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技法の根源となる「ただ一つのこと」

合気揚げ外伝
(あいきあげがいでん)

●古典的な伝承武道の技が通じなくなった現代

 「小が大を倒す」とか、「小男が巨漢を制する」という思想は、『三略上略』の「六韜三略(ろくとうさんりゃく)」の戦術思想から出て来たものである。ここで掲げるイメージには、一種独特のロマンが存在する。
 それは「巨漢を小男が制する」と言うイメージが働いている為である。しかし、室内競技のスタジアムで、ノー・ルールで試合が展開された場合、これは既に、古典に入る中国兵法の思想であり、時代遅れの観もある。一対一では、小が大を倒す逆転劇は、現代では殆どあり得ないからだ。

 また、老人の武術家が、筋肉隆々の若手格闘選手を相手に、ボロ雑巾のように投げ放つ事もあり得ないだろう。そうなると“合気”の標榜は、いっそう幻想さを増すようにも思われる。あるいは現代武術の中には、「老よく若を投げる」というのは幻想かも知れない。

 それは柔道などの、格闘技を見ても分かるように、またその他の競技武道を見ても、そこに登場してくる選手は、みな若者であり、少なくとも65歳以上の年金受取者は現役選手として、一人も登場しない。かつては若い頃の主力選手として、有名を馳せたかも知れないが、晩年期に差し掛かった老兵は、現役選手として一人も登場してこない。
 これは偏に、肉体的な体力が衰えれば、旺盛期の若者と対戦して、敗北するということを明確に表している。そして昨今は格闘技ブームで、若者を中心として観戦することが流行している。

 また、柔術の呼称を「やわら」としている思想も、現代という時代には、既にそぐわないものが浮上してきているように思える。それはスポーツ格闘技が、猛烈な勢いで進歩し、進化し、合理性に富んだトレーニングをしているからである。古典的な伝承では、歯が立たないことは明らかである。

 それに比べると、古流武術などは形式にこだわり、伝承にこだわって、そこからの新技術的な型破りの進歩があまり見られない。
 ただ見られるのは、他の競技スポーツの真似をすると言った程度の、類似的な技法が新たに付け加えられる事である。今日の北海道系の大東流に見られる、合気拳法や合気空手という「組手」の発想は、打撃系格闘技への善後策のようにも思われる。

 しかし、打撃系格闘技と対抗するのであれば、七面倒臭い、大東流柔術などやらずに、最初から拳法や空手の稽古をすればいいと思うのだが、如何なものか。
 あるいは“合気”の名称をもって、フルコン空手などと対戦し、組手の中に“合気”の技が至るところで登場するのだろうか。
 更に不思議なことは、合気空手を稽古する愛好者の中に、激しい格闘技と組手をしたり、フルトーナメント式の無差別試合に、年金受取年齢の65歳以上の老兵が誰一人出てこないことである。

 また、知り合いの某出版社の社長の言で、「最近は、合気系の本がサッパリ売れないんですよ」という嘆きの声を聞いたが、昨今では、合気系の書籍がサッパリだそうだ。
 そこで、「では、よく売れる本は何ですか?」と訊いたら、ダントツが『ムエタイ』だそうである。某出版社では、『ムエタイ』がベストセラーであり、ロングセラーでもあるという。それに比べて、合気系はサッパリだという。
 ちなみに参考までに「売れない本」のワーストスリーを挙げるならば、ワースト・ワンが合気系の書籍一切ならびに古流柔術書籍、ワーストツーが日本人の書いた気の論理で説かれた中国拳法書籍、ワーストスリーが古武道系空手書籍となっているそうだ。

 それは昨今のバーリトゥードなどの、無差別格闘技の空前の大ブームもさることながら、大東流の某大師範が、打撃系の選手を挑発して、試合に挑み、30秒でノックアウトされたことがインターネットに流されたという理由からでもあるそうだ。また、合気系の低迷は世間様からの目で見て、「十把一絡げ」でもあるという。

 打撃系の、突きや蹴りを専門とする格闘技は、若者を中心に大ブームを起しているそうだ。
 大東流の一部のグループが、武田時宗先生ご健在のときは、大東流の正式鍛錬法には入っていなかったが、近年、合気拳法を上げ、合気空手を上げて組手をやる理由は、昨今の格闘技ブームの集人力を狙って、それに肖(あやか)ろうとしているのかも知れない。

