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誇りの裏付けとなる数々の技法

西郷派大東流の掲げるサバイバル思想の概論
(さいごうはだとうりゅうのかかげるさばいばるしそうのがいねん)

●思考の中の宇宙を作り出す不可僻な出来事

 偉業を作り出すのは人間である。人間の思考の中には、偉業の種子が備わっている。それを発芽させるか否かは、人間の行動である。
 では、偉業はどうした条件下で派生するか。
 それは歴史を捕らえる時、恐るべき好奇心に加えて、限り無い情熱と、幾重にも絡み合う複雑な人間模様を、緻密
(ちみつ)に思考した時、それに回帰される。

 万物は流転(るてん)する。流転こそ、変化の要(かなめ)だ。
 だから万物は流転する。変わる時に変わらなければ、保守的な考え方ばかりで行き詰まり、最後は最悪な事態を迎える。時代とは、そう言うものである。
 こうした変化を齎(もたら)す思考を働かせる為には、万物を複眼的な見地と思考で見聞し、その中から、複雑に絡み合う真理への模索が極め手となる。真理への模索こそ、変化への追求となる。

 人が真理を求め、その模索を心掛けている限り、求めるものは、依然として吾(わ)が手中にある。諦めない限り、真理は吾(われ)を見捨てない。
 一方人間は、保守を好む生き物である。先祖から伝わった伝承や、自分が獲得したものを、頑迷に、盲目的に盲信する嫌いがある。変化することを拒み、あるいはこれを懸念し、過去の因襲
(いんしゅう)に凝り固まる。これを覆(くつがえ)す者に、何某(なにがし)かの抵抗を試みる。

 だが、こうした試みは、とてつもない瞬発力と集中力で、いずれ時代の変化に覆(くつがえ)される。一瞬の隙(すき)に乗じられる。一瞬の隙が生じた時、あるいは奢(おご)り高ぶった時、豪奢(ごうしゃ)は、そこに失態の極みを経験する。
 そうした転換期に遭遇したのが、ベトナム戦争ではなかったか。

 アメリカはベトナム戦争に勝利するために、巨額な戦費を投入した。
 第二次大戦において、日本やドイツの強大な軍事同盟国を無条件降伏させたアメリカは、戦後、ツキに見離された観があった。朝鮮戦争においては、前近代的な軍隊組織の殻から脱していない人民解放軍と北朝鮮軍を相手に、三年に亘って戦い続け、やっと引き分けであった。アメリカの物量神話は幻想であった。
 日本の歴史学者や経済学者が指摘した、「日本はアメリカの物量の前に敗れた」とする説は、まさに幻想であった。

 したがって、先の大戦においても、日本が敗れたとするのは、アメリカの物量に敗れたのではなかった。日本の敗因の原因は、戦争指導者に「戦争とは如何なるものか」という認識が欠けていたのである。これでは勝てる戦争も、勝てるわけがない。
 だが、いまもって太平洋戦争を顧みるとき、アメリカの物量神話を信じる日本の学者は少なくない。特に、これが進歩的文化人ともなるの、その傾向が激しい。彼等は太平洋戦争が、無謀な戦いだったと酷評する。もし、当時、太平洋を挟んで戦った日米戦が、無謀な戦いであったとするならば、日露戦争はどうなるのか。日露戦争こそ、まさに無謀な戦いではなかったか。

 明治ですら、日清・日露という、日本は二度の大戦争を戦っているのである。 日清戦争当時、清朝は大国であった。また、帝政ロシアも巨大な大国であり、その軍備においては、大人と子供の差以上に開いたものであった。小国が大国に勝てないとする公理は何処にもなかった。

 これを歴史で証明したのが、ベトナム戦争であった。ベトナム戦争においては、朝鮮戦争以上に、アメリカの物量神話は完全に根底から覆される。
 世界最大の分磁力を誇るアメリカは、ベトナムに対し、毎年250億ドルもの戦費を投じながら、勝てなかった。核兵器を除く、あらゆる新兵器を使いながらも、無慙(むざん)に惨敗するのである。世界最大の軍事力をもつアメリカに比べれば、ベトナムなど東南アジアの弱小国に過ぎなかった。アメリカの物量に比較して、ベトナム戦争のベトコン側こそ、無謀な戦いを展開していたのである。 

ベトコンへの拷問
ケサン降下。1967年のベトナムへ降下した米兵

 圧倒的な大勢力と、物量に物を言わせる大国を前に、「無謀」という理由で、太平洋戦争を無謀な戦いであると決め付けるならば、日清戦争も、日露戦争も否定されねばならず、そればかりか、朝鮮戦争も、ベトナム戦争も無謀な戦いの汚名を被って、否定されねばならないのである。

