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●《失敗の経験》という判断材料 幸・不幸あるいは運・不運を隔てるその一線は、心の自浄作用にかかります。 今、あなたが何かを試みる時、その判断材料に置かれるものは、忌わしい過去の記憶を記憶として捕らえるか、それとも過去に起こった過ちの積み重ねだった《失敗の経験》を教訓として捕らえるか、そのいずれかを選択し、それによって、今後の幸・不幸あるいは運・不運を決定する事が出来ます。 心的動作の中で派生するものは、発想の転換を迫られるわけですが、その発想を切り替えて新たなものにしていく為には、過去の過ちの積み重ねであった《失敗の経験》をどう判断し、どう解釈し、どのようにそれを教訓として切り替えるが、その一点に委(ゆだ)ねられます。 もし、何かを試みようとして、「また、あの時のように、失敗するのでなかろうか」というふとした不安にかられた場合、忌わしい過去が再び浮上して、《古い忌わしい未来》をつくってしまうのです。こうなると、未来に過去をつくるばかりか、今後とも引き続き、過去を繰り返して体験しなければならない現実を招いてしまうのです。この障害こそが、《今日》という現在に、忌わしい過去を未来に創造するという愚行なのです。 そして最早(もはや)こうなれば、心は、歓喜を呼び寄せる事が出来なくなるばかりか、新たな体験や、感動も得ることが出来ず、益々自信を失い、塞ぎ込んで、精神的動脈硬化を起こしてしまいます。その心の栄養失調状態は、やがて「私ほど、この世の中で不幸な人間は居ない」等という嘆きを吐露(とろ)し、またそれが新たな幸・不幸あるいは運・不運として、あなたを襲うのです。 そこでこれを、発想の転換として心的動作を別の思考に置き換えることに迫られます。 まず、《忌わしい過去》は、過去の過ちの積み重ねだった。しかしそれは経験や体験する貴重な教訓としての資源であり、あの時は確かに失敗したけれど、これをよき教訓として、より多く苦労を積んだ体験者だと言う自負が持てれば、これまで心を縛り付けていた重い鎖から解き放たれて、過去の過ちを悔(く)いる想念は呪いから解かれたように、跡形もなく消え失せてしまうのです。 ●心の自浄作用 心には自浄作用があります。 一旦壊れた心は、自らが修正機能を持っている為、その箇所を修復し、汚れた部分は自浄作用によって新しくなり、未来に向かって新陳代謝を繰り返します。 それが幾ら醜い環境であっても、美しい想念を持ち続ければ、それは美へと転化していきます。 健康体である場合、汚い空気を吸い込んでも、あるいは不健康な食品を食べても、その時は躰の自浄作用が働いて、気管からは痰として、肝臓からは胆汁として、腎臓からは尿として、あるいは大便や汗として内側にあるものは総て排泄されます。常にこのように、清浄な状態を保つことができれば、万一の場合、こうした自浄作用が働いて、不健康を回避する事が出来るのです。 ところが清浄を常日頃から心掛けなかった場合、汚染が酷くなると肝臓は肝炎を起こし、その汚染が長引くと、肝硬変に陥って、解毒作用は停止され、生命の危機に瀕します。 人体機能がこのような反応を示すように、心も汚染した状態に置いておくと、ストレス等が蓄積されて、汚れが酷くなると自浄作用は働かなくなります。こうした時に起るのが、ノイローゼと言われる神経症であったり、鬱病(うつ)と言われる精神分裂病の初期であったりします。更にこうした状態が続き、浄化不能状態に陥れば、反社会行動や精神障害は浮上して来ることになります。 躰も心も同じ法則に支配されていますから、不健康な場合、躰を病むと同時に、心までもを病んでしまうのです。そして憂鬱な感情を取り込んで、いつの間にか心の中に陰をつくってしまうことになります。 こうした事を避ける為には、心に焼き付いた恐れや恨みや悩みを消去することに務め、発想の転換をすることが大事です。 人間は自浄作用の働きがあります。