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●霊導法、その霊導へ向けての術前

 まず、術者は心静かに精神統一を図り、無私むし/私心のないこと)をもって、我が霊魂に心を通わせ、包み込むような意念(愛の想念をもって癒してやる)を右手の掌から被術者の亜門宮付近に軽く押し当てます。暖かいものを注ぎ込むような、そう言うイメージを心に強く念じます。

 霊魂は本来欲望を持たない「意志」あるいは「意識」であるので、語り掛ける術者も、私欲・我欲を捨て去って「無垢(むく)な心」で語り掛けることが肝心です。霊魂と同じ心理状態を作ることが大事で、まず、患者を一心に癒(なお)してやりたいという「まごころ」(誠意)を示さねばならなりません。

 まず、場(空間)の邪気(じゃき)を祓(はら)います。これは「九字(くじ)」を切る事によって、場の静寂(せいじゃく)と浄化を促します。宇宙には無数の波動が飛び交っていますので、これは一種の情報の選択ようなもので、情報には善い情報や悪い情報もあるのと同じく、場に漂う素粒子にも、他人が落とした唸(恨みや口惜しさなどの想念)によって歪(ゆが)められた粒子が混じっています。こうした粒子を場から消去してしまうのです。人の心から発した唸などの意識も、現象人間界では素粒子化されています。これが「見えない心」に実体です。

 量子力学と相対性理論を結合させて理論付けた「場の量子論」によりますと、宇宙全体は剛体物のような「物体」ではなく、「場」であると説明しています。
 この「場」というのは、物体を意味するものではなく、強(し)いて言えば「空間」を指し、場だけが実在的であると言います。「物体」すなわち素粒子は、「場」の相互作用の結果に過ぎないと言うのです。「場」の相互作用が局所的に凝縮(ぎょうしゅく)したものが「素粒子」として現れたもので、この基本粒子は剛体物でなく、実は肉眼では確認不可能な「何もない、粒子的に見えるもの」なのです。
 「場」には無数の、こうしたものが漂っている為に、まず、術前にはこれを浄化しなければならないのです。

九字の切り方、その一・護身秘呪の秘法。


九字の切り方、その二・真言密法卍字の秘法。

 その一の《九字の切り方》は、護身の秘呪として用いる9個の文字を指します。「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(じん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)」の九字の呪(じゅ)を唱えて、人指し指と中指で剣印けんいん/人指し指と中指を直に伸す)をつくり、空中に縦に4線、横に5線を描きます。これを「四縦五横(しじゅうごおう)」と言います。
 こうすると、どんな強敵(悪霊や怨霊)も恐れるに足りないという《護身の法》で、「場」の空間清浄化を即座につくり出します。これは「九字護身法」とも謂(い)われ、これを行なうと効果覿面(てきめん)です。

剣印 
剣印の納め方

 また、下図のその二の《真言密法卍字の秘法》は、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」の九字状に切り込んでいきます。この秘法はまず、剣印をもって「臨」点より書き始め、「前」の井田(せいでん)の折形の順序に進め、九字を順に書いていきます。最後に、卍字の中央に剣印の「とどめ」を打ち込みます。
 邪気を払い方法として、この方法は効験(こうけん)の顕著(けんちょ)なることは覿面(てきめん)であり、井田の折形と同じく、人事百般に応用出来ます。

 姿勢は「静坐」せいざ/足の拇指と拇指を重ねる指坐静座法。詳細はイラスト参照)がよく、患者も静坐させることが肝心であるが、できるだけリラックスした精神状態で、静粛(せいしゅく)にすることです。この時の姿勢は腰骨の上に脊柱(せきちゅう)をしっかり垂直に立てるということが大事で、背骨が曲がらないようにします。くれぐれも脊柱の垂直を崩して、胡座あぐら/この姿勢は腰骨の位置より膝頭が上になってしまうので、長時間同じ姿勢を保つことができず、腰がだるくなって集中力が散漫する)等しないようにします。