 最初から、圧倒的な大勢力を有し、巨大工業国で物量に物を言わせる大国であるから、戦わずして軍門に下り、負けを認めるべきだと、尻尾を巻く以外ないのである。だが、無謀な戦いとする進歩的文化人の言は、朝鮮戦争とベトナム戦争で見事に覆される。

 

●ベトナム戦争

 日本より一周り小さい国・ベトナム。人口は約八千万人である。これに比べて、日本は太平洋戦争当時、人口は約一億人ほどと推定された。ベトナム戦争当時も、旧日本軍に比較すれば、貧弱な弱小国であった。

 ベトナム戦争における、北ベトナム軍の勝利は、特異な地形を生かしたジャングル戦を展開した事であった。ベトナム戦争は、1960〜75年の北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線と、アメリカ軍と南ベトナム政府との戦争であった。そして熱帯の、高温多雨の気候や、ジャングルと言う特異な地形を利用したことは言うまでもない。

 ベトナム戦争を指揮したのは、ホー・チ・ミンHo Chi-minh・胡志明/ベトナムの政治家。1890〜1969)である。ホー・チ・ミンは20歳頃に渡欧し、フランス社会党ならびに共産党に加入して独立運動に従事した。第二次大戦中はベトミンを組織して抗日運動を指導する。

ホー・チ・ミン

 更にホー・チ・ミンは1945年、ベトナム民主共和国を建て、初代国家主席(大統領)に就任する。植民地支配復活を策するフランスに対して、徹底的に抗争をつづけ、1954年にジュネーヴ協定により、独立を確保した。また、労働党主席を兼ね、アメリカの支持する南ベトナム政権に対抗しつつ、社会主義建設を指導した。

 この抵抗運動で功を奏したのは、社会主義や共産主義の理念ではない。こうした理念やイデオロギーと、ベトナム戦争で用いられた戦術や戦略とは、殆ど無関係である。要するに、三十年以上に及ぶ、豪奢への抵抗と、欧米打倒の執念が、この戦争に勝利を齎(もたら)したのである。

 ホー・チ・ミンの軍事指導は、東洋人の清き精神をもって、それを欧米への反旗とし、一つの宇宙を形作る不可僻な定理を発見し、その定理に従い、軍事指導した事であった。
 この場合の社会主義や共産主義のイデオロギーは、あくまで二義的な方便に過ぎなかった。
 革命と言う理念を派生させた時、人民を指導する上で、最も有効なのは、その勢力下を社会主義もしくは共産主義において、内部を統制する事であった。内部統制のみに、このイデオロギーは使われたのである。特に暴力革命に於いて、このイデオロギーが非常に有効である事は、歴史が認める通りである。

 歴史の中には、様々な権力者が登場した。ある者は「皇帝」を名乗り、ある者は「主席」を名乗った。また、ある者は選挙に選ばれたふりをして、期限付の「大統領」を名乗った。名乗る名前は様々であるが、要するに「天子」を名乗ったのである。
 天子の名乗る場合、明らかに大義名分が必要となる。この場合、いったい何を大義として、天子の名乗るかである。天子は天命を許
(もと)にして、天子の名乗るのが筋道である。

 人が天子に遵(したが)う場合、掲げるイデオロギーは殆ど関係ない。イデオロギーをとやかく言うのは、末端に位置する微生物層においてのみである。末端分子は、自分の入れ挙げる主義主張に、激情を注ぎたいからだ。この場合、社会主義や共産主義というイデオロギーは、極めて有効的なものになる。
 しかし、天下の趨勢
(すうせい)を窺(うかが)う者は、動乱の世に大義名分は、一種の飾りに過ぎなくなる。天下の利が、自分自身の何処にあるか、これを探る世の中が、動乱の世であり、また乱世なのだ。革命家は、こうした時期を待ち続ける。体制側に隙(すき)ができるのをひたすら待つ。

 人が、主義主張を重ねる時、そこには天下の趨勢を窺う意図が読み取れる。この意図とは、則(すなわ)ち、強欲(ごうよく)の化身である「欲深さ」である。したがって、私利私欲で天子を称すれば、天は怒りを発する。必ずや、天罰が下り、身の破滅を招く。天を懼(おそ)れることを知らない無知こそ、愚かなものはない。だから、天の意向に沿う、イデオロギーや大義名分のスローガンが必要になる。

