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古人の叡智が集約する護身武術
武士道を志す准師範(正指導員ならびに准師範資格)以上が一堂に会する師範会議。この席においては、出席者全員は斎戒沐浴(さいか‐いもくよく)し、紋付袴という正装で身を正し、先代からの西郷派大東流の古式の伝統にしたがって、運営などについての論議が尽くされる。(写真は平成20年8月17日、総本部尚道館において)

師範会議
(しはんかいぎ)

●紋付袴で一堂が会する師範会議

 わが流では、先代よりの古式に則(のっと)り、紋付袴で一堂が会し、今後の運営などの協議が議せられる。この場合、参堂者は紋付袴に、長白扇というのが先代よりの仕来(しきた)りであり、古式に則り、宗家を中心に厳粛な議論が行われる。

師範会議に参堂した正師範・准師範たち。わが流では、師範会議において、1尺2寸の長白扇を差すことが全員に許されている。 この長白扇は、脇差定寸の1尺5寸にほぼ匹敵する。したがって、長白扇は一種の脇差に見立てたものである。

 かつて武士が、殿中に上がっても脇差の帯刀を許されたのは、例えば、間違いがあったり、不正があったりすれば、その関係者や当事者に対して、下士は上士に対して「歯向かう事が許されていた」からである。この点、武家社会の方が、今日の資本主義を基盤とした会社社会より、数段もフェアーだったといえよう。

 重役が居並ぶ中で、処分の言い渡しと、同時に、切腹を命ぜられたり、討ち果たされるような場合でも、処分を受ける者は、脇差の帯刀が許され、また、不服がある場合は歯向かう事が許されていた。上士の一方的な理不尽に対し、最後の最後は、わが脇差を抜いて斬りつける覚悟で、抗弁できたのである。

 武士道というのは、わが流では、「自ら奉仕の捧げる、奉仕者」であると定義している。奉仕者とは、一般に言うボランティアの意味ではない。
 奉仕者とは、自分自身の全人格を前面に打ち出して、捨身で、損得を離れて、自分自身の尊厳を確立することを実践する、求道(ぐどう)の為の実践者である。

 その為には、一日一日を疎(おろそ)かにせず、日々精進を心掛け、毎日の中に、心に死を充(あ)てて生きることを、他に先駆けて実践し、清々しく、涼(すず)やかに生きることを旨としている者達である。

 さて、戦後、乞食が居なくなったという。しかし、これは果たして本当だろうか。
 筆者はけっしてそうは思わない。ボロボロの身なりをした外見上の乞食こそ激減したが、いい背広を着、いい服を着た、外見上の紳士淑女の精神的乞食は、むしろその数を増やしたのではあるまいか。

 例えば、回転寿司屋などに行くと、ガリという生姜(しょうが)が自由に取れるように置かれてている。これは幾ら取っても無料である。そうした物に対し、幾ら取ってもタダだから、好きなだけ沢山取ろうとする者がいる。
 あるいは他人から食事をおごってもらって、一食分「得をした」と考える者が多くなった。

 こうした考え方の根底には、どうしたら自分のお金を使わずに、他人のフンドシで、幾ら面白いことが出来るかという魂胆が隠れている。これは取りも直さず、精神的な貧乏根性である。一体こうした貧困なる心は、どこから生まれてきたのであろうか。
 現代人の雛型(ひながた)が、何故かここにあるように思われて仕方ない。そして、この雛型こそ、他人より得をしたがる現代の新しい貧困層の実態である。

 ところが一方、こうした精神的貧困層を余所目(よそめ)に、損得を離れて、人間の尊厳に迫ろうとする武士道集団がる。わが流は、損得を離れた武士道集団であり、「武の道」の根本思想は、この中にこそ あると確信している。

 おおよそ、わが流の師範会議では、次のようなことを議している。

儀法と戦闘思想を保存し、如何に、後世に伝承し、その伝統を守っていくか。
総本部道場の運営について。
死を嗜むことを、哲学的に探求する。
損得勘定を越えた人間性の確立。(何事も、損をするから遣らないのでは情けない)
精神的上級武士ならびに精神的貴族の、「懐に玉(ぎょく)を抱く」とは、如何なることかの探求。

 以上の5項目をテーマとし、事故の探求に心掛けて精進する基盤を確立しようと心掛けるのであるが、もともと人間は損得を考え、損することを嫌い、心の奥には、誰にでも乞食根性がある。それはある意味で、自然だといえる。
 しかし、「おごってもらって得をする」とか、「タダだから、幾ら取っても構わない」とする考えにおいて、一つだけ困ったものがある。

 それは人間が、人から「タダで貰う」とかの行為の中で、こうした立場に立つ者は、幾らそれをタダで貰ったとしても、決して満足することはなく、幸福にもなれないという、もう一つの側面があることに眼を向けるべきであろう。

