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大東流の基本となる日本刀の操法

合気二刀剣・静と動 ■
(あいきにとうけん・せいとどう)

●秘伝・合気二刀剣について

  スポーツライター:宮川 修明

 かつて曽川和翁宗家から、「素振用木刀(約一二〇〇グラム)で千回振るのに、何分かかるか?」と訊かれた事がある。
 通常の規則的に稽古をしている人であれば、一分間で、早い人であれば二十五〜六回程度であるので、千回振るのに、早くて四十分〜五十分程度であるので、私は大方「一時間もあれば振れるのではないでしょうか」と答えた。

 「それでは、二刀を持って振るには何分かかるか?」と訊くので、少し考えて、確かに一振りの木刀を二振り握り、二刀にするのであるから、握る重さは二倍になるが、それは時間も二倍かかるという事ではない。
 疲れや、体力をざっと計算しても、スピードは半減するわけではなく、こうしたものを計算しても、ほぼ一時間強と見るべきであろう。そこで私は「大方、一時間強でしょう」と答えた。
 すると「一時間かかって、十回振る事は出来るか?」と訊かれた。ハッ?と、一瞬の質問に躊躇した私は、今まで予想もしなかった問に対し、突然「答案を見せよ」と訊かれたようで、正直言って苦悶せずにはいられなかった。

 多くの修行者は、運動神経で動的な解釈をし、自分のトレーニング回数を、その回数の多さと、スピード力の凄まじい早さで自己表現しようとする。しかし曽川宗家の言う修行とは、こうしたレベルや次元の肉体稽古を全く意に介しない。
 この質問をされた時、曽川宗家は、恐ろしい稽古を随分体験してきた人だ、ということが実感できた。多くは語らないが、この逆転した発想の中に、本当の武術の恐ろしさがあるように思えるのだ。

 この質問以降、私も自分で、素振用木刀を握り、一時間かかって十回の素振りをしてみた。僅か、「たかが十回」である。
 しかし実際にやってみると、これが中々難しいものなのである。一時間かかって千回振るのと、十回を一時間かかって振るのとは、全く違った感覚を受け、人間の平衡感覚や均衡感覚は意外に、普段では磨き得てないという事が、即座に痛感されたのである。

 まず、筋力やスピードに頼って練習をしている人は、確かに動的な鍛練にはなれているが、これがスローモーションのようにロー・スピードになると、空間を移動する感覚意識が既にこの感覚の中では破壊されてしまっており、「間」というものに自信が持てなくなる。
 曽川宗家は常々「間」という言葉を口にされる。そして曽川宗家の言う「間」とは、「魔」の意味でもあり、「間」は時間と空間の中で「魔」にも変貌するという恐ろしいことなのである。
 こうした事を体験しうるのは、やはり曽川宗家のような、動的意識を超越した、静的意識に通じた人でなければ、到底辿り着く事の出来ない境地なのであろう。

 この静的意識を思うにつけ、曽川宗家の論文『健康な躰と丈夫な躰の違い』の中の一節に、「静と動」と言うものがあり、「多くの人は、健康な躰を最も理想とし、これが一番であると表する。しかし武術家にとって、単に躰が健康であるということだけでは何の意味もない。武術家の体躯にとって重要なことは、「健康である」ということよりも、「丈夫である」ということが最も重要な課題となるのである。
 つまり躰を鍛えるということは、長時間、何事にも耐えられる耐久力や持久力を言うのである。

 しかし昨今に流行しているスポーツや格闘技は、瞬発的な力を養成するだけで、その結果、長時間、物事に対峙する真摯な姿勢を失わせてしまった。多くの、こうしたスポーツ形式を採用する武道や格闘技は、一種の観戦スポーツであり、観客存(あ)っての試合であり、観客がいなければ試合などは成立しないことになる。
 そして観客に技を「魅せる」という試合展開を進行させる為、時間を制限して、勝ち負けがはっきりしていて、瞬発的に技が決まることを最も「良し」とするのである。

 差し詰め、相撲などがこのよき例であり、江戸時代中期、「土俵」という線引きの発明によって、相撲は大衆娯楽として発展し、今日まで生き残ることが出来たといえよう。
 したがって勝ち負けを有する格技は、試合中と、普段の体躯状態に大きな落差ができ、長時間の緊張が続かない「スポーツ依存症」に陥っている。つまり二重人格的な、実態が現われてくるということである」と述べられ、肉体信奉主義者の愚を指摘しつつ、本来、人間の行動原理の中には「静と動」が存在することを力説している。