 さて、柔術の「やわら」という思想は、16世紀の戦国期を前後して起り、それが流名を名乗って存在を見せるのは、江戸中期頃であった。それは日本刀が、武士の戦場での武器でなくなり、平和とともに、世の中が安定して来ると、日本刀は武士にとって、アクセサリとしての飾りのような役目しか果たさなくなる。
 それに応じたかのように、武器を遣(つか)わない、素手で戦う武術が登場する。それは柔術や拳法と言う無手武術であった。これが日本伝柔術の誕生である。

 江戸中期以降に、多くの柔術諸流派が勃興するが、その柔術の謳(うた)い文句は、決まって「柔よく剛を制す」であった。
 柔術諸流派の特長とするところは、武器を遣わず、相手の攻撃力に順応して相手を投げ、あるいは当身を叩き込んで倒し、または抑え込んで、寝技に持ち込み、絞めて落すというものであった。もしくは入身に転じて、連打の当身を遣い、当身攻撃して敵を弱らせ、あるいは受手の眼の死角に乗じて足技を遣って、防御に転じ、敵の崩れに乗じて、技を行い、敵を、刃物等の武器を一切用いず、「素手で生け捕る」と言うものであった。

 しかし、こうした柔術戦闘思想にも思い違いがある。
 例えば、「素手で生け捕る」という考え方には、よくこれを「無傷で生け捕る」と解釈してしまうようだ。また、そのように解釈している、現代に伝わる柔術や拳法の諸流派も少なくないようだ。
 しかし、刃物を持った相手と格闘することは容易なことではない。

 東南アジアで普及しているナイフ術は、巧妙なナイフ使いがあり、様々に変化してその動きは早い。対峙した相手の目を錯乱させる、素早いナイフ捌きだ。このナイフ術を徹底研究していなければ、無手で武器を持った相手を制すると豪語する大東流や合気道でも、全く手も足も出ないだろう。

 一方、打撃系の格闘選手でも、ナイフ術に長(た)けた手練(てだれ)と、差しでやると脆(もろ)い一面がる。ナイフ術の動きは、蹴りや突き以上に素早いからだ。襲ってくるのは、拳のように太くなく、一つの点が襲ってくるからである。
 また、ナイフを使う、殆ど武道経験のない独学の若年者でも、ある程度慣れれば、そのナイフ捌きは素早く、最後は止めとして、ナイフ自体を相手の顔面に向けて、手裏剣代わりに投げつけることだ。

 そして、全く武道的な発想がない為、武道のルールや仕来りに囚われず、発想が斬新で、「素人は手が早い」という言葉を、地で行くような凶暴な連中がいる。一番怖いのは玄人ではなく、素人だ。また、素手では、あまり大した事はないが、刃物を握らせれば、その途端に、やたら強くなるという者がいる。刃物を持って、強くなる者は中々手に負えないものである。そしてその出方を顕(あらわ)す、行動線や乱闘線は予測不可能だ。長年、武術をやった者にも、そのの見極めが難しい。警察官が刃物を持った凶悪犯を取り押さえようとして、刺されて殉職するのはこの為だ。

 何年か前、ある打撃系の格闘技選手が、ナイフを持った中学生の少年に切りつけられて負傷したという事件は、まだ吾々(われわれ)の記憶に新しい。この少年は武道経験のないド素人だった。
 格闘技をしていても、刃物の刃筋が読めなければ、負傷したり、殺されたりする。防御を重点に置いた護身術系の武術や武道が、ここにも役に立たなくなった時代の流れがあるように思える。

 

●現代的な剛よく柔を制す

 明治13年頃、講道館柔道が起った。講道館柔道の思想は、従来の柔術諸流派を吸収し、日本のこれまでの考え方にはなかった、「組織化」することで大成したスポーツ武道である。そして、学問の知育に対して、柔道を徳育としたところに、「体育」としての意義を認め、嘉納治五郎により創始された柔道は、その後、大きな躍進を遂げる事になる。

 その普及の勢いは文明開化の波に乗り、その止まるところを知らず、柔術の各流派を統合しる様は、嘉納治五郎自身の東大閥と政治力によるところが多かった。そして、柔道は第二次大戦後には、スポーツとして世界的に普及し、国際競技として競われるようになった。

 この普及の背景には、柔道の持つ戦闘論によるところが多い。また、柔道が持つ一般的なイメージは、「柔よく剛を制す」の庶民的認識である。
 柔道は、物の喩(たと)えに、次のように表現される。