 だが、人の群れや、人心と言うものは、利益と恐怖と、天に対する懼(おそ)れで動くものである。これを知る者のみ、天子の資格を得る。
 しかし、多くの人民はそうではない。天下の帰趨
(きすう)を読む力を持たない。ただ、群れに遵(したが)うのみである。そして、乱世の世の戦争で敗北する時、その帰趨を読む力を持たない者が、副官や参謀として付き従った時、この群れは崩壊する。崩壊するのは、主義主張やイデオロギーの違いではない。

 愚将に率いられる、側近達の無知も、同時に作用するからである。集団が浮き足立ち、四散体勢の敗走状態になった場合、これを押さえるのは、自軍の「戦闘への利」を高らかに掲げる事である。「戦闘への利」を具体的に掲げてこそ、配下はそれに準じて、これから先の帰趨を読むのだ。
 だが、これを暴力と解してはならない。人間は、窮地
(きゅうち)に追い込まれ、こうした土壇場で選択するのは、武力であろうが、武力だけに頼るのは余りにも情けない。
 そして、こうした武力行使に激情を送り込み、感情に訴えようとする。しかし、人間が感情に訴えた時、その群れは敗北を喫している。暴力で勝ち得た勢力は、やがて暴力で奪い返される因縁を背負うからだ。

 イデオロギーを掲げ、その主旨に、大義名分を見出せる場合は、次の条件下である。
 ある主導権を握る巨大な勢力がある場合、これを覆
(くつがえ)すのは、溢れ返る激情を煽(あお)り、人民に不公平さを訴える事である。これにより、反対勢力が派生する。そして、その上で、これまで被支配勢力であった側は、立場の逆転を狙って活動する事が出来る。この場合、社会主義や共産主義は明瞭簡潔に、学問のない者に対しても、主義主張を人民に訴えることが出来、人民を煽り、統制しやすい。革命家の定石は、不平不満の底辺の人民を、上手に煽ることなのだ。

 不満ばかりで拠(よ)り所を持たない配下は、これのみに激情をぶつけ、執念を燃やす事ができる。アメリカ独立戦争も、フランス革命も、ロシア革命も、この原理で動いた。かくして、支配勢力と被支配勢力は、互いに憎みあい、死闘を演ずる事になる。

 一方支配者は、その地位を保ち続ける事により、歴史の変化を食い止めようとする。
 だが、支配者がこれに固執した時、歴史は支配者に対し、「変化」という形で根底から覆す原動力を、被支配者に与える。
 革命が成功するメカニズムは、この点に掛かるのである。この一点のみに回帰される。その上に、これまで虐(しいた)げられて来た不平不満層の激情の鉾先
(ほこ‐さき)をこれに向ければ、革命は易々と成功する。この理論は、かつての労働組合にも用いられ、労働争議には、不栄不満分子を煽ることが、組合幹部の手腕であった。
  そして、いずれの場合も、その裏に絡むものは、富の収奪と独占である。ここに、革命により出来上がった王朝の欲望が存在する。

 民族間や国家間で繰り広げられる闘争も、イデオロギーの違いばかりでなく、その闘争の動機は、人間の深層部に秘める欲望である。富の形成を目指して、欲望を実現させようとする。特に、上層部に位置する幹部はこの意識が強い。これが労働貴族といわれる所以(ゆえん)である。

 近代における欲望の形成は、人材の確保に加えて、資源や食糧、貴金属や工業製品、豊富な労働力や領土の拡張であろう。
 支配者の潜在的欲望が、既存の支配領域で満足を見る事が出来なくなった場合、必ず欲望の捌(は)け口は、隣国もしくは近隣国に向けて、これが発動される。こうした発動に絡めて、必ず持ち出されるのが自国の正義であり、他を悪辣(あくらつ)と決めつける。聖戦の論理はこれにより展開され、革命家や軍国主義者の最も好む言葉が「聖戦」である。

 これは人間の持つ業(ごう)が、歴史を繰り返す因縁に於いて、変化への動機を構成しているからである。この、変化への動機に於てのみ、歴史は動かされる。民族や王朝、国家や企業、その他の組織は、この動機によってアクションを起こし、目紛(めまぐる)しく変化する。古代から現代に至るまでの、戦争の歴史は凡(おおよ)そが、この中に集約されている。

 生き残りを賭(か)けて展開されるサバイバルを考える場合、こうした歴史に目を向けなければならない。単に、戦い方のテクニックだけでは、大局が見えないのである。そして、ベトナム戦争こそ、「小能(よ)く大を制す」の典型ではなかったか。
 この、歴史の裏に隠れる背景を洞察する時、そこには特異な戦法である、山岳戦の思考法に行き当たる。ベトナム戦争で、サバイバルとしての応用は、山岳戦に回帰される。そして、これをそそまま、ジャングル戦に置き変えれば、まさにそこはベトナム戦争の構図となる。

