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●吐納の仕組みと霊導法の術

 「呼吸」は吐納法を用い、「吐く息」から始まります。
 まず、周囲の邪気を悉々(ことごと)く浄化し、自身は吐気から行います。吐気とは、最初に吐く息で、赤ん坊が生まれた瞬間、「おぎゃー」と泣く、あの吐く息であり、これを「阿吽行」あうんぎょう/最初と最後。密教では、「阿」を万物の根源、「吽」を一切が帰着する智徳とする)の『阿』(「あいうえお」の五十音の最初の「あ」を顕わす)がこれに当たります。

 ちなみに、人が息を引き取る時は「阿吽行」の『吽』(《うん》は「ん」)で、総てこの世の一切をこれに仕舞い込むのです。これは、「阿」は口を開いて発する音声で字音の初めを現し、「吽」は口を閉じる時の音声で字音の終り現します。これは万物の「初め」と「終り」を象徴しています。

 次に最後の一息まで吐き終わったら、吸気に入ります。息を吸う時は頭の天辺か、後頭部の頂点に向かって突き抜けるように、静かに軽るく行い、吐く時は重たく、静かに吐き終わります。これをある程度、等間隔に保ちながら腹式呼吸を行います。これを数回繰り返すことで心が落ち着き、被術者(患者)にも同じことをさせます。この場合、被術者が従わずに、これを行なわなかったとしても、意識はありますので、呼吸法を遣ってみることだけを伝えるだけで初日は終了します。最初、直ぐに従わない場合もあります。

 但し、呼吸法を行なう場合、注意すべき事は、「余り長く吸気を吸い込まない」という事です。5秒間隔で吐き切ったら、5秒間隔でで息を止め、5秒間隔で息を吐き出します。術者も被術者も、長い呼吸法は禁物です。

 最初は5秒間隔が無理がなく、馴れたら10秒、15秒、20秒と増やして行き、30秒までが適当です。この間隔を長くすると呼吸器障害(禅病で、禅の僧侶が坐禅中に掛かる病気。禅寺は呼吸法の間違いから起こる精神障害の僧で増加で「気狂い寺」とも謂われた。白隠禅師が良い例。精神障害も起こしますので長くする事は要注意)や、神経・精神傷害を起こしますので充分な注意が必要です。

 次に術者は腹式呼吸から逆腹式呼吸に切り替え、逆腹式呼吸と共に自身の洗脳法を行います。これも被術者に同じことをさせます。「泥丸」(神(しん)の宿るところ)の意識を認識させる為です。
 以上、準備が整うと、次にいよいよ霊導法に入ります。

 まず、「呼びかけ」を行わなければならなりません。
 被術者に重なった霊体の霊魂を呼ぶ時の名は、戒名やクリスチャン洗礼名よりも、生前の名前か、愛称がよいでしょう。
 「お父さんの霊魂さん」「お母さんの霊魂さん」「○○ちゃんの霊魂さん」等と直接的に語りかけるか、被術者に対して、誰の霊魂が重なっているのか解らない場合は、被術者に「○○に関係している霊魂さん」と言う風にして呼びかけを行います。

 こうした呼びかけは、誰に対して行っているかを明確にすることで、これに関与した霊魂は、いま自分が呼ばれているのだということを認識します。

宇宙構造の中に位置する物質界と神霊界の逆転構造図。人間の棲(す)む三次元物質界は、副守護神が支配する宇宙の最外郭に位置する世界である。これは正守護神が眠らされていて、副守護神が旺盛であると言う事を顕わす。したがって物質文明のみが、異常に発達するのである。

 語り掛けの内容を要約すると、次のようになります。繰り返し、語り掛け、根気が必要となります。そしてその根底にある者は「癒(なお)してあげたいとする愛情」です。
 効果は、一日や二日で期待出来ませんので、最初に「天文学的な根気がいる」ということを肝に命じ、これを覚悟する必要があります。