 静坐法とは読んで字の如く、「静かに坐(ざ)する」ことを言います。初心者がこの方法を行なう場合は、畳や板張りに直接坐るよりも、座布団か布団の上に坐り、足が極端に痺(しび)れないようにします。両手は静かに腰の前に持って来て、背骨を腰骨の上に垂直に立て、姿勢を正します。そして動悸(どうき)が静まるまで呼吸法を行ないます。

 呼吸法を行う際は、必ず吐納(とのう)の「吐気(とき)」から始め、次に「納気(のうき)」を行ないます。吐気は吐く息で、呼気は吸う息です。吐く時は重たく、口から吐き出します。また吸う時は、鼻から軽く吸い込み、頭の後頭部に納気が突き抜けていくような、軽く、軽くのイメージで吸い込みます。こうした状態を繰り返しながら、吐納の周期を段々長くもっていき、最初は5秒程度から始め、段々と長くしていきます。

 例えば、5秒吐いて、次に5秒止め、次に5秒吸い込み、更に5秒止めると言うサイクルを段々長くしていきます。秒数は自分の心の中で数えて下さい。
 呼吸法の目安は、5秒〜15秒くらいが理想で、絶対に30秒以上を超えるような長い呼吸は、酸過多状態になって危険を伴います。したがって長い呼吸は厳禁です。
 こうして呼吸法を10回程行なった後、《霊導法》に移ります。

静座法図解

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 さて、術者の《霊導法》を実践するに当たり、霊導法を行う人(一番血が近い人が親子兄弟姉妹が理想。しかし血縁的第三者としては、夫婦でも構わないが一親等の血縁者に比べれば効果が薄い。したがって親である場合、子供が親へ、子供である場合、親が子へが良い。その次の順位としては、二親等の兄弟・姉妹。憑衣現象を解くには術者の「愛の想念」がものを言うが、憑霊現象を解くには「血」がものを言う)を「術者」と言い、これを享(う)ける人(精神分裂病患者)を「被術者」を最初に定義します。
 そして何故、「精神分裂病を患ったか?」という事を探究する必要があります。

 その探究としてまず、浮かび上がって来るのが、日常生活の中で、中途半端な宗教儀式を取り込んで居なかったかと言う事を考えなければなりません。それを纏(まと)めると、次のようになります。

 
術者の理解するべき非実在界の現象 
1.  特定の宗教を信仰して居なかったか、あるいは自分が檀家(だんか)であるとする菩提寺が有るか無いかと言うこと。あるいは新興宗教に入信していたり、オカルト雑誌等に興味があったかの有無。有る場合は、中途半端な無神論者として断定出来る。

 日本の場合、神道や仏教に帰依(きえ)していても、こうした人は日本教神道派、日本教(各宗派)仏教徒、日本教創価学会員、日本教大本、日本教天理教集団、日本教金光教集団、日本教生長の家、日本教修養団、日本教倫理、またクリスチャンであっても、日本教キリスト者であり、「日本教」に属する中途半端な無神論者であり、この中途半端な無神論者の出処は、総べて日本人が、日本教と言う信仰を持ち、日本人指向で世の中の俗事を見ている為である。

 したがって、こうした現実を見ると、無神論者の数も殆ど少ないと推測出来るが、逆に、では熱心な仏教徒やクリスチャンが何処に居るかとなる分けであるが、これも実に少なく、日本教の僧侶(高徳の僧の敬称の朝廷から諡号(しごう)の大師、僧官の最上級の大僧正・僧正・権僧正、上人(じょうにん/学徳を備えた僧で法橋(ほつきよう)上人位の略)、老人ろうにん/年とった上人位)、老師(年とった僧または師匠の意)、和尚(師僧や高僧の意)、寺の首長の住職(住持職の略) 等の称号でも、神父(カトリック教会での教区司祭・修道司祭の呼称)でも、牧師(プロテスタント教会の聖職者で牧会(ぼつかい)の責任者)でも、あるいは新興宗教の教祖(宗教・宗派の創始者)や聖師(聖上の師匠)や尊師(師匠の尊敬語)と言われる人でも、結局日本教に無意識に帰依している人である。
 日本人の多くは、日本に生まれた場合、無意識に日本教(「あなたの宗教は?」と訊かれて答えられない中途半端な無神論者)に帰依している場合が多い。
2.  徹底した無神論者であれば、憑霊現象の症状も軽いが、中途半端な無神論者である場合、その症状は長引く。特に質(たち)の兇(わる)いのは、新興宗教等に帰依していて、その集団の幹部なのか、一般信者なのかという事で、幹部の場合は皮肉にも軽く、下っ端の一般信者なら症状が重いと言うこと。