 相手の押して来る力を利用する事で、柔道の技が出来上がっており、柔らかさこそ柔道の命であり、押せば引き、引けば押すのが柔道の真髄である。したがって、押して来る相手を恐れれば、受身における柔らかさが失われ、受身が取れなくなる。こうした愚行を避ける為に、まず、心の落ち着きと柔軟さをもって、相手への崩しを試みる。押して来るプラスの力には、マイナスのエネルギーで、これに応じ、引いて来るマイナスの力には、プラスのエネルギーで崩れへと誘う。

 そして、柔軟さで、自然に柔かである事が、則(すなわ)ち自然体である。自然体とは、ごく自然に、素直に立った体の構えの事で、この構えを理想として相手に対処するのである。この場合、対峙した相手の力から逃げるのではなく、これをうまく受け流し、それを活用して、我が力とするのである。つまり、これがエネルギーの転換法である。この転換法を利用して、活用すると、自然に柔らかな柔道の技となる。
 したがって、「柔よく剛を制す」の考え方こそ、柔道の真髄なのである。

 以上は柔道の理論的な考え方であるが、実際には柔道の練習の主体は、「乱取り試合」であり、幾ら柔道の「型稽古」や「古式之型」の知識に優れていても、乱取りで弱ければ、その修行者は相手にもされない。柔道は「知っている知識」ではなく、乱取りが強いか、弱いかで、そのランクが決定されてしまうのである。
 これは相撲にも同じ事が言える。勝負の世界で、弱い力士では、観客も見向きもしないだろう。

 今日、柔道を研究し、練習する目的は、身体の鍛錬と精神修養とを目的とすると言われているが、こうした事は、現代では二次的なものに過ぎない。勝負する格闘技は、勝てなければ意味がないのである。これは大東流や合気道(一部に「競技システム合気道」があるが、打撃系や寝技や絞め技などの格闘技を加えた無差別試合ではない。この試合に65歳以上の老兵は一人も登場しない)が、試合がない武道とは対照的である。
 したがって、上手下手は、高級技法の修得の数と、演武中心の動きの滑らかさや華麗さで、優劣が決定されるようだ。
 この考え方は、相撲にも柔道にもない考え方である。都合がいいといえば、都合のいい考え方である。

 柔道の起源には、日本古来の相撲とともに極めて古いものとして上げ、その諸流派が発生したのは戦国時代であるとしている。十六世紀の戦国時代には、確かに白兵戦における「格闘組打」が存在した。やがてそれが柔術に変貌(へんぼう)し、あるいは「やわら」と総称され、江戸時代には、武士階級の武術鍛練の一つとして盛んになった歴史をもっている。
 この影響を受けて、講道館柔道が、これら諸流派の一部(特に立ち技を特異する天神真揚流や、徳川家綱の頃に始まったとされる起倒流など)を受け継いで、統合し、今日のスポーツ格闘技になったことは必然的な流れであろう。

 そして、柔道の名を轟(つどろ)かせたのは、柔道組織に不遷流(ふせんりゅう)柔術が加わり、特に絞技と寝技の極意を講道館に授けた事であった。これにより講道館柔道は無敵の格闘技として、有名を轟(とどろ)かせる事になる。この威力は今日に至っても衰えていない。
 また、レスリング等にも大きな影響を与え、投げ技に於ては、ロシア各地の民族的格闘技のサンボにも酷似しており、今日でもこの技術を取り入れている柔道選手やアマレス選手、シューティング選手、更には合気道家(合気道オンリーではなく、実践性の高い柔道に主体を置き、特に「合気柔道」と称するグループ)は多いようだ。

 以上の事を考えていくと、柔道は日本古来の柔術のみに止まらず、サンボとも深い関わりを持ち、外来柔術の影響も受けていたと言う事が分かる。
 また、サンボの研究は同時に、より多くの関節技を研究する機会を与え、柔道の今日の国際的な盛会には、ロシアのサンボが原点に横たわっていることがわかる。つまり、その側面には、ロシア連邦民族の格闘技で味付けられた、外来スポーツ・柔道の実体が浮上するのである。それはまさに、実に格闘技的である。

 これは乱取り試合を主体にする考えで展開されて居る以上、当然の成り行きと言える。
 サンボは後に、柔道の影響を受けて、格闘形態の図式を論理的に体系付けるが、一方、柔道はサンボの「逆十字固め」の技で、多くの学ぶべきものを得ている。その意味で、今日ではロシアの柔道選手の中には、サンボ出身者が多く、格闘技としての研究や、試合展開の向上は大きなものがあるようだ。
 そして、こうした事から、今や柔道界に於ては、一つの格闘技にこだわる必要や、日本古来の武術に縛られる理由はないとしている。国内の物でも、外来の物でも、試合に勝てさえすればそれで良く、オリンピック選手たちの輩出は、こうした実情下によるものであるようだ。