 

●山岳戦

 現代に生きる日本人は、山里(やまざと)から平地に移動し、そこで物質に囲まれる都市文明を築いた。その為に、山岳地帯の「山の生活」の大半を放棄したのである。したがって、それ以降の日本人の多くは、平地に降りて以降、山を知らなくなった。

 山岳ゲリラ。それは生き残りを賭(か)けた戦闘集団である。
 さて、先の大戦を振り返る時、大戦末期の戦場のロケーションを、旧日本軍は何処に於いていたか、検証することにしよう。
 本土決戦の構造は、最初から平坦地で戦う戦法が立案として意図されていた。敵を山岳地帯まで誘導し、そこでゲリラ戦を展開する発想がなかった。

 本来、日本の地形を考察すると、その多くは山間地である。急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯も決して少なくない。こうした山岳地帯を利用する術を知らなかった。平坦な地域で戦う、陸上戦しか頭になかったのである。これが戦闘理論を貧しくし、奇手などを用いぬままに敗戦に至った経緯である。

 しかし現実には、外国の特殊部隊と言われる穏微な集団は、山岳地帯で戦う事を得意としている。山岳地帯やジャングル地帯を利用すると、奇手を用いる事が可能になるからだ。小が大を倒す事が可能になるからだ。
 海から上陸した敵を山岳地帯まで誘導し、その中に分け入らせ、サバイバルを賭けて雌雄
(しゆう)を決するのである。特殊部隊は、一片の食糧なしで山に分け入り、そこで十日間くらいは平気で生き抜く術を知っている。

 人間と言う生き物は、人類発生の歴史から検討してみて、順応性が非常に高い生き物である。大自然に溶け込むことも、他の動物に比べて順応性が高い。大自然の中で、十日間生き延びることができれば、二十日間、生き残ることも可能になり、あるいは一ヵ月も同じ事になろう。但し、これには過酷なサバイバル訓練が必要になる。サバイバルの基礎を積み上げて、はじめて可能になるのである。

 特殊部隊の訓練は、秋深くから訓練を開始して、剣呑(けんのん)な冬場に挑戦し、これを引き継ぐようになっている。これが冬季訓練である。
 山は、日の暮れるのが早い。平地とは、二時間以上も暮れるのが早くなる。したがって、こうした暗い森林の中では、夜目
(よめ)が利く事がなリよりも大事であり、夜目こそ、総ての基礎となる。山岳戦は夜目が利かなければ、夜間の作戦は立てられない。

 特殊部隊の訓練は山岳地帯を訓練場として、サバイバルの基礎訓練に入る。冬場を訓練の頂点として、訓練に入れば各部隊を敵と味方に分け、夜戦をやらせるのである。半日かかろうと、一日かかろうとそうした事は問題にせず、最後の一人になるまで戦い抜かせるのである。特殊部隊は軽装備を旨とするため、重装備に武装は行わない。

 武器にしても、原則として火器は携帯していない。部隊員の所持品はナイフとロープのみである。ナイフで、まず武器をつくる。その武器で、食用になる動物を狩る。獲物は熊、猪、猿、鹿などである。蛇やネズミを見逃さない。ライターなどと言う文明の利器は持っていないから、火は、その都度(つど)(おこ)こす。アルコールやタバコは厳禁である。こうして、徹底したサバイバル訓練をやるのである。

 したがって訓練を始める前と、終わった後とでは、その後の人間に違いが出る。簡単に殺されない人間に変貌している。これは平坦地や試合場で、格闘技を愛好している愛好者のそれではない。命を張って来た、男のそれである。嗅覚、聴覚ともに、異様に鋭くなっている。

 これは、かつての木食行(もくじき‐ぎょう)をやった密教僧にも匹敵する。視覚や夜目の利(き)く事は勿論の事である。そうならなければ、獲物を獲(と)る事は出来ない。獲物を獲ることが出来なければ、飢えて死ぬだけの事である。主眼は、強靱(きょうじん)な体力を養うことよりも、大自然に順応して生きる体質を養成する為である。強靱に鍛え上げた体力も、体質が悪くて、病気になればそれ迄であるからだ。

