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 トップページ >> 死道に学ぶ(二)
 
現代に生きる武士道集団
現代、わが国において、「武の道」の名に値するものが果たして如何ほどあろうか。
 武道と称するものの多くは、ゲームという名の競技に明け暮れ、規則を決めて危険をなくし、闘技は武道でなくて、単なるスポーツや、勝ち負けを論するゲームに成り下がった。
 生死を明らかにすることなく、如斯(かくのごとし)にならざれば、それは優劣ゲームの闘技であり、もはや「武の道」に値する名のものでないことは明らかだろう。

■ 死道に学ぶ ■
(しどうにまなぶ)

●一粒の麦

 次の生命の為に、自分が犠牲になることを、身をもって示したのは、幕末の陽明学者・吉田松陰(よしだ‐しょういん)であった。
 彼は、まさに「一粒の麦」を実践した人物であった。
 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、いつまでも一粒のままである。しかし、死ねば多くのみを結ぶ」とあるのは、次の生命を生み出す為に、自分が犠牲になってみせれば、それは決して損なことでもなく、また虚しいことでもなく、更には、そのように生きて、死を選択することこそ、「満たされた生き方」であったといえるのである。

 誰でも自分の死期が近付くと、それをはっきりと自覚するものなのである。この自覚は、暗さで満たされるものではなく、喩(たと)え平凡な生き方をした人でも、明るい未来を感じさせるものなのである。これは観念としてではなく、知覚から悟るものなのである。

 大正十三年に発行された『東洋文化』 (第一号)によれば、村松介石(むらまつ‐かいせき)が、首切り役人の山田朝(浅)衛門から聞いた、吉田松陰の最期の話しが出てくる。
 「吉田松陰が江戸において、首を斬られたその最後の態度は、実に堂々たるものであった。松陰の首を斬った本人(山田朝衛門)は、先年まで居(お)って、四谷に居た。その人の話によると、いよいよ首を斬る刹那の松陰の態度は、実にあっぱれなものであったという事である。悠々(ゆうゆう)として歩を運んできて、役人どもに一揖(いちゆう)し、“ご苦労さま”といって端坐した。その一糸乱れざる、堂々たる態度は、幕吏(ばくり)も深く感嘆した」とある。

 かつて松陰は、間部邀撃策(ようげき‐さく)が咎(とが)められ、下獄したとき、自分から離れていく門下生を見つつ、次のように語っている。
 「吾が輩、皆に先駆けて死んで見せたら観望して起るものもあらん」と悲痛な雄叫びを挙げている。松陰にとって、処刑されるとは、まさに「見事に死んでみせる」ことだったのである。

 この「見事に死んでみせる」は、身をもって態度で示すことを第一義とした、陽明学の行動哲学に支えられ、宿命的に教師であった松陰の「最後の垂訓」であった。この垂訓によって、松陰の役割は総て完結する。

 松陰は、可視的世界の物質界において、数歩先を行く、霧の中の先駆者であった。松陰にだけ見えていて、他は誰も、霧の中の実体を見通せる者が居なかった。それは往々にして、非難が付き纏(まと)い、無理解が付き纏って、渦中の中に立たされるというのは、いつの時代も同じである。先駆者ゆえに、先駆的な行動や思想は理解されないのである。

 その無理解を、松陰は見事に死んで見せることにより、自らの役割を完結したのである。
 松陰は、弟子の門下生に対し、次のように言っている。
 「私は今年三十歳になり、四季【註】人間の生・老・病・死の四期に例えている)は既に備わっている。花も咲き、三十歳の実も結んだ。ただ、その実が単なる籾殻(もみがら)であるのか、粟(あわ)であるのかは、私の知るところでない。同志の君たちの中に、私のささやかな真心を憐れみ、私の志を継いでやろうと思う人が居るのなら、それは後に蒔(ま)かれるべき種子が絶えないで、籾殻がつづけられて行くことを意味するのだ。同志よ。私の言わんとするところを、よく考えて欲しい」

 松陰は確かに三十歳で、花を咲かせ、実を結んだ。そしてその実は、籾殻などではなく、見事な「一粒の麦」であったことは、歴史の証明するところである。
 松陰にとって、死は、暗澹(あんたん)たる暗さを暗示したものではなかった。次の、再生の為のステップであったのである。そしてそこに、一切暗さは感じられないのである。