自浄作用によって、人体の細胞は生まれ変わり、古い細胞は滅び、新しい活力に満ちた新生細胞が代謝機能を促します。この代謝機能によって、明日を作り出す事が出来るのです。 ところが新しい細胞を作り出す力を失うと、代謝低下に陥り、《老化》と言う現象が起こります。この《老化》の正体こそ、正常細胞を異常細胞と言うガン疾患を作り出し、心を汚染させて、精神障害を引き起こす元凶だったのです。 この元凶が長く続きますと、やがて生命活動には翳(かげ)りが見え始め、ついには寿命を縮め、死を齎すと言う現実を非実在界に作り出してしまうのです。 そして最早こうなりますと、躰は心の働きを無くしたまま、躰の寿命のある間だけ、食べる事、練る事の欲望だけの「生きる屍(しかばね)」に成り下がってしまいます。 もし、今あなたが不幸や不運に見舞われているとしたら、まず、あなた自身の中に「自浄作用」があるということを思い出して下さい。 ●人間とは、プラスの磁性とマイナスの磁性の両方を持ち合わせた生き物だ 宇宙は壮大な磁場を持っています。 そしてこの宇宙の中に存在するものは、エネルギーの波動を出すことによって、自己表現をしています。自己表現の仕方には、プラスの磁性を発揮する方法と、マイナスの磁性を発揮する方法に分かれ、その相乗効果で、人間は歓喜(かんき)に満ちたプラスの磁性を表現したり、病気や憑衣・憑霊のマイナスの磁性を表現することになります。 地球も一種の生命体である以上、地球自体が巨大な磁石であり、プラス・マイナスの両磁極を持ち、地球の長い歴史の中で、しばしば南極・北極の位置を交え、横転したり、磁極を逆にしたり、時には磁性を突如消失させたりした、過去を持っています。 こうした磁界崩壊の現象が、外部からの強い宇宙放射線の影響として現れ、その宇宙放射線を浴びた生物達は、異常を来したり、亡んでしまったのでした。アンモナイトの殻(から)の巻き方に変化が起こったり、恐竜等の巨大古生物が絶滅したのは、こうした宇宙放射線を浴びた事からだと言われています。 さて、人体も陰陽の両磁性を、左右それぞれに持っています。 《東洋医学》でいうところの「気の流れ」には磁気流と言うものがあり、上下左右を十四経絡として隈(くま)無く循環しています。 そしてこれ等の磁気流は、《心の動き》によって発せられる「想念波動」に支配されます。想念の持ち方次第で、陰気である「恐れ」や「怒り」や「恨み」や「憎悪」を持つマイナスの磁気流に変わりますし、また陽気である「歓喜」の転換させますと、プラスの磁気流が現れて来ます。 またマイナスの想念波動が強い程、磁気流の陰圧は高まりますし、逆にプラスの想念波動が強い程、磁気流の陽圧は高まります。 ここで磁気流の陰圧と憑衣・憑霊現象について説明を加えましょう。 陰圧は負のエネルギーを構成する想念構成要素ですから、この陰圧を強く持っている人は、周囲の元気な人まで巻き込んで、元気な人の陽圧を奪い、その正のエネルギーまで吸い込んで低下させてしまいます。 更にこうした陰圧が高まると、憑衣・憑霊現象が起こり、生霊や死霊やその他の悪霊の餌食(えじき)となり、負のエネルギーの過剰充電状態に陥ります。 負の陰圧磁気流は、左手の掌(てのひら)から侵入し、上腕に沿って左肩に至り、その時に極度な緊張や疲労があると、後頭部へと達します。ここは東洋医学で言う「亜門宮」であり、ここには温度調節器機能があります。 この時、緊張や疲労等のストレスによって、胸腺(前縦隔上部で胸骨の後側にある扁平葉状の器官)の活動が低下し、否定的であったり消極的であったりすると、この発生した負の磁気流は更に第二頸椎(けいつい)から脊髄を通り、太陽神経叢(たいようしんけいそう/脊椎動物で、神経の分枝・吻合によって形成される網目状の構造)ならびに副腎(腎臓の上内端に接し腎筋膜に包まれる内分泌器官)へと侵入します。 問題は胸腺の活動ですが、胸腺は小児期によく発達し、思春期以後退化する特性を持っているため、骨髄に由来する前駆細胞(前T細胞)を受けて、免疫機能を持つ胸腺リンパ球(Tリンパ球)に分化・増殖させ、血行を介して全身の末梢(ましょう)リンパ組織に送る働きがあるのですが、思春期を境にして退化すると言う特性を持つので、この時期に心身ともに陰圧が高くなった状態にありますと、憑衣・憑霊は避けられないものとなります。 |
