精神分裂病と言わず、統合失調症という人権擁護の立場から、この病名がつけられていますが、実際の医療現場では、医師や看護師の間で、「精神分裂病」と言う病名が頻繁(ひんぱん)に使われています。そして、この病名が診断書に書かれる度に、私は何度も、「偏見の目」で、私自身がその家族の一員として、他人から見られているのではないかと、そんなことばかりを気にして、今日まで生きて参りました。
 近所付き合いしていても、そうした視線を背中で感じる時があります。

 過去に一度、二十代半ばの頃に、教育大学以来の、自分で言うのも何ですが、相思相愛の女性と恋愛し、将来を堅く誓いあい、結婚寸前にまで漕ぎ着けるところまでいったことがありました。
 ところが婚約をし、結婚寸前というところで、母の病気が、相手方の調べさせた興信所の調査で明らかになり、この縁談は破断となってしまいました。それ以来、私と母との二人暮しを通して来ました。

 父は私が大学の頃に亡くなり、母一人子一人の環境の中で生きて参りました。実は、母の精神錯乱は、もしかすると、父の死亡した事に関係があるのではないかと、ふと、そんなことを考えたりしています。
 父が交通事故で死んだ時に、母が、今までになく取り乱し、錯乱状態になったからです。それから約15年の年月が流れました。一体父母の死は、何だったのかと、今更ながらに考えられさせます。

 叔父や叔母は、母の2度目の再発で、初めて母が精神分裂病であることを知りました。そして一度だけ、彼等二人を、私が車で病院まで連れて見舞いに行ったのですが、その際、病院の本館から入院病棟に向かう別館への箇所から、刑務所のような鉄格子や、重厚な鉄のドアに、彼等二人は唖然(あぜん)とし、面会室では、唇が薬で白くなり、俯いたまま一言も喋らない欝状態の母の姿に、酷く困惑した樣子でした。

 叔父や叔母は帰りの車の中で、実の姉に向かって「気持ちが悪い」とか「怖い」の一点張りで、それ以来、病院には一度も見舞いに行こうとしませんでした。
 また叔父や叔母には、結婚適齢期の子どもがおり、母の病気が世間に知られると、子どもが結婚できなくなると言って、母が退院しても、長らく私たち母子を避けるようになっていました。

 私は母の発病以来、約15年以上も私一人で苦しんできました。この病気で一番苦労するのは、世間の「偏見の目」を背後で感じる、家族です。これはこれまでの、精神分裂病や躁鬱(そううつ)病と言う病気が、統合失調症と言われるようになり、こうした呼び名が、更に誤解を招いているのではないかと思います。

 精神分裂病は、三代程前の先祖に非業死を遂げた人物がいて、その影響があると書かれていることを、《癒しの杜の会》のHPで読ませて頂きました。
 そこでまず、お訊きしたいのですが、精神分裂病の者の遺骨の扱いについて、ご助言を頂ければと思っております。また、これからの供養をどうすればよいかお聞きしたいのです。
 何卒よろくし、お願い申し上げます。  敬具



回 答

 まず、最初にあなたにズバリお訊きしたいが、あなたは「これまで、自分の人生は少しも良い事がなかった」と思われていないだろうか。もし、そのような思いが心の片隅にあるのなら、これを一番先に消滅させる事だ。そして人生の意味を、霊的世界まで拡げて、広い見聞を持たれる事を御薦めする。

 さて、あなたは十五年以上に亘り、お母さんを死ぬまで手厚く看病して来た事についでは、唯々頭が下がるばかりである。

 この病気に発病し、国民年金の支払い回数が基準の回数(290ヵ月)に達すれば、社会保険庁から障害の度合いに応じて、障害年金が支給され、また市町村から障害者手帳(精神福祉に関する法律第45条)が発行され、一応、精神保険の立場から、社会では保護される対象となるのであるが、社会の偏見の目は、一般の身障者とは区別した色眼鏡で見られる事が多い。

 交通事故やその他の怪我で身障者になった場合は、街角や駅頭に出れば、エレベーターや車椅子で出入り出来る設備が整っているが、精神障害者福祉手帳を携帯するこうした精神障害者は、この恩恵にも与(あずか)れず、世間一般からは隔離された生活を送っていると言うのが実情である。
 そしてその家族が、身体的不自由の身体障害者を抱えるのとは違い、世間から色眼鏡で見られ、精神障害者の何十倍もの辛苦に耐えて行かなければならないという現実が横たわっているのである。