 

●死をユーモアで解釈する度胸

 多くの現代人は「死」を想うと、身の竦(すく)む思いがするようだ。それは死に対して、恐怖の妄想を抱いているからである。したがって、「死」は恐ろしいものとなる。

 フランス革命当時、無実の罪で暗黒政治の犠牲になった人たちが居たことはよく知られることであり、その人たちの中には、実に立派に死んでいった人も多く居た。彼等は一般の、平凡な一フランス市民であったが、中には暗黒政治の犠牲となり、あらぬことを密告されて、断頭台の露に消えた人も居た。

 ある幼い少女は、政府軍に弁当を届けたという理由で、首を刎(は)ねられた小さな少女も居た。この少女は、断頭台に首を差し出す際、それが不確かだったので、首切り役人のサクソンに「おじさん、首の入れ方はこれでいいの?」と訊ねている。このことが、これを見ていた市民に、少なからず涙を誘った。

 また、ある研究に没頭する学徒は、自分の首が刎ねられる順番が廻ってくるまで、パジャマ姿で一生懸命、自分の研究する本を読んでいたという。そして自分の順番が来ると、パタッと本を閉じ、さっさと断頭台に駈け登り、まるでパジャマを着て、これから就寝に就く気配を思わせたという。その学徒は、脅(おび)えもせず、学徒らしく研究に没頭していて、それが終わると、実に見事に死に就いたというのである。

 このように人の死を思えば、人の死は、時として理不尽に遣(や)ってくるのである。それに異議を申し立てても、理不尽に襲った人の死は、それを聞き入れるわけがない。死の訪れは、時として理不尽であることすらあるのだ。
 これに対処できるのは、ただのユーモアだけである。

 死を、ユーモアで解した人物に、イギリスの人文主義者のトマス・モアがいる。彼は無実の罪で断頭台に送られたときも、ユーモアを忘れることがなかった。死を前にしたときも、得意のユーモアで、機知に富んだ受け答えをしている。

 断頭台に登った彼は、首切り役人に向かって、次のようなことを喋っている。
 「勇気を出して君の任務を果たしなさい。私の首は短いから、よく狙いをつけるんだよ。さあ、これからが君の腕の見せ所だ」
 この話は末代まで語られ、よく知られることとなった有名な話である。

 彼が断頭台で首を刎(は)ねられるに至った経緯は、当時の国王の理不尽な要求を拒み、自らの良心に忠実で、首を刎ねられることすら厭(いと)わない熱血漢であり、彼自身の信条には、人間が真に大切な事柄を貫くには、生命を賭(か)けても惜しくないという心意気であった。

 自分の信条を、外圧の脅迫や強制によって曲げるのではなく、命を落としてもこれを貫き、心という内面性の自由を、自らで証明することであった。彼は、理不尽に対し、これに抗(あらが)って、最も説得力の大きい方法を選んだ。それは自らが、見事に死んで見せるしかなかったのである。その意味で、モアの死は、吉田松陰の死と、どこか酷似しているのである。

 さて、ユーモアなどというと、一般には、滑稽(こっけい)な冗談と解するようであるが、ユーモアは決してそんなものではない。
 冗談上手は、日々を単に面白おかしく過ごすだけである。また、こうした手合いは、あらゆる難問に蓋(ふた)をしたり、避けて通ったり、目をつぶって、面倒なことに関わりを持とうとしない人種である。表面的には、その面白おかしくが好人物を感じさせるが、中身がない為に、長く付き合うと、薄っぺらな人間性を暴露してしまう。この人種は要するに、ユーモアのセンスに欠けた、深みのない、浅い人間なのである。

 表面的に、底の浅いお笑いタレントのように、その人に深みがなければ、それは単なる茶番師であり、そこに人間的な深みは感じられないのである。
 一方ユーモアを心得る人は、極めてダンテ(『神曲』の作者)的であり、人生の暗い局面や悲しみをよく知り、苦悩や、人間の愚かさまでもを識(し)る人である。こうした人は、真の意味で、戦争や憎悪、病気や理不尽な死までを、よく心得ており、自分が、もし死に直面すれば、「それでも笑うことが出来る人」なのである。これは一種の「度胸」といってよいだろう。