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この為、心は否定的で消極的な思いに支配され、心身はマイナスの磁性によって充満されてしまいます。こうしたマイナス磁性によって作り上げられた現象人間は、憑衣・憑霊の状態が完了してしまい、ふと隙(すき)等をつくり、前屈み状態になった時、邪霊(動物などの低級霊)が「風門」に忍び込み、ここから侵入を開始します。ここから侵入した邪霊は、脊柱(せきちゅう)を昇り、亜門宮(あもんきゅう)へと移動を開始します。そして亜門宮に居座り、人体の温度調節器機能を破壊した後、今度は第二頸椎を経て脊髄を降下して、太陽神経叢(たいようしんけいそう)や副腎へと侵入します。これが憑衣・憑霊のメカニズムです。 憑衣・憑霊された後、肚(はら)の中から「声がする」という現象は、悪霊や邪霊が太陽神経叢や副腎に居座った状態を指すのです。こうした状態にある時、下腹で何者かが動くのを感じます。次第にその何者かは、上へ上へと競り上がり、喉元(のどもと)近くまで接近して、喉仏(のどぼとけ)辺りに居座って咳の込み上げて来るような状態に陥れたり、あるいは更に上昇して、唇(くちびる)に痙攣(けいれん)を起こさせ、何かを喋ろうとします。あるいは「くしゃみ」状態をつくります。 精神分裂病者である場合、その唇を使って、脳で記憶している事柄に対し、自分の言い訳がましい自己弁護をしたり、他への中傷誹謗(ちゅうしょうひぼう)が始まります。これが一時間程長々と続くのです。 これは「憑衣物」(つきもの)と謂われる現象で、精神分裂病者の場合、憑霊に憑衣した憑衣物(つきもの)であると言う事が分かります。つまり、非業の死を遂げた先祖霊に憑衣物と謂う憑衣が起こり、憑衣されたままの先祖霊が子孫に憑霊したという形を取るのです。 こうした先祖霊に憑衣物がついた状態は、幼年期、少年期、青年期、それから以降の壮年期へと移行していきますが、少年期の頃から表面化し始め、青年期で精神分裂病あるいは鬱病(うつびょう)として発病し、その兆候が見え始めます。 この兆候(ちょうこう)の典型的なものが「恋愛」という憑衣霊の仕業による現象です。一般に恋愛は、男女が互いに相手をこいしたう「love」の意味で解釈されますが、単に惹(ひ)き合う同士は自分の意志とは関係なく、惹き寄せられている場合が少なくありません。 ●マイナスの磁性とプラスの磁性が惹き合う恋愛現象 世の中には「恋愛至上主義」なる言葉がありますが、恋愛を人生の最高・至上のものと考える態度または傾向は、一種の憑衣現象であり、憑衣した動物霊同士がお互に相手を好きになり、恋愛に発展すると言う形を取ります。 この憑衣霊の多くは狐(狐狸や猫等の動物霊を指すが、本来動物には人間に憑く能力はないので、こうした類は人霊が変質したもの)が多く、狐の霊同士が恋仲になり、「恋」という人生に見られる現象は霊と霊の囁(ささや)きであるということができます。憑衣されたから恋に発展したと言えます。 こかしこうした恋愛に発展する場合、これは単に男女が惹き合うという唸(ねん)であり、この唸が強くなれば表皮的に相思相愛の形を取ります。誰が観(み)ても、お互いに慕い合い、愛し合っていると映ります。しかし内側は全く違った事が展開されています。既に憎悪が始まっているのです。それは疑いから来る憎悪であり、嫉妬から来る憎悪です。恋愛と同時に、憎しみも派生するのです。 最初、男女が惹き合っている時は、恋愛に導いた憑衣霊同士は表皮的に相思相愛を気取りますが、この場合、「感情」が先行していますので、思想等をもって共鳴するという事はあり得ず、常にそれは心情によるものであり、狐の場合は狐の心情が働きます。 