 家族がこのような、突然、降って湧いたような病気に、誰か一人が冒されれば、そこから苦悩の日々が始まる。その苦悩は、精神障害者の何十倍以上と言う、一般人には想像を絶するものである。そしてこうした患者を抱える家族は、精神病院に預けねばならぬ患者の入院保証金や巨額な入院費用などの工面に、今度は経済的な問題が、二重苦・三重苦となって襲って来るのである。

 かつて私が相談に乗った、当時会社員だった三十代の妻が、この病気を発病したという事で、入院を余儀無くされたのであるが、入院の為の保証金や巨額な入院費用(入院当初は、個室に入れられ、食事も鼻腔から差し込まれる、一本1500円もする流動食が遣われる事が多い)などの支払に苦慮し、その資金をサラ金で調達した人が居た。
 その会社員は、結局、福祉事務所の職員や保険師の言に従って、離婚をし、新たな自分の人生を踏み出したと聞くが、要するに、最愛の妻を、離婚した時点で、ボロ雑巾のように「捨てた」という事である。そしてこの会社員は、自分の妻を看病する事で、自分の魂を磨き、心を洗う絶好のチャンスを喪(うしな)ったのである。

 あるいは、精神障害者の家族は、こうした病気に罹(かか)った父母、兄弟・姉妹、夫や妻に、少なからず恨みを募らせ、愚痴(ぐち)をこぼす毎日を送っている人も少なくないようだ。そして発病者への愛情は、やがて憎悪に変わる。「こいつのせいで、こんな目に遭っている……」というような、怨念(おんねん)に似たものが、通常の人間として浮上して来るのである。しかしこうした念も、一概に責められないのが人情であろう。

 しかしである。そこで問題になるのは、あなたが精神分裂病者に対し、これまで、どう風に向き合って来たかと言う「態度」が問題になる。

 あなたの叔父さんや叔母さんのように、精神病患者を「気持ちが悪い」「怖い」「いい迷惑だ」と見ていただろうか。いや、決してそうではなかった筈である。手紙の内容から察すれば、最後の最後まで、あなたはお母さんが恢復(かいふく)する事を心から願い、この現実から逃げ出さなかった事が、あなたの毅然(きぜん)とした人間性を窺(うかが)わせていると評価している。
 それに比べて、あなたの叔父さんや叔母さんだどうだったか。これからの問題は、この点に行き着くだろう。ボロ雑巾のように「捨てるか、否か」だ。

 また、精神病患者が死んで、「一件落着」では済まされないのである。
 何故なら、こうした死に方は「自然死」とは言い難いからだ。まさに「横死」である。横死は非業(ひごう)の死を遂げたという事で、この死自体が、近未来の因縁を作るからである。また横死した人間の多くは、自分の死を自覚できぬまま、その意識体が時空を彷徨(さまよ)うと言う問題を起こすからである。それは死者に、「自分が死んだ」と言う自覚がない為である。いつまでも精神に支障を来した、意識体が時空を漂う事である。

 あなたのお母さんが二度目を発病をして、その病気が精神分裂病と知った時、あなたの叔父さんや叔母さんは、既に逃げ腰になっていたではないか。おそらくこの二人は、近未来から見て、現在と言う過去世(かこぜ)に、一つの悪想念と悪因縁を残した事になる。やがて彼等も、その清算に迫られるであろう。

 さて、精神分裂病を霊的世界から、更に詳しく説明すると、これは紛(まぎ)れもなく、死んだ者の意識が、同じ波調(はちょう)を持つ者に共鳴し、憑衣(ひょうい)した現象と言える。
 現代医学や心理学の世界では、人間は脳死と共に、その意識は失われるとしているが、これは大変間違った考え方である。人間は、肉体が死亡すると、一端は意識が失われるが、数時間後に再びその意識は回復する。本来の人の死は、脳死ではなく、あくまでも心臓が停止してからの24時間後が、「本当の人の死である」と断定できるのである。

 現代医学が発達した現代でも、「人の死」を断定できる医学者は一人も居ない。単に脳死と言う、判断基準を法律に照らし合わせて、これを「人の死」と定義しているに過ぎない。そしてこの「定義」は、現在もなお「仮説」であるという域を出ていないのである。