 また、こうした考え方は、かつての柔道家が、柔道を日本古来の武術と認め、柔道をスポーツとして捉えるよりも、「人間修行」と「人格向上」の手段であると考えていた往年の柔道家の期待を大きく裏切るもので、勝ちにこだわる今日の柔道を批判する考え方と、真っ向から対立している。

 しかし、時代の流れをよく見ると、柔道はまさにスポーツ格闘技となり、組み付けば無敵で、サンボの利点が取り入れられたり、レスリングの利点が取り入れるようになって来ている。そして、その事が一般人の考える「柔よく剛を制す」というイメージから益々遠ざけていると言う、皮肉な結果を招いている。
 その意味では「柔よく剛を制す」は、最早(もはや)死語であろう。剛に対し、それ以上の、もっと強い剛が、弱き剛を制し、この意味からすれば、柔道ではなく、「剛道」といえるだろう。益々、体躯の貧弱な弱者には、入り込む余地がないスポーツのように思える。その意味で、「剛よく柔を制す」ではないか。

 この死語と同様、大東流や合気道の「相手の力を利用する」という考え方も、実は幻想であったと気付かされる。実際には、「相手の力」など、何処にも利用されていないことだ。これこそ、単に一般人が考える一種の幻想である。

 例えば、大東流の一本捕りは、この技の何処に「相手の力を利用する」という戦闘思想が用いられているだろうか。
 大東流の「合気」と称する所以は、一種の当身攻撃をもって、一旦当身を打ち込んでおいて、反抗する気力を衰えさせ、その弱めた状態で、敵を制すると言う戦術である。この戦術思想の中に、当身が省略されてしまえば、大東流では、技を掛ける途中に反撃されて、力の強弱関係が働いた場合、術者は逆に、一撃でノックアウトされるか、反対に関節技で掛け捕られてしまうと言う現実が出現するであろう。
 「相手の力を利用する」という発想も、一種の幻想であるということが分かるであろう。

 

●「やわら」の原点

 だが西郷派の場合、柔術や合気の原点である「やわら」【註】「やわら」は巴御前(ともえ)の馬上柔術の弥和羅(やわら)に端を発する)に展開する以前の「合気揚げ」に深い意味があり、そこに極意があると教える。
 わが流が、合気揚げを極意と称する理由は、合気揚げこそ、力によって徹底的に抵抗し、術者の両手を封じて、絶対に手を離して抜刀を許さない、あるいは印によっての術を用いる事を許さないと言う捨身懸命(すてみけんめい)の信念が、「両手封じ」になって顕われたもので、一方、術者はこれに抗(あらが)って、対戦する敵を吊り上げ、倒すと言うものである。

 ここに両手を封じる者と、両手を封じられる者の命を賭(か)けた捨身懸命の力関係がある。言葉を換えれば、支配しようとする者と、支配されようとする者の壮絶な関係である。支配される事が厭(いや)ならば、これを跳ね返さなければならない。また、術者に抜刀されて、抜き打ちを食らう危険を回避するには、必死の「両手封じ」が必要になる。
 では対戦し、対峙して、坐るか、立ったままで、両手を封じられれば、術者はどうするか。

 まず、両手を封じた敵に対し、足蹴りや、膝蹴りを喰らわすと言う方法がある。これは当身を省略しない稽古をする大東流では、よく見られる光景だ。
 しかし、実際に蹴りを入れることが出来ないので、「仮当身」で、形式化されるのが、何とも残念だ。また、対峙は互いが相尅関係になっているので、蹴りを封じる目的では、敵の動きの方が、早いかも知れない。手を封じられ、同時に蹴りを喰らって倒されれば、敵の最終目的は達成された事になる。つまり、術者側から見れば、敵に一矢(いっし)報いることも出来ず、一撃で惨敗した事になる。

 しかし、支配者も被支配者も、この時点では力の格闘であり、術者も、吾(わ)が「術」を見せる以前に倒される事になる。そこで術者は、更に一歩踏み込んで、敵に両手を封じさせたまま、これを制する策はないかと考える。
 西郷派大東流には、この策として「居掛之術(いかけのじゅつ)」というのがある。

