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●健康・不健康が食べ物によって作り出される現世のカラクリ

 慢性病あるいは難病・奇病が作り出されるカラクリは一つしかありません。
 「災いは口より入る」の言に随(したが)えば、水俣病等を見れば一目瞭然です。
 水俣病は有機水銀中毒による神経疾患で、四肢の感覚障害・運動失調・言語障害・視野狭窄(しやきょうさ)・震え等を起こし、重症では死亡します。

 この病気は昭和28年〜34年(1953〜59年)に、熊本県南端の、八代海に臨む水俣市で発生し、ここはカーバイド、アンモニア、化学肥料等の化学工業が盛ん地方都市で、こうした土地柄から地域住民は工場廃液による有機水銀に汚染した魚介類を食したことにより集団的に発生したのが事の起こりです。また、昭和39年(1964年)ごろ新潟県阿賀野川流域でも同じ病気が発生し、第二水俣病と名付けられました。

 しかし、これは有機水銀に汚染した魚介類という、特別な食生活の条件下のものでした。
 したがって有機水銀等の汚染物質に汚染されていなければ、何を食べてもいいという人がいます。しかし、果たしてそうでしょうか。

 普通食べ物は、何かを媒介にして生き、それが栽培されたり、飼育されて、最後は人間の為に、彼等は命を捧げます。植物性食品であれば土を媒介にして、農業従事者の肥料や手入れで栽培され、また動物性食品等の牛や豚や鶏は飼育従事者の手によって飼育されますが、これが植物異なるのは飼料によって媒介され、基本的には彼等もまた植物性飼料によって飼育されます。植物性食品は「土」だけの一重構造の媒介ですが、動物性食品は最初に「土」を媒介した植物を食べ、その「植物」を媒介して飼育されるという二重構造になっていることです。

 さて、人間が肉食をするのは穀物菜食のみで満足できなくなった場合です。
 今日の畜産を見て見ますと、根本的には人工飼育の形が取られ、食肉を対象にした動物が垂れ流す糞尿が土地への自然還元は皆無の状態です。

 本来ならば、例えば鶏数羽を飼うにしても、自然の中に解き放ち、「地鶏」(じどり)と言う形で、自給自足で餌を取り、卵を産ませるという方法を用いていましたが、この方法は養鶏では生産効率が悪いということでケージ飼いが主流となり、改良された白色レグホンを飼って、毎日大きな卵を一個ずつ生ませて生産量を多くするということが試みられています。しかし、これには盲点があり、毎日卵を生ませる為には回収される卵の2倍の穀物飼料が必要となります。

 投下されたエネルギーは、穀物を回収するに必要なエネルギー「1」として、鶏の卵はこれの約2倍、ブロイラーで約4倍、豚で約6倍、牛乳で約8倍、牛で約10倍というエネルギーを費やし、飼育媒体が大型化するにつれ、その労力も大きくなっていきます。

 これから見ますと牛飼いは、地上のエネルギーを十分の一に減産させる労働であり、肉を食べる人は穀物を食べる人の10倍の浪費をしていることになります。
 そしてこの裏側には、わざわざアメリカから玉蜀黍(とうもろこし)を運んできて、ケージ飼いをし、人間が朝から晩まで付きっきりで給餌、糞尿の世話、掃除などキリキリ舞の畜産作業の裏に、アメリカの土地を大きく荒廃させている現実があります。

 こうした人工飼育構造は、人間をいたずらに多忙、複雑、徒労、混乱に陥れ、奔命させて衰弱させるという構造になっていることがわかります。
 これは酪農従事者だけに言えることではありません。養殖魚従事者にも言えることです。
 一匹のハマチを養殖し、太らすのにその10倍の鰯(いわし)を必要とする養殖ハマチは、まさに現代の畜産と同じ愚行を繰り返しています。

 近代漁業は10倍量の小魚を餌にして高級養殖魚を育て、魚が増えたと喜んでいる裏側には、食べ残しの小魚の死骸は堆積され、元々豊富であった漁場を汚染させて、結果的には漁獲量減少に拍車を掛けていることになります。

 結局、飼育効率や養殖効率がよいと思った大量生産が、結果的には大型で優良種になるほどエネルギー投入率が高くなり、人間側のエネルギー浪費も増大するという現象が起こります。
 近代畜産にしても近代漁業にしても、多発するこれらの生物に対する病気も防がねばならず、多用な薬漬けという現実に見舞われ、この薬による危険性も浮き彫りになってきます。
 そして、こうした多忙、複雑、徒労、混乱の末に生産された食肉類や高級魚が、媒介物質によって汚染されていたとしたら、私達は、次は「第三水俣病」のような有機中毒を起こすことは免れません。