 精神医科学界では、「精神分裂病は遺伝しない」と言う、精神科医の仮説がある。
 しかし精神障害者の、その後の追跡調査や、三代前の先祖を調べて行くと、この「遺伝しない」と言う説は疑わしくなる。そして精神科医自身、「なぜ精神分裂病にかるか」という病因について、それを論理的に説明できない事である。
 私自身、今まで多くの精神科医に会い、その事を質問したが、明確な回答を出せる医師は一人も居なかった。

 彼等は、その病因の調査よりは、精神治療のプロフェッショナルで、患者に与える投薬技術に優れ、電気ショック治療(かつて拷問用にイタリアで開発され、現在は精神分裂病患者などに使用される療法。頭骨に小さな二つの穴を空け、その二電極を差し込み短時間電気を流す。しかしこの治療を受けても、恢復は一進一退で完治の可能性は殆ど無い)や、ロボトミーlobotomy/精神分裂病などの治療に用いる外科的手術の一種で、脳の前頭葉白質の一部を破壊して、神経径路を切断する手術を指す。医学用語では「白質切截法」という)手術に関しての卓越した技術を持っているだけで、「なぜ発病するか」については余り研究してないようである。

 何故ならば、もし「なぜ発病するか」については、研究をすれば、どうしても通らねばならぬ関門があるからである。それは「霊的世界」の事だ。

 しかし、医科学者としての職業柄、彼等はこの世界に、決して研究のメスを下す事はない。もし行えば、自らの権威は失墜し、精神医学界から異端視されるからである。そうなれば、駆け出しの精神科医ならば、自分の記した医学論文は門前払いを喰い、医学博士の道は、完全に閉ざされてしまおう。またその後の、地位も名声も断たれよう。
 そして自分自身が今までに費やした、医学部入学や大学に在籍した六年の期間、また医師国家試験に合格するまでの、医者になる為に費やした全費用は回収できなくなるからである。

 大学病院の医局員ならば、そこでの出世は断たれ、まずそれ迄止まりであり、やがて異端視されて医局を去らねばならないであろう。彼等は、こうした事を怖れているのである。

 彼等は、「なぜ発病するか」と云う、こうした研究より、医療技術を高める為と、将来、医療法人を造って、それを経営する事に余念がない。全部が全部、精神科医がこうした事ばかりに奔走しているとは言わないが、広く精神病院を見渡して見た場合、明らかに以上のような考え方で、精神医療に従事している精神科医が決して少なくない事だ。

 精神病院の経営は、その多くが、一人の精神科医がその病院の院長になり、医療法人を組織して、その下に駆け出しの臨事雇のアルバイト医師と、百人前後のスタッフを抱え、薬剤師、看護師や準看護師あるいは看護師免許を持たない準看護師補という病院職員を置き、それにソーシャル・ワーカー(社会福祉活動に従事する専門職員)や心理カウンセラー、作業療法士、事務職員らを抱え、一大産業組織を形成している。それに製薬会社が、がっちりと食らい付き、製薬会社のプロパーは、院長のゴルフ接待や、高級クラブや高級料亭での宴会接待に余念がない。
 この全貌が、今日の医療法人資格を取得する精神病院の偽わざる姿である。

 また街角で、精神科クリニック(普通、「精神科クリニック」の名前で営業していない。多くは神経科クリニックを名乗り、内科と併用している。神経科は患者集めに聞こえが悪いからだ)を構える医院も、昨今は大繁盛で、その順番待ちは歯科医院以上である。やがて町医者の彼等も、医療法人へと発展する事を夢見ている。今はこじんまりとした地域医療に励みながら、ひらすら患者獲得の模索と、経験を積み、内心ではその機会を常に窺(うかが)っているのである。

 さて、このように語れば、何か、精神科医が悪者のように見えて来るが、私はそれを指摘しているのではない。彼等精神科医が霊的世界の研究を怠っている為に、その無知から、彼等自身も精神分裂患者の意識体(生霊あるいは意識唸)に取り憑(つ)いている実情を見る事が出来る。
 心の感受性に外流や邪気を遮断するフィルター機能の弱い精神科医は、複数の、浮ばれない悪霊化した霊魂もしくは、生霊化した意識体に取り憑かれ、冒されていると言う実情である。

 私には、製薬会社プロパーの知り合いが多く、彼等の言を聴くと、既に何人かの精神科医は、欝(うつ)状態になって、憑衣の痕跡(こんせき)が否めないと言う人がいるそうだ。そして精神科医の老後が、やはり何処かの精神病棟の豪華個室で、内科的な内因性の病気を併発しながら、その最後を終ると言う事が少なくないというのだ。

