多忙・徒労・混迷を回避する応急処置
【1.睡魔に対する応急処置】
 多忙と徒労は、人間に等しい睡眠時間を必然的に短縮化の方向に導きます。これが短くなれば、活動範囲にも制約がかかり、疲労は極限に達して、人間の生活に混迷を齎します。
 現在、騒がれている過労死はこうした回避が出来ないばかりに、命を落としたよき例です。
 では、私達は現代のこうした現実に対し、どのような回避方法があるのでしょうか。

 さて、少食を実行すると、まず、体質改善の最初の変化として「睡眠時間が短縮」できる利点が挙げられます。
 今まで八時間寝らなければならなかった人が、四時間とか五時間で睡眠時間が足りるようになり、一日の活動時間が非常に多くなるということです。
 贅沢な肉食をしたり、美食に趨ったり、一日に四度も五度も間食して飽食している人は、仕事中や学業中に、あるいは車の運転中に、往々にして眠気に襲われます。
 飽食したり、小分けして食事回数を増やすと、その食後には必ず眠気に襲われることは誰でも経験することです。

 こうした過食ぎみにある人は、講演会場や、各種学校の受講中に「舟こぎ」をして、大切な時間を無駄に浪費していますが、こうした人の大半は日頃からの過食者で、会費や月謝の無駄払いをしている人達です。
 過食者の多くは、例えば、講演会場や恰好の授業などで、耳から入ってくる、講師の声が平坦で単調であればある程、三十分も経たないうちに睡魔に襲われ、「舟こぎ」動作が開始されます。中には、車の運転中に、単調な高速道路を走行中、睡魔に襲われて大事故を起こしたり、それが原因で死亡するという事故は、実は過食が原因であり、この習慣を改めない限り、こうした事故は後を絶ちません。
 では、何故、過食に趨る人は睡魔に襲われるのでしょうか。

 まず、内臓に相当量の負担が掛かっており、それが疲労しているということが挙げられます。
 本来、大喰い癖の人は、大食によって大量の宿便を腸内に停滞させ、それが排泄される量はごく僅かです。またこうした大喰い癖の人は、肉食家であることが多く、この動物性の腐敗物質が停滞し、それが異常なガス化を起こし、この密接な関係によって、思考能力が低下し、頭脳の働きが低下すると考えられます。

 こうした頭脳の鈍りは、思考能力を低下させるばかりでなく、併せて頭重の病因をつくり、物事に関して無関心にしてしまう、思考回路が塞がれてしまう結果を、自らの過食で招き寄せているのです。過食や飽食によって、胃腸をはじめとして、肝臓、心臓、腎臓などの疲労と負担が増大していることは、全く疑う余地がありません。疲れるから、睡眠時間を長くしなければならず、疲労回復のために、この時間は徐々に長くなっていきます。
 人一倍、疲れやすく、根気が無い人は、夜の睡眠を十分に取りながらも、それでも八時間くらいでは寝足りないという状況に陥って、更に眠りを貪る状態が続きます。そして一日、七時間以上も眠る人の多くは、眠り過ぎという現実の中で、脳全体を眠り過ぎという症状で汚染していることになります。

 さて、こうした睡魔に襲われ易い人は、まず、朝食抜きの一日二食を心掛け、少食に徹すればこの問題は即座に解決します。
 午後は疲れが酷くて、という人の多くは肉食常食者です。それも過食ぎみであり、三度々々、ご飯は二杯以上お変りして、大盛の食事を欠かさない人です。こうした大喰い癖を改めない限り、睡魔の問題は決して解決する事がないのです。

 この少食主義という実践を徹底し、これによって多くの発明を成し遂げた人物がいます。
 誰でもご存じの、エジソン(Thomas Alva Edison/アメリカの発明家であり企業家)です。
 彼は少食主義を徹底して、数々の発明を実現しました。



 その発明及び改良は、エジソン電池や白熱電球をはじめとして、電信機・電話機・蓄音器・無線電信・映写機・電気鉄道などに亙り、電灯会社及び発電所の経営によって、電気の普及を世界に広め、これで大成功を収めた偉大な発明家です。