 食肉や高級養殖魚はこのように、飼育や養殖を考えただけでも二重のセクション(植物が土壌から吸収した栄養素を、植物を媒介して動物が食べる。更にその動物を今度は人間が食べる。これは人間が直接植物を食べるよりも二重の手間が掛かっている)を踏まなければ食することが出来ません。その上に薬漬けの食肉や魚肉は、果たして安全といえるものでしょうか。
 こうしたことを考えると、私達は江戸時代より遥かに生産効率の悪い、危険性の高い食肉や魚肉を需(もと)めていることになります。

 例えば江戸時代、まだ文明に汚染されていない寒村では、至る所でチャボ(矮鶏/占城国から渡来したからいう 鶏の一品種)のような地鶏が飼われていました。この鶏は卵が小さく、二日に一個の卵しか生みませんでした。今日の白色レグホンの一日に一個の大きな卵に比べれば産卵効率は悪いものの、その反面、生産効率が非常に高いという利点がありました。

 その一つに番(つがい)で飼ってみますと、時々巣籠って産卵を休みますが、その間に雛(ひな)を返し、一年半程でいつの間にか、一羽の鶏が十羽に殖え、合計二十羽になります。これが一羽の白色レグホンの何十倍になるかは明白です。その上、地鶏は自分で餌を探し、自給自足の生活をしつつ、自活で卵を生みます。そしてこれらは糞をすることによって、周辺の草木の育成を図り、そこに寄生したミミズ等を食べる。これはまさに無から有を生む現象の一つです。

 これほど生産効率の良いものはなく、地鶏の数が適当数である限り、土壌を悪化させることはありません。
 これに比べると、近代の養鶏は、産卵数の効率は確かに高いかも知れませんが、生産効率が非常に悪いことが解ります。
 そしてこうした食肉の構造式は、「植物が土壌から吸収した栄養素を、植物を媒介して動物が食べる。更にその動物を今度は人間が食べる」という二重構造は、「人間が直接植物を食べる」ということより、二重の手間を掛けてでき上がっていることが解ります。

 私たちは、こうした生産効率の非常に悪い、いたずらに多忙で、複雑で、徒労で、混乱に陥れられて、しいては奔命(ほんめい)させて衰弱させるという社会構造の中に生きているのです。
 そして、何を食べるかで、健康・不健康の明暗が分かれているということが現世の現実なのです。



●浄血と身土不二

 人間にとって、穀類菜食主義はこれまでの述べたように、生産効率が遥かに動物を食べるより効率的であるということが解ります。
 しかし穀類菜食にしても、植物は単に自給自活で生きているのではなく、肥料、農薬、農業機械というものによって栽培されています。
 土壌汚染が心配され、農薬の実害は明確になった今日、その植物がどう言うプロセスで栽培されているか考えなければなりません。

 さて、現在とられている農業技術の多収穫栽培技術の大半は、純利益に結び付かない現実があります。
 その最大理由は、増収策上の重大な要素と見られている化学的肥料の多用、農薬の多用、機械化の乱用が挙げられ、増収策上の最も有効な手段として看做(みな)されていた増収技術は、実は減損範囲内だけで有効であって、積極的な増収策にはつながらず、むしろマイナス面があることが判明しました。

 これらを挙げて見ますと、先ず第一に、化学肥料は土壌が死滅した時のみに有効。第二に、農薬は作物が不健全な育ち方ををしている時だけに有効。第三に、農業機械は大陸のような広大な面積を有し、早急な農作業を迫られる時に有効ということになります。

 これは裏から洞察しますと、日本のような、ある意味で肥沃(ひよく)な土地で、健全な農作物を消費者が求める風潮があり、狭い土地ではこれ等の手段は無効でありマイナス面が大きいことが解ります。
 田圃(たんぼ)に水を入れ、水田にトラックターやその他の耕作機械を導入して、いくら練り固めても、これは土壌を悪化させているに過ぎません。これは年々耕せば、農作物が育たないことは明白であり、この条件下において、耕作作業が有効であるかのような錯覚を抱いているのが、今日の近代農業と称する生産者の実態です。

 これは目先の利益を追った近視眼的な考え方で、化学肥料を使い、農薬を散布して、機械を導入すれば便利で、手間がいらず生産力が増強するかのように見える錯覚であり、これを巨視的に見ますと、土壌を汚染し、作物を殺し、自然の生産性を破壊させ、減退させていることになります。

 日本の近代農業は「石油に浮かぶ産業」とも謂(い)われ、日本の98%は石油燃料で動かされている機械化農業です。トラックターや耕運機は総て石油燃料によって動かされ、農作物栽培の為に使われている農薬や化学肥料は総て石油から作られています。人が耕すより効率がよく、人が雑草や害虫等を駆逐するより速攻性があると信じられている為です。