また、こうした恋愛に陥った場合、これが憑衣で始まる場合は、一切自分自身の心情が無視され、食べ物に関する好みも、これを期に一変します。 憑衣霊が欲するものを欲し、好むものを好み、恋しいと言うものを恋し、本来の自分自身にある生活は無視され、その奴隸に成り下がるのです。こうした形で結婚にゴールインした場合、その前途は非常に多難です。 ●恋愛現象と淫欲を貪る憑衣現象 人間には二面性の心理が働きます。肯定と否定の表裏一体の関係です。 人が判断に迷ったり、優柔不断になるのはこうした肯定と否定が同時に働くからです。善悪決め難い場合にこうした状態に陥ります。決断の鈍い人程、迷いの多い人で、その性格は「二頭追う者は一頭も得ず」という言葉通り、貪欲でしかも、両方を取り逃がしてしまうと言う心身混乱状態に陥ります。 また、こうした内側の背景としては、二面性をもった人間として、例えば自分が人間であるのか、自分に憑衣した狐が自分であるのか、その区別が尽きかねてしまいます。そして多くの人は、こうした倒錯した生活を送っています。狐狸等の低級霊(本来は狐狸そのものが憑くのではなく、元人間の不成仏霊が変化し、変質たもの)に憑衣されて、想念を狂わされている人も少なくありません。 現代人の場合、憑衣された自分を本当の自分と思っている為に、病癖(びょうへき)とも言える愚行を繰り返します。例えば、酒を飲むな、規則正しい生活をせよ、淫欲(いんよく)をい貪るな、四つ足は喰うな等の戒律を破り、法然や真鸞のように仏法の戒律を破って、ひたすら俗諦(ぞくてい)を信じ、この中に埋もれようとします。 そして極楽と地獄の両世界のイメージを植え付けて、結局行った先は地獄だという、愚かな外圧や外流に流されってしまうのです。こうした俗諦を振り回し、最初、これが方便である場合、たいした影響をでませんが、ウソも百回突き通せば本当になってしまう法則がありますから、始めは存在しなかったはずの地獄がいつの間にか出現し、非実在界の現象人間に、無間地獄を見せつける現実が派生してしまうのです。 現代が憑衣された人間が非実在界の現象人間を演出している為、憑衣に部分のみが旺盛になって、これが活動を盛んにします。その為、外圧や外流の影響をもろに受けて、外流の渦の中に身を投じてしまいます。 同一波調から繰り出される念波に共鳴し始め、粗雑で歪んだ世界と交流してしまいます。昨今の少年少女の廃退振りを見れば、一目瞭然(いちもくりょうぜん)となります。 こうした現象は、個人主義となって現れ、エゴイズムを最優先させて、一方で恋愛現象や淫欲(いんよく)を貪(むさぼ)る現象を展開させ、またその一方で物欲や権力欲に溺れる闘争原理を支配します。こうした意識はやがて「悪の想念」を心に植え付け、「愛の想念」を封印してしまいます。 この為、悪の想念が活動的に働いている現代社会は、物質的な生産活動や経済活動が中心になり、霊的な向上は閉ざされる事になります。こうした霊的向上が閉鎖された中で、今日の恋愛遊技が獣人(けだものびと)の中で繰り広げられているのです。 ●不明確な恋愛結婚の定義 物質的な生産活動や経済活動のみが優先する今日に於いて、「男女が愛する」ということが非常に不明確な時代となりました。特に、恋愛結婚の場合、肉の結合が前提となって開始されますから、形における吸引力でお互いが形式的に「睦(むつ)み合う」という形態を取り、口先だけの「心から愛している」という空手形を繰り出しているに過ぎません。 結婚して生涯を共にするという事は、非常に難しい事であり、それを実行し、最後まで履行(りこう)するには相当な覚悟があります。人間は現象人間を構成する非実在界の生物ですから、時間と共に変化し、変型していきます。 その直接的なものが、未来に想念された「予定」であり、この「予定」の中には、大怪我もありましょうし、大交通事故や、その他の災害による危険性も含まれているわけです。 