 快進撃の連勝連敗だって、やがていつかは止まるものである。戦いは攻めるばかりが能ではない。動く時は動き、止まる時は止まって、静を養う。この動と静に組み合わせにより、戦いは構成されている。体力に任せて動き回るだけが能ではないのだ。
 物事の起りが、陰から起り陽に至るように、人間の行動原理も、静動の関係をよく心得てこそ、その行動は確かなものとなる。静を保ち、止まる時には、同じ場所に何日でも何週間でも止まって、夜戦を決行するのである。こうしたことで、山岳戦の意義は大きい。

 

●アジアの軍事バランスの急激な変化

 アジアの軍事バランスは急速に変わり始めている。アジアの大国・中国では、空母配備を整え、またその一方で、マレーシア、インドネシア、タイ、台湾ではF15やミグ29などの最新鋭戦闘機を購入して、強力な武装国になりつつある。
 つまり中国の大国軍国主義を警戒しているのである。あるいは北朝鮮の核保有国を警戒しているのである。中国以外のアジアの各国が、アジア全体の平和を守るに欠かせないのが軍事バランスである。このバランスを保つために、軍備増強と言う形で反映されているのである。

 また、アジアのこうした軍備増強に進む政治的な情況に対し、日本には、いざという時機(とき)の特殊部隊が存在しない。あるいは国際的な大事件が起っても、それに対処すべき術を有しないのである。ここに、先進国に、伍(ご)して行けない現実がある。
 そして、日本人の多くは、進歩的文化人の言葉に載せられて、日本が戦争を放棄すれば、日本だけは絶対に戦争に巻き込まれないと言う、お人好しな発想をしている。

 現実には、日本が戦争を放棄しても、国際世論や国際社会では、日本に戦争を放棄させない実情がある。それは、日本の衣・食・住が海外の国々との関連によって、日本人の生活が維持されているからだ。
 わが国は衣・食・住の自給率が著しく低い。自国のみの国家運営では、存在すら危ぶまれる。こうした実情を知らずに、日本人だけが武器を遠避け、戦争を遠ざけても、世界の紛争地帯から、戦争の火種は消える事がない。

 そして、極東に位置する日本列島の現実を考えると、世界のどの国で戦争があっても、その、間接的かつ直接的な影響は、もろに受けるのである。
 ところが多くの日本人は、平和を口にし、武器を遠避け、「武」全般に関わらないようにすれば、国家の安全は保障されると信じて疑わない人が極めて多い。また、非武装中立の本当の意味も全く理解しないまま、ただ念仏のように、これを唱えていれば、日本は戦争に関わらなくて済むと考えている。

 この愚直な態度は、ただ、わが眼を閉じて、外の外界を見なければ、外界で何が起ろうと、自分には関係がないと言う鈍感さと同じであり、全く無防備な発想である。こうした発想は、つまり、自分だけは特別であり、また例外であり、不慮の事故や事件には巻き込まれないと考えるのと全く同じである。
 そして、誰もが物質文明の恩恵に流されてこれを満喫し、世の中の流れに身を委せ、自分で自分の運命を切り開く、サバイバルに賭ける気持ちを削ぎ落としているのである。またこれが、自主独立の、自力で生き残る事を疎
(うと)くし、自ら不幸を招く要因を作り上げているのである。

 

●「生」へのサバイバル

 目先の結果だけを追い求める現代、そこに精神的な奥深さを見抜く人は稀(まれ)である。
 今が楽しければいいそれでいい。仲間内だけで、えらへらと面白可笑しく、ただ、一瞬の快楽に酔い痴(し)れる現状を、「それでよし」とする人が少なくない。

 現代文明と言う世の中で、物質的な豊かさを享受しながら、基本的人権に保証された「個人」が、際限なく尊重され、人間の本来持っていた精神的思考の価値観は薄れ、豊かさだけを追い求めている。
 だが、これは、どこか作った姿でないのか。
 現代という時代は、無理に豊かさ、便利さ、快適さの中に、好むと好まざるとに関わらず、この中に巻き込まれて行く縮図があるのではないか。

 現代人を見ると、その姿は一見自由に見えて、実は自由ではない。あらゆるものに縛られている。あらゆるものに規制され、制約下に生きている。
 窮地に追い込まれれば窮地に引っ掛かり、病気と言えば病気に引っ掛かって、何者かを怨
(うら)んだり、世情の不安定に動揺したり、何かしら、生きて通るのに、自分の衣の袖(そで)を何かに引っ掛けたり、その裾(すそ)が引っ掛かったりと、自由自在の生き方を失っている。世襲の為来(しきた)りに、ぎゅうぎゅうに押さえ付けられ、自分を押さえ付けて無理を重ねる強情な生き方をしている。