 居掛之術は、一種の「居合」のようなものであるが、居合は片膝を立てて、素早く刀を抜き放って敵を斬り倒す術であり、刀を抜く事が目的になっている。あるいは入身による「当て」と考えてもよいであろう。
 しかし、居掛之術は、敵の遠近に関係なく、接近戦においても、あるいは両手を封じられても、そこから「抜き」、次に眼や頸(くび)に刃(やいば)を「浴びせ」、眼や頸に向けて刃を「居掛る」という、三段階の行動に出る。この三段階の行動は、三つが別々に動くのではなく、総てが一体となった、「一(いつ)」の動作である。これを完成させる為に、西郷派では「木刀素振」を徹底する。この素振法は、他の大東流では見られない。

 合気揚げの、その「揚げ」は、もともと「剣の素振り」である。剣の素振りを完成させる事により、合気揚げは完成する。かつての著名な大東流の達人の域にあった大師範は、素振りの稽古を「万の単位」で、毎日こなしている。
 したがって、わが流では剣の素振りを完成するには、重量のある合気揚げを目的とした、合気揚げ鍛練用の「拭漆塗一刀素振木刀」を遣う。
 これを徹底的に振り据える。来る日も来る日も、一日も欠かさずに、である。

合気揚げ鍛練用・拭漆塗一刀素振木刀(3000g)

 合気揚げ鍛練用の「拭漆塗一刀素振木刀」の構造は、わが流が、合気揚げを鍛練する木刀として開発した独特の木刀である。刀身部は60cm、柄部は日本刀の大刀の柄の長さに合わせて25cmである。この木刀は、全長が85cmで、重量は約3kgあり、手許(てもと)にズッシリと重心がかかるように工夫され、合気揚げの為に十数年の歳月を費やして開発されたものである。

 この木刀を朝晩毎日1000回以上素振りして、「腕(かいな)の返し」【註】馬術などで馬を抑え、制する時に用いる技術)を稽古する。徹底的に振る。振る事により、一人稽古が可能となる。そして振る事により「日々精進」が達成される。一つの、「動く坐禅」のようなものだ。

 では、これを振り据え、その先に何が見えて来るのか。
 まず、この修法を行うと、振り据えれば振り据えるほど、肩の筋肉が墜(お)ちて行く。鎖骨の周り及び、肩部の筋肉は削(そ)ぎ落とされて、骨と皮ばかりになり、肩は撫肩(なでがた)になる。したがって、昔から剣の達人は、恐ろしいほどの撫肩で、そこに凄まじさが漲(みなぎ)っていたと言われた。これが気魄(きはく)である。

 一方、肩は骨の皮ばかりになる反面、腕は太くなる。この腕こそ、「腕(かいな)を返す腕」であり、馬を馭(ぎょ)し、制する腕である。馬の体重は約500kg前後ある。500kgといえば、大人が約八人分の重さだ。馬を抑え、「腕(かいな)を返す」ことができなくて、巨漢を制することは出来ない。その意気込みで、毎日朝晩鍛錬する。この鍛錬法は、信念を貫き通す精神力の鍛錬にもなる。
 同時に胆力が養える。

 胆力とは、ものに恐れず、臆(おく)しない気力のことである。心身ともに強靱(きょうじん)になり、体質は、素振りによって有気呼吸が行えるので、穀物菜食とともに優れた体質になっていく。病気に感染しても、直ぐに自然治癒力が働き、恢復(かいふく)も早い。
 素振りによって培われたこの腕の特長は、単に腕が太いと言うだけではない。「ヘラブナ形」の腕である。腕の断面が楕円になり、要するに腕を横から見た場合「ヘラブナ形」に見え、その背が高い。これをわが流では「ヘラブナの腕」という。

 合気揚げは、簡単なように見えて、非常に難しい。敵が封じた手を、ただ浮かし、揚げると言うものではない。簡単に見え、単純に見える。極意こそ、素人の眼には簡単に見える。しかし、奥が深い。実際には簡単に揚げれるようにみえて、中々そうはいかない。
 何年遣っていても、合気揚げを出来ない人は以外に多い。自分で完成していると自負していても、力士やレスラーのような巨漢から両手を封じられれば、中々揚げることができない。四苦八苦して惨敗する。頭の中でその論理が分かっていても、強靱な力で圧倒されれば、力負けする。しかし、力負けしても問題ではない。

 気を取り直して、また「一から出直して、素振りをすればよい」ことである。巨漢の手を上げられなかったことは、稽古では恥ずかしいことではない。それ以降、諦めてしまって、素振りをしないことの方が大いに恥ずかしい。

