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西郷派大東流と武士道

日本人としての誇り
(にほんじんとしてのほこり)

●生きるとは何だろう、生き態(ざま)とは何だろう

 こういう時代、人々は人生とは何か、という問に対して周期的にそれを反芻(はんすう)する。
 しかし新しい力と希望は、何処に求め、何を目標に生きて行けばいいのだろうかと疑問を抱く。
 もはや立身出世や、成功至富の夢に、その力と希望を見い出すことは出来ない。奮闘努力の掛け声を発してみても、それは空しい負け犬の遠吠えである。

 こう言う時代に跳梁(悪人などがわがもの顔にのさばること)するのは、陰で不正を働く政治家と、覚醒剤で大儲けする不法集団と、暴利を貪る銀行系のVISAカードや大手サラ金業者と、毎日テレビに貌(かお)を出す一部の脳の無い芸能タレントと、病気治しを標榜する怪しげな集金システムの新興宗教と、進歩的革新政治団体の自己主張をする革新政治家や、それに追随する進歩的文化人だけである。

 人々はこう言う時代、厭世観に陥る。奮闘を激励する表面的な「勇気論」や「人生論」には、今や飽き飽きしている。また信用もしない。
 したがってわれわれは、もっと深いところで、人生の生き方を模索しなければならなくなった。

 現代人の不幸は自分の生活の中に、頼りとなるものを見失ったところに端を発する。 周囲を見回しても、これは確かだ、本物だ、これを頼りに、放さずにしていれば人生は潤う、というものが今日、何処にも見当たらない。
 そこで多くは、享楽に現(うつつ)を抜かし、現実逃避を行って、その日暮らしの刹那に逃げる

 しかしこれは人間の本筋ではない。

 こんなくだらない暮らし方は、何処かおかしいのでは? そんな疑問に突き当たったら、まだあなたは人間らしさが残っている証拠である。
 よく、世間は金が欲しい、金さえあれば幸福になれると錯覚を抱く人がいる。人生は金を大量に得て、富者になることがその目的であり、成功者であるかのような言い方をする人がいる。

 しかし、もし一生懸命に金持になる為に働いて、金持になれなかったら、その人の一生は無意味だったと言うことになりはしないか。
 そして現実は額に汗し、身を粉にして一生懸命に働いて、やはり貧乏の暮らしを余儀なくされているのである。

 現世を金で割りきる世の中と解釈するならば、金持になることが人生最大の目的であり、しかし、金持になりえなかったら、その人の人生は無意味な人生だったと言える。

 金が総てではない、と言う人がいる。確かに一面においてはそうだ。

 しかしこう言う言葉を口走る人に限って、金が手に入れば、今まで憤慨していた気持ちは収まって、貌(かお)にほころびが趨るのは如何なる感情からか。現金なものである。
 この人は金が総てではないと言いながら、実は金に頼って生きてきたのではないか。
 われわれはこうした人種を多く見受ける。

●歴史は繰り返す

 あなたは「自分の死」が、自分には無いと思っていないだろうか。
 まだ若いのだ、明日や明後日に死ぬはずが無い、こう思うのは誰も同じであろう。
 特に青春を謳歌し、春の宵に酔い痴ている若者であれば、それは一入(ひとしお)ではあるまいか。

 しかし時は足早に過ぎ去って行く。人生はまことに短きことなのだ。

 われわれの人生を区分すれば、一応、青年期、壮年期、老年期に分けて考えることができる。
 そして青年期に至っては、「青春を大いに楽しもう」と言う、ほんの一時(ひとと き)の開花時期がある。
 しかしこれは、花が実を付ける結実期ではない。
 青春時代、大いに楽しんだがそれ以降、特に晩年になって、非常に悲惨な運命を辿ったと言うのでは本当に人生を、能(よ)く生きたと言うことにはならない。
 やはりそうした青春時代を過ごした人は、その多くが、その日暮らしではなかったのだろうか。

 青春時代は開花期である。それは確かにそうかも知れない。
 しかし結実期ではないことを誤解してはならない。その時代を、あたら青春の甘い酒に酔い痴れて、青春を如何に浪費した人が多いことか。