 筆者は時々、ハード・バイオレンスの西村寿行(にしむら‐じゅこう)氏の小説を読むことが、ある小説の中で、忘れられない一場面があったことを覚えている。
 それはある美貌の人妻が、暴力団に捕まり、肉体を散々凌辱(りょうじょく)を受けた後に、口封じの為に処刑をされる場面であった。

 彼女は船の上から、錨(いかり)に躰を巻きつけられ、海の中に投げ込まれんとするとき、処刑する暴力団たちの、この理不尽に対し、別に恨みを言い放つでもなく、淡々として言葉に云い顕(あらわ)せないような美しい笑顔を作って死んでいくのである。海に投げ込まれんとするたった今、にっこりと笑って、実に美しい笑顔を作って殺される、西村寿行のこの描写は、筆者に何とも強い鮮烈な印象を与えたのである。この鮮烈さが、今でも、はっきりと記憶に残っている。
 これは小説の上での作者の創作であろうが、それでもトマス・モアのユーモアを感じさせるところがある。

 人間は、もう自分の努力では如何ともしがたい死に直面したとき、後はその死を素直に受け入れる以外ないのである。そして、笑顔を作るなどの、人間のこの行為は、小説の中の出来事であるのかも知れないが、あるいは人間は、如何ともしがたい理不尽に対して、トマス・モアのようにユーモアを湛えて、笑うことが出来るのではないかと思うのである。

 

●人間は希望に縋って生きる生き物である

 現代という時代は、あまりにも物質に固執した為、物質第一主義であると倶(とも)に、肉体信奉主義が罷(まか)り通っている。その為に、中には、肉体的には生きていても、もやは抜け殻(がら)に等しい人々も存在している。

 それは何も、老年期に達した老人とは限らない。時には十代の学生さえも、抜け殻に等しい人が居る。似たような精神状態は、若者に限らず、今日、幅広い年齢層に観(み)ることが出来る。

 さて人間は、老年期に差し掛かり、この歳に至って、精神的な生き甲斐を見出せるか否かという問題は、未来に対して希望が見出せるか、否かということと密接な関係があるようだ。
 人間は、本来希望に縋(すが)る生き物である。

 例えば、朝起きて仕事に出かけるとき、今日一日、仕事が順調に運ぶように願ったり、目標が達成できるように願い、夕べには食後、安らかな眠りが訪れるように願う。そして翌日の朝も、快い目覚めで幕を開け、暑い夏は秋の爽やかな涼風を求め、寒い冬は春の暖かい陽(ひ)射しを願う。
 病の床に臥せば、早期の恢復(かいふく)を願い、健康なときには、更に健康が持続することを願う。

 何から何まで、願い事で一杯であり、また、それはある意味で、人間の自然な姿といえよう。
 人間の抱く希望は、心の深層心理に存在する根源的な衝動である。また、この衝動において、人は活力を得ることができ、創造力を得ることができ、勇気すらも、それから造り出すことが出来るのである。

 こうして考えてみると、人間は希望に縋って生きる生き物であり、希望なしに、人間として生きることは不可能なのである。そして、人間は希望に縋っている時においてのみ、喜びも悲しみも苦しみも、ともに享受できるのである。

 但し希望は、その年齢期において様々に異なるようだ。青年期や、中年の壮年期に抱く希望は専(もっぱ)ら、物質的な具体的なものであり、仕事上の出世や栄達、あるいは成功や昇進などの地位に対する評価の上積みであり、また物財を追い求める物質欲に似た欲望から起る希望である。この年代には、希望は裡側(うちがわ)に向けられるのではなく、外側に向けられる。

 ところが晩年の老年期に達すると、それらからやがて離れる意識が起り、外よりも裡(うち)に向かって、希望の対象は、量より質へと変貌する。若き日に抱いた夢の多くは、とうてい実現しないことを悟り、物の飢えていた時期の多くの望みは、物では心の渇きや、愛情面での渇愛を癒(いや)してくれないことを知り、質的な裡側に向かって探求が始まるのである。
 つまり人間は、年代と倶(とも)に変化する生き物なのである。