 また、彼等も霊的世界の事を知らない為に、自らが心の影として描いた地獄へ、直行するのである。

 要するに、私が力説したい事は、精神科医自身が、精神障害者の根本病因を追求し、それを徹底研究すれば、霊的世界の事が徐々に見えて来て、物理的な治療に併せて、不可視の世界からの、種々の対処法が見出せると考えるからである。
 そして精神分裂病は、父母何(いず)れかが、こうした病気の保菌者であるならば、その子孫は発病する確率が高いという事である。

 但し、思春期の一時期に、保菌者でなくとも、食事等の誤りや自閉症あるいは離人症(りじんしょう)で発病する年齢がある。これは占いや、興味半分の心霊現象に関心を寄せる人に顕われる現象である。
 大体、女子ならば、痩身(そうしん)願望が強くなる拒食時期の、15歳から20代前半に掛けてであり、男子ならば10代後半から30代前半に掛けてであり、殊(とく)に多いのは、大学を出て企業に就職した後の二年以内に、この病気が多く発病するという事である。彼等は、登校拒否ならぬ出社拒否をするのである。
 一般には「五月病」と言われて既に久しく、四月に新しく入った学生や社員などに、五月頃、しばしば現れる神経症的な状態をいう。これも、先祖に保菌者がいれば、間違いなく精神分裂病に発展するだろう。

 しかしやはり、三代前の先祖にこうした症状を顕(あら)わした者か、その潜在的な保菌者が居た場合、その子孫は、親子なら50%の確率、祖父母ならば25%の確率で、発病している場合が少なくないようだ。

 また昨今は、動蛋白食品や乳製品、肉加工食品が巷(ちまた)に溢れ、現代栄養学も動蛋白に含まれるアミノ酸が優れた食品組成(実際にこのアミノ酸は人体では吸収できない。多くは腸壁に粘着して腐敗する)をしている為、これに目を付けて、厚生労働省共々に食肉摂取礼賛(らいさん)をしている実情がある。この背後に、精神異常者の保菌因子が、ばらまかれているという事だ。そしてその最たるものが、軒先販売のファーストフードやスナック菓子等のジャンクフードである。総(すべ)てアメリカから持ち込まれたファッションである。

 また、この犠牲者になって、脳と言う記憶装置を誤動作させ、あるいは混乱させる若者が増えている。これからも潜在的保菌者の表面化が、やがて日本にも、アメリカ並の社会問題になって行くであろう。

 話が長くなったが、あなたは「遺骨をどうするか?」と訊(き)いている事にお答えしよう。
 これは慎重を帰すべきである。遺骨の納骨ならびにその埋葬は、今日では様々なものがあるが、特に注目を惹(ひ)くのは、「自然葬」という、山河や海などに散骨する方法である。これは法的にも認められており、これを行う若い人達が増えてきたが、出来れば、これは余り進められない。

 散骨思想の、「自然界に遺骨を散布すれば、死者はその自然そのものが、死者の魂を供養する」と言う考えに基づき、これが展開され、散骨ツアーを企画している旅行会社も多くなって来ている。日本国内ばかりでなく、ハワイなどの外国に出向いての、家族ぐるみの散骨ツワ−が盛んである。
 散骨の第一の目玉は、墓地や墓標を必要としない事にある。墓地を購入する費用が省けて、経済的としているが、これは、死んだその人が、この事を充分に、生前に理解し、「空」の思想を悟り切っていなければならない。生前にそれだけの「品格」を備えていなければならない。

 しかし凡夫は此処までの智慧(ちえ)と思想を、生前に勉強する機会も時間もなかった筈である。そうした霊的世界の研究なしに、それを行う当事者も、また、それを行われる死者も、なぜ自分が、遠い闇の世界から生まれて来て、遠い闇の世界に帰って行くか、それが分からないまま、こうした事を行えば、必ず、その意識体(浮遊意識で、安堵の場所が定まらない霊魂あるいは意識唸)は未来の子孫か、血族で、同じ形の波調の持ち主に取り憑く筈である。実は、精神分裂病の憑衣のメカニズムは、此処にある。

 それはあなた自身かも知れないし、あるいは、あなたがやがて誰かと結婚して儲けた子どもであるかも知れない。もしくは、あなたの叔父さんか、叔母さんかも知れないし、また、あなたと、従兄弟(いとこ)関係にある、彼等の子どもであるかも知れない。「逃げれば、追い掛けてくる」と言う法則が、現象人間界には、しっかりと働いていると言う事を忘れてはならない。