 エジソンは単に物質的な原理に止まらず、精神面においても、食の面においても、発明家であり、「私は研究に没頭しているとき、パンを握って、指から食(は)み出した部分を切り取って捨て、手中に残っているだけの量を、空腹を感じた時だけに食べるようにしました。この少食主義は、強いて云えば、私の大発明です」と言っています。
 エジソンが二日も三日も殆ど徹夜状態で研究を続け、短い睡眠時間で研究生活に没頭できた秘訣は、実は少食に徹したことがその秘訣にあったのです。
 睡眠時間が短くても、少食に徹すれば、活動時間が十分となり、現代人の中高年層の間で流行している、過労死などの労災事故は、もともと起こらないものだったのです。


【2.疲れに対する応急処置】
 昔から、「腹が減っては戦が出来ぬ」ということを言います。果たして本当に、腹が減った状態では、力が抜け、仕事が出来なくなるのでしょうか。
 こうしたことを結論から述べますと、これは必ずしもそうだとは言い切れません。この場合の空腹とは、二三日の絶食状態を指すのではなく、せいぜい一食もしくは二食の場合であり、長くて一日程度の絶食を指します。
 果たしてこの程度の絶食で、本当に力が抜け、仕事が出来ない状態に陥ってしまうのでしょうか。

 多くの少食体験者や断食実践者の報告からしますと、むしろ一・二食程度抜いた場合の空腹の方が、三度々々欠かさず食事した時よりも、快調であったという結果が出ています。
 もしこのような空腹期間に、不調や脱力感を訴える人は、胃下垂症か、潜在性糖尿病である場合が多く、あるいは他の病的症状にあるといえます。
 健康な人であれば、一・二食程度抜いたからといって、力が抜けたり、眩暈がしたり、冷や汗が出るということは決してありません。

 少食体験者の報告では、初期状態において、空腹時に異常な脱力感に襲われたり、軽い頭痛などを訴える人がいましたが、躰がそれに慣れ、順応していくと、急に躰が軽くなり、空腹時の方が快調になって、仕事や活動がスムーズに行えたと報告しています。
 そして無理をしても、疲れは殆ど感じなかったとも言います。
 少食の習慣が一旦身に付きますと、睡眠時間は短くて済み、心身は身軽になって快調になり、疲労が少なく、頭脳も明晰になって、人の数倍も働けるという事実は、エジソンの少食主義を見ても明らかなことです。


【3.肌色や肌の張りに対する応急処置】
 飲酒や喫煙をせず少食を実行している人は、殆ど例外なく、皮膚が奇麗で、張りがあります。
 大食者や過食者は、大量の宿便を腸内に溜め込んでいるため、その宿便である腐敗物質から有毒性ガスを発生させ、これが腸壁から吸収されて、その一部の反応として、吹き出物やシミ、ソバカスやニキビとなって皮膚に現われてきます。

 肉や乳製品、牛乳や卵、ケーキなどの白砂糖やバター食品を毎日飽食し、その結果、便秘となって腸内に大量の宿便を溜め込んでおきながら、鏡の前でベタベタと長い時間を掛けてお化粧をする女性の姿は、何とも滑稽な姿であると言わねばなりません。
 健康においては、外側に気を遣うより、もっと裡側に気を遣いたいものです。
 完全栄養の玄米菜食に切り替え、少食を徹底すれば、頑固な色素定着も、次第に色が薄れていくものなのです。


【4.公害食品から身を護る応急処置】
 日本は食材料の61%を外国に頼り、国内生産自給率は僅かに39%に過ぎません。特に大豆の自給率は10%以下で、多くはアメリカに頼っています。
 また葱やその他の葉野菜などは、大量に中国などから輸入され、その品質基準は厚生労働省の基準に満たないものが多くあります。そしてこれらの農作物には大量の農薬が散布されていて、人体には究めて有害です。

 水産物も多くは外国産であり、また日本近海の魚の中にはダイオキシン(猛毒で、発癌性や催奇形性が強い。枯葉剤にも使われ、これは毒性が強く、散布地域に癌・先天性異常・流産・死産などが多発する要因になった)汚染の危険性が叫ばれていて、安全なものは徐々に減ってきています。
 最近の市販食品は、その殆どが各種の食品添加物で加工され、その有害性が指摘されながらも、これが未だに解決していません。