 では、何故こうした生き方しか、人間は出来ないのか。
 それは、現代人の生活と言うものが、不安定要素の上に築かれていると言う事だ。自分達の未来が、確かでないと言う事だ。日米安保条約も然(しか)りだ。
 この荷と米安保条約こそ、世界史では絶対にありえない異常事態なのである。時刻の防衛を、かつての敵国に守ってもらっているこの現実こそ、不安定要素の最たるものなのである。歴史上の偶然というか、奇跡の恵みというか、実に不可解な構図であり、この上に今日の日本の平和が保たれているのである。

 世界史から歴史を振り返れば、紀元前200年頃、カルタゴの名将ハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌスのローマ軍が、宿敵のカルタゴ軍の城壁を守り、ローマ帝国が、カルタゴ船の地中海航行の安全と保障をしているようなもので、歴史上からでは絶対にありえない構図になっている。このありえない構図こそ、日米安全保障条約なのである。
 これは極めて危険な状態であり、これが日本人の不安定要素の無意識下の不安なのである。

 今日の日本という国は、小学生でも知っているように、自由貿易の上に成り立っている。多くの日本人は、石油危機といっただけで青くなるが、危機を暗示するものは石油や食糧ばかりでない。今日の日本の繁栄は、自由貿易の上に成り立っているばかりでなく、自由貿易制が破壊されれば、日本の繁栄ばかりでなく、日本という国家そのものが崩壊してしまうのである。

 日本人はこれから先の生き残りを賭けて、日本経済の根本は石油や食糧のみに目を奪われている。石油や食糧輸入が止まれば、経済は立ち行かなくなり、国民はそれで飢えるのではないかと思っている。そして、これ以上の事を考えない。ここに日本人的発想の短見さがる。

 資源問題を考える時、 日本人は戦争や革命において、非常事態が発生し、これが原因して、様々な危機が訪れると考えがちである。しかし、実際はそんなに単純なものではない。また、生易しくもない。
 歴史を振り返れば、自由貿易の発想は十九世紀に遡(さかのぼ)る。自由貿易こそ、当時は最高の理想とされた。しかし、第一次世界大戦終結後、戦間期ともなると、ブロック経済が出現し、自由貿易は儚(はかな)い夢と成り果てた。

 そして、第二次世界大戦終了後、今日の繁栄は、自由貿易の上に成り立っているように映る。
 だが、自由貿易こそ、歴史的に見ると、例外中の例外で、こうした例外という不安定要素の上に、日本は経済的な成長を行い、経済大国へと発展したのである。この発展の根拠こそ、例外中の例外であり、偶然に偶然が重なったかの如く思わせる、奇跡中の奇跡であり、これが、実は不安定要素の実体だったのである。これが、いかに脆いものであるか、歴史を見れば明白となろう。

 だから、こうした不安定要素を表面上のみ、駆逐(くちく)して、臭い物には蓋(ふた)をすればよいという思考が生まれた。全体を無視して、個に趨(はし)る思考である。
 多くの日本人の個人生活は、物質的な豊かさを求め、その中に便利さと、快適さを求めて奔走している。物質的な、何者かを追い求めるときに限り、不安を齎す不安定要素の翳(かげ)りを忘れることが出来るからである。
 しかし、こうした奔走をしながらも、心の何処かでは、政治がそれを片付けてくれるとは期待していない。また、経済がそれを救ってくれる望みも抱いていない。更に、自分の小さな力をもって、それを解決できるとも、誰も思っていない。しかし、不安は完全に消え去らない。

 だからこそ、半信半疑の科学万能主義に凭(もた)れ掛かり、その権威や技術に頼ろうとする。公害と、資源の枯渇(こかつ)を齎(こたら)す憂鬱(ゆううつ)にあっても、今は兎(と)に角、幸福へのキップとして科学万能主義や物質中心主義に凭れ掛かるのである。そして凭れ掛かる事により、自己の存在を豊かに見せようと粉飾するのである。

 しかし、この豊かさの中に、真の価値観は見い出すことが出来ない。見せかけてあるからだ。
 更に、便利さと、幸福である事を混同し、ただ、ひたすら自己の利益追求に趨
(はし)るしかない今日、人は一体どこに向かおうとしてるのか。
 混同の誤謬
(ごびゅ)が、どのくらい人間の生活を歪(ゆが)めているか、あるいは、それに気付いているのか。

 大衆民主主義社会が確立された現代、その人生の目的だった「真実の自己の具現」は、道理のない社会常識に振り廻され、昏迷(こんめい)を極めて、その迷える禍根(かこん)に巻き込まれて潰(つい)えようとしている。それは、「今」という時代が、世界的にいっても、方向転換の時代であるからだ。
 しかし、その新しい方向は、まだ十分に見い出されていない。