 したがって、あなたが、お母さんの墓を自身の力で造る事だ。そして、せめて月に一度は、そこでお母さんの意識体と心を通して語る事だ。
 意識体と雖(いえど)も、かつて肉体を持っていた、あなたと同じ人間であり、況(ま)して血統的には、あなたの母親であった事を忘れてはなるまい。「死んだ」と悟らせる為の、あなた自身のメモリアルが現世には居るのである。




植物人間になった息子への相談 (43歳 会員 主婦)

 メールでご相談させて頂きます。
 現在、私には19歳の大学に通っていた息子が居ます。ところが息子は今は、植物人間としての無惨な生活を送っています。

 息子は高校の頃より柔道をしていて、大学に入っても、高校時代に柔道をしていたということで、半ば強引に柔道部に引っ張られました。
 本人は柔道をすることが満更嫌でもなく、地区の強化選手に選ばれて、柔道部で毎日練習をしていました。ところが練習試合で、投げられて頭を強く打ち、後遺症の残る大怪我をしてしまいました。

 辛うじて、一命は取り止めたものの、以後、植物人間になり、家族の顔を見ても分からず、ものも言えず、食事はおろか、大小便も自分ではできないと言う、見るも無惨な姿になってしまいました。そして、もうあれから一年が過ぎました。

 大学側とは、損害賠償や慰謝料について現在裁判で争っています。でも、仮に裁判に勝訴して、幾らかのお金を貰ったとしも、元気だった頃の息子は、もう還って来ません。

 何とか治せるものならと、幾つかの病院を転々としましたが、お医者様の話では、将来治るかどうか確信がもてないということでした。一人息子ですので、主人も、方々の病院に息子を連れて行き診てもらいましたが、どこへ行っても同じ答でした。

 一人息子に、私たちの将来の夢を託し、手塩にかけて育て参ったつもりですが、こうした状態になってしまったのでは、その前途ある将来も断たれ、現在のところ、為(な)す術(すべ)もなく、一体どうしたらよいか、全く分かりません。
 これからの人生、一体何を目標に生きたらいいのでしょうか。絶望と苦痛を抱える母親より。



回 答

 まず、こういう相談を受けると、私は今から二十年前程の、早稲田大学の合気道部で起った、入部したばかりの新入生に「四方投げ」を掛け、その新入生が頭部を強打して、植物人間になった話を思い出す。
 これも最高裁まで争った事件であったと記憶しているが、裁判所の支払命令は、確か、大学側に当時の金で、「一億円支払え」であったように記憶している。それ以来、何処の大学の合気道部も、受身が充分に出来ない新入部員は、最初は「見取り稽古」から始まり、「受身の基本を徹底する」と言う対策が取られたようだった。

 それにしても、こうした練習での事故が、未(いま)だに起っていると言う事は、甚だ驚きの限りである。しかし、格闘技の世界では、こうした事故でのトラブルが、跡を断たないとも聞く。当事者同士が、金でかたをつける為、新聞やテレビでは報道されないだけかも知れない。

 あなたの息子さんの寝た切りの植物状態を想像すれば、何とも心が痛むばかりである。
 さて、あなたは人生を一度限りの掛け替えのないもの、あるいは死んでしまえば総てが一切なくなってしまうと、人生を考えていないだろうか。または、多くの日本人にありがちな、中途半端な無神論者的な思考に傾いていないだろうか。

 私のせめてもの慰めは、まず、霊的世界の事をよく理解して頂きたいことである。そうすれば何故、息子さんが植物人間になってしまったか、徐々に見えて来るものがある筈である。

 パウロの黙示録の冒頭には、

  人間は災いなり、
  罪人は災いなり、
  なぜ、彼等は生まれたのか。
                とある事を、まず念頭に置いて頂きたい。

 人間は「災いの種」を撒(ま)き散らす生き物である。
 これには誰一人の例外いもないのである。そして総ての人間が、大なり小なりの、嘘つきで、善良な市民を装おう「罪人」なのである。

 したがって生まれでる最大の理由は、今の「結果」から遡(さかのぼ)って、その「原因」に至る、罪業(ざいごう)の贖(あが)いであると言えよう。
 ある結果が派生したと言う事は、そこに災いなる原因が必ず存(あ)る。これにキッパリと「けじめ」を付けない以上、見るも無惨な我が子の姿を見て、途方に暮れるばかりでなく、毎日が地獄の日々である事は明白である。