 タール系の色素を使って着色された、佃煮や海苔、たくあん、菓子類、更には酸化防腐剤を使ったバターやハム・ソーセージ、漂白剤を使った里芋や蓮根、食事を通して体内に入ってくる食品添加物(防腐剤・防虫剤・漂白剤・人工甘味料・着色料など)と多くの有害性食品が市販されています。こうした食品添加物は、一方、化学調味料と密接な関係をもって、結び付き、その多くは慢性毒性、発癌性、催畸形性の疑いがあるにもかかわらず、それが検討されずに市場に出回っています。

 こうした市販食品を食べ、それに併せて農薬の付着した野菜や果物、出来合いの市販惣菜などの含めますと、一日平均約13〜15gの有害性食品を食べている計算になります。(九州科学技術研究所統計調査より)
 こうした事を考えますと、まず、自衛策として、こうした有害性の食品を摂取しないためには、純正自然食品を中心に、玄米菜食にして、少食主義を徹底することが肝腎であり、安易に「行列の出来る店」などに列をつくらないことです。体内に侵入する食品添加物の量は、極力少なくしなければなりません。
 少食で簡素な食生活を徹底すれば、食費の節約になり、更に節食に繋がります。家庭の経済が楽になることは受け合いです。

 もし国民の一人一人が少食主義を守り、その上に朝食を抜いて昼食と夕食のみに徹すれば、かなりの食費が節約できるわけで、食事メニューも粗食に切り替え、以上を実行した場合、一日の二食の一人分の食費は多くても500円程度になり、国民全体がこれを実行すれば年間に十二兆円くらいは節約できる分けで、これは医療費に匹敵する巨額な金額といえます。

 今、日本は未だに飽食の時代にあります。多くの日本人は、その殆どが食傷に犯されています。これは日本人の病因の発生率の最も高い「ガン」という細胞異常の状態からも、明らかになります。
 今や日本は、民族存亡の淵に立たされています。
 これまで唯一の拠り所であった、驚異的な経済成長も鈍化から停滞を余儀なくされ、頼るべき何物(例えば日本人の血と汗の結晶であった800兆円の郵貯の目減り)も奪い取られ、国民は不況下で右往左往するばかりです。

 歴史を振り返れば、こと、経済に限らず、こうした崩壊の元凶は、既に第二次大戦の敗戦直前にヤルタ会談と共に種が蒔かれました。
 第二次大戦末期の1945年2月、米・英・ソの三国の最高指導者であるルーズヴェルト、チャーチル、スターリンが、ヤルタで行なった会談は、ドイツの敗北が決定的となった情勢下に、降伏後のドイツ管理、国際連合の召集などについて協定し、併せて「ヤルタ秘密協定」が、この会談で結ばれました。これを「対日秘密協定」と言います。

 ドイツ降伏後三ヵ月以内に、ソ連が対日戦争に参加することを条件として、南サハリン(樺太)・千島列島のソ連への引渡し、中国の満州における完全な主権の確認などを決めたものでした。こうして日本人の文化破壊は刻々と進められ、悲惨な敗戦を経験することになります。
 これ以来、日本人は、古来より受け継いで来た日本民族の美点も智慧も、一緒くたに放擲する現実が生まれたのです。
 日本人にとって、これは当然すぎる結果だったかも知れません。

 そして、それを救い、日本及び日本人を本然の姿に戻すには「食の改革」以外に道はありません。
 食改革により、無限の可能性を秘めた若い世代のエネルギーに託して、今日の日本人の精神的空虚さ、脆弱さを正していかない限り、日本はその魂を欧米に売り渡し、属国としての道しか残されていないことになります。そうなれば、もはや亡国と言う他ありません。
 あなたは今の日本と日本人が、「どこかおかしい」と、お気付きにならないでしょうか。