 また、老年期に至ると、これまで必至に維持し続けてきた職業上の地位や、健康面において、それが永遠でないことを知り、物質的な事柄から先進的な事柄へと移行して、物が心を癒さないことを悟っていく。同時に健康面に至っては、何らかの病魔が忍び寄り、不安を掻(か)き立てるものである。この時期に入ると、遅くとも、死の瞬間の臨終時に、今まで持ち続けた総てのものは、手放さねばならないことを悟るのである。物では役に立たないことを識(し)るのである。

 これは病床に斃(たお)れ、余命幾許(いくばく)もないと宣告された時に、日一日と明らかになっていく。
 普段、人間が日常生活において掲げる希望は、「日常的希望」といわれるもので、そのベースは目標に向かって生きる「生の哲学」である。

 一方これに対し、「根源的希望」というものがあり、これは人間の存在理由を明らかにし、非存在なる人間が、因縁により生かされ、その生きている不思議を探求すると同時に、人格的あるいは霊格的に「人間とは何か」とか、「自分とは何か」という自体を掘り下げていく衝動である。これを哲学的にいって、「死の哲学」という。

 人間は、常に二面性からなる希望を携(たずさ)えて、一方は日常生活を生きる為に、「生の哲学」を持ち、他方は自己を掘り下げて、それを探求しようとする「死の哲学」を併せ持っているのである。そして、普段の日常生活については、「生の哲学」に固執して生きる態度を示すが、一旦周囲の状況が変わり、環境に変化が起ると、これが「死の哲学」に変わって、「非日常」を如何に対処するかを考え始めるのである。

 「死の哲学」は、非日常にあって機能するものである。生命に危険を感じ、ギリギリのところに追い込まれると、これまでとは打って変わって、死の探求が始まる。人間が非存在的な生き物であることを知る。一種の臨死体験の始まりである。

 

●死の哲学

 武術の鍛錬は、真の意味で精神を鍛える術であると倶(とも)に、臨死体験を齎(もたら)してくれるものである。武術の中には、多くの「小さな死」が至る所にちりばめられており、この死を体験することにより、魂と心が練り上げられていく。

 しかし、武術の精神を鍛える意味と、スポーツの精神を鍛える意味は根本的に違う。スポーツの精神を鍛える意味は、根性的なものが多く関与していて、「勝負の鬼」となり、勝利を目指してトレーニングを積み、努力を重ね、その根底には、「なせばなる」のガッツ精神が含まれている。

 このガッツ精神に対し、武術の精神を鍛える意味は、生死のギリギリのところに自己を追い込み、「死ぬかと思うほどの」体験を通じて、勝つか負けるかの一時的な勝敗を超越し、自己の裡側(うちがわ)に、臨死体験を体験する仕組みを確立することである。したがって、臨死体験を体験する以上、勝ち負けは二の次となる。勝ち負けを超越することこそ、臨死体験では必要不可欠な事柄であり、自分の死生(しじょう)を明らかにすることにある。

 真剣勝負を通じて、生き死にを明らかにし、殺すか殺されるかの修行の中から、この一大事に臨んで、死生を明らかにすることである。「小さな臨終」の体験である。
 臨終を迎える瞬間を臨終正念(りんじゅう‐しょうねん)というが、この臨終正念こそ、「一大事」なのである。まさに生きるか死ぬかの正念場である。

 その正念場にあって、生に有りては生の道を透徹し、死に有りては「死の道」を徹底尽くすことである。これにより、人間は「まことの人間」となりうる。「まこと」とは、陽明学でいう「まごころ」で貫かれた人のことであり、此処に人間が向上する意味がある。

 武術の本来の目的は、敵を、人を殺傷することにあった。つまり、根底には「人殺しの技術」が流れている。この「人殺しの技術」であることを確信することが大事である。しかし、「人殺しの技術」はやがて、必死三昧(ひっし‐ざんまい)を通じて、「死の哲学」へと変貌(へんぼう)した。人を殺すだけが、その目的ではなくなったのである。

 武人は求道者(ぐどう‐しゃ)として、必死三昧の修行を通じて、「死生の道」を明らかにする義務が生まれた。この義務を果たすことが武人に課せられたのである。また、必死三昧の境地とは、自身の裡側に「独立自在」の境地を作り上げることを言う。
 遂に、吾(われ)に勝ち、何者にも侵されない境地を、こう呼ぶのだ。