 そしてその決定的な指摘が、「曾(かつ)て私は、先師(初代西郷派大東流宗家の山下芳衛(ほうえい)先生をこう呼ぶ)より、蒙満の民(蒙古人と満洲人を総称であり、一部の漢民族が含まれる)の先天的な、躰の丈夫さについて話を聞いた事がある。
 先師の話によると、「蒙満人は暑さや寒さに対して、異常な強さを持っている」という事であった。

 『日中戦争当時、冬季(旧日本陸軍の冬期特別調査)に、田舎を旅(当時先師は特務機関の将校だった)すると、家々(百姓家)の土塀の陽溜まりで、小さな子供が数人で遊んでいる。しかしその子供達は陽が傾き、陽溜まりが移動しても元の場所の陰になった、寒い場所に居て、寒気が襲ってきても、まだ同じ位置で遊び続けていた。

 こうした光景を見た時、何という忍耐力、そして恐るべき体力だと思った。全く平気なのである。日本人ならば、ちょうっと頭を使っただけで、日向(ひなた)へ移動することを考えるが、奴等はそれをしない。暖かい場所が直ぐ横にあるのに、そんな場所には頓着せず、喜々として不相分(あいかわらず)遊んでいる。また、砂漠の猛暑に、焼け付くような酷暑にあっても、日本人や欧米人が、額から脂汗を流し、酷(こ)くされている時でも、蒙満人は季節に応じて衣替えする習慣がなく、いつも単衣(ひとえ)の粗衣、少量の粗食に徹し、低度の生活に甘んじているにもかかわらず、人力車を曳(ひ)き、それも、汗を殆どかかずに平気で、然も悠々(ゆうゆう)と余力を残して走り続けている。ここに蒙満人の本当の恐ろしさがある』(日本人には、到底真似できないと思ったのであろう)と、彼等を表したのである。

 そして後に続けた言葉が、『この恐ろしさは、最下級の百姓に限らず、上流階級に至っても、同じ頑健さがあり、日本人が大陸に進出して、奴等を牛耳ろうとしても、所詮無理な話であった。揚子江や黄河を制御する奴等に、たかが島国の日本人が『日本民族の大陸発展政策』と称して、乗り込んで行ったところでどうなるものでもない。戦えば、必ず奴等に敗れるのがオチであった。日本軍閥を見て、日本人の思い上がりも甚だしい……』(当時の北進策の日中戦争の愚を吐露した)と、溜息混じりに、感慨深そうにポツリポツリと話したことを憶えている。

 いわゆる「丈夫」という事は、こうした頑健さを指し、そこに忍耐力と、恐るべき体力の持続と、最低限の生活に甘んじながらも、それに平気で耐えられる、粗衣粗食の彼等の生活スタイルそのものなのである。これが中国五千年(一説には四千年というが……)の歴史の中で、太古より基本となって、大陸人特有の体躯を形成してきたものと考えられる。つまりこれこそが「静」の強さの実態である」(志友会報『合気語録』より)と、その「静」の凄まじさに感嘆の声を挙げていることである。

 つまり、「静」という情況の中に、スロー速度で開始される「合気二刀剣の実態」があり、これが「十回を一時間かかって振る」という発想に繋がったのではあるまいか。
 僅か「十回を一時間かかって振る」というこの特異な修行法の中に、実は「合気の極意」があり、人間の均衡感覚とは意外にも不思議なもので、必ず頭を上にして左右を意識するという心の作用が働くようだ。

 本来ならば、均衡感覚は人間の心の中にしっかりと植え付けられているのであるが、感覚の裡、運動感覚は躍動感というリズムを伴う為、生動化・躰動化と結び付き、外的作用としてバイブレーションを大きくするのであるが、逆にリズムを伴わないこうした内的作用は、その波動が外では表現されず、現実的な体験として、幻覚と知覚の区別が付かなくなってしまうような錯覚に陥りやすいのである。

 つまりスピードという観念が失われる為、拍子というリズムがなくなり、強弱の波動が消えてしまう。この「消えた」という現実の中に、やはり「静」という実態があり、それがただ制止するのではなく、「静止しながら、動いている」という矛盾した関係を作り出しているのである。こうした実態は、外的事実のみを正しいと考える人種には、相受け入れざる事象で、静止しても動く、動いても静止するという不思議な感覚に囚われてしまうのである。
 この体感する感覚こそ、実は「合気」なのである。