 「得をしようとする」のは、明らかに精神の貧しさである。得をしようとする考え方は、労せずして得をしようとする乞食的な発想である。現代人がこうした乞食の発想で居る限り、人間は、自分がこの世に生まれて来たことの意味を全く理解することが出来ないのである。
 そして、「損をしたくない」とか、「得をしたい」と考える人間は、「自分が他人に与えているのだ」とか、「自分は他人の為に奉仕者として、ささやかながら奉仕の一翼を担っているのだ」という、人間として、最も「栄光ある充足感」を一度も体験せず、挫折感に充(み)ちたまま人生を終わることである。

 本来人間が、人間として、弱者の味方をするとか、弱い者に手を差し伸べるとか、弱者の力になるとかは、人間の尊厳を保つ基盤ではなかったか。この基盤を失った者が、どういう末路を辿るか想像に難しくないだろう。
 その意味で、武士道実践者は、自他の損得勘定を超越した奉仕者でならないと思うのである。今後とも、師範会議ではこのテーマに焦点を当てて、活動してまいりたい所存である。

 

●正装と、「まごころ」を示す身だしなみ

 わが流は古式の礼法に則って、まず、自らが襟(えり)を正すことを第一義とする。したがって、師範会議は烏合の衆の雑談会ではない。人の意見を謙虚に聞き、そして、それに対して自分の意見を堂々と述べる。これこそ、人間関係を良好に保つ、最低限度の秘訣である。同時に、そこで口にした言葉は、重くなる。失言は許されない。一旦男が発言したら、武士に二言はないのである。

 世の中には、他人の評論を軽薄にあしらい、不言実行という原則が守られていないことが多々あるようだ。そして現代人の多くは、慎みを忘れ、謙虚さを忘れ、自己主張ばかりを強めて、他人の言葉には耳を貸さない、自己中心的なものが多くなった。
 更に悲しむべき点は、そこには礼儀も作法もなく、まさに「仁義なき論争」といった様相を思わせるものが少なくない。

 礼儀の第一歩は、「人の意見を充分に聴く」ことである。それも、ただ寝転んで聴くような無礼な態度でなく、身を糺(ただ)し、「まごころ」の現われとして、古式の作法に則って正装し、「慎み、伺う」ことである。その現われが、紋付袴という正装である。
 これこそ、「礼に始まり礼に終わる基本精神」なのだ。

 筆者はひょんなことから、ある武道の指導者研修会の開会式に招待されたことがあった。この季節は夏の暑い日で、前日の日にそこへ到着し、あるホテルで一泊して、翌日、開会式に招待される段になっていたのだが、ある初老(40歳代と思える)の指導者から、「明日の開会式に参加するのに、短パンではまずいでしょうか」と訊かれたことがあった。同じホテルに泊まり合わせた人だが、40歳過ぎて、何でこんなことまで、人に訊かねばならないかと呆れた次第である。この人は武道の指導者としては、何ともお粗末である。

 また一般に、武道愛好家や格闘技愛好家の中には、服装などどうでも構わないという考えを持つ人が多いようであるが、古来、礼を尊ぶ武門では、服装に構わないといった例は、一回たりともないのである。

 このことについて、『葉隠』 では、どう見ていたのだろうか。
 「士は毎朝行水(ぎょうずい)月代髪(さかやき)に香をとめ、手足の爪を切って軽石にてこすり、こがね草にて磨き、懈怠(けたい)なく身元の嗜(たしな)みを専一とし、尤も武具一通は錆を付けず、塵芥(じんかい)を払い、磨き立て召し置き候」とある。

 そして、武士がこのように身元の嗜みに意を用いるのは、決して風流の為ではない。万一の場合、見苦しい姿で討ち死にしたとなれば、末代までの恥となるからである。昨今は、言動にも、身だしなみにも、恥を恥とも思わない輩(やから)が多くなった。

 人間の死というものは、ある日突然に、理不尽に襲ってくるものである。その為に、武門では、いつ死が襲ってきてもいいように、気を配ることを忘れなかった。
 往時の武人の行動には、常に死の覚悟が付き纏い、日々を、死に充てて生きる連続であった。

 例えば、「兜の中に香を炊き込めた」という木村重成の故事からも分かるように、これは何も自分が香を嗜(たしな)むということだけではない。討ち死にのとき、わが首をかく、敵将への配慮であった。こうした往時の武人の作法は、現代にも形を変えて残っている。