 敵をして施すところなかしめるを「必勝の気」という。生々発展を祈念して健康で長寿を保つを、「正大の気」という。何(いず)れも、「死の覚悟」から出発する気である。この気を以て、神人合一(しんじん‐ごういつ)の境地に達するまで、修行三昧に明け暮れることを「悟りへの道」と言う。

 問題は、悟るか悟らないかではない。本来、悟りなど、どうでもいいのである。肝心なのは、自分が日々、修行に明け暮れ、「悟りの道を歩いている」ということが大切なのである。悟りの道を歩く以上、それは悟りに到達するか、しないかは、問題ではない。この道を歩いているということが大事なのである。この道を歩く以上、仮に悟りに到達しなくとも、悟りに到達下も同じである。問題は悟りの道を歩いているか、否かにある。

 この道を歩く為には、天地大自然に対し、随順(ずいじゅん)なる生活で臨まなければならない。私欲があってはならない。他を陥れる気持ちがあってはならない。他の失敗を嗤(わら)うような心があってはならない。他に敵愾心(てきがいしん)があってはならない。他を侮(あなど)ってはならない。他を批判・批評してはならない。他を中傷してはならない。他を誹謗(ひぼう)してはならない。そうしたものは、一切かなぐり捨てて、自他を超越るすることにある。自他に垣根を作らないことである。

 自他を超越できない、低い次元のものを目指している人間の心は、実の醜いものである。この醜さが他への誹謗中傷となる。そしてこのレベルで練習している者は、自分のことを棚に上げて、外側ばかりに眼が行く。

 このクラスの人間こそ、それ止まりの低次元の人間である。他の評論家のお追従に有頂天に舞い上がり、自惚れに酔う人間である。
 こうした人間は、自己に酔い過ぎて、自己陶酔の嵌(はま)り、生涯、酔っ払いから眼を醒(さ)ますことはない人であろう。愚かな自己陶酔者である。彼の頭上に降り注ぐものは、永遠に酔いから醒めない、「永遠の死」であろう。況(ま)して、武の道が「死の道」と表裏一体であることも知りえないのである。これが愚者の末路である。

 本来、人間はそうした生き物であるが、自他の間に境界線を取り払うことが修行の目的であり、悟りへの第一歩となる。この道を歩いている限り、これが「悟りへの道」となる。そして悟りとは、「死道」に学ぶ道なのである。その人が「愚」であるか、「賢」であるか、それは死道を学ぶか否かに関わっている。当然、死道に学ぶことを知らなければ、「愚」に甘んじなければならないだろう。

 

●賢者への道

 では一方、賢者の道を歩く者の行動原理は、どうあるべきか。
 賢者の道を歩いている者は、自分が賢者の道の上を歩いていることすら気付かない。ただ、ひたすら地道に稽古を重ね、稽古して稽古して、自分が未熟であることを悟り、更には、自身の才能に限界があることを知るのである。

 常に、自分の前には有能な強者が居て、自分の行く手を阻(はば)み、自分の前に居て、自分に砂塵(さじん)を投げかける者が居ることを悟るのである。しかし、自分に砂塵を投げかけていく者に耐え忍び、更に精進をして、これに迫ろうと稽古を積むのである。この稽古を地道に積む姿勢こそ、「自分を見失わない姿」なのである。

 「自分を見失わない姿」こそ、賢者たる資格は充分であり、然(しか)も、それで居て、自分が賢者の道を歩いていることを知らないのであるから、この態度は清々しく、涼(すず)やかといえるだろう。こうした態度がなければ、精進によっての向上は覚束(おぼつか)ないであろう。

 謙虚こそ、武人の美徳であり、その後の向上が大いに期待できるものである。それは謙虚に振舞い、自惚れることを知らないからである。他人のおだてに挑発されないからである。他人のお追従に心を動かされないからである。しかし、愚者は違う。自己宣伝をし、自惚れを露(あらわ)にして、自分が最強のように装う。勿体(もったい)つけて、愚かなポーズをとる。これこそ、愚者の証(あかし)である。