 完成の確認は、左右両方の手頸(てくび)を、それぞれ二人の人間に、両手で力強く握らせ、これを動かす事(吊り上げるか、吊り上げて倒すか)ができれば、手の「力み」ではなしに、肩が上下、あるいは前後に、三次元的に動いていると分かり、これが完成の目安となる。一方、腕力で無理に揚げるようであれば、まだ意念の使い方が間違っていると言えよう。
 合気揚げの意念は、握られた手頸(てくび)に意識を集中させる事ではない。握られた手頸を揚げようと抗(あらが)えば、最後は力と力がぶつかって、見苦しい力比べとなる。こうした醜態(しゅうたい)から解脱する為にも、素振りが必要である。

 封じられた手を揚げられなかったと云うのは、未だに肩に「力み」が残留しているからだ。それには「力み」を消去する事だ。この消去が出来なければ、肩を自在に動かす事は出来ない。あるいは前後左右にスムーズに回転させることができない。自在な「三次元稼動」が出来ていないからだ。

 西郷派では、肩を「肩霊(かただま)」と称している。肩霊とは、「肩球(かただま)」のことであり、これを三次元を稼動する「球(たま)」に見立てる。この球を自在に動かし、相手の肩球へと連動させるのである。自分の肩球が動くと云う事は、相手の肩球も動くと云う事だ。
 この現象界は「変化」であり、相対関係が現象として顕われる。一方だけが優位に立って、それが優勢になるのではない。

 相対関係は作用と反作用からも分かるように、現象界では一方的な勝ちはない。常に相対的になっており、それが連動していることだ。最終的にトータルを捕れば、「プラス・マイナス=ゼロ」となる。これが現象界の現実であり、この法則の許(もと)に、全ての物は動いている。そこに「三次元稼動」の大事がある。
 だから、合気揚げの為の素振りを行えば、そこには変化の顕われとして、結果が生じる。それが「ヘラブナ形」の腕だ。その結果が、合気揚げを可能にする。

 また、合気揚げを完成した人は、「腕の断面が楕円的」かつ「ヘラブナ形」の腕になり、日頃から、素振用木剣を数千回単位で振って、修行した人である。
 但し近代剣道のように、単に竹刀を振っているだけでは、丸太のように太くなって断面が「円」になり、これでは合気揚げは出来ない。腕が太くなり、腕っ節が強くなるだけである。

 体型のポイントは、「ヘラブナ形」の腕と、振り切った際の「しぼり」にあると言えよう。つまり「茶巾絞り」の要領である。
 また、「意念」を遣(つ)っているから、その「念」は単に、上下を往復する剣の軌跡を描いてもダメで、「念」を用いる場合は、「しぼり」切った後、剣筋と尖先(きっさき)が何処を意識しているかと云う事になる。

 そして木刀の通る尖先の軌道は、「横8の字」の三次元の乱射刀(らんしゃとう)の軌跡を辿り、立体的に稼動する。これは剣道の上下による、前後素振りの二次元的な動きとは大いに異なる。剣道の竹刀は、柄の断面が「円」である為、螺旋(らせんかどう)稼動の動きが出来ない。
 その為、どうしても上下に、前後に移動する素振りしか出来ない。この動きは、全く日本刀の動きとも違っている。同時に、西郷派の戦闘思想とも違う。

 剣道の動きを分析すれば、その動きは、「振り上げて」「打つ」という、二調子である。これは二次元平面稼動である。
 しかし、西郷派の剣の動かし方は「一調子」である。したがって、「三次元立体稼動」である。三次元立体稼動を、徹底的に自分の肉体に染み込ませるまで、徹底するのである。これこそ「動く坐禅」である。

 例えば静坐して素振りをした場合(千回以上の単位)、意念は何処に集まり、その意識は何処まで連なっているかが問題であり、物理的かつ機械的に振っているのか、念が集中して、イメージが床の下まで切り降ろしているのかが、地道な稽古の概念となる。黙々と、没頭するのである。没頭することこそ、精進の極みであり、この境地に至ることである。
 しかし、これが分からないばかりに、20年、30年と遣っても、合気揚げが出来ない人は沢山いる。
 そこで、地味は素振りより、派手な高級技法を追いかける。高級技法と言う技は、沢山知っているが、肝心な合気揚げが出来ないという人は以外と多い。本当の修行の意味が分からないからだ。

