インデックスへ  
はじめに 大東流とは? 技法体系 入門方法 書籍案内
 トップページ >> 技法体系 >> 槍術 >> 大東流槍術と白兵戦(二) >>
 
槍術を含み独特の体捌きを錬成する

大東流槍術と白兵戦
(だいとうりゅうそうじゅつとはくへいせん)

●「騎馬侍」Vs「徒侍」

 騎馬侍が振り降ろす太刀の長さは、通常二尺六寸から長い物になれば三尺であり、こうした大太刀(おおたち)を持った騎馬侍に、徒侍が主有する六尺か、八尺の槍では対抗できず、したがって馬を奪い取ると言う方を優先して考えたようだ。

 また騎馬武者は太刀を使う場合、右手に太刀を持ち、左手に手綱(たずな)を持っているから、右手から繰り出される太刀の振りは、相手に向かって非常に「伸びる」ものであり、この威力は相当なものである。
 戦場で太刀を握る場合は、太刀の頭の部分にある刀緒(とうしょ)に手頸(てくび)を突っ込み、刀緒を利用する事で太刀を振り落とさなくて済み、またこれを利用して、更に腕を伸す事が出来る。この点は警棒の皮紐(かわひも)と同じであるが、付いている場所が異なる。

 太刀の造りは、打刀(うちがたな)の造りと根本的に異なる。
 打刀は帯に指す為、抜打(ぬきうち)用に作られていて、その反(そ)りは、多くが竹の子反りである。しかし太刀の造りは、斬揚(きりあげ)を目的として作られている為、反りは円周上の辺を用いた円心造りである。この造りが、下から上へ跳ね上げる「抜き揚げ」を容易にしている。これは馬上での戦闘に適している為である。

▲刀姿の原理と刀の峰(図上)と円形より作り出す刀姿(図下)
(クリックで拡大)

 兵法によれば、「水の流れの理」を論(あげつら)って、高きを有利とし、低きを不利とする教えがあるから、これに従えば、上位に位置する者の方が有利であり、下位に属する方が不利になる。
 しかしこれに対抗する方法もあり、徒侍は騎馬侍と戦う場合、騎馬侍の脚(あし)を狙って両刃の槍で切り裂くと言うのが、西郷派大東流では槍術の常識となっている。

 一般に槍は、「刺すもの」と認識しているようであるが、槍は大きく分けて二種類あり、一般的には断面が三角の槍(鈍角三角形で底辺部に血流しの血溝がついているもの)が知られている。しかし我が西郷派大東流で用いる槍は、主に断面が菱形の両刃槍(菖蒲(しょうぶ)槍とも)を遣い、一撃目は騎馬武者の脚を狙って薙ぎ払い、二撃目は馬の腹を狙うように武者の脚を突けという教えがある。

 騎乗の騎馬武者は、乗馬をすれば、下半身不自由の一種の「躄(いざり)状態」であり、下肢は不能になって、上肢のみの動き(腕の回転を、空手やボクシングのように横水平に振り回すのではなく、縦に回転さて独特の「腕(かいな)捌き」を行う)で太刀捌きや槍捌き、あるいは薙刀捌きをしなければならなくなる。
 したがって余程、馬を馭(ぎょ)す事に慣れておらなければ、騎馬武者とて、徒侍の「自在な脚のある」動きには勝つ事が出来ず、騎馬武者が未熟で、「鞍っぱまり」や「腿(もも)割り」の養成が不充分な場合、徒侍の一槍の突きで落馬してしまう。
 武士が、かつて馬術の稽古を始めるに当たり、馬術の稽古の教訓として、高倉天皇の「馬術の下手」を上げ、これを揶揄(やゆ)して、馬術上手と下手の違いを指摘した。歴代の天皇の中でも、特に歴代天皇の中では、高倉天皇が股割が出来ず、乗馬術が下手だったと伝えられている。

 さて、「騎馬侍」対「徒侍」の対位置の対峙法は、まず脚を狙った「薙払い」より、第二撃の「突きに入る」という事である。
 また突く場合は、単に武者の脚を突くのではなく、脚を突き刺し、馬の腹を突き刺し、更にはそれを貫通するように突けという教えがあり、この突きは、腕を縦に回転さる腕捌きと、弾丸が飛ぶ時の螺旋(らせん)の動き(回転する捻りで、左半身に構えた場合、左の手の裡は銃砲で云えば銃身、右手の握りは弾丸を打ち出す撃鉄であり、この弾丸を銃身の螺旋の溝に沿って捻るように撃ち出す。更に我が流では銃剣術と異なり、右半身で鐓(いしずき)撃ちを目的にした槍構えも或る。これは敵の剣の刃を捕らえて巻取る為に用いる。懸待一致の理に随い、「巻き落し」を仕掛ける)を大事にせよと教える。

 騎馬武者に対峙した場合、徒侍は騎乗の武士をひと思いに突き殺すのではなく、生きたまま「生け捕る」のが、我が西郷派大東流の教えである。
 また甲冑(かっちゅう)の武士は、その隙間(すきま)が、脇の下と、股下と、更には咽喉(のど)の垂(た)れ下、あるいは眼であり、ここが狙いのポイントになるが、此処を突くのは非常に難しく、したがって突き殺すよりは、生け捕る事を課題にして儀法が錬られてきた。

 騎馬武者の眼の前に、下から槍を突き出し、それを視(み)た騎馬武者は、一瞬の怯(ひる)みとともに、本能的(人間の生存本能の意識は「掴む」あるいは「握る」ということに集約され、握力の有無でその生命力が決まる)に、槍の柄を掴むから、その瞬間に掴ましておいて引き落とす方法もある。つまり、落馬させて生け捕るのである。
 この辺が西洋式の銃剣術と、騎兵のサーベルとの戦いにおいて、「騎兵」対「歩兵」の対峙とは異なる事が分かる。特に、下から上の攻撃の場合、上の者がこれを交わし、避けた場合、この一瞬がチャンスであり、こうしたチャンスを下の者は、下から見上げて上の者の「次の手」を窺(うかが)うのである。

 

以下、つづく。


戻る << 大東流槍術と白兵戦(二) >> 次へ
 

 

Technique
   
    
トップ リンク お問い合わせ