 さて人間の感覚器は五官という、視角、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五官に支えられているが、本来はそれだけではなく、他にも、同じ温度でも場所や部分によっては寒暖を感じる「熱感覚」があり、上か下かを判断する「均衡感覚」、リズムを持つ「運動感覚」、生命の根源を司る呼吸吐納の躍動する「生命感覚」、民族の言霊という「言語感覚」、思考や直感という「概念感覚」、そして自分という自我に対する自意識の「個体感覚」がある。
 私達はこうした感覚の中で、物事を直感したり、思考したり、あるいは感情を抱いたり、意志を堅固にしたり、これらを総合して人生を生きている。

 そして修行者にとって、最も重要な感覚は「静と動」を意識する運動感覚であり、自分に対してどの程度の外的圧力がかかるか、という触覚の部分であり、これは最初五官の触覚を通じて情報が伝達され、それを自分の脳か感じるという現象が運動感覚を総称した意識である。
 これは上か下かという感覚に併せて、いずれが左右であるか、という均衡感覚や平衡感覚が起こり、特にこれが、上からのしかかる重力ともなると、これは即座に運動感覚と直結されてしまう。

 そして「重力」という意識は、つまり個体本人を演ずる「自我」が感ずるものであり、「私」が感ずるものであるから、自分に対してどの位の圧力がかかっているかという事を、知覚し、それを最初に感じるのは触覚である。これは敵から受ける圧力ばかりでなく、自分が敵を攻撃する時の圧力でもあり、また自分が木刀などを握って、素振りする時に感ずる意識でもある。この意識は、即座に運動感覚に変換され、波動の中に吸収しようとする。

 さて、運動感覚とは何かという問いに対し、まず運動感覚は、動いているものを対象にする感覚ではないということが解る。本来は自分の位置を認識する感覚であり、その位置を確認しつつ、次の重さの位置の移行に連結され、最後には直接自我に反映されて、「私」が感ずる意識となる。その意識の中で、スピードを感じたり、敵の威圧を感じたり、その強弱を感じたり、圧力を感じたりしているのである。また位置を基準に「動き」や「静止」を確認する事が出来る。

 そして「私」という自我意識は、基本的には重力との対決を余儀なくされるものなのである。
 したがって如何に達人といえども、この重力を無視することは出来ない
 換言すれば、重力を体験するという事は「私」という自我意識が認識するということであり、「私」がこれを認識して、逆に敵に対してこれを認識させないということが、つまりは「合気の極意」なのである。
 曽川宗家が私に質問した、「十回を一時間かかって振る」というこの得意な修行法の中に、何か途方もない秘密が隠されているのである。

 では重力を感じさせない為にはどうするか。
 一番早い現象が直立することを許さぬ「投げ業」であり、次に「抱え業」であろう。敵から自我の重力を奪い、重力を意識できない状態に追い込めば、つまりこれらの業は容易に敵を顛倒させる事が出来、敵はこれによって制せられてしまう。

 かつて面白い話を曽川宗家から聞いた事がある。
 それは一メートル四方の檻の中に人間を閉じ込め、暫くその中に入れておくと、自我意識は自身の身体の中で、自我、つまり「私」を感じる事が出来ないので、まず均衡感覚が無くなるということであった。
 一メートル四方の檻の中といえば、寝る事も出来ず、背中を十分に直立に伸ばす事も出来ず、とにかく自由を制限された苦痛な空間である。こうした空間で、単に平静を維持できるのは、正座した時くらいであり、この正座でいる間のみ、心は平静に保たれ、これ以外は総て苦痛になるのである。恐ろしい拷問と言えば、言えなくはない。

 私はこの話を聞いた時、二つの事実を思い出した。一つは戦国期の武将である黒田官兵衛であり、もう一つはベトナム戦争当時の北ベトナム軍の捕虜になったアメリカ軍パイロットの話である。彼等の共通点は、二人とも約一メートル四方の洞窟のような牢獄に閉じ込められ、この中で約一年以上も生活し、それでもなお、精神に異常を来さなかったという、恐るべき精神力だった。しかし黒田官兵衛は秀吉軍に助け出され、牢獄の外に出た時はまともに歩くことが出来ず、片方の足は機能がマヒして、以降官兵衛はビッコになる。
 また米軍パイロットは、友軍の救助部隊に救出された時、既に足は運動機能を失い、直ぐには歩く事が出来ず、歩くためにリハビリを受けたという。