 
被術者と憑霊する霊魂への悟りに向けて 
1.  「死んだという事」を自覚させ、それを繰り返し理解させる。これが最も大事なことで、この理解が出来ないと《霊導法》は先へ進まないので注意したい。したがって何度も繰り返すことが必要である。根気よく、諦めずに。
 しかし非業の死を遂げた人が頑迷な場合、その分だけが霊体に残留しているので、これには困難が伴い、根気を要す。
2.  死んだということが自覚で来た場合、「あなたの肉体は自然に還った事」を悟らせる。したがって「あなたは今、肉体を持たない事」を教える。しかし霊魂は、霊体を現世に置いて、肉体があるかのように錯覚し、幻覚状態にあるので、これが中々理解できない。こうした場合は再び「1」からやり直す。
 生前、自己主張が強かった人や、独断と偏見が強かった人は、死んだ事が自覚できても「還る場所」が理解できない。いつまでも家族と一緒に居ようとする。根気がいるので、その覚悟で簡単に諦めないこと。
3.  「2」が理解できたと思えたら、次に死ぬと、肉体は自然界へ、霊体は霊界へ還ることを教える。従って「あなたの居るところは、現世ではなく、霊界である事」を解らせる。したがって現世に止まることは間違いであると教える。繰り返し教えること。
 宇宙の構造図は次の通りであり、術者のあなた自身もはっきりと覚え込むこと。現世の三次元世界は宇宙の最外郭にある。【宇宙構造の中に位置する物質界の構造図参照】
4.  霊魂は未来永劫であり、その命は「永遠なる生命」であることを教える。
5.  霊界に戻った霊魂は、本来、苦しみや悩みや迷いが無いことを教える。また、現世に居残ることは間違いであるということを解らせる。人間の苦しみや悩みの一切は現世に限られたことであるということを明確にする。
 しかしこの時、術者自身がこの意味を理解しておかなければ、非業の死を遂げた霊魂に対して説得力を持たない。
6.  次に事故死についての一切を具体例を挙げながら説明する。事故死には既に述べたように病気を始めとする様々なものがあり、特に事故死で死ぬ際の肉体と霊体の分離のときの衝撃と、その衝撃から起こるショックの状態を説明し、苦しかったこと、痛かったこと、辛かったこと、怖かったこと、惨めだったこと、無慙だったこと、無念だったこと等の、最後に残った唸(ねん)を和らげてやること。この「和らげ」に対してはある程度の根気と、時間を要する。
7.  死んだことを自覚させた上で、「2」から「6」までを何度も、声を出して繰り返すことである。被術者と非業の死者は、頑迷な「意識体」であることを認識する。
 生前、理解力が遅かった人、勘の鈍かった人、不勉強だった人は、死んだことは自覚できても、「2」から「6」については、非常に物わかりが悪いので根気がいる。
 それを例えれば、できの悪い中学生に、微分方程式を理解させる如き、あるいは生涯無学を通した老人に司法試験の受験勉強をさせるが如きの、苦労であり、根気であり、努力である。そしてこの裏側には、絶え間ない愛情と情熱が無ければ出来るものではない。
 一気に、達成しようとせず、時間を掛けて、気長に、根気よく「同じ事を繰り返し」語りかけ、天文学的な深遠な愛情を以て、被術者に接する事が肝腎である。被術者と非業の死者は頑迷なので「同じ事を繰り返し」語りかけるということが大事である。



●努力は結実するという確信(「愛する想念」をイメージ)を持とう

 こうした根気のいる霊導・浄霊をやって、では、これが霊魂に解ったか、悟ったか、という事を、どうして確認するのでしょうか。

 霊魂は、そのレベルが様々であり、理解力に格差があります。
 また、苦しみの種類と悩みの度合で、各々の格差があります。理解力の有無については、一方的に霊魂側にあり、術者であるあなたは、まず霊魂側に解らせる以前に、あなた自身が肉体構造と霊体構造を持つ人間の実体を徹底的に把握し、それを充分に理解しなければなりません。

 繰り返えしますが、術者の理解力に落度がある場合、これは霊魂側に充分な理解を得る事は出来ません。
 今までの語りかけや、話かけが総て徒労に終わる場合が少なくないのです。あなたが理解して、その理解が霊魂側に伝わるという意志の疎通(そつう)を、予(あらかじ)め確保しておかなければなりません。ある程度の説得力と、智慧(ちえ)も確保する必要があります。

 さて、これが整った上で《霊導法》を行いますが、これがうまく行った時、最初に、次のような変化が確認されます。
 まず、被術者の思考が戻ります。それも正常な思考です。話す言葉の内容が、以前の感覚を取り戻したような、極めて正常な形になります。しかし中には、話す内容が不明瞭である場合も少なくありません。それでも以前とは異なる変化を見せるものです。これは一種の感激・感動の瞬間を被術者側が認識するからです。