 また、このような、治る可能性の少ない息子さんを持つ両親の苦しみは、ベットに横たわる息子さん以上に、その何十倍も辛く、苦しく、絶望を思わせるものかも知れない。しかし魂の永遠から、これをマクロ的に、「人は何故生まれ、何故死ぬか」その事を是非考えて頂きたい。

 おそらく、あなたは、私が植物人間と言う患者を抱える当事者でないから、以上のような残酷な事が言えると思われるかも知れないが、それはあなたの近視眼的な見方で、人間の人生の本質を捉えていない。

 私の言わんとする事は、つまりこうである。
 現象人間界における、「現在」という立場を、今、あなたが苦しい、辛いと思うのは、人間の「霊的構造」と、「魂の永遠」をあなたが信じていないからだ。
 あなたが魂の永遠を信じ、それがある程度自覚できれば、現在の辛く苦しい境遇を、少しでも乗り越えようと、勇気が出て来る筈である。

 人間は霊的な生き物である。
 精神と肉体があって、それが単純に半ばを分け、肉体が精神に作用を及ぼしているのではない。
 《癒しの杜の会》のHPを繰り返し熟読されれば、人間には「死後の生活」があり、この世は「仮の姿」であって、本当の姿は「あの世」にある事が分かる筈である。魂は永遠なのだ。死んだら、それで総ては終るのではない。これまでの意識は、その死後も覚醒(かくせい)を見るのである。

 その証拠に、息子さんに話し掛けて御覧なさい。必ずその返答が帰って来る筈である。
 あなたは、「ものも言えず、聞こえもしない植物人間に」と思うかも知れないが、植物状態であっても、生身の人間である。五官以外の感覚器は、まだしっかりと機能しているのである。ただ記憶装置の脳が機能しないだけだ。

 人間の死は、脳死状態を、現代医学は「人の死」と定義しているようだが、これは間違いである。脳は、単に物事を記憶する記憶装置であり、脳に人の魂が宿っているのではない。脳に心が存在しているのではない。
 したがって、話し掛けても無駄と思わず、息子さんの魂に話し掛けて御覧なさい。必ず何かの表情を見せる筈である。

 植物人間を、物体視して、人形同然等とは、決して思ってはならない。
 あなたと同じように、一生懸命に生きようとしている「人間」なのである。確かに、何かをしようとして、今を必死に生きているのである。その証拠に、今なお、心臓は止まらずに、脈を打っているのである。あなたの息子さんの魂は、植物人間になりながらも「生きて行こう」とする意志を示している。こうした健気(けなげ)な姿に、あなたは母親として慈愛の心を注ぐべきである。
 そして息子さんは、寿命を全うし、心臓の止まる日まで、あなたは息子さんの看病を行い、それを片時も止めてはならない。そうする事が、あなたにとっても息子さんにとっても、悪因縁消滅の為の、身魂(みたま)磨きと、心を洗い浄(きよ)める浄化となるからだ。

 それは過去世(かこぜ)の悪因縁断ち切りにも繋(つな)がる。
 これこそが罪業(ざいごう)の償いであり、魂への「けじめ」である。植物人間と言う不幸な形で、この世に生かされ続ける言う因縁の結果は、過去世において、原因を派生させる禍根(かこん)が、かつて作られたという事だ。
 それは過去世で働いた、様々な裏切りや、その他の恨みから来る怨念であろう。

 これを断ち切るには、方法は一つしかない。
 それは親子共々、この辛く苦く悲しい現実を一身に受けて、逃げずに、吾(わ)が魂を洗い浄める事である。

 我が子を見て、「見るも無惨な姿」と思ってはならない。
 この姿こそ、「今、過去世の清算」をしている真摯な姿なのだ。そう確信する事だ。
 そうすれば、今の状態が納得いく筈である。この辛さや苦しみから目を反(そ)らしてはならない。全身全霊をもって、これを真摯(しんし)に受け止める事だ。絶対に逃げない事だ。
 直視して、息子さんと共に親子共々、今こそ魂の洗濯をし、過去世での悪因縁を一切断ち切る事だ。これによってのみ、あなたがた親子の「過去世の清算」が可能になるのである。

 そうすれば、人間の何たるかが見えて来て、人生はマクロ的に見れば、目的ではなく、魂を向上させ続ける手段の一コマであると言う事が分かるであろう。