 かつて、人類の平等、人間の公平を求めて奔走した時代があった。社会主義や共産主義の出現が、それであった。しかし、それは模索であり、一つの試案に過ぎなきあった。
 一方、民主主義は老朽化し、多くの腐朽
(ふきゅう)を露(あらわ)にしだした。民主主義の掲げる個人的人権のや、個人への尊重は、個人主義に奔(はし)る要素を包含し、今やそれが、悪しき個人主義へと奔(はし)り始めている。

 金や物を基軸とし、物事の基本をこの中に置いている。物持ちや金持ちが、「親の七光り」ばかりをひけらかす無能な人間であっても、それに対して、敬意を払う訝(おか)しな現象が起こっている。この意味で、「現代」と言う時代は、金や物に魅了され、あるいは扮飾(ふんしょく)されて、その中に埋もれる現実がある。

 だがしかし、如何なる名門の子として生まれたとしても、親から子が受け継ぐものは、親の財産や金銭ではなく、名門として生まれ来た、その「度量」こそ、一番大切なものであったはずだ。この度量が、伝えたい子に備わっていなければ、いくら名門の大富豪と雖(いえど)も、没落は免れない。要は、一世一代で完遂する志がモノを言うのである。
 だが、温室育ちは、志も、生き残りを賭けたサバイバル術も、貧弱な術(すべ)しか持っていない。

 西洋によって、日本に持ち込まれた物質文明や科学万能主義は、地球汚染からも分かるように、いまや暗礁(あんしょう)に乗り上げ、動きの取れない状態に至ろうとしている。
 世間では、無能な芸能人や業界人が、三流クラスの馬鹿な大学生のように、社会への責任感もなく、危機迫る時代の緊迫感もなく、仲間内だけで、へらへらと面白可笑しく、暮らすことが、「今時の流行」と思い込み、それに現
(うつつ)を抜かし、酔い痴(し)れる。
 その意味で、現代人こそ、確かに、現実を生きていない現実逃避が此処にあるのではないか。

 現代人は、なにゆえ人間的で、現実的な深き問題を相手にしないのか。
 今日のように狂ってしまった現実を前にして、何故、この是正に立ち向かおうとしないのか。これこそ、近視眼的な弊害ではないのか。なぜ黄金の奴隷に成り下がるのだろうか。

 常識は、何処まで突き詰めても、常識を超えることはない。常識の範囲で、消極的に、こじんまりとして納まるものである。したがって正攻法と言う常識は、こうした範疇(はんちゅう)に落ち着くものである。これを倒し、生き残る為には、非常識が必要であり、非常識の延長上にこそ、常識を打ち破る偉大さがある。

 戦場に於ての戦いには、筋書きやシナリオはない。また、それを背後から声援するファンも居ない。筋書きの無い戦いには、またスターも、エースも居ないのである。この現実にあるのは、死ぬか生きるかの熾烈(しれつ)な、生き残りを賭(か)けた戦いである。

 人は、他人の不幸には見て見ぬふりをする。また、他人の幸福を見ては、一つ、それに肖(あやか)りたいと思う。しかし、他人の不幸は知らぬ顔をする。不幸にかかわれば、自分が不幸に染まるという懸念(けねん)すら抱いている。

 「落ちた犬は打たれる」という諺(ことわざ)がある。人間は、不幸に見舞われ、一旦落ちれば、あとは打たれるしかないのだ。袋叩きにされ、後ろ指を指され、罵倒(ばとう)され、嘲笑(ちょうしょう)されて、ドン底での苦汁を嘗(な)めねばならない。そこで、這(は)い上がれる者は、意外に少なく、多くは失意のうちに沈んで行く。
 しかし、こうしたドン底に居る時、空しさや、悲しさ、寂寥
(せきりょう)で、人はまた、その事によって心が洗われる。

 苦しめば苦しむほど、心は清らかに洗われる。「洗心」とは、この事を言うである。

 こういう時代に生きる人々は、「人生とは何か」という問いに対して、周期的に還って来る。
 社会機構が固まり、経済基盤が固定化されると、下から上へ窺
(うかが)う下剋上の逆転劇は極めて少なくなる。もはや、これでは立身出世や、成功致富の夢に、その力を見い出す事は出来ない。奮励だ、努力だ、精進だと、自分に言い聞かせ、大声を出して自身を叱咤激励しても、貧者が逆転して富者になる夢は極めて難しくなって来ている。跳梁(ちょうりょう)し、意識だけ露(あらわ)にしても、真に自分が強くなる事は出来ない。