【5.自己暗示力による応急処置】
 美味に舌鼓を打ち、美味しい物を腹一体食べると言ったことが、「食べる贅沢」であるとするならば、空腹トレーニングを実践して「食べないことの贅沢」が、もう一方で存在します。
 一般に食べ過ぎで病気になるという害については、糖尿病などを見ますと、これは明らかに食べ過ぎによる害です。
 少食を実行し、空腹トレーニングで食傷の疲れを癒していきますと、食禄も長持ちし、長く生き残れることになります。

 例えば、人間一人の食禄(人間の一生の食糧)は主食で約6000kgと言われます。
 これを一年で150kgずつ消費しますと、四十年で食い潰されてしまいます。ところが少食を決断してこれに切り替え、一年間の消費量を100kgに抑えますと、6000kgを食べ終わるまでに六十年掛かりますから、この人がもし現在二十歳であるとすれば、少なくとも六十歳以上生きれることは確実であり、今日の平均寿命の延びからも考えても、七十歳位までは延命することが出来ます。こうして考えていくと、食禄の消費量を減らせば長生きが出来、増やせばそれだけ早く寿命を縮めることになります。

 このように考えていけば、他人の飽食を横眼に、悠々と孤高を持し、決して食べ急がず、「食べないことの贅沢」も、また一つの贅沢であり、それは長寿に繋がる大きな秘訣となります。
 人間は空腹時に、「美味しい物を、思う存分、腹一杯食べて見たい」という誘惑に駆られます。しかし、その誘惑は食傷への誘惑であり、病気への誘惑です。
 さて、そうした愚を避けるために、自己暗示を掛けて、誘惑に打ち勝つことが肝腎です。

 一、空腹トレーニングで健康になる。
 一、空腹トレーニングで長生きができる。
 一、空腹トレーニングで頑張りのきく躰になれる。
 一、空腹トレーニングで頭脳明晰となる。
 一、空腹トレーニングで肌が美しくなる。
 一、空腹トレーニングで運が開らかれる。

 以上の六項目を繰り返し、これを心の中で念じ、腹八分から一歩先出て、腹七分か腹六部で満足できる生き甲斐を覚える事こそ、急務ではないのでしょうか。
 また薄味に徹することで、食物の持つ本当の味を知り、今日一日生きられたことを感謝して、「生かされるという因縁」に畏敬の念を捧げる事こそ、本当の食養道に至り、そこから新たな人生の本当の意味が見えてくるのではないでしょうか。

 食べ過ぎで多くの人が難病・奇病、そして現代医学では不治の病と称されるガンで命を落としています。癌治療における、除去手術や抗癌剤の投与では、間違いなく五年以内に、これ等の治療を施された人は100%死んでいます。
 反対に、食べないで死んだ人は、余り見掛けないのも事実です。

 敗戦直後、日本人は食糧難で汲々としていました。ところが食べられないで死んだという話は、余り聞きません。(確かに敗戦直後、闇米などに手を出さず、配給米だけを食べて餓死した裁判官が一人居たが……)
 むしろ現代の、食べ過ぎで死んだ人の話の方が、数え切れない位あります。
 一部のシンパの人が宣伝する、敗戦直後の餓死の話を持ち出しますが、こうた餓死の数と、今日の、食べ過ぎで難病・奇病で死んで行く人の数を比べれば、圧倒的に後者の方が数百倍も、数千倍も上回ります。

 今、私達日本人の望まれる、一つの理想は、食べ物の執着から離れ、何か別の目標を定め、それに到達すべき精進をしなければ、私達は到底人生を全うすることは困難になってきます。私達は、もともと人間として、食を乱し、美食に明け暮れるために生まれて来たのではないのです。
 人類の歴史の中で、偉業を成し遂げた人は、人生に目的があり、目的を定めるために目標を設定しました。エジソン然りです。彼の精進は、今日、偉大な発明として、新たな目的を人生に与えました。
 しばし「食を忘れる」という生活があってこそ、人は精進し、何がしかの成就を達成するのです。

 人間が晩年に向かう時、六十歳・七十歳という年齢は、総合した力倆(りきりょう)に相応しく、既に人格完成の域に入っていなければなりません。ところが自身にこうした自力がなければ、その成就は到底叶いません。
 まず、健康への着実な足固めは、少食に勝るものはありません。
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