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さて、現代社会は「飽食の時代」と言われて随分と久しくなりました。昨今は、一日3食どころか、若者達の間では間食や夜食を含めて、一日4食や一日5食が常識化されつつあります。まさに「飽食の時代」を象徴しています。
欧米型食生活へと変貌(へんぼう)する日本人の食生活は、ますます狂ったものになり、巷(ちまた)には動蛋白食品と共に、ジャンクフードが所狭しと溢れ出し、食への慎みを忘れるものばかりになりました。
また、特に危険な考え方は、現代栄養学が掲げる動物性蛋白質や乳製品の摂取であり、これらは「食肉神話」(食肉のもつ良質のアミノ酸を上げているが、人間はこれを消化する消化酵素をもたない。その為に食肉は腸内で腐敗物質になる)や「牛乳神話」(牛乳は水分や電解質代謝に混乱を起す)となって、寔(まこと)しやかに囁(ささや)かれ、日本人の常識として定着しています。
一方動蛋白食品は、日本人の躰(からだ)と心を蝕み、また、社会全体では不穏な社会構造を作り上げました。
そしてこの背景に、古来より連綿と続いて来た日本人の、豊であった霊的神性を大きく狂わし、乱し、慎みを忘れさせる禍根(かこん)を招いたのです。その最たるものが、邪気などに憑衣れる憑衣現象の増加です。こうした元凶が巷(ちまた)には溢れています。これが現代を悩ませている「成人病」の正体です。
その為に、種々の、難病・奇病と言われる病変が日本人を襲うようになりました。またこれ等の病変は、単に肉体を蝕むばかりでなく、精神の領域にも侵入し、躰と共に、心まで狂わせ、昨今の多発する青少年犯罪の低年齢化と凶悪化は、こうした元凶に由来して、世の中を騒然(そうぜん)とさせています。
また一方、統合失調症(精神分裂病)の患者(これまで精神医学界では、その発生率が1%未満といわれて来たが、アメリカ等では有に1%を超え、日本もこの後を急速に追いかけている。どこの精神病院も、入院は予約待ちするほど超満員)の増加や、神経症等に罹る人は年々増加の一途にあり、まさに曾(かつ)て預言された「肉(じし)喰った報い」が、社会全体を覆いつつあります。この「報い」は、霊肉共に人間を襲います。
今日の不幸現象の多くは、食生活の狂いから生じた現象であると見る事が出来ます。
私たち日本人は、権威筋や有識者の言には、素直に耳を傾けます。ところが、彼等の指摘する健康管理は、外的なものであり、しかも条件付きの、窮屈(きゅうくつ)な健康管理ばかりです。決して、一人一人の自覚の上に立っているものではありません。
真の健康管理とは、本人の自発性や自主性を徹底的に尊重したものでなければなりません。高所に立ち、上から、顕微鏡下の微生物を見下すような、権威筋や有識者からの傲慢(ごうまん)な健康管理では、自分自身を自立させる機会すら失わせてしまうのもなのです。
真の健康人とは、自立性を持ち、自己探究を行い、「自分とは何か」という事を問い続けている人間の事です。
そして、人生の三要素である「健康」「成功」「幸福」とは、心の置きどころによって、その「結果が得られる」と言う要素から成り立っているのです。
古人の智慧に学べば「己(おのれ)を空しゅうして」という日本古来の惟神(かんながら)の思想すら、甘く見下して、慎みを忘れ、思い上がった日常生活を送っていました。しかし、こうした生活態度では、やがて破綻(はたん)の来るのは必定です。
厄年(人間の心身に伴う生活リズムの「疲弊の特異点」)には会社が倒産し、また不摂生な生活のこれ等の悪癖(あくへき)が、自身の自然治癒力(しぜんちゆりょく)を失わせ、片脚を半分棺桶(かんおけ)に突っ込んだような状態に見舞われ、心身ともに最悪の状態になっていました。
また毅然(きぜん)とした態度が、余りにも立派だったので、その人に関して非常に興味が惹(ひ)かれ、請(こ)うて自ら、養生法と食養道のイロハを教わりました。
まず私が取り組んだのは、生活実践としての「断食」でした。
そして断食と、その後の粗食・少食を実践した事で、今までとは打って代わった世界がある事に気付いたのです。
これ等の実践を通じて、心が落ち着き、平安になると、自律神経の緊張がほぐれて、自然治癒力が高まるという事でした。
自然治癒力が高まれば、新陳代謝が旺盛になって、病毒を体外に排泄する仕組みが、人間には元々備わっていると言う事を教えられたのでした。そして、「心の平安」は、食生活によって委(ゆだ)ねられていると言う事が分かって来たのです。