 今から凡(おおよ)そ30〜40年前、牛馬による耕作農法は、牛馬を利用することによって、人間がより一層楽になり、便利な耕作法と信じられていました。
 ところがそれを裏から見ると、牛馬は生き物ですから「飼う」という別途の作業が生まれ、今まで人間が耕すより牛馬に頼って耕した方がいいと思っていた指向が、耕作機械の出現で、馬十頭を飼うより、十馬力の耕運機一台を持っている方がいいという考え方に変わりました。この価値観は馬一頭よりは位置馬力の動力機械の方が安上がりと気付いた為でした。

 しかし、これは現在の貨幣経済体系の元での、合理的に見えるという「錯覚」に過ぎません。
 「耕す」ということだけから見ると、牛馬に頼ったり、耕運機に頼るのは、実は損ということになります。牛馬は「飼葉」が必要ですし、耕運機やその他の耕作機械は当然「燃料」が必要となります。
 耕耘し、中耕する為には牛馬よりは、豚(ウシ目の家畜。イノシシを家畜化したもの。体躯はよく肥え、皮下脂肪層がよく発達し、鼻は大きく、尾は細く短い。脚は体の割に小さい。貪食で、繁殖力が強い)や山羊(ウシ科ヤギ属の家畜。数千年前から中近東で飼育されていた。ノヤギ(パザン)が原種の一つとされる。ヒツジに似るが、首が長く、雄には顎に鬚ひげがある。粗食に耐え、荒れた土地でも飼育できる。肉用・乳用・毛用種として飼われ、アジア・アフリカに多い)のような蹄を持った動物がよく、更に小動物である鶏、兎、鼠、土龍(もぐら)、ケラ、ミミズに任せる方が人間は何もしなくて楽であり、ただ急ぐ場合において、牛馬を利用する方が便利に見えただけに過ぎません。

 ところが牛馬いずれかを一頭飼っておくには放牧地1ヘクタールの原野の草が必要となります。この広さは自然の力をフル回転させると、凡そ100人分の穀物類食糧が確保できます。
 したがって、こうした動物や家畜を飼うこと自体が、人間にとっては大きな負担になったのです。
 かつてインドの農民が貧しかったのは、牛や象を飼い、飼育する為の草が無くなり、牛糞も乾燥させて燃やしてしまうから、土地が痩せ生産力が低下したのが原因でした。



●時間がゆっくり流れる老荘の世界

 《癒しの杜の会》は、こうした物質文明の落し穴に横たわる人間の欲望に一つである「経済性」に焦点を当て、市場経済に流通する媒体である肉牛が大地を滅ぼし、高級養殖魚が海を死滅させると暗示に警鐘を鳴らしています。
 現代人は、近未来に大きな人類の課題である食糧問題を抱えています。この食糧問題は、食肉を移行も維持させ、こうした体制下で食肉常習者の胃袋を満足させるということが含まれています。しかしこうした食肉の日々の常食は、やがて地球そのものを死滅させてしまう結果を招きます。

 少なくとも江戸時代の寒村の田園風景には、牧歌的な生活環境があり、水田にはおびただしいアヒルとカモが遊泳し、草花には蜂蜜(はちみつ)が飛び交い、豚が人間の排泄物や残パン、ミミズやザリガニを食べ、雑木林の中には野性の山羊が点在し、地鶏があちらこちらで卵を産み落としているといった長閑(のどか)な風景がありました。

 現代人がこうした光景を思う時、これを経済性の無い原始的な田舎の姿と見るか、あるいは人間と家畜が一体となった「老荘の世界」の素晴しい桃源郷(とうげんきょう)の、有機的共同体と見るか、ここに人類の将来の命運が隠されています。

 今日、無農薬有機農法という有機栽培による農作物に人々の関心が寄せられています。
 この関心は、農薬に含まれる有害性で、用途により、殺虫剤、殺菌剤、除草剤、植物生長調整剤、殺鼠剤、忌避剤、誘引剤、、補助剤、展着剤等として使われ、こうして使用された農薬およびその分解代謝物は作物や環境中に残留すること懸念して新たに有機栽培が着目されるようになりました。これは非常に良いことだと思います。

 古来より、「人間の肉体と、その人が生まれた土地は一体だ」という考え方があります。人間は、その土地で生まれ、やがてそこで採れた穀物や野菜を食べ、生・老・病・死の四期を一巡して、再びその土地に埋葬され、土に戻ります。こうした有機的共同体のサイクルを「身土不二」と言います。

 人間の最低必要カロリー(栄養学では普通、1kCal「1000Cal」のことをカロリーという。栄養価を燃焼熱で表す際に用いる。記号: Cal)は、玄米と胡麻塩(ごましお)だけの「仙人食」だと1000Cal少々、玄米菜食の「自然食」だと1500Calで、それだけで十分に仕事を熟すエネルギーが維持できます。しかしグルメを気取ったり美食家を気取りますとこの必要カロリーは10〜100倍に膨れ上ります。ここに現代の落し穴があります。