 しかしこれで完治した分けではありません。これから一進一退を繰り返し、徐々に恢復(かいふく)の路程を辿りますが、術者が語り掛けの間隔を一週間程開けてしまうと、また旧(もと)の黙阿弥(もくあみ)に戻りますので、一瞬も気が抜けないのです。そして、その語り掛けは、宣教師が熱心に大衆に向かって布教をするが如く、また布教僧が情熱を傾けて辻説法をするが如く、情熱と根気と熱心さがいるのです。その覚悟は「天文学的な根気」と言っても差し支えなく、最初からこの事は覚悟しておくことです。
 そして術者自身は、自分の想念の中で、間違いなく恢復に向かっているという「愛する想念」を抱き続けることです。
 「徐々に恢復している。徐々に癒(なお)っている。自他同一である。それには境目がない」という強い想念が必要になり、強く念じる事です。こうした想念は被術者にも伝わるものなのです。


 変化が現われたという確信は、次の通りです。

 
恢復へ向かっての変化 
今までのトロッとした目付きに、力を帯びてくる。茶色い目が、黒眼勝となる。
正常な思考と、正常な会話ができるようになる。しかし長時間続かない。
従順な素振りを見せ、迷惑を掛け手いることに気付く。これは自覚した現われである。
内容は不明瞭でも、今迄との違いが現われる。何か、努力をしている跡が見られる。
一旦良くなったかと思っても、再び悪くなる。逆戻りしたことに諦めてはならない。
一進一退を繰り返すので、諦めずに根気が必要であり、癒してやるという強い信念を持てば、これから徐々に良くなっていく。注意しなければならないことは、被術者に対して、恩を売るような言葉や、一言の愚痴や小言を洩らしたり、それを心に抱いてはならない。総てを受け入れる、大きな気持ちが必要である。また、希望を捨てない。

 以上は精神科だけの治療と比べると、大きな違いが出て、精神科の薬だけの治療を受けている患者は、今より一進一退を繰り返しながら段々悪くなって、老齢に至りますが、《霊導法》と平行して行った場合、一進一退は繰り返しますが、徐々によくなる痕跡が見られます。

 しかし精神科の治療と平行することが好ましいようです。そして、薬の量も次第に減っていき、最後は薬なしでも精神を安定させる事が出来、正常に戻っていきます。
 また、この《霊導法》は、癌患者等にも効果的です。ガンは霊障ですので、自然食事療法(玄米を中心にした穀物菜食の食餌法)の指導を医師(自然食事療法を指導できる内科医)から受ながら、この《霊導法》を行なうと、ガンは次第に消滅して行きます。ガンの実態は血液の濁りですから、玄米穀物菜食法を心掛け、また「一二三(ひふみ)の祝詞」(これを一回唱えれば約50回程度)を実践してよく噛み(目安は50〜100回で、よく嚼みながら唾液と混ぜ合わせる事が肝腎)、浄血すれば、ガン細胞は次第に正常に戻り、消滅して行きます。

 ガン細胞自体も、一種の生命体であり、これを無理矢理に切除したり、コバルト照射をしたり、抗ガン剤等の投与を行ないますと、一時的にはその勢力が弱まりますが、次第に抵抗力がついて来て、猛威を振るいます。ガンは不良少年のような存在と思って下さい。不良少年でも、悟ればいつかは真人間へと善導されます。かつての過激派学生が学生運動の中で革命を夢見て大暴れしましたが、今ではその跡形は殆どなく、現在では日本赤軍を除いてありません。やがて誰でも、自分の間違いに気付いて、本来の許(もと)の姿に戻って行くのです。
 迷える霊魂でも、苦悩する霊魂でも、いずれは許に戻り、「修行の大事」を悟るのです。

 ある精神病院で、アル中患者に、「○○さんに憑いている霊魂さん。いつまでもその人に付き纏っていると、あなたの修行は遅れますよ」と言ってやると、そのアル中患者はそれから数分後、背伸びをするように両手を挙げて、「ああー、すっきりした」と言って、自我を取り戻しました。憑衣した霊が悟りを得て、離脱した状態です。稀(まれ)にこういう事もあります。
 この現象に精神科医も吃驚(びっくり)し、患者はまともに戻り、かつて下戸げこ/このタイプの人は本来は酒が飲めないのだが、憑衣されて大酒呑みになり酒乱となる)だった状態に戻って、急にお酒が飲めなくなり、正常な精神状態に戻って行きました。

 しかし、多くの場合は時間と根気がいるのは事実です。特に憑衣よりも、憑霊の方が時間も根気もかかります。それは亡者の霊が、人間の意識と同じ、悩みと苦しみを所有し、その解消が未(いま)だに出来てないことに由来します。