 こうした者の共通点は、偏(ひとえ)に反芻(はんすう)精神がなく、「自惚れ」という自我で凝り固まっている。末路は見えているようなものである。
 今日の武道界や古武術界や、格闘技界には、こうした手合いが実に多い。特に昨今の古武道・古武術界は、自称・武術研究家(毎日朝晩の日々の地道な稽古を殆どしない、ジャーナリズムを通じて偏った評論と、自分の御贔屓(ごひいき)を第一番目に置いて、他流を見下し、評価だけを中心とする連中。勿論彼等の言は、著しく公正・公平を欠く)という人種の「オタクの吹き溜まり」である。自分の流派を最高・最強のものと思っている。自分を第一人者のような虚構に押し上げている。したがって、その手の手合いは底が知れる。この程度の人間が第一人者面しているのだから、底が知れるというものである。

 この事からも、特に武道界や武術界で為(な)される評論や評価は、公正や公平を欠くばかりでなく、「人間が、自分以外の他人を正しく評価を出来ない生き物である」ことを雄弁に物語っている。
 もともと人間は、自分以外の他人の評価を、正しく出来ない生き物なのである。評価を行うと自らの固定観念が邪魔し、偏見から公正かつ公平な目を失うのである。これは宇宙開闢(かいびゃく)以来の、人間に与えられた定理なのだ。

 しかし一方、賢者の道を歩いている、自分が賢者の道を歩くことすら気付いていない賢者は、謙虚であるばかりでなく、二流以下の実力に甘んじ、これに充分に耐える心身を備え持っている。自分を謙虚に、慎み深く扱う。「礼儀」を知り、「死道」を知る。
 したがって、大袈裟(おおげさ)に構えることがない。構えることがないから、敵愾心(てきがいしん)も生まれない。自然のままに、何事にもこだわらず、さらりと流れていく。実に見事な生き態(ざま)といえよう。

 これは精神的動脈硬化がないのである。精神的動脈硬化がないから、何事かにこだわって、禍根(かこん)を掘り返すこともしないし、遺恨を蒸し返すこともない。正当な評価が得られなかったとしても、これに異論を唱えない。人間は完全でないから、そういう評価があってもいいと考える。愚者を相手にしない。愚者に振り廻されない。

 常に、サラサラの血液同様に、悪玉コレステロールのように、こだわらず、引っかからず、何事も意に介さないのである。実に淡々としている。実に涼(すず)やかであり、清々しい精神の持ち主である。したがって、「我(が)」もないのである。我もないから、策略めいた肚積りもないのである。

 人間というものは、残念ながら、その人が善人であっても、悪人であっても、人を正しく評価できない生き物である。
 私たち人間が、他人を正当に評価できないのは、天地開闢(かいびゃく)以来定められたことで、これは明白な事実である。これこそ、人間の悲しむべき事実であるが、人間は心の片隅で、自分を優位に、他人を一等も二等も下に置くというのが、悲しむべき人間の、真の姿である。他人より、一歩先を行こうとする。他人を出し抜こうとする。

 賢者はこうした悲しむべき人間の実態を知っているから、差し当たり、低く評価されたからといって、動揺もしないし、怒りもしないのである。人間は恥多き生き物であることを知っているのである。恥多き人間の「恥」を指摘しても、「恥」を恥とも思わない人間は、これを心底、改めることが出来ない。したがって、こうした手合いは相手にする必要がない。眼中にない。

 賢者はただ、淡々とし、こだわらず、さらりと流れていけるのである。何故ならば、人間は外的評価では、人間自体の価値は決まらないということを知っているからだ。だから貶(けな)されても自信を失わない。高貴を具(そな)えている人は、他人の評価に目もくれないのである。

 賢者の目指すところは、こうした「低き愚」にあるのではない。死の道を嗜(たしな)み、如何に自分が「死道」を全うするか、それだけに心を繋(つな)ぎ止めている。この一点のみに懸かっていることをよく知っている。それ以外に何もない。だから地味だと思える、人の見ていない、日々精進が毎日可能となるのだ。

 

●笑いの中の恐怖

 東洋医学には、「喜びが過ぎると肺を病む」とある。喜びは笑いに通じるものであり、笑い過ぎると肺を病むのだ。

 例えば、テレビのお笑い番組を何時間も見ていたら、その視聴者の精神は腐って融け出すであろう。特に昨今のお笑い番組は、仲間内だけで、へらへらと面白おかしく笑う、そんな、笑われているのか、嗤(わら)われているの分からないような、有害なものが殖(ふ)えている。
 人間の精神は、私たちが考えるほど、強靭(きょうじん)ではないのである。お笑い番組を見て、馬鹿笑いすることすらも、緊張が弛み、健康にはよくないのである。ある程度の慎みが要(い)るのである。