 また、揚げる事はできるが、それだけと言う人も少なくない。「合気揚げ」と言う以上、その揚げ自体が「合気」でなければならない。三次元立体稼動しなければならない。
 つまり、「合気」は、素手の場合は「当て」であろうが、実際には「居掛」の凄(すさ)まじい、一瞬にして斬り捨てる、その気魄(きはく)が居る。そして、最後の「止め」は両手封じを敵にさせたまま、一瞬にして、自分の帯刀している脇指か、鎧通しを抜いて、「刺し殺す」ことなのである。

 比較的新しい流派の剣術家や剣道関係者は、西郷派の居掛が、初太刀(しょたち)が「突き」であることを訝(いぶか)しがる。しかし、「突き」こそ、剣の初太刀に、最も相応しい技であり、最初に「斬り」があるのではない。
 古流の剣技を知らないから、現代流のスポーツ科学に併せて、初太刀は突き出ないと論ずる事こそ、寧(むし)ろ理に適(かな)わない考え方であるといわねばならない。
 初太刀に「斬り」や「払い」を用いるのは、「多敵之位」の技法であり、集団戦法の中で生かされるべきもので、対峙した相手を、一瞬にして倒す技は、「突き」以外にあり得ない。両手封じを外し、「突き」を出す為に、本来の合気揚げは行われる。

 これは剣道の高段者が、剣を振りかぶって行って、西洋スポーツ剣技の洋剣術・フェンシングの選手に「突きの一手」で敗れるのと同じ事だ。振り被って、打とうとした瞬間に、フェンシングの剣が、鋭く突き刺さっている事だ。
 ここにはフェンシングの「一調子」と、振り上げて打つ剣道の「二調子」の違いがある。調子の速い、遅いがある。一撃必殺の為には、激剣で用いる「一調子の突きの技法」がなければならない。合気揚げは、この「突き」の技術に等しい。この気魄(きはく)と胆力がなければ、巨漢は浮かすことができない。揚げて、帯刀した刀を、抜き打ちする気魄がなければ揚がらない。

 それと、「合気揚げ」と「素振り」の関係について、最後に重要なことを記しておこう。
 合気揚げをするには、既に述べた通り、毛細血管の開発が必要である。これを開発することにより、手・手頸・腕の毛細血管は膨らみ、約1000本を目安に、これを開発することだ。

 そして「極意」としての呼吸法は、従来の吐納を逆転させて、8の字稼動する「振り上げ」の時に、息を吐き、「振り下ろし」の時に「息を吸う」ことだ。これは従来の剣道の打ち込みや、その他の格闘技の技をかける場合の呼吸の吐納と、「逆になっている」ので、注意が必要で、大東流が昔から「無声柔術」と言われ、気合をかけないのはこうした「吸う」呼吸の「吸気」を主眼を置いているからである。
 これは他派の大東流の研究者や同好者、合気道の愛好者が、わが流の「合気揚げ鍛錬術」に影響され、大いに真似して、研究して頂きたい次第である。

 毛細血管の開発は、合気揚げの「浮かし」を容易にする。この鍛錬をしなければ、合気揚げは完成したといえない。
 さて、単純明快に、一見、見える合気揚げについて、「合気揚げ外伝」として述べてきたが、「合気揚げ」「剣の素振り」は表裏一体の関係になっていることが分かろう。
 それを最後にもう一度整理すると、次のようになる。