結婚して一緒に暮らしているうちには、事故に遭遇して手足を失う場合もあり得るし、また大怪我をして貌(かお)が潰れるような見るも無惨な姿もなります。あるいは病気になって、様相が一変する場合もあります。 更に年老いれば、結婚した当初とは体型も変わり、無慙(むざん)な肥満体や、見るも哀れな拒食症体質になって痩せ細るかも知れません。更年期障害等で、体臭は次第にきつくなり、歯は抜け落ち、白髪混じりとなって、髪も抜け落ち、老醜(ろうしゅう)が漂う事も覚悟しなければなりません。 事業に失敗したり、リストラされて職を失ったり、予期しないもっと恐ろしい災難が降り掛かるかも知れません。しかしどのような驚嘆(きょうたん)すべき事態が発生しても、「最初の気持ちを維持する」ことが結婚であり、犬猫を貰うような安易な気持ちで、事は進められないのです。 まず、結婚するような人が顕(あらわ)れた場合、「最悪の事態」を想像して、それでも変わらぬ気持ちがあると自身がある場合に限り、結婚が許されるのです。 ●恋愛が始まったとき、それは何の始まりか 恋愛が始まったとき、それは一体何の始まりを、あなたはイメージするでしょうか。不幸は恋愛が始まったときに訪れるものです。恋愛は、幸せな恋愛より、不運な恋愛の方が多いからです。 悲恋の代表作が、西洋ではシェークスピアの『ロミオとジュリエット』(イタリアの名門モンタギュー家の子息ロミオと仇敵キャピュレット家の娘ジュリエットとの悲恋物語)とするならば、日本では近松門左衛門の脚色で有名な『曾根崎心中』(大坂内本町の醤油屋平野屋の手代徳兵衛と北の新地の天満屋の遊女お初とが曾根崎天神の森で情死した事件)であり、また、『八百屋お七』(江戸本郷追分の八百屋太郎兵衛の娘・お七が、天和二年(1682)十二月の大火で焼け出されて駒込の正仙寺に避難した際、寺小姓の生田庄之助と情を通じ、恋慕のあまり、火事になれば会えるものと放火した事件。のち捕えられて鈴ヶ森で火刑に処せられたと伝える)等、挙げれば切りがなく、恋慕が始まったことにより、不運が発生するということを物語っています。 これは幸福と不幸の一枚岩構造で、これに「見通し」が立たないと大きな失敗をし、一生不幸に見舞われることになるという警告です。 特に、感情で恋愛が始まり、これを結婚へと結び付けていく気持ちを抱いたとき、既に、今までの幸福への拮抗は崩れ、感情で振り回される熱病が非実在界に現象人間としての姿が具現されてしまうからです。 恋愛は感情を主体に、意識と感覚だけで行動する行為です。いわゆる眼に見える世界と、眼に見えない世界の影響を受けながら、「愛」(恋愛の「愛」は実は本当の愛ではなく、独占欲から起こった「可愛い」ものに対する感情)という不確実な媒体を介して、現時点で互いに裏切られるという現実を度外視して信じ合い、認め合い、尊敬し合い喩(たと)え裏切られても、それに文句を言わないという行為なのです。 昨今は恋愛至上主義が罷り通り、恋愛の名を語る恋愛遊戯が流行しています。 恋愛を人生の最高・至上のものと考える態度または傾向が強いことは、最早(もはや)現代人が、自らの心の想念で行動するのではなく、憑衣した何者かによって操られているという現象が始まっているという事を意味します。 更に、昨今の男女は、こうした「愛」の根本を知らず、見掛けだけで、フィーリングで相性を判断し、不可視部分(内面)を無視する傾向が強いようです。また、こうした事が不運・不幸の始まりとなります。 恋愛と結婚が因果関係を持つのは、衆目の一致するところです。したがって恋愛結婚は、男女の結び付きの約80%を占めています。 そして恋愛結婚は階級が下がれば下がる程、多くなり、逆に階級が上がれば上がる程、少なくなり、上流階級は恋愛と結婚を別々に考え、恋愛は恋愛で性交遊戯と考え、結婚は見合結婚によってと考えています。この階級は配偶者あるいは被配偶者を合理的に、医学的に、遺伝や血統を調べ、感情に振り回される愚を避けます。この意味で、幸福者と不幸者の差は、階級からも生まれているということは否定できません。 ●結婚という人間行為 結婚を定義すると、男女が夫婦となることを指し、一対(いっつい)の男女の継続的な性的結合を基礎とした社会的経済的結合で、その間に生れた子供が嫡出子として認められる関係を言うのです。民法上は、戸籍法に従って、婚姻届け出た時点で成立します。 さて、人生の中で禍福(かふく)の両方を包含しているのが結婚です。したがって結婚の問題は重要な意味を占めます。 そして子孫伝承、種族の維持はこの結婚によって齎(もたら)されます。 人間は、思春期に達するや、互いに異性を需(もと)め合う根本的な衝動が起こります。 この根本衝動は、神と名の付く宇宙の創造主が与えたものであり、人間が一個の生物として進化した途上において、次第に発達したわけですが、それは極めて低い下等動物の段階においても、雄雌の区別があり、両者は合体して新たな生命を作り出す宇宙意識によって運営されています。これが生命の管理です。 当然、この管理下には残すべきものと、そうでないものを管理するシステムが整っています。これが予定説で定められた宇宙意識です。 では、宇宙意識とは何でしょうか。 人間は思春期に入り、年頃になると異性が互いに相引き、相需めて、一体になろうとする欲求が働きます。それはある意味で宇宙意識の働きであり、宇宙に内在する根源的な力によって動かされています。それだけに男女の結合としての結婚は、厳重な注意が必要なのです。人間における異性相需める衝動は、一個人だけのものではなく、広く人類に見られる現象であり、大観すれば地球上のあらゆる生き物に見ることができ、それだけにこの根差しの深さに感心するのです。 だが、結婚問題で一番厄介なのは、「恋愛」という現象で、理性とは言い難い、不確実なものがこれに加わるということです。 古くから恋愛は「思案の外」というふうに言われてきました。男女が惹き合う現象は、思慮や分別を超えたところに存在し、根源的な根強さが働いていることに気付かされます。 さて、これを客観的に見た場合、恋愛の情の中には、ある意味で創造主の巧妙に仕掛けた「一種のトリック」が潜んでいることに行き当たります。 即ち、どんなに夢中になった恋愛でも、あるいはそれが結婚に結び付いても、その熱は「次第に冷めていく」という事実であり、その過程には一種の「幻滅」が伴うからです。 結婚という人間行為は総合的に見た場合、幸福になったり不幸になったりすることが繰り返されるのが当然で、多くの場合は不運・不幸の糸口を第一期症状運命症候群の方に向けており、結婚後の眼に見えない部分が具現される事が多いようです。それは遺伝と血統です。 つまり因果関係こそが、不運の大半を占めており、こうした不運が横たわりながらも、人間は感情が高ぶると正常な判断が出来なくなるようにできているのです。この意味で恋は盲目と言えましょう。 そしてこの盲目の中には、見えざる遺伝や血統は秘められており、もし、こうしたものが人間行為として劣勢である場合、その行為は思いがけない行動を取ることがあります。殺人犯や自殺をする人の大半は、こうした血統から起こる先祖のコピーが、現在に具現された現象なのです。 瞬間的に「思わず、カーッとなって……、殺した……」という現象がそれであり、これは明らかに血統から起こる行為であり、この不思議な周期と因果関係が重なり合ったとき、タイミングのズレが起こり、その瞬間に、突如起こるのが不幸現象なのです。 犯罪心理学では、犯罪および犯罪者について研究する過程の中で、犯行の心理、犯罪者の性格・パーソナリティー・気質、証言、犯罪捜査、矯正の問題などを扱います。そして重要課題は「血」です。 これは血筋を受ける、あるいは親や先祖の資質や性格を受け継ぐということから眼を付け、遺伝と血統は子孫にコピーされるという結果から導き出したものです。 |
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