 そして、生き残りを賭けて、サバイバルが必要な時代、多くの人は、「生」そのものの智慧(ちえ)の力を見失っている。力の究極の根源が見出せないのである。それは、自分自身の深層部の、心の奥底に眼むっているのにも関わらず、である。

 

●陽明学の行動原理

 こんな時代であるからこそ、眼を開けて、外の景色ばかりに眼を奪われずに、自分の足の裏でも見る裡側(うちがわ)の意識が必要だ。
 また、事業や仕事のへの成功や努力に眼を向ける前に、あるいは、それと共に、「今、努力する自分」の力の根源に立ち返る事が、何よりも必要ではないのか。
 失敗にも抂
(め)げず、邁進(まいしん)する勇気の為に、前進する希望が必要ではないのか。

 ここに時代の残した哲理がある。それが陽明学だ。
 東洋哲学は、明代まで朱子学が官学としての権威を握っていた。
 明の時代、儒学においては、朱子学が官学として保護され、これにより儒学は益々隆盛をみたが、しかし官学としての保護は、その体系性故に、そこから新たな独創的哲学理論は派生しなかった。それ故、儒家官僚とは別な路線で批判が起り、実践こそが問題であるとした意識が芽生えて行く。こうした時代に登場するのが王陽明
(おうようめい)であった。

 陽明は、優秀な高級官僚の子として生まれたが、彼は根っからの勉強嫌いで、十八歳で実践重視の朱子学を学ぶが、これにも飽き足らなかった。そこで次に学んだのが兵学や武術であった。
 陽明は二十八歳の時、科挙の試験に及第して官僚になるが、三十五歳の時に、権勢を極めていたある宦官の批判運動に係わって、山地に流罪となった。そして此処で二年間もの間、思索生活を送った。

 後に、流罪を申し渡した宦官(かんがん)が内部抗争によって要路の地位を失うと、陽明は、再び中央に復帰した。復帰後、農民や南昌王(なん‐しょうおう)の反乱を次々に鎮圧し、やがて陸軍次官にまで上り詰め、晩年は武官として名声を馳せた。
 また、その一方で流地での思索から、朱子学を超える思想を獲得していた。武勇により名声を馳せる他、独自の哲学を展開させて、理で、心を整える朱子学の消極的な学識主義を批判したのであった。

 かつて陽明は、朱子と論争した陸子(りく‐し)の説に近付き、心知こそ、まさに現実であると言う「心即理」の唯心論を打ち出したのであった。心知によって、物事の善悪邪正を判断すべき「致良知」の内省主義、あるいは心知は行動をして外なる現実に齎(もたら)さねばならないと言う、「知行合一(ちこう‐ごういつ)」の実践第一主義を唱えたのである。

 知行合一は、朱熹(しゅ‐き)の先知後行説が「致知」の「知」を経験的知識とし、広く知を致して、事物の理を究めてこそ、これを実践しうるとしたのに対して、王陽明は「致知」の「知」を「良知」であるとし、知は行の根源であり、行は知の発現であるとし、知と行とを、同時一源として、これを実践に用いる事であると説く。ここに実践第一主義のテーマがあるのである。

 サバイバルを展開して、生き残りを賭けた行動原理は、机上の空論であっては、何もならない。机上を離れ、現場の実際を見極める事こそ、実践第一主義に回帰されるのである。

 人間の運に陰陽の周期があるように、武運に生と死があるように、また天にも、天の命があり、それは刻々と変化する。その変化に於いて、天が与えようとする機を採(と)らずに放棄すれば、天は機嫌を損ね、天の命のある者に災いを齎す。
 ピンチはチャンスと言うが、多くの場合、天はピンチと言う形で、その命のある者に機を与えようとする。則(すなわ)ち、窮地は絶好のチャンスなのである。多くは、これを見逃し、見送って、天の機嫌を損ねて、没落して行く。

 サバイバルは一種の戦いである。
 それゆえ、戦いは基本的には「凶事」なのだ。
 本来、凶事は光り輝くものではない。陰惨たるものであり、その陰気は人の生命力を削(そ)ぐ。だからこそ、争わずに勝つ事が要求される。
 しかし、命を賭(と)して生き残る為には、心の武装に、陰惨にして凶虐
(きょうぎゃく)なるものを、たっぷり抱き、この上で奇略と奇策を存分に駆使し、これを実践しない限り、生き残りは完遂することができない。それゆえ、実践第一主義は、現実に則していなければならないのである。


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