心を平安に保ち、騒がせず、乱さず、心静かに、「安らぎ」を覚えれば、心は「心のメカニズム」によって、これまでの不幸現象の一切が、消滅出来ると分かったのです。これより運気が開けていく事になります。運が好転したのです。
人間が生きて行く為には、人生での目的意識として、まず、その目標を明確にしなければなりません。また、目標に向かう為には、正しい手段を講じなければなりません。運をよき方向に向かわせるのも、人生をより善く送る為の手段です。
人間は霊的な生き物ですから、単に肉体と言う「生体」だけではなく、霊体と言う「命体」も兼ね備えています。
そして人生を経験しつつ、自己を掘り下げて、「自分とは何か」という次元まで進展させねばなりません。運気を司っているところが、人間の所有する霊的な分野です。
また、病気に対する抵抗力も、自然治癒力が裡側(うちがわ)から活性化し、健康の持続や増進、病気の予防や病気に罹(かか)り難い体質、病気の治療が可能になるのです。
病気や怪我と云った不幸現象の根元には、その潜在意識の中に、「運の悪さ」が上げられます。この「運の悪さ」を克服しない限り、病魔と訣別(けつべつ)は出来ません。
しかし、世の中には、自分の事が、自分で出来ない、自分の事が全く分かっていないと言う人が沢山います。他人に頼っていないと何も出来ない人。権威筋の、間違った仮説でも、それを頼りにしないと安心出来ない人。間違った神話を有り難がる人など、様々です。
結局、こうした人達は、他人が管理する社会の中で、他人に頼って生きる人達であり、「自分が何者であるか、知ろうとしない人達」なのです。つまり、自分の事が、自分で出来ないという人達なのです。自分の事がよく分からない人達なのです。
まず言える事は、「自分を知る機会」を得る事です。その一つとして、断食は最も良い方法だと思います。
断食(「行」する等と堅苦しく考えず、空腹トレーニングをすると考える)を通じ、自己の意志力を堅固にすると同時に、断食後には粗食・少食を始めると、自然治癒力が高まり、病気に罹(かか)り難い体質を得る事が出来ます。
同時に、少食である為、省エネに繋(つな)がり、食費の節約にもなります。また動蛋白や乳製品、肉加工食品を食べない為に、食器の上には脂物の食材が非常に少なくなり、食器洗剤が少量(地球環境に小さな貢献)で済みます。
身体的には躰自体が身軽になる為、鈍重な動きから解放され、動作は機敏になり、しかも血液が浄化される為、暑さ寒さにも強くなり、エアコン無しの生活(地球温暖化の防止)が可能になります。
「今日」という一日は、自分の人生にとって、またとない「今日一日」です。これを九星早見表や方位表を見て、「今日は日取りが兇(わる)いから」とか「その方角は良くないから」といって、「今日一日」を疎(おろそ)かにする事は、実に無駄で、粗末な人生を送っている事になります。
「今日一日」を、厄日にするか吉日にするか、それは九星早見表や方位表にあるのではありません。「あなた自身」にあります。
またとない「今日という一日」を取り逃がす人は、「一生を取り逃がす人」です。
人間の「運勢」と言うものや、「運」と言うものは、本来、良い方角に方位をとっても良くならず、また、悪い方角に行っても悪くならないと言うのが正しいのであって、これに左右される運勢は、一種の不幸現象に振り回されている実情が、その根底にあります。こうした実情から、一時も早く解放されなければなりません。
生きとし生けるものが、触れ合い、互いに絡(から)み合って生きるこの世。それは「仮の世」に過ぎません。人間にとって、「過去」も「未来」も、「今の一部」に過ぎないのです。
人間が病気をしたり、怪我や事故に見舞われると云った不幸現象は、何かを強く思い込んだり、あるいは自分にとって「嫌な過去」を繰り返し手繰(たぐ)り寄せた結果によるもので、その縮図が一切の不幸現象として顕われるものです。
病気とか怪我がと言うのは、「今」の精神作用の産物に過ぎません。そして、「今」というこの現実を蔑ろにすると、「心と身体が離れて行く現象」が起り、これが両者の拮抗を失わせ、ストレスを齎(もたら)すのです。
そして私たち人間は、「今」という時間と空間を味わう為に生きていると言う事が言えます。
《癒しの杜の会》では、その手掛りとなる事柄を、真剣に人生を模索する人に提供しているのです。
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