合気揚げを完成させる為には、重量のある3kg程度の木刀を素振りしなければならない。
剣の素振りは、有酸素運動であり、その呼吸法は振り上げで吸い、振り下ろしで吸う。呼吸の吐納が反対になるので注意。
毎日朝晩、欠かさず、約1000本程度を目安に素振りする。本来、稽古とは黙々とした地味なものなのである。
剣道のように、二調子の素振りではなく、一調子の剣の素振りを会得する。一調子の素振りが分かれば、それだけ動きは速くなる。
右前・右半身の素振りが出来るようになったら、逆の左前・左半身の素振りを行い、左右両方が、均等に動かせるように鍛錬する。時には、右利きの人が、左で箸を握って、食餌をするのもいいだろう。但し、公の席でやると無礼になる。
素振りは「毛細血管の回路」を開く鍛錬になり、健康法として朝晩毎日続ける。毛細血管を開く為には、水風呂とお湯風呂を15分ずつ、交互に浸かるのも血液の促進となり、それだけ開発のスピードが早まるだろう。
また、毛細血管の回路を開く必要条件は、肉・卵・チーズなどの乳製品やその他の動蛋白を避け、穀物菜食の食餌にしなければならない。血液をサラサラ状態にする為だ。弱アルカリ性で、生理的には中性である。血液がサラサラ出ない人が、毛細血管の開発を行うと、晩年は脳の血管に障害が出て、アルツハイマー型痴呆症になるので要注意。これは著名な武道家が、晩年、この病気になることから、食餌法には日頃から注意が必要。
日頃から食餌法に心を配り、朝は玄米スープで、昼と夜の一日2食主義を心がける。また、食餌は粗食少食を徹底し、主食は栄養価の高い玄米穀物とする。
喫煙や、祝日以外の酒の飲用を避け、タバコは合気修行者に無縁の物質であばかりでなく、呼吸法の吐納が喫煙は逆になるので、肺臓を傷めるばかりでなく、喫煙者は精神障害を起すので、禁煙が実行できないほど信念がないならば、合気揚げは完成しないだろう。
剣の素振りの一人稽古に、目標を定め、それに向かって精進する信念を貫けば、武術や武道のばかりでなく、他の世界でも、その人の堅固な意志力は高く評価されるだろう。
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合気揚げの基本は、腕を上下するリフト運動ではない。肩球を充分に回し、合気揚げは三次元稼動に極意があるとを心得るべし。この三次元稼動を容易にするには、「剣の素振り」以外にありえない。

 わが流は、武技をもって、その優劣を競う流派ではない。誰とも争わない流派である。
 本来の、大東の「大いなる東(ひむがし)」の西郷頼母(さいごうたのも)の掲げた大アジア主義をもって、「極東の優れた戦闘思想」を世に啓蒙する流派である。そして「大いなる東」は、「大東」の名に回帰し、頼母の願いは、国のあるべき姿を求め、日本の行く末を憂いた切なる願いが「大東流」に託した当時の武闘主義の表れではなかったか。
 その頼母の主張を汲み取り、排他的に、秘密主義に凝り固まるのでなく、「こだわり」をさらりと捨てて、本来の意味での自他共栄の精神に目覚め、武術研究者の各位が、自らの研究に役立てば、光栄である。

 全国ならびに韓国に支部を有するわが流は、総本部ならびに各支部で学ぶ道場生・門人のみならず、個人教伝、講習会参加会員、通信指導受講会員、志友会報購読会員を含むと、既に日韓で約2500名以上を超え、更には書籍、ビデオ、DVDなどを含め、大いに研究される流派であり、単にわが流に普及のみならず、他の流派や他武道関係者にも、大いに参考にして頂き、技術面ばかりでなく、極東の思想団体の大いなる東の「大東思想」なども含めて、それが霊的精神面でも応用の役に立てば幸いと思う次第である。

 いまアジアの、東洋の武術思想は、欧米の西洋格闘技に完全に惨敗しているといえるだろう。そして残念なことは、日本人の日本離れが、急速に進んでいることだ。その最たるものが、老いも若きもを含めて、日本の象徴である「日の丸」を軽視していることである。軽視の動機は、国際化社会において、そぐわないという理由からである。
 そういう、一方に偏っていく時代だからこそ、「大東思想」を根本から見詰め直し、その中に今後の日本武術や日本武道という「日本伝」の本当の意味があるのではなかろうか。

 国際化が急速に進み、国家という垣根が薄れ、地球全体がグローバル化に向かおうとする今日、「大東思想」などと称して、これを綱領の精神に打ち出すと、直に、あれは「右翼だ」というレッテルを貼られ、日本精神を真摯(しんし)に学ぶことが、悪のように表される現実が今日の日本にはあるようだ。
 また、「陽明学」の思想を掲げ、「国を愛する」とか、「国を憂う」とか言うと、戦時中、自由主義者が「アカ」といわれて危険視された、あれに似ているように筆者は思えてならない。現代は、過去と裏返しになっている現象が起こっているのである。

 況(ま)して、今上陛下に対する尊崇信愛の念などを表すると、いわゆる進歩的文化人から、許し難い、時代錯誤の反動と見られるらしい。
 今日は、「自他共に」 という大同団結の精神が欠け、個人主義が謳歌される時代である。どのスポーツ団体も、武道団体も、自団体が頂点に上り詰め、弱肉強食論を持ち出して、お山の大将にならなければ気が済まない風潮にあるようだ。しかし、この考えに固執した時、「日本伝」は、今日の日本の政治や経済のように、外国(特にアメリカを追随する考え方)の傘下に取り込まれるような憂き目を見るかも知れない。
 わが流は、こうした今日の実情を、心から憂う次第である。


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