 戦後生まれの、若者を持つ親達の半生を顧みれば、確かにそうでなかったかと回顧される。全共闘のあの時代、日本中は革命の嵐に包まれた。マルクス・レーニン主義の共産主義思想が、一種の虚構理論であるということも見抜けず、進歩的文化人の発する言に踊らされ、革命を夢見て、多くの若者は、革命に酔い痴れたあの時代、果たしてあの闘争は空費でなかった、と言い切れるか。

 当時の学生は、男も女もこれに入れ揚げた。
 特に男子学生に多く見られたが、女子学生にも僅かながらに見られた。その悲惨さは、格別のものであった。内ゲバと、合意の上での女子学生の共同輪姦事件。不正な暴力事件。そしてリンチによる人殺し。粛清の名による人殺し……。

 そうした罪状を背負った当時の全共闘イデオロギー集団は、今ではすっかり陰を顰(ひそ)め、張本人達は、百八十度転換してブルジョア思考に入れ上げ、著名な作家になったり、ジャーナリストになったり、テレビのニュースキャスターとしてアメリカ式の富豪の生活を満喫したり、国公立大学の大学教授になったり、一部上場の大手企業の管理職になったり、キャリア官僚として官公庁の重要ポストに就いたり、あるいは精神科医として世界的権威の域までのし上がった者もいる。それは東大を頂点とする一部の出身者であろうが……。

 そして彼等は、当時ひと握りのエリート(前衛司令塔)として全体を指揮した。三下の、二流大学や三流大学の学生達を、我が手足の如く、微生物の如く、酷使した。ここにも平等を標榜しながら、酷使する方と酷使される方が存在した。どこにも平等は存在しなかった。知的レベルで階級がつけられた順位だけが残った。これはN大経済学部以下の大学を、学閥順に並べれば、事実そうでなかったか。ひと握りの前衛エリートと、デモに、争議に、現場に駆り出されたのはこうした底辺の、名も無き細胞分子ではなかったか。

 彼等の自慢話は、当時を回想して、「警官を何人半殺しにした」とか「内ゲバで大学構内を暴れ廻り、敵の女子学生をタライ回し(輪姦)にした」とかの話で、それが何の罪にもならなかったという、当時の傍若無人振りを、懐かしそうに同僚や部下に、思い出話しとして酒宴の席で話をする。
 果たしてこうした連中が指導する日本国家の政治機構が、日本の社会構造が、日本の教育機構が、正常に機能し、正しく作動しているのだろうか。

 民主主義というアメリカの齎したこの主義は、アメリカ人が自国の社会システム改造(南部を意識した奴隷解放政策)の為に、自らの手で、幾多の人命と、血を生贄(いけにえ)にして勝ち取った政治システムである。
 しかしこのシステムが、戦後日本人の、無血の頭上に押し付けられたことは、甚だ日本人としては迷惑千万であった。にもかかわらず、それに当時の日教組は早くもこれに飛びついた。平等教育に反映させ、平和教育に反映させた。そして60年安保、70年安保と、国家権力との闘争が続いた。

 当時の若者は、この時代の嵐の中に身を投じた。だが革命は起こらなかった。暴力だけが、後味悪く吹き荒れた。
 そして現在なお、違った形で、当時と同様、「青春の花園」を謳歌し、傍若無人な若者の土足が、社会の常識を踏みにじっている。歴史は繰り返す。それは時代を投影しての、影法師の余韻か……。

 青春の一時期は、あでやかな牡丹や石楠花(しゃくなげ)のような花で覆われる。
 しかしこれは見せ掛けに過ぎない。若者は、無規範を認めることにより、こうした怪しげな花の幻影を見る。
 われわれが忘れてはならないことは、秋になって結実する果樹は、春、美しい花を咲かせる牡丹や石楠花ではない。
 果たして、葡萄(ぶどう)にしても梨にしても、こうした美しい徒花(あだばな)を、春に咲かせるだろうか。
 単に春の一時期、あでやかな花で覆われる樹木より、やはり秋に結実する確かな価値観を求めるべきであると思うが、あなたはどう思われるだろうか。


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