 こうした現象は、単に血液の流通や、神経系の疎通、おとび筋肉の退化という事だけに止まらない。つまり均衡感覚を失った事が、こうした肉体的な疾患を招いたものと思われる。
 重力の抵抗や、そこからの圧力を受けず、意識が眠った状態になってしまうと、重力に逆らわずに、自分の個体を持ち上げる感覚意識が失われ、この「重さ」という均衡感覚を認識できないからである。

 人間の人体構造ならびに運動感覚は、均衡および平衡を保ちながら、次に運動感覚と連携して、空間を移動するという、空間体験を自我意識が認識する。
 しかし均衡感覚と運動感覚は、本来連結されているものの、この連結を切り離し、別々に空間体験させると、その体験において、本来は動作には出発点があり到達点があるのであるが、この始まりと終にズレが生じて、同感覚意識が個別に体験することになり、双方は一次元的な空間での、点や線の体験しか出来なくなってしまうのである。
 均衡感覚と運動感覚が同時に働いてこそ、二次元的な体験や、三次元的な体験が可能になり、これが各々にバラバラだと、二次元や三次元は、一定の方向性を持った空間とは認識できなくなってしまうのである。

 空間認識は、動きが生じている場合、「押すか」「引くか」のいずれかの関係になるが、これを更に転換すれば、呼吸作用にも繋がっていく。
 呼吸の吐納は、空気の出し入れであり、吐納は「拡散」と「収縮」に代表される。人間に出発点と到達点があれば、それは吐納のいずれかで、多くの場合、出る時は「呼気」であり、戻る時は「吸気」である。
 つまり拡散は外に向かって呼気であり、収縮は裡に向かっても吸気である。こうした呼吸の吐納が、人間の行動原理に拡散・収縮を促し、それが同時に運動感覚と結び付き、次に均衡感覚によって、空間の上下を認識するという次元に至っている事が解る。

 以上のことから、運動感覚は呼吸作用という「生命の躍動を司る生命感覚」にも無縁ではない。
 したがって、呼吸という生命感覚に「異常」という概念(感覚意識の一つ)を敵に植え付ける事が出来れば、敵は即座に異常事態を悟り、生命感覚と均衡感覚と運動感覚に反映されて、一時的に行動が阻止されてしまうのである。

 人間はこうした三次元顕界において、感覚を持った生き物として、生きとし生けるものの動物という肉体意識を持ちながら、内的な部分と外的な部分を持ち、一方から起こる内在的な力によって外圧を極度に感じ、同時に基本的な命の営み迄もを制せられてしまうのであるが、それは運動体験を通して、動物の基本的な在り方を視ているという事にもなるのである。

 こうした人間本来の在り方に、逆転の発想を持った考え方が「合気」であり、常に奇想天外な行動原理が、逆に人間の動物的な行動原理を一時的に阻止し、行動を制止させるということになる。
 恐らくこうした人間の行動原理の中には、動物的な行動原理が基本になっているであろうが、人間の人間たる所以は、単に肉体的な行動原理に流されず、動物的な動きや反射感覚で意識する、強弱や早退を離れて、魂の働きという次元に達した時、大きな恐るべき力を発揮するのではないか、という核心に迫れるのである。
 こうした核心に一歩でも、二歩でも迫った場合、曽川宗家が何気なしにぽつりと言った、「十回を一時間かかって振る」というこの言葉の中には、重要な秘密が隠れているような気持ちがしてくるのである。

 その意味で、合気二刀剣を会得するまでの「合気に至るまでの道順」は、各々にその段階的指導法があり、この指導は、やはり直接手を把って貰って教授を受けない限り、多くは会得できないものと考える次第である。また、こうした段階的指導法の中に大東流の歴史があり、これは古人の長い時間をかけた集積であり、この集積はやはり一子相伝で行われた可能性が高く、一個人が幾ら技をひねり回し、独学で研究したところで、全く知ることの出来ない次元のものである。

合気二刀剣・対峙法

▲合気二刀剣・対峙法(クリックで拡大)


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