 例えば、外出する際は、必ず下着類は取り替えるなどがこれであり、現代にも、礼儀の何たるかの示唆を与えている。

 しかし、こうした示唆も、昨今の現代人はお構えなしの状況になってきており、筆者はある空港で、トレーナーを着た、ある種目競技のスポーツ選手団と一緒になったことがあった。
 この選手団を構成する若者のチームは、待合室の席を殆ど占領し、その席に自分たちの荷物までもを置き、足の悪い老人や、腰痛もちの老婆、乳飲み子を抱いた若い母親に、誰一人として席を譲ろうとはしなかった。また、杖を突いた老人が、その席の前を横切ろうとしているのに、通りに突き出した脚は一向に引っ込める気配がなかった。また、それだけの機微も、機転も、働かないのである。
 筆者は、この若者のスポーツチームに、ただただ恐れ入るばかりだった。

 そして、遂に堪忍袋の緒が切れた筆者は彼等に近寄り、「君たちはどこの選手団ですか。老人や躰の不自由な人がいるのに、少しは席を譲ってはどうですか」と、叱咤したことがあった。しかし彼等は、痴呆のような貌(かお)を覗かせ、「何だ?!」と突っ掛かる容貌をした。

 このスポーツマンの悪態にして、この態度である。恐れ入る以外なかった。
 勿論、筆者の知人には、立派な体育理論と、円滑で闊達(かったつ)な人格を持ち、立派なスポーツマンシップを持つ方が何人か居る。
 しかし一方で、躰だけが立派で、エロ本以外、本など殆ど読んだことがなく、話をさせれば、ぽつりぽつりと、一言、二言しか喋れない、頭の程度の持ち主が居ることも確かである。この程度の若者が、今日のスポーツ振興という政策の間隙を縫って、生まれているのも事実なのである。

 更に、お揃いのトレーナー姿でスポーツマンたちが集団移動するという光景は、最近よく見かけるのであるが、トレーナーというのは公式の場からすると、一種の寝間着であり、この寝間着姿で、公衆の眼を憚(はばか)るのは如何なものか。

 また、国際化が叫ばれる今日、このルールに遵(したが)えば、国際規模のスポーツ競技大会の前夜祭パーティには、外国選手団は、男も女も、みなドレスアップしてパーティに参加するという。それなのに、日本選手団だけが、トレーナーというのは如何なものか。

 今日、小中学校でも、トレーナーは自由で、運動性があって楽で、よいという理由から、遠足や修学旅行でも、平気でトレーナー姿で、児童・生徒の見聞を許す学校がある。
 これはまさに、「寝間着」や「野良着姿」で結婚式の出るようなものである。非常識極まりない。これを教育現場で実践させているのだから、日本の子供の将来も、マナーも、躾も、見えたようなものである。
 既に、戦後教育は、教育者自身が「教育の何たるか」を忘れてしまっているのである。いつからこんな日本になってしまったのだろうか。

 筆者自身も実を言うと、人間は服装などどうでもいい、問題は中身であるというクチだが、もし、日本人が外国人の結婚式に招待されて、タキシードではなく、甚平(じんべい)姿で新郎新婦の前に姿を顕したらどうなるだろうか。やはり、非常識の非難は避けられないだろう。

 日常の野良着や、トレーナー姿の集団移動も、国際化という大きな流れの中で、理屈を越えて、世界的な常識に遵う以外ないであろう。同時に、首から下は立派で、首から上はお粗末というのでは、幾らスポーツマンや武道家を自称していても、中身が伴わないのでは、その名に値しないだろう。

 個人の躰を、想像を絶する自然な形を超越するように鍛える、競技武道や格闘技は、本来、人間の躰が、「知」を受け止める容器であることを忘れている。容器だけ立派で、中身に詰める「知」がお粗末では、人間の愚かしさだけを肉体に表現したに過ぎない。果たして、こうした人種が、社会の何処に役立つというのだろうか。

 また一方、容器の中に入れる「知」はたっぷりあっても、その容器が貧弱であっては何もならない。容器の貧弱な人間は、病的なデスクワークする人種と同義であろう。
 知力だけが高くて、道義(モラル)の欠けた人間は、一種の畸形(きけい)だが、それと同様に、躰だけが立派で知力の欠けた一部のスポーツマンにも不自然さを観じる。人間は、知と躰の面がバランスが取れた、「文武両道」の生き物でなくてはならない。

 わが流における文武両道は、取りも直さず、「友文尚武」である。
 紋付袴によって、正装に身を包み、威儀を正して礼儀を重んじるは、その人の「知の面」と「躰の面」を顕すシンボルである。これがなくして、友文尚武はありえない。
 また、高貴さも、毅然さも、精神的上級武士も、精神的貴族も、身元を糺(ただ)し、身を慎むことを知らなければ、「まごころ」は知行合一(ちこう‐ごういつ)の中で、実行不可能となろう。
 わが流では、「まごころ」と「まごころ」のぶつけ合いと、誠心誠意の交流こそ、紋付袴の正装でと、考えている次第である。


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