 人間の悩みや苦しみは、本能が満たされてない時に起こります。本能とは、生れつき持っていると考えられる行動の様式や能力のことで、食欲や性欲や希求等を言い、生得的せいとくてき/うまれつきであるさまで、本有(ほんう)的とも)で、その種の特有な反応形式で、その出処は感情によって肉体が動かされるさまを言います。
 空腹を感じれば食することでこれを満たし、咽喉(のど)が渇(かわ)けば飲み物でこれを潤します。これが食欲であり、「食える」ということが満たされなければ、これが苦しみとなり、生きていく上での悩みとなります。

 また人間は同等に、思春期を迎えたことから月経や精通現象が起こり、性欲が起こります。衣服や住まいにも希求が起こり、肉体の維持を継続させる為の本能的欲求も現れます。こうした欲求は生まれながらにして備わっているのです。
 ところがこれは、霊体とは直接的に関係がありません。本能はあくまで、肉体を維持する為の欲望であって、霊体はこうした欲求を持たないと言うことです。これは、非常に大事なことであり、肉体を持たない霊魂は、本来欲求は生じないのです。

 しかし不成仏霊は、死して後も、肉体があると、いつまでも思い続けていますから、まず、これを理解させる必要があるのです。

幽体離脱と地縛霊・浮遊霊の違い。幽体離脱では霊腺れいせん/肉眼で確認することは出来ない不可視世界の意識)によって、肉体と霊体群(空間記憶の意識体)は繋がっているが、亡者(一種の意識体で「唸」)はその帰属するべき肉体を持たない為、肉体を持つ同じ霊的波調の人間を探し求め、やがて憑衣・憑霊する。

 健康とは、病気や怪我がない状態ばかりでなく、霊魂と肉体の波動に狂いがない場合を言います。完全に一体化している時、生体と命体は健全であり、かつ、健康であると言えます。霊魂と肉体の波動が同じで、霊魂の心と言う意識があるのですから、その意識には、意思や判断力があると言うことになります。そして霊魂に心があると言うならば、肉体にも心が存在し、心には、意思や判断力があると言うことになります。

 霊魂は可視世界の物質で出来ているのではありませんが、紛(まぎ)れもなく、波動を持つエネルギー体であり、生命体と同じ形をした肉体を持たない「意識体」と言えます。これが意識体である以上、肉体の心と同じように考える事が出来、また、判断力もあり、肉体を持たないけれど、その意識は、自在に行動出来ると言うことになります。

 この意識体を「霊体」あるいは「命体」と言います。そして、意識体は、物質波粒という波動エネルギーによって構成されています。それに対して、「生体」と言うものがあり、これは生きている生物の肉体を指します。そして双方とも意識を所有しています。
 この意識は一種の唸(ねん)ですから、激しい憎悪(ぞうお)や憤懣(うんまん)が走れば生霊化することもありますし、また死後に於ては、こうしたものが死霊化することもあります。不成仏霊の実態は此処(ここ)にあります。

 意識体には固有の周波数があり、波動があります。
 また、重量相当の質量を持ち、意識体は意思や判断力を持っています。したがって、意識の唸を言葉を波動に変えて、音波を発生させることはありませんが、意識体である以上、人間の意思表示に対して、それを感知する事が出来ます。意識体の行動は、意識の浮遊(ふゆう)である為、時空間では極めて自在に動き回る事が出来、素粒子構造からなっていて、壁(かべ)等を自在に通り抜ける事が出来ます。

 しかし肉体を持たない為に、肉体の心で感じる本能はなく、食欲や性欲や希求本能等は持ち合わせません。但し、生前の願望欲求がまだ消えていない場合、これを意識体の中に引き摺(ず)って、「あれが食べたい。これが飲みたい」(飽食願望並びに美食願望)あるいは、に酷い場合は「あの娘を強姦したい」(バーチャル恋愛のストーカー的な歪んだ願望)、更には「あいつを殺さねば」(敵意と憎悪による殺人願望あるいは破壊願望)という唸を引き摺っている場合も少なくありません。

 最近は、こうした犯罪が多発している現実をみますと、単に生きている現象人間の「邪(よこしま)な心」だけではなく、憑衣・憑霊による霊障が、現代人に現れていると言う実情を克明にしているとも言えます。

 そして犯罪を犯す場合、精神異常者として犯罪を犯している場合が少なくなく、犯行後、殆どの容疑者が精神鑑定を受けて、「自分の意志ではない」と無実を訴える事件が増えていることは、現代は、青少年の中にも、非常に憑衣・憑霊されている若年層が多いと言うことを物語っています。