 一般に信じられている、「笑う門(かど)には福来る」という俚諺(りげん)も、度が過ぎれば健康を害するものであり、何事も程々にすることが肝心である。

 また、緊張のない人間は、本質的には精神の為に向上する意欲がなく、真の意味での「ゆとり」をベースに、緊張の中に、これを再現する能力がないのである。こうした人間は、どうしても感情の方に流されてしまうようだ。
 よく考えれば、笑いも、喜びも、感情から発する同根のもので、人間の感情には「七情」がある。「七情」は病気の元凶なのである。

 七情とは、人間の情緒的活動のことで、笑いを含む喜び、憂い、思い、悲しみ、恐れ、驚きの七つを指す。この七種類の感情は、通常範囲において、感情の動きは生理的な活動範囲内に止まっている。しかし、突然、極端な先進的痛手を受けて、そこに衝撃が起ると、生体的な自動コントロールの許容範囲を超えてしまい、体内には「陰陽のバランス」が崩れた状態が起る。この陰陽のバランス崩壊は、即、血気に及び、臓腑にまで及ぶ。機能失調が惹(ひ)き起こされ、病気になり易くなる。

 東洋医学曰(いわ)く、笑い過ぎ、喜び過ぎると肺を病む。起り過ぎると肝を病む。憂い過ぎると肺と脾を病む。思い過ぎると脾を病む。悲しみ過ぎると肺を病む。恐れ過ぎると腎を病む。驚き過ぎると腎が、それぞれの臓腑を傷つけるとされている。したがって、緊張により、感情をコントロールする必要がある。
 つまり、この事は、緊張の訓練を受けなかった人間は、病的でもあるということにもなる。ストレスから起る成人病が、この事を明確の物語っている。

 世間一般では緊張すると、ストレスが懸るといわれているが、これは正反対である。緊張しないからストレス病になるのである。
 真の緊張は、その中に「ゆとり」を齎(もたら)すものである。

 弓の弦(つる)でも、張り過ぎると切れてしまうのと同様、そこには「自然の弛緩」が要る。しかし、弛め過ぎた弦は、イザという時に発射することが出来ないから役に立たない。矢を番(つが)え、イザという時にいつでも発射できるのは、ピンと張っていながら、然(しか)もなお「自然の弛緩」がある弓である。したがって、弦を張った弓でも、張りっぱなしではない。

 人間もこれと同様、緊張しっぱなしではなく、緊張の中にも「ゆとり」があるのである。この「ゆとり」は、一種の「余裕」でもあるから、急ぎ過ぎたり、焦り過ぎたりすることがなく、余裕のある人間は、実に観察眼も確かなのである。周囲の変化がよく見えている。

 しかし、余裕を得る為には、それ相当の訓練と修練を積まなければならない。修練を積めば、自然と「弛緩の法」が分かってくる。この法を知る者だけが、緊張を賢く使い、本当の「備え」「護り」ができるのである。

 この「備え」と「護り」については、『牡丹下の猫』【註】正しくは『牡丹台下の睡猫児』という。牡丹の花の下に睡っている猫という禅句から採ったもので、柳生但馬守宗矩が、その著書『新影月見伝』の中に秘文書として著している)という挿話の中に描かれている。

 『牡丹下の猫』によれば、「一匹の猫が牡丹の花の下で気持ちよさそうに眠っている。そこに一人の武芸者がこの場面に遭遇し、この子猫を斬り捨ててやろうと思う。一刀の下に斬り捨てようとして猫に近付くと、猫はぱっと横に飛び、逃げていく。この時に、武芸者はこの状況を反芻(はんすう)する。猫は、敵が近付いたら飛んで逃げようとしていたのか、否かを。
 猫が敵の気配に感じて、ビクビクしていたら、とても寝られたものではない。そして、この猫は寝ていたのか、寝ていなかったのかと結論を詰めていく。そして遂に出た答えが、“任せている”ということに気付くのである」