 必要カロリーが仮に十倍に膨れ上りますと、穀物菜食の不足する燃焼熱の辻褄を合わせるために、食肉や高級魚を持ってこなければならなくなります。これは身土不二の法則を無視するばかりか、大自然破壊に拍車を掛けて、浄血の考え方から大きく後退することになります。



●浄血と自然治癒力

 多くの人が現代医療に対して誤解していることは、病気になった時、病院に行きさえすれば、今の進んだ現代医学は、どんな病気でも、直ぐに治してくれると信じ切っていることです。
 しかし高蛋白・高脂肪の食肉常習者の病気は、まず病気そのものを根治することは不可能になってきています。こうした人達は何処の病院に行っても、根治は難しく、たいていの場合は体力と気力を減退させて、病気を今以上に悪化させるというのが落ちのようです。

 現代医療で今行われている事は、例えば慢性肝炎の場合は、以前はステロイド剤(steroid/分子中にステロイド核と称する共通構造をもつ一連の有機化合物の人工合成薬品)が使われていました。
 ところがこの使用をやめると肝機能が悪くなります。そこで昨今は、ステロイド離脱療法なるものが登場してきました。

 この療法は、ステロイド剤で一定期間、体内の免疫力を抑えておいて、急にやめることによって、その反動を利用すると免疫力が高まるという現象を利用してウイルスを撃退するという考え方に端を発しています。その他には抗ウイルス剤とステロイド剤を組み合わせたり、インターフェロン(interferon/ウイルス感染の阻止作用をもつ糖蛋白質)や免疫療法剤を投入する方法があります。

 心筋梗塞の場合は、一般的には心筋梗塞を引き起こす因子を予防する薬や、心臓に必要以上に負担を掛けない用にする薬の組み合わせで、血圧を下げ、心拍数を上げない等の薬が試みられます。
 また、冠状動脈の血液の通りをスムーズにする為に、血液の粘着度を落とし、血栓を作りにくい薬を用いたり、最終手段としてはバイパス手術が試みられます。

 糖尿病では、インシュリン製剤が高度な技術によって精製されるようになり、インシュリン・アレルギーが少なくなり、この製剤を主力的に用いて医療が試みられています。
 またバイオテクノロジーの進歩により、大腸菌を利用してヒトインシュリンの合成が可能となりました。投与技術も進み、持続皮下注入装置が一般的に実用化さて、人工膵臓も実用化の道を進んでいます。

 以上は現代医療の技術躍進の一部の紹介ですが、こうした医療に欠けていることは、どうしたら効率よく治せるかということだけが課題となって、根本的な、どうしたら以上の病気を煩わないで済むかという、食生活の重大性を示して無いことで、治療の中心は化学薬剤の投入と、末端対処療法だけにとどまっていることです。
 しかしこうしたことは、救急医療においてのみ、望ましいことで、慢性病に関しては、あまり大きな意味を持ちません。医療の最先端技術が、慢性病の分野に持ち込まれていることは大きな矛盾と言えましょう。

 さて、浄血を促進し、自然治癒力を高める為にはどうしたら良いのでしょうか。
 この鍵は「食の世界」に存在します。
 難病の原因は、食の世界の混乱にあります。腸内で腐敗が起こっているから血液が汚れるという現象が起こります。こうした腸内環境を改善すれば、血液は浄血され、難病奇病は自然と退散します。

 その為にはまず、腐敗を起こし易い動物性食品を極力避けるということです。
 次に腐敗を解消する食品に切り替えるということです。
 そして最後に腸内環境を整腸する食品で補足をします。
 以上の三つを実行する事によって、血液は浄血され、自然治癒力が高まります。

 これを具体的に挙げれば、

・三白癌といわれる、精白米、白砂糖、精製塩、それに一切の食肉や乳製品、鶏卵等の動物性蛋白質の摂取をやめる。
・正しい玄米菜食の正食を行い、粗食・小食に切り替える。一日1000〜1500カロリーの「仙人食」か「自然食」。勿論、農薬等の含まれる有機水銀化合物の含まれていないもの。
・発酵食品や良質の酵素を補足する。

 以上が浄血と自然治癒力を高める方法ですが、既に慢性病を煩っている人は腸内細菌の性状の悪質化が進行している為、腸粘膜の弱体があり、これを回復させる為に思いきった改善策が必要です。
 こうした悪質化が進行している人は、肉体だけにその異常がとどまらず、精神的な分野や環境部分まで災いが転移しているので、運気の面に衰退が始まっています。その為、やることなすことがうまく行きません。

 運気とか、運勢というものが、単に、九星気学や四柱推命術、西洋占星術や風水術のみの占に頼って、これで改善されるというものではありません。肝腎の肉体が腐っていては何もならないのです。