 ご存じのように宗教団体は、既存の宗教団体や新興宗教を問わず、その組織は巧妙な「集金システム」が徹底されていて、幹部は宗教をビジネスとして経済的唯物論で考え、一般信者は精神修養を目的とした唯神論でこれを捉えている。この差は大きく、物事を唯神論思考で考える人程、その症状は重くなる事実を把握すること。

 特に日蓮大聖人の名を語り、かつて富士門流に属していた某宗教団体は、幹部が唯物論者であるのに対し、一般信者は題目を連発に唱える熱心な唯神論者で、こうした底辺に属する人は、悲しいかな、暗示に掛かり易く、憑霊現象に冒され易い。某宗教団体に属しながら、国会議員や地方議員の地位や役職を持つ者は、唯物論者なので、憑霊現象に冒される事が少ない。彼等が図太くて、ふてぶてしいのは、憑霊されない事を意味する。ここが小市民と構造が違うようだ。
3.  中途半端な無神論者であるうち、過去に神仏を認めない癖に、先祖の墓参りや、その他の墓参りをし、盆・彼岸・命日の儀式に参加し、あるいは地鎮祭、武道武術の稽古の有無、神前・仏前結婚や教会結婚、クリスマスイブ、初詣、合格祈願、お礼参り、占い信仰(占い、易、方位、九星気学、四柱推命、姓名判断、西洋占星術、白魔術、黒魔術、手相、人相、カード占い、タロット占い、オカルト興味など)、神社仏閣の御札、交通安全の御札・御守り、年末から年始にかけての注連縄、出産祝、新築祝、入園祝、入学祝、入社祝、刑務所からの出所祝、退院祝等の祝事の一切、クリスマスカード、年賀状、年賀の儀式、神前・仏前・教会結婚儀式、葬式な等に参加したり祀ったりした場合は、こうした中途半端な無神論者に入る。要するに、憑霊される「憑霊予備軍」であり、三代前くらいに事故死や横死をした人がいれば、間違いなく憑霊される可能性がある。

 ノイローゼや神経症や鬱(うつ)病等の自律神経失調症も、準憑霊現象と考えていいだろう。つまり、憑霊や憑衣をされる場合は、まず背中の真ん中付近の「風門」から外邪が侵入し、「気門」を閉じてしまって、「唖門宮」に停滞し、人体サーモスタット(温度調節器)を破壊して神経系をコントロールするからである。
4.  ガンで死んだ身内(曾祖父母、祖父母、父母、叔父・叔母)がいる場合、中途半端な無神論者は憑霊され易いこと。一度、三代前の戸籍抄本を取って調べてみるとよい。また、死因を親戚中に聞き廻る事も御薦めする。実際に精神分裂病者に憑霊している人が誰であるか分かるからである。
5.  無神論者と中途半端な無神論者の差の大きい事は既に述べたが、問題は「中途半端な無神論者」であり、こうした日本教人種こそ、恰好(かっこう)の憑霊現象のターゲットとなり易い。三代前の先祖と同じ血縁関係を持っているからである。
 したがって、遺伝伝達物質の中には、同じ周波数を持つ波調がセットされていて、先祖の発する浮遊する霊的想念(多くの場合は臨終の際に断末魔を上げた雄叫びの悪想念)が被術者の受信器と同調して重なってしまうのである。
 勿論、侵入する場合は、「風門」から入り込み、「気門」(気の出入りをする毛穴)を閉じて、亜門宮に停滞し、人体の温度調節器脳を破壊して、此処に居座っている。しかし古参の不成仏霊は、「太陽神経叢(たいようしんけいそう)」あるいは「副腎」に潜り込む。
6.  こうした非業(ひごう)の死を遂げた先祖の霊魂は、生前の生き方の中で「悪想念」で覆われた生活をしているので、想念が霊魂の意識の深層部に隠れている場合が多く、こうした事も把握しておかなければならない。また術者は、「愛する想念とは何か」と言う事を充分に認識しておかなければならない。

 更に、「九字」(護身の秘呪として用いる9個の文字)の知識や、静坐法、呼吸法(丹田呼吸法、逆腹式呼吸法、調息呼吸法など基礎段階)にも通じていなければならない。理解が不充分だと、被術者の症状を悪化させ、被術者ならびに死者の霊魂が混乱し、悟りを複雑化させるので要注意。そして術者は、自分なりの霊的構造を理解した「簡易図解」を思考の中で組み立てておくべきである。



●体質が遺伝すると何故発病するのか

 現代は最先端技術の医療体制にありながら、精神分裂病の原因は、未(いま)だに医学的に不明です。したがって、精神分裂病に対し、入院患者が仮に退院が出来たとしても、「全治」という診断書を精神科医は出しません。医師は、再び悪化する事を知っているからです。

 現代医学は三次元科学が母体になっている為、眼に見えないもの、手に触れないものなどの、物質としての三次元状態での実体がないものは認めたがりません。「見えないもの」は未科学の分野でなく、非科学の分類に入れて、これを一蹴(いっしゅう)していることです。したがって、三次元医学でも、これには限界があるからです。

 精神病は遺伝する、あるいはそうではない等の意見の対立していますが、精神医療現場では、未(いま)だにこれに対し結論が得られていません。医学的には遺伝しないと言われながらも、精神病患者の出た家系には、その後も患者が多く発生している事が多く、特に子孫の中には、不定愁訴ふていしゅうそ/特に昨今では神経症や鬱病(うつびょう)の発生が多発しており、鬱病は7人に1人が発病)に関する状態を訴える人が少なくありません。こうした事から、精神科医も、患者の病理調査に対し、家系を重視しているようです。

 逆に、この事は、世間もそのような同質の眼で見ている事であり、親は子に遺伝し、子は孫に遺伝するという暗雲の意識があり、これに悩まされている人も少なくありません。暗い家庭で、患者を巡って争いが絶えず、この世の地獄とは、実にこのような事を指すのかも知れません。

 しかし、今日の精神医学では、遺伝病としての精神障害は、否定されつつあるにもかかわらず、家系を見て判断しているのは事実であり、「血」の性質は遺伝するのではないかと考えられています。

 一方で、体質は遺伝すると言う現実があり、精神病も体質が遺伝して発病するのでは?という疑いが持たれています。しかし、肉体的には体質の遺伝が考えられますが、そこから一歩先に踏み込んで考えれば、「体質が遺伝すると、何故精神病を発症するのか?」という疑問が起こります。
 遺伝する限り、そこには病因を引き起こす科学的な根拠があるはずで、何等かのエネルギーの作用が働かなければなりません。

 邪気や外邪によって、何等かのエネルギーが放射されており、その放射に接触して侵入を許すというプロセスには、当然、そこには「何等かの波動エネルギーによって発病する」と言うメカニズムがあり、そのエネルギーによって影響を受けて発病したという見方が、一番最初の起因として考えられます。その際、それを受けたのは「体質なのか」あるいは「霊的波動による周波数的な波調によって、その影響を授けたか」と言う事になります。

 意識体は死して後も、肉体を所有していた時と同質の波動を出しています。肉体と同種の波動を発するエネルギー体が肉体以外の所にあり、そこから発するエネルギーによって、正常な人間の精神作用を歪め、狂わせているという現実があります。
 この結果、異常な行動をするというのが精神病者であり、外部に触れてこのような状態が起こると言うのは、外部にあるエネルギー体の波動は、正常なものではないと言う事になります。

 このエネルギー体が乱れているから、それと波調を同じくする人は、これに共鳴して狂うのです。したがって、外部エネルギーの狂った状態を正常に戻せば、また、これに触れた精神障害者も、正常に戻るのであって、《癒しの杜の会》では、外部のエネルギー体を、「血と体質」(血族が遺伝的に持つ霊的波調と、それに感染する体質)に纏(まつわ)る先祖の不成仏の霊魂であると推定しています。