 これが『牡丹下の猫』のあらましである。
 猫は任せていたから、その自然の中から「横に飛んで逃げる」ということが出来たのである。つまり、猫は、因縁に任せて寝ていたことになる。これを「他力一乗」というのである。
 総て、一切合財(いっさい‐がっさい)を任せるのである。

 もし、猫が死するべき因縁であるならば、武芸者からバッサリと斬られるはずである。しかし、生きる因縁であるならば、ぐっすり寝ていながら、敵の近付く足音を、“天”が知らせてくれ、眼を覚まさせてくれるのである。この時、逃れる手が、自然に躰の中から瞬発的に飛び出したのであり、これにより、パッと身を躱(かわ)すことが出来たのである。

 猫には、肚構えも、自力もありはしない。他力一乗をもって、自然に任せ、任運自在であったのである。しかし、幾ら任運自在といっても、それは訓練を積み、修練を重ねてからこそ、出来るのであって、実際に熟睡していれば、簡単にバッサリと斬られてしまったことであろう。

 昨今は、緊張の弛みから、名のある格闘家が溺酔状態で、乱暴狼藉(らんぼう‐ろうぜき)を働いたり、不覚を取って、名もないナイフ所持愛好家の中学生にナイフで刺されるという事件が起っているが、これは緊張が足らない為で、緊張には自(おの)ずと、個人の能力に限界があるように思える。この限界こそ、「生かされる因縁」と「殺される因縁」の個人差である。

 「生かされる因縁」を持つ人は、緊張の中にも、日常では自分を自由に解き放ち、非日常においては霊的な反射神経によって、締め上げるという両方の使い分けがコントロールできるからである。
 したがって、幾ら試合上手で、今世紀を誇る最強のチャンピオンでも、このコントロールが出来なければ、名もないチンピラにナイフで刺されて殺されることになる。幾ら筋力的に鍛えた躰でも、人体の構造は、一般人とは大して変わらず、チャンプと雖(いえど)も、空気を吸って吐いて呼吸し、飯を食い、糞をたれ、赤い血が流れている。俗人同様、欲もある。凡夫と、どこも変わるところはない。
 しかし生きる因縁がなければ、無慙(むざん)な死が待ち受けている。かつてチンピラに一突きされて、数日後に命を落とした格闘家が居たことを忘れるべきではないだろう。

 「油断あれば、名人と雖(いえど)も、素人に敗れる」のである。素人(しろうと)は、玄人(くろうと)と違って手が早いのである。
 緊張のない人間は、姿勢と、歩く姿に克明に顕れる。 また、自分一人の世界に閉じこもり、ある意味での自惚れをもっているので、一見堂々としているようで、誰にも目立つ存在である。更に欲観察すると、猫背になり、顎(あご)を出し、口元がだらしなく、立膝で食事をするなどの傲慢(ごうまん)な態度を取る。傍若無人の最たるものである。それだけに命を狙われ易い。

 北米や南米などでは、かの大陸では、レスラーなどの格闘家は、自分の安全を確保する為に数人のボディーガードをつけるという。最強のレスラーほど、自分の安全には気を遣うという。いい心掛けと思う。
 しかし、日本ではこうしたことを考えない。目立ちすぎるほど目立ち、態度はまさに傍若無人である。こうした態度は、やがて暴漢の妬みを買って、射撃の的になったり、刺殺のターゲットにされるであろう。日本も警察機能は、アメリカ並みに麻痺し始めている。その最たるものが、毎日何処かで起っている殺人事件の現状である。現代では、自分を護るのは、自分以外にないことを知るべきであろう。

 やはり、イザというとき、時と場所を考え、これに順応しようとする努力が「緊張」である。この努力を常に怠らなかったら、自分が出しゃばることもなく、どうしたら無難に躱せるかを見極めることが出来るのである。
 その見極めの時と場所には、風呂に入るときや上がった時、朝床から起きた時、排便排尿の時、歩くときや走る時、食事の時、自分はどのような起居振る舞いが極めて適当か、自ずと無理をせずに振舞うことが出来るのである。本当の安全は、自分の才覚で護る以外ないのである。
 「緊張」はそうした意味で、自分自身に慎みと、目立たない姿勢を教えてくれる。

 また此処にこそ、日々、自分の心に死を充(あ)てて生き抜く、「